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そんなこんなのドタバタの卒業前の試験が、なんとか終わり、その後、無事? 卒業したエクレールは、本日社交デビューを兼ねた夜会に出席することになっていた。
場所は王宮で、卒業生である王太子の父兄として、国王夫妻も出席する。
本当は、欠席したかったのだが、試合の表彰式があるためそうもいかなかった。試験どころかその後の御前試合でも勝利したエクレールと王太子は、当然夜会の主役だ。
表彰者の控室となった部屋に、通されたエクレールと王太子。
二人っきりで会うのは、あの試合前以来で、なんともいえない微妙な雰囲気が、部屋には漂っている。
そんな中、ようやく王太子が口を開いた。
「……やはり、私の贈ったドレスは、着てもらえなかったのだな」
「ランビリンス卿に、謀反を起こさせるわけにはいきませんから」
エクレールの答えに、王太子は大きく顔を引きつらせた。
次代の王たる彼にも、エクレールとランビリンス卿の事情は伝えられている。絶句しながらも、エクレールと会った後のランビリンス卿の変化を見た王太子は、納得してくれたそうだ。
(まあ、あんなランビリンス卿を見たら、納得せざるを得ないわよね)
疲れた顔で、エクレールはあの試合後のドタバタを思い出す。
あの後、復活したランビリンス卿は、衆人環視の中、大声で泣きながらエクレールに縋ってきた。
「メル! メル! 会いたかった! もう離れない!」
「私は、メルじゃないわ!」
「知っているよ。――――エクレール・ルシエルナガ伯爵令嬢。エクレールと呼んだ方がいいなら、そう呼ぶよ。どっちでも変わらない。僕の唯一、愛する人だ」
ボロボロと泣きながら、チェムはエクレールを抱き締めた。
彼女よりずっと背の高い美丈夫が、十五歳の少女に恥も外聞もなく泣きついてくる。
果てしなくみっともないその姿を見て、――――変わらないと言われて、エクレールはなんだか、吹っ切れた。
(そうよね。チェムはこういう子だったわ)
自分が変わってしまったことを恐れ、チェムが立派になったことを恐れ、彼から離れようと決意したエクレールだったが、――――恐れることなど何もなかった。
チェムは、どれほど時が経っていようとも、彼女の愛するチェムで、メルも、きっとどんなに変わろうとも、彼の愛するメルなのだ。前世で四十年の時を共に過ごした二人。その四十年の中でも変化は当たり前にあって、それでも彼らは互いを愛し続けていた。
今さら、四十年が五十五年になったとしても、どうってことない。
(それに、こんなみっともない、残念な男に、自分が似合うかどうか、悩んでいたなんて)
そっちの方がバカバカしいと思ってしまった。
わけがわからず混乱する観客や周囲をなんとか誤魔化して、闘技場をあとにしたエクレール。
その際、エグエグと泣くチェムの手を引いてやったため、後日『学園の卒業試合にて、ランビリンス卿が伯爵令嬢に打ち負かされ、拉致された!』などというおかしな噂が飛び交ったが、まあそれは仕方ないだろう。
王太子の試合を台無しにしてしまったランビリンス卿だが、彼に対するお咎めはなかった。
なんと彼は、用意周到なことに国王夫妻にあらかじめ話をしてあったのだ。エクレールが入場した際、二人が彼女をマジマジと見ていたのは、このためだった。
自分も前世の片思いの相手を娶った国王は、ランビリンス卿を自分の同志と認め、咎めるどころか、目を真っ赤にしてもらい泣きしていたという。エクレールは、王妃さまに同病相憐れむみたいな目で見られて、非常にいたたまれなかった。
当然王太子が、エクレールを自分の妃にしたいという話も立ち消えだ。
(まあ、あの試合の後で、まだ私を妃にしたいなんて言うとは思っていなかったのだけれど)
思いっきり王太子を怒鳴りつけた彼女だ。嫌われたのではないかと思ったのだが、先ほどの「ドレスを着てもらえなかった」発言を聞く限り、そうではないのだろうか?
