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僕を見つけて  作者: 九重
3/8

3

それから、十五年。

エクレール・ルシエルナガ伯爵令嬢として生まれ変わったメルは、ようやくここまで来た。


(本当に、一番強くなったのね)


あの後、チェムは宣言通り強くなった。騎士となり、戦争を終結させる活躍をし、英雄となって、侯爵の地位と豊かで広大な領地を得た。


五歳の時、父に抱っこされて遠くから見た戦勝パレードで、堂々と行進するチェムの姿に、エクレールは感激のあまりむせび泣いたものだ。


地位も名誉も得たランビリンス卿が、いまだ現役の闘士として闘技場で戦う理由は、メルに自分を見つけてもらいたいという、その一事だけだろう。ランビリンス卿は、いまだ独身。降るような縁談を端から断り、清廉潔白で、女の影も形もまったく見えないというのは、有名な話である。


チェムがメルだけを待っているのは、疑う余地がない。

まったくもって一途な男だった。


(だから、放っておけなかったのよね)


エクレールは、心の中で深い深いため息をつく。

メルの記憶を持ったままエクレールに生まれ変わった彼女は、今まで会おうとさえ思えば、いつでもチェムに会うことができた。英雄で侯爵という身分の高い男だが、エクレールも伯爵令嬢。手紙のひとつくらい、手順を踏めば送ることはできる。

そうでなくともメルからの接触を待っているランビリンス卿の屋敷は、いつでも誰にでも解放されていて、出入り自由なのだという。もっとも、良からぬ目的を持った輩は、いつの間にか、外に放り出されているともいうが。


それでもエクレールは、ランビリンス卿に会おうとしなかった。


(だって、メルは死んだのだもの)


伯爵家に生を受け、前世では恵まれなかった両親の愛情をたっぷり受けて、甘やかされ大切に育てられたエクレール。彼女がメルと同じ人間のはずがない。


(外見も、考え方も、性格だって違うはずだわ)


あるのは、前世の自分がメルという名の女性だったいう記憶だけ。



――――チェムを、とてもとても、愛していたという、心だけ。



なのに、チェムに愛されたメルは、もうどこにもいないのだ。自分をメルだと言い張れるような図々しさを、エクレールは持っていなかった。


(会いに行けるはずがないわ)


だから、会わずに、いつかチェムがメルを忘れていくのを、どんなに悲しくとも黙って見守ろうと思っていたのに。


純情一途なクォーターエルフの男は、いつまで経ってもメルを待つことを止めようとしなかった。


(いくらなんでも、しつこすぎでしょう?)


貴族の女性は十五歳になると社交界デビューを果たす。卒業後の夜会を皮切りに、大小さまざまなパーティーに参加させられるようになるのだ。

大きなパーティーや王宮の夜会となれば、侯爵であるランビリンス卿も参加するのは当然で、エクレールが彼に会わないでいることは、不可能なことだ。

特にエクレールには、現在、王太子の婚約者候補などという傍迷惑な噂があった。悪目立ちをする彼女を見たランビリンス卿が、エクレールの中にメルの影を見ることも有り得ないことではない。


それは、絶対避けなければいけないことだった。

いもしないメルを、これ以上チェムに追いかけさせてはいけない。


(だから、私は、ここに来たの)


ランビリンス卿の出場するコロッセウムに、卒業前の試験のための見学だと理由をつけて、エクレールは、連れてきてもらったのだ。



円形闘技場の中心に、勝利の興奮もなく立つ男と、会場全体をエクレールは見つめる。


(なんてキレイな“魔法網”なのかしら)


エクレール以外、この場の誰一人気づいていないことだったが、コロッセウムの中には、非常に繊細で細やかな魔法の網が張り巡らされていた。

もちろん張ったのはランビリンス卿である。完璧な蜘蛛の巣のような魔法網の中心は彼で、この網は、コロッセウムに来たメルの気配を探るために張り巡らせられているのだった。


(チェムったら、ずいぶん魔法の腕を上げたのね)


エクレールは、クスリと笑みをこぼす。

前世のチェムの魔法は、威力は強いのだが微妙な力加減ができず、桁外れの魔法力で押し切るものが多かった。これほど繊細で美しい魔法を展開することなど、とてもできなかっただろう。

養い子の成長に、エクレールは、深い満足感を覚える。きっと、たくさん努力をしたのだろう。叶うことなら、うんと褒めてやりたいと思う。


(……もっとも、まだまだ私には及ばないけれど)


稀代の魔女だったメル。単純に力だけなら、チェムの魔力の方がメルより強い。しかし、経験と技術においては、メルに一日の長があった。


エクレールはここに来るまでの間に、会場中を巡って、気づかれぬようにチェムの魔法網に細工をしてきていた。


(魔法網を全て無に帰し、その力を逆流させて、チェムの中からメルの記憶を消すの)


複雑にして高度。メル以外には決してできない魔法だが、メルの記憶を持つエクレールには可能な魔法だ。

既に全ての準備は整っている。

後は、ほんの少し、魔法網に力を加えてやるだけ。


(その瞬間、チェムは私を忘れる)


心臓が、ギュッと掴まれたような気がした。苦しくて、涙がこぼれ落ちそうになる。

エクレールは、強く唇を噛んだ。


(それでも、私は、チェムをメルから解放するの。……それが、メルとしての私の、最後の務めだから)




でも、


……だから、


……最後の、ほんの一瞬だけ。




エクレールは、なんの目くらましも使わずに、ツ、と、チェムの魔法網に触れた。


途端、それまで気だるそうに円形闘技場の中心で立っていた男の体が、震える!

