第8話:大商人とサガイ風お好み焼き (後編)
蛮族王との宴は終わった。
商国サガイの代表してきたカネンは、肩を落とし家屋を後にする。
「カネン様……私、何もできずに申し訳ありませんでした……」
「いや、リットン。ワシも同罪や」
サガイから来た二人は意気消沈していた。
何故なら初めて食べる食事に夢中になり、せっかくの好機を逃したのだ。自国から持ってきた高級食材を、蛮族共に見せつけることができなかった。
「カネン様、これらどうしましょう……」
小姓リットンは茫然としていた。
蛮族軍からの降伏勧告へ返事の期限は、明日の夕方まで。それまでにサガイとしての対応を、決めなければいけない。
全面降伏か、それとも徹底抗戦か。その二つの選択しかないのだ。
「いや。勝負はこれからや、リットン」
だがカネンは希望を捨てていなかった。
サイガ軍は無傷のまま街に籠城している。いくら蛮族軍が圧倒的な武を持っていても、攻略には時間がかかるはずである。
「籠城戦は十倍の兵力差が必要。そのまま持久戦に持ち込んで、周辺諸国の援軍の根回しをしていくんや、リットン」
「なるほど。さすがです、カネン様!」
この陣内を見たところ蛮族軍には攻城兵器がない。
それに対してサイガは、街の周囲を堅牢な城壁に囲まれた城塞都市。持久戦に持ち込めば、十分に勝算はあった。
「銭を使えば援軍は沢山来る。戦とは銭と頭の勝負や」
カネンは自信満々の笑みを浮べる。この大商人は戦術家としても優れた才を持っており、先を見通していたのだ。
「カ、カネン様……あ、あれをご覧下さい……」
「ん? どうした、リットン?」
蛮族の陣の中でリットンが何かを見つける。あまりの驚愕ぶりに言葉が続いていない。
何事かと思いカネンもそちらも視線を向ける。
「な、何や……アレは?……ワシらは幻でも、見ているのか……!?」
視線を向けたカネンも絶句。目を見開きその光景に驚愕する。
「カ、カネン様……あれは“猿滑りの木”……ですよね?」
「ああ、間違いない。“猿滑りの木”や……」
蛮族の戦士たちは木登りをしていた。
“猿滑りの木”はこのサイガ地方独特の樹木。どこからか伐採してきたのであろう。
「カ、カネン様……これは……」
「ああ、これは大変や……リットン」
“猿滑りの木”は普通の樹木ではない。
その名の通り表面が極度に滑る樹木である。特殊な道具を使ったサイガの熟練の木こりでも、手を焼く代物である。
「素手であの木を登る人を始めてみました……」
「ワシもやリットン。しかも武具を装備したまま、遊んで登っておるな……」
蛮族の戦士たちは何の道具も使わず、遊び感覚で木登りを楽しんでいた。
誰が一番早く登れるかを競争している。その機敏な動きはもはや人を超えていた。
「これは、まずいぞ……サイガの城壁は丸裸状態や……」
カネンは頭をフル回転させて計算する。
“猿滑りの木”に比べて、石造りの城壁の表面には凹凸がある。両者の昇り難さの差は歴然であった。
「そうか……この蛮族軍には攻城兵器が無いんじゃない。必要ないんや」
カネンはそこで気がつく。
この蛮族軍が快進撃を続けてきた理由を。彼らに蛮兵にとって城壁は意味を成さないのだ。
「サイガの街は持ちこたえて十日……いや、五日が限界や……」
戦術家でもあるカネンには、その光景が見えていた。
サガイ軍が徹底抗戦を選んだ後の未来が。
堅牢であるはずのサイガの街は、数日間で攻略されてしまうであろう。一人一人が屈強な戦士であり、身軽な隠密衆でもある蛮族軍に強襲を受けて。
まさかの状況にカネンたちは呆然としてしまう。
「ふう……こうなったら奥の手や」
カネンは深呼吸をして気持ちを切り替える。そして視線を移す。
その先にはサガイから持ってきた数台の荷馬車隊があった。名目上は蛮族王への献上の食材である。
(今なら蛮族王と幹部たちは、まだこの家屋の中にいる……このまま燃やすしかない……)
カネンは誰にも悟られないように、最後の手段を決意する。
それは火責めによる計略。
荷馬車の床下に隠してある大量の可燃油で、火責めの計略を実行するのだ。
簡易式の住居である家屋は革製で、防ぐことは不可能である。
(サガイ商人の最期の見せ場……相打ち覚悟や)
だが、そうなればカネンたちの命はないであろう。
この陣の蛮族兵に捕まり処刑は確実。だが蛮族王と幹部たちを失えば、サガイの街にわずかな希望が残るであろう。
この火計の策はカネンの命を賭けた最後の大博打であった。
◇
「やめておけ」
だが、その時である。
どこからともなくカネンに声をかけてくる者がいた。
「お前はんは、さっきの……」
それは先ほどの黒髪の料理人であった。
今は使い終わった調理器具を小川の水で洗っている。だがカネンはこの青年の気配にまったく気づけなかった。
「こいつらに火攻めは効かない」
「な、なっ……!?」
まさかの青年の言葉にカネンは絶句する。
何故この料理人が自分の計略を知っているのか。側近であるリットンにも言っていない秘策を、一介の料理人が何故知っているのか。
カネンの頭は考えが追いつかない。
「サガイ産の油は良質でよく燃える。だが匂いが独特だ」
青年はカネンの疑問を見透かしたように答える。
荷馬車からの匂いだけで、カネンの計略を見抜いていたのだ。
「な、何だと……この距離で……匂いだと……?」
説明を聞いてカネンは更に言葉を失う。
この陣内はひどい臭いが漂っている。戦士や騎士たちの体臭や、馬糞などの異臭が充満している。
