第7話:大商人とサガイ風お好み焼き (中編)
不思議な料理を作っていたのは黒髪の青年だった。
この者はメシ番という蛮族軍の役職。他国との交渉後の晩餐の食事を任された料理人である。
「なるほど、メシ番はん、ですか……ほう、これは奇妙な料理を作っていますな?」
初っ端は動揺したカネンだが、すぐに平常心を取り戻す。
声質を変えて黒髪の料理人に声をかける。
相手に不快感を与えないように、距離を一気に縮める口調。だが会話の主導権を握るリズムである。
これは商人独特の交渉テクニックの一つであった。
「これは鉄板料理ですか? ワシらの国サガイにも、鉄板料理は沢山あります。それも高級食材を堪能できる料理がね」
カネンは青年をまくし立てるように言葉を続ける。
何故なら国家間の交渉では、隙や弱みを見せた方が負けである。
こうして相手国の用意している食事に、難癖をつけるのも常套手段の一つ。精神的に揺れ動いた料理人は、思わぬミスで自滅するのだ。
「それにしても奇妙な鉄板料理ですな? キッシュかピザの一種……いや、違いますな……」
黒髪の青年が調理していたのは不思議な料理であった。
ドロドロの液体と野菜と肉、それらお熱々の鉄板の上で焼いている。野菜も肉もサガイでもよく見る食材ばかり。
だがカネンですら見たこともない奇妙な組み合わせである。カネンは言葉巧みに相手の料理を妨害しようとする。
「それに、その食材は……」
「唾が料理に飛ぶ。少し黙っていろ」
カネンの妨害に反応して、黒髪の青年が口を開く。料理の邪魔をするなと。
「なっ、ワシのことを誰だと、思って……」
「黙れ」
「なっ……」
激高したカネンは思わず言葉を止める。言葉を続けようとしても声が出ないのだ。
(バ、バカな……このワシが……)
心の中でカネンは驚愕する。
何故なら自分の肝の太さは尋常ではない。
曲者揃いの商人たちを跳ね除け、商国サガイの頂点までたどり着いた猛者。そんな自分が明らかに年下の青年の眼光に、恐怖して絶句してしまったのだ。
(こいつ……どんな修羅場を……)
青年の鋭い視線がカネンを射抜いてくる。
それは、まるで歴戦の猛者のような気をまとった眼光。サガイが雇う荒くれ傭兵団でも、これほどの鋭さは見たことがない。
「そうだ。静かにしていたら大丈夫だ」
青年はそう言い放ち、再び口を貝のように閉じる。
そして何もなかったかのように調理を続ける。先ほどのドロドロの液体と具材が鉄板の上に形を成していく。
両手のヘラを自由自在に使い、次々とその円形状の料理を完成させていく。
「これは凄い……」
青年の動きにカネンは思わず称賛の声を発する。少しなら声も出るようになってきた。
「ワシらのサガイでも見たことがない技や……」
青年は見たことのない見事な調理の手際の良さであった。
大陸中の料理人が集うサガイでも見たことがない料理と技。カネンはその動きに思わず見とれてしまう。
「ひっくり返すぞ。気をつけろ」
その時である。青年は忠告を発する。
それは鉄板を食い入るように見ていたカネンへの警告であった。
「なんやて? ……うわっ!?」
「カネン様、危ないです!」
目の前で料理が飛び上がり、カネンは思わず腰を抜かす。
黒髪の青年が料理を空中で半回転させたのだ。一歩間違えばカネンの顔に料理がぶつかっていただろう。
「キ、キサマ、もしや、カネン様の命を狙っての蛮行か⁉」
突然のことに従者リットンは腰から短剣を抜き構える。
蛮族軍の料理人は調理に見せかけて、カネンの暗殺を画策していたのか?