不思議そうに王太子を見れば、彼は深いため息をついた。
「まったく、君は。私がどれほど長く君に片思いしていたのか、本当に気づいていなかったんだね」
寝耳に水のエクレールである。驚きに目を見開く彼女に、王太子は苦笑した。
「学園に入学と同時だから、もう三年、私はずっと君に焦がれているよ。ようやくペアの座をもぎとって、それとなく婚約の話を匂わせて、卒業したら本気で口説こうと思っていたのに」
そんなこと、まったく気がつかなかった。
学園の入学は十二歳で、その時の王太子は紅顔の美少年だった。見た目は同じ十二歳のエクレールの精神年齢は、前世を合わせて八十二歳。恋愛対象だなんて、思うはずもないだろう。
「その調子じゃ、私以外にも、ずいぶん多くの男子学生が君を想っていたことにも気づいていなかったんだろうね。君のペアの座を得るのは、ものすごい倍率だったんだよ」
信じられない話続きに、エクレールはフルフルと首を横に振った。
順風満帆で、なんのトラブルもないと思っていた学園生活だったが、エクレールの知らないところでは、彼女を巡る騒動があったらしい。
王太子は、もう一度ため息をついた。
「試合で、あの程度怒鳴られたからって、私の気持ちが、醒めるわけがないよ。むしろ、君の雄姿に惚れ直したくらいだ。三年間、君を想ってきた気持ちだけは、誰にも負けないつもりだったのに。…… 十五年が相手では、とても太刀打ちできないかな」
王太子は、寂しそうにそう言った。
「……殿下」
十五年どころではなく、前世も合わせれば五十五年です……とは、ドン引きされるのが確実だから、言えない。
「ひょっとしたら私も、記憶を持っていないだけで、前世で君を想っていたのかもしれないけれどね」
王太子の言葉に、エクレールは、ふと思い出した。
メルの周囲にいた一人の男。同じ戦争孤児で、人の心の機微を読むのが得意で、その特技を生かして商人となって大成功した彼は、メルに傭兵を止めて自分の嫁にならないかと、よく言っていた。
その頃のメルは「商人の嫁なんて柄じゃない」と、一蹴していたのだが、男は案外しぶとく、メルがチェムの愛を受け入れるまで、思い出したようにメルを訪ねては、婚姻を申し込んでいた。
メルが結婚してからは、そんなことはなくなったが、晩年病に倒れたメルを見舞い、こんなにどうするのかと思う程の、薬と食べ物と、ありとあらゆる健康祈願のお守りを持ってきてくれたものだ。
惜しいことに、メルが死ぬ数カ月前、商いで行った戦場で戦いに巻き込まれ死んだと噂で聞いたのだが――――
(……え?)
まさか? と思い、エクレールは、マジマジと王太子を見た。
(いやいや、ないわよね。いくら同じ十五年前に死んでいるっていっても)
そんな偶然あるはずない!
違う違うと、メルは首を横に振る。
「エクレール?」
「あ、いいえ。なんでもないです」
そういえば男も、よくこんな困ったような表情でメルを見てきていた。
背中に冷や汗をかきながら、エクレールは笑みを浮かべる。
王太子は、最後にもう一度深いため息をついた。
「そろそろ時間だ。行こうエクレール。……私に、最初で最後の君のエスコートをさせてくれるかい?」
王太子との婚約話がなくなったエクレールが、これ以降、彼にエスコートされることは、決してないだろう。
そうでなくとも、あの試合以降、エクレールに付きまとっては愛を囁き、ルシエルナガ伯爵家に日参しては「ご令嬢を、私にください」と頼み込むチェムがいては、他の男のエスコートなど受けられるはずもない。
エクレールの両親は、“あの”ランビリンス卿から毎日頭を下げられるという異常事態に、軽くノイローゼになりかかっているくらいだ。
(そろそろ潮時なのかしら)
そう思いながら、エクレールは、王太子が差し出した手の上に、自分の手を重ねる。
「……ランビリンス卿には?」
「表彰式のための形式的なエスコートだから、絶対怒って魔法を使ったり、斬りかかったりするなと、言い聞かせてあります」
そんなことをしたら、二度と口をきいてあげないと脅したら、しぶしぶチェムは頷いた。
王太子はクスクスと笑う。
名前を呼ばれ、二人は並んで歩き出す。
彼女の手を握る王太子の手には、必要以上の力が込められているように思えたが、……エクレールは、気づかないふりをした。
そして、無事表彰式が終了した段階で、エクレールは我慢に我慢を重ねていたランビリンス卿に、攫われる。
出席者全員の目の前で、エクレールをお姫様抱っこした英雄は、足早に会場を抜け出した。
焦るエクレールに、苦笑した王太子殿下がヒラヒラと手を振ってくれる。後はきっと彼がなんとかしてくれるのだろう。
本来、この夜会は社交界デビューを兼ねているため、卒業生は抜け出すことなどできないものなのに。
「チェム」
抗議をこめて、エクレールは自分を攫った男の名を呼んだ。
場所は、夜会会場である王宮の中庭。空には満月が輝き、月明かりだけでもお互いの顔が良く見える。
チェムは、美しい顔をしかめ、拗ねたように唇を尖らせていた。
「……だって、嫌だったんだ。あの後は、優勝者のダンスだろう。エクレールが、僕以外と踊る姿なんて、見たくない!」