だが、この料理人はサガイ産の油だけを。的確に嗅ぎ分けていたのだ。
「それにあの家屋は“岩牛”の皮を使っている」
絶句しているカネンに向かって、青年は更に説明する。
大森林に生息する野生の獣の“岩牛”は、特殊な表皮を持つ。防火性と耐久力に優れており、生半可な火責めは通じない。
肉は美味いが調理が大変だと語る。
「な、何や⁉ それじゃ、ワシの策は全て……」
青年の説明を聞きカネンは大きく肩を落とす。
自分の用意した全ての策が通じない蛮族軍。その残酷な事実に茫然自失となる。
「全部お終いや……」
壮年で勢いと自信に満ちた大商人カネン。だが今は生きる気力を失い、身体から生気が消えていく。
「ところで、何故……ワシにわざわざ、その忠告を……?」
茫然自失になりながらカネンは青年に尋ねる。
なぜ自分の相打ち覚悟の火責めを、先ほど止めてくれたのかと。見たところ可燃油のことも蛮族兵に通報した様子もない。
「さっきも言ったが、サイガ産の油は上質で料理に向く。もったいない」
「“もったいない”……だと?」
“もったいない”
その初めて聞く単語に、カネンは首を傾げる。大陸各地の言語や文化に精通したカネンでも知らない言葉である。
「“物の本来あるべき姿がなくなるのを惜しみ、嘆く”……オレの故郷の言葉だ」
「物の本来のあるべき姿を……」
青年の説明をカネンは心の中で復唱する。
初めて聞く言葉である。
だが、どこか懐かしく、そして心の奥に優しく響いていく。
「あの荷馬車の食材が燃えてしまうのも、もったいないだ」
青年はカネンが持ち込んだ食材の荷馬車にも目を向ける。
そこには蛮族王に見せつけようとした、高級品や珍味食材が満載されていた。
「あの食材があれば、先ほどの料理の……“お好み焼きソース”が完成に近づく」
「何やて⁉ あのソースが未完成だったと言うのか!?」
まさかの青年の言葉に、カネンはサガイ弁で叫ぶ。
何しろ記憶を失うほど美味かった、あの料理……お好み焼きという料理が、実は未完成だったことに驚愕する。
全ての味の決め手となる褐色のソース。あの極上の味に、更に上があるのだ。
「サガイはいい街だ。オレのソースと同じで、まだまだ良くなる」
今から数日前、青年は一人でサガイの街を訪れていたと語る。
そこで出会った人や食材からインスピレーションを受け、今回のお好み焼きの料理を作ったと。
「ああ、もちろんサガイは最高の街や……いや、いずれは大陸一の街にしたる!」
青年の褒め言葉を聞き、カネンの目に生気が戻る。
生気を失い茫然自失だった先ほどから激変。大商人としての覇気がみなぎっていく。
「オレの名はサエキだ。楽しみしている、カネン」
そう言い残し黒髪の青年サエキは立ち去っていく。
「サエキ……はん」
カネンは見えなくなるまで、その背中を見つめていた。
サエキという不思議な。だが、どこか心地良い名前をつぶやきながら。
「カネン様……いががいたしますか?」
そんなカネンの静かに声をかけてくる者がいた。
二人のやり取りの一部始終を、見守っていた小姓リットンである。
サガイを治める大頭としての選択を、どうするべきかと尋ねていた。
「リットン……サガイに戻るぞ」
カネンは静かに口を開く。
これから祖国に戻り、全てのサガイ商人たちを説得しに戻ると。反対していた強硬派の連中も、全て説き伏せてやると。
「カネン様……それは……」
それは蛮族軍に全面降伏をすること意味していた。
つまり大陸でも有数の商国であるサガイは、その自治を放棄すると同義である。
「放棄とは違う。これは博打や! サガイを大陸一の街にするための大博打や!」
「大博打……なるほどです、カネン様!」
カネンの言葉にリットンも何かに気がつく。
この小姓も大頭に目をかけられた才を持つ者。サガイの街が蛮族軍に降伏するメリットを、即座に計算したのだ。
「これから、この大陸は面白くなるぞ!」
「はい……そうですね、カネン様」
この大陸は戦乱が続き破局に向かっている。
だが、この蛮族軍が何か大きなことを起こしてくれる。その未来への希望に二人は興奮していた。
「ですが強硬派の皆さんは一筋縄ではいきませんよ、カネン様」
商人とは騎士とは違い、名誉や誇りでは動かない。反対派に対して利を説き、全てのサイガ商人を説得する必要があるのだ。
「あの“おこのみやき”のソース……あれの完成を味わいたくないか、リットン?」
「はい……死んでも食べてみたいです」
「なら、死ぬ気でワシに付いてこい!」
「はい、カネン様!」
◇
この翌日。
商国サガイは蛮族軍に完全降伏をする。
どんな大国の圧力にも屈してこなかった商国サガイの名が、歴史から消滅した瞬間であった。
だが即時降伏を選択したサガイはその後も長い間、自治を認められていく。
そして、これまで以上に繁栄をしていくのであった。
◇
「ほな、リットン。遠征軍へ合流するぞ」
「でも本当に大頭であるカネン様が、街を離れても大丈夫なのですか……?」
「大丈夫や。この遠征軍はサガイよりも金の匂いがするからな!」
『降伏をした国は大森林遠征軍への軍役の義務が生じる』
商国サガイの代表であるカネンは、自ら名乗りをあげて蛮族軍の大遠征に加わる。サガイの誇る兵団と共に。
(あの“おこのみやきソース”……あれは銭なる! 絶対にレシピを盗んでやる!)
忘れられないお好み焼きソースの味を再び求めて、大商人は未知なる挑戦の道を選んだのであった。