バッ! と顔を上げて、迷うことなく、エクレールを――――見た(﹅﹅)


彼の目と、エクレールの目が、合う。


エクレールの体が、歓喜に震える。

爆発しそうな喜びを堪え、彼女は、小さく微笑んだ。



(チェム、約束通り、私は、あなたを“見つけた”わよ)



声もなく、口の動きだけで伝える。


チェムの顔が、喜びに輝いた! 何かを――――おそらく、メルの名を叫ぼうと口を開く。


その次の瞬間 ………… エクレールは、チェムの魔法網に、自分の力を流した。


あっという間に、彼女を中心に波紋のように広がった魔法が、チェムの魔法網を消していく。


それは、悲しいまでに美しく儚い光景だった。


チェムの目が、驚きに見開かれ、次に絶望に染まる。

怒りなのか、憤りなのか、強い光が目の中に浮かび上がり、その目が彼女を睨んだ。

まるで、最後の最後まで、彼女の姿を焼きつけようとしているかのように。




しかし、全てを圧して、エクレールの魔法が……完成した。


ランランと光っていたチェムの目は、瞬く間に輝きを失い、戸惑ったように狼狽えていく。

こちらを見ていた目は、焦点を失い、パチパチと瞬き……逸れた。


その拍子に、感情の名残だろう涙が一筋、チェムの頬を流れ落ちる。

チェム――――いや、ランビリンス卿は、不思議そうに、自分の目からこぼれた涙を指で触れた。



――――その目が、エクレールを見ることは、もう決してない。



エクレールは、えぐり取られるような胸の痛みに、ポロポロと涙をこぼした。自業自得なのに、悲しくてたまらない。



「まあ! エクレール、どうしたの?」


彼女の異変に気づいた母が、優しくエクレールの顔をのぞきこんできた。


「……なんでもないの。母さま。ただ、ランビリンス卿……の戦いが、あまりに素晴らしかったから、感動しただけ」


エクレールの嘘の言葉に、彼女の母は「そうなのね」と、納得した。

なかなか泣き止まない娘を心配し、急ぎ夫を呼び寄せると、コロッセウムを去ることにする。


「はじめてのコロッセウムに興奮しすぎたのね。家に帰れば、落ち着けるわ」


エクレールは、逆らわず両親と会場を後にした。

そのまま出口に向かい、振り返らずに出ていく。


もうこれ以上、この場所にいることができなかった。


背後で、大きなざわめきが聞こえたが、……彼女が、足を止めることはなかった。





――――だから、彼女は見なかったのだ。


どこか呆然としたランビリンス卿が、円形闘技場を離れようとした瞬間、彼の剣に付いていた宝玉が一つ、不自然に破裂したところを。


チェムが万が一に備えて仕掛けていた魔法が一つ発動したのだった。


突如、破裂した宝玉は、なんと剣を持っていたランビリンス卿自身を、傷つけてしまう。飛び散った宝玉の破片の一つが、ランビリンス卿の右手の甲をかすめ、血を流させたのだ。


低くうめいたランビリンス卿は、小さな傷のわりには、大きく体を揺らし、その場にガクリと膝をついた。


今までどんなに深い傷を負っても、英雄である彼が、地に膝をつけたことなどない。

闘技場に残っていた観客の間から、見たことのないランビリンス卿の姿に、不安そうなざわめきが広がる。


しかし、それはほんの一瞬で、頭をブルブルと振ったランビリンス卿は直ぐに立ち上がった。


今度は、ホッと安堵の歓声が上がり、ランビリンス卿は、声に応えて、左手を上げる。

慌てて駆けよったコロッセウムの救護班が手当てをしようとするのを「必要ない」と、断った。




「この傷は、私への罰だ。…… 一瞬でも、彼女を忘れてしまった“僕”へのね」




歓声に紛れて途切れ途切れに聞こえたランビリンス卿の言葉を、救護班はよく聞きとれなかった。

いや、例え、聞こえたとしても、意味のわかる者は、誰もいなかっただろう。


力強い足取りで、颯爽とランビリンス卿は、闘技場を後にする。

彼の後ろ姿を、憧憬の目で見送る人々は、気づかない。


彫刻のように整った彼の薄い唇が、ゆっくりと弧を描いたことに。




「見つけた。……僕の、メル」




右手の甲の傷から流れた血を、うっとりと舐めながら、美しい男は誰にも聞こえぬ声で、そう呟いた。


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