「お相手は王太子殿下よ。我慢してって、言ったでしょう?」
「――――あいつは、特に嫌だ!」
チェムはプイッと横を向く。
そういえば、前世でもチェムは、メルを訪ねてくる商人の幼馴染みが大嫌いだったなと、エクレールは思い出す。
(絶対違うと思うけど、もし、王太子殿下が彼だったら、チェムのこの反応もわかるかも)
いやいや、違うと、エクレールはあらためて首を横に振った。
それよりも、問題なのはチェムの態度だ。この国で貴族として生きていくつもりなのだとすれば、このままでいいわけがない。
「……残念だわ。私、チェムと踊れるのをとても楽しみにしていたのに」
悲しそうに呟くエクレールの言葉に、チェムはパッとこちらを向いた。
「僕と?」
「ええ。そうよ。……ランビリンス卿は、必要最低限しかダンスをしないけど、とってもお上手だって聞いていたのに」
とてつもなく美しい男が、恥ずかしそうに頬を染めた。
「い、一応、僕も高位貴族だからね。ダンスは一生懸命習ったんだよ。……メルが、ひょっとして王女さまに生まれ変わるかもしれないし、その時、ダンスも踊れないようじゃ愛想をつかされるかもって」
一事が万事“メル”のための男だった。
侯爵なんて面倒な位を受けたのも、転生したメルの身分が高い場合を考えてのことだろう。
貴族男性が平民女性を妻にすることは可能だが、反対は不可能だ。
「……エクレール、僕と踊ってくれる?」
おずおずと誘われて、エクレールは「もちろん」と頷いた。
「たくさんチェムと踊るわ。その代わりチェムは、私がごくたまに他の人と踊っても我慢してね」
途端にチェムは、大きく顔をしかめた。
「嫌だ」
即答である。
「チェム」
「嫌なものは嫌だ! 十五年も離れていて、ようやく再会できたのに、どうしてそんな我慢をしなければいけないんだ」
頑なに「嫌だ」を繰り返すチェム。
エクレールは、大きなため息をついた。
「……だって、仕方ないでしょう? “ランビリンス侯爵夫人”が“夫”以外の誰ともダンスをしないでいられるはずがないわ」
ダンスは、貴族にとって社交の一つである。ダンスに誘うその瞬間から駆け引きははじまる。ダンスの最中の会話で、夫人から夫へ情報が伝わり、重要事項が決まることもあるのだ。
高位貴族であればあるほど、ダンスを求められる機会は増えていく。それを全て断っては、貴族世界で生きていくことはできなかった。
「ラ、ランビリンス侯爵夫人? ……夫!?」
エクレールの言ったその言葉に、チェムは真っ赤になって反応する。
「ええ。そうでしょう。……それとも、チェムは私を奥さんにしてくれないの?」
チェムは、ブンブンと首を横に振った。あんまり勢いよく振り過ぎたせいで、ちょっとふらついたくらいだ。
「する! したい! エクレールを僕の奥さんにしたい!!」
勢い込んで言ったチェムだが、……少し俯くと「でも」と呟いた。
「僕は、もう六十五歳で……エクレールは、十五歳の可愛い女性で……僕は、強くなったけど、エクレールに負けたし……エクレールは、僕より強くて、頼りになって、最高で、……可愛いし、可愛いし、可愛いし」
いじいじとしながら「可愛い」を連発するチェム。
エクレールは、真っ赤になった。
強引で、わがままで、はっきり言ってストーカーな男だが、彼が自分を好きなことだけは間違いない。
――――だから、もういいと思った。
(潮時よね。……私がチェムに捕まる)
思えば、前世もこんな風にほだされて、チェムを受け入れたのだった。
色褪せぬ思い出に、エクレールは、頬をゆるめる。
「それで? だったらチェムは、私を諦められるの?」
わざと挑発するように聞いてみる。
「嫌だ! そんなの無理に決まっている!」
いつもながらの即答に、エクレールはニッコリ笑った。
「だったら。……チェム。こんな時はどう言うの? ……忘れちゃった?」
言われて思い出したのだろう、チェムは赤い顔を上げた。
真っ直ぐ彼女の顔を見る。
煌々と輝く満月の下、月の化身と評される美しい男が、彼女の前に膝をつく。
「エクレール。愛しています。……僕の妻になってください」
胸に手を当て、チェムはエクレールにプロポーズした。
前世でも同じように言ってくれたのだ。
「はい。喜んで」
だから、エクレールも同じセリフを返した。
その答えに、ついにチェムは泣き出してしまう。
立ち上がって、ギュウっと抱きしめられた。
エクレールもチェムの体に手を回し、抱き締め返す。
「嬉しい! メル、もうずっと一緒だよ。永遠に離れない!」
子供のように泣いて喜ぶ六十五歳のチェム。
クォーターエルフの彼があとどれくらい生きるのかはわからないが、きっと自分と同じくらいではないかと、エクレールは思う。
(今度は、同じくらいに寿命を迎えられるといいんだけれど)
まあ、そうでなくても、別に問題はない。
死が二人を分かつとも、また生まれ変わり“彼を見つける”だけだ。
きっと自分にはできるはずだと、そう信じるエクレールだった。
お読みいただきありがとうございました。
これにて完結です。
なかなかラストシーンが決まらず、何度も書き直してしまいました。
お楽しみいただけたなら、幸いです。