主を守ろうとするリットンは、多少の剣の心得はある。だがその手は震えていた。
「まて、リットン。これは調理法の一つらしいぞ……」
「えっ……カネン様……?」
興奮した従者をカネンは制止する。
何故なら黒髪の青年は、こちらに一瞥もしていなかった。先ほど同じようにひたすら調理に集中している。
「なるほど……そうか! 鉄板で両面を焼きながら、中身を蒸し焼きにしているのか!」
凝視してカネンは思わず声を上げる。
青年は円形の料理を半回転させることで両面焼きにしている。つまり表面をこんがりと焼きながら、同時に蒸し焼きにしたのだ。
初めて見るその調理法にカネンは心から感心する。
「最後の仕上げだ」
青年はそうつぶやきながら料理の仕上げに入る。褐色の液体を取り出し構える。
「ソースが跳ねるかもしれない。気をつけろ」
「そのソースは一体?……うおぉぉお⁉」
青年がソースを料理の上に塗り始める。それと同時にカネンは声を上げる。
「カネン様! お怪我はないですか⁉」
「大丈夫や、リットン。それに分かったぞ! そのソースか! 先ほどの香ばしい匂いの正体は⁉」
料理からこぼれたソースが鉄板と反応する。
先ほどの何倍も香ばしい匂いが、カネンの鼻孔と胃袋を直に刺激する。熱々の鉄板の上でソースはグツグツ蒸発していたのだ。
「これは数種類の香辛料と野菜……それにスープと……」
香りを嗅ぎながらカネンはソースの消褪を分析する。
大商人であり美食家でもあるカネンは食にも通じていた。
色と香りからその不思議なソースの正体を突き止めようとする。サガイの大商人を舐めたらいかんとばかりに。
(だが最後の一つが分からん……何だ、この決め手となる材料は……)
だがカネンはソースの現在を分析できなかった。
どうしても分からない材料と調味料があるのだ。数多の高級食材やソースを食べ尽してきたカネンでも、知らない香りである。
(これ食べたら分かるのか……いや、だが、ここで食べてしまったらワシの負けや……)
商人にとって交渉の後の宴は戦いの場である。
敵の出した料理を欲に負けて食べるなど、負けを認めると同義。食を制するものは大陸を制するのだ。
(だが……これを知らずに……食べずにいたら成仏もできないぞ……)
カネンは無意識のうちに唾をゴクりと飲み込む。そういえば今日は朝から何も食べていない。
ここまま料理に手を伸ばして、直接自分の口の中に放り込み食べたい。そんな原始的な食の欲求に襲われる。
「さあ、できたぞ」
そんな食の欲望と化したカネンの夢が、現実のものとなる。
完成した料理を乗せた皿が、青年から差し出されてきた。鉄板の最前列に並んでいたカネンへのご褒美である。
「カ、カネン様はお前たち、蛮族軍の飯など、食べない!」
「早く食え。熱い方が美味い」
「ひっ……」
カネンを守るためにリットンは虚勢を張る。だが青年から差し出された料理の皿に腰を抜かす。
「リットンよ。ここは相手のお手並み拝見といきますか」
「は、はい……カネン様が、そうおっしゃるのなら……」
カネンは辛うじて残る理性で平静を装う。
大商人としてのプライドが自分を支えていた。この奇妙な料理の味を品評してやろうと提案する。
(これのデキたてを食べて、早くこのソースの味を!)
だが内心ではカネンの欲求のダムは崩壊寸前だった。目の前の木皿の上の料理を凝視しかできない。
(早く! 早く!)
口の中で洪水のような唾液が溢れていた。
大頭の地位に就いてからカネンは飽食な食事の日々だった。そんな自分が久しく忘れていた大きな欲望。
“食欲”という人の巨大な欲求の、激しい津波にカネンは襲われていた。
「それはフォークだけで食べられる」
「そ、そうですか。なら、いただきますか……」
カネンは青年の言葉に従って、フォークの側面をおそるおそる押し当てる。
その言葉の通り、表面はほどよく焼け、中はふんわり柔らかい。
「なら、いくぞ、リットン」
「はい……カネン様……」
二人は切り分けた料理を口に入れる。褐色のソースがたっぷり塗られた料理を一気に食す。
「むむむむ!?……こ、これは⁉」
料理を一口食べたカネンは、またもや言葉を失う。
いや口を開きたくても出来ない。ソースと料理が口の中で絡み合い、言葉を発することができないのだ。
(熱い!……だが、美味しいぞ! 美味いぞ……具材とソースが!)
カネンは心の中で叫ぶ。料理の美味さに絶叫していた。
鉄板で焼いていた料理には絶妙であった。食感と味わいが見事なハーモニーを奏でている。
(特別な食材を使っていた訳ではないのに、なんや、この美味さは⁉)
先ほど見た感じでは野菜と肉しか入っていなかった。
だが食べたカネンには分析不可能であった。生地にはしっかりと味が仕込んであり、野菜の甘みとマッチしている。
(このソースか⁉ このソースが美味さの原因か⁉)
そして、あの褐色のソースだ。
この濃い味が決め手となり、複雑でありながら一体感のある味が口の中で弾ける。
もはやカネンは考えることを止めて、ひたすら皿の上の料理にかぶりつく。
「はふ……はふぅ……美味かった……実に美味かったぞぉお……」
気がつくとカネンの手元から料理はあっとう間に無くなっていた。何とも言えない満足感にカネンは茫然自失となる。
「次は豚肉をたっぷり使った、豚玉もあるぞ」
青年はお替わりの料理を差し出してくる。その表面にはカリカリ焼かれた豚肉が乗っていた。
もちろんあの褐色のソースをたっぷりかけて。
「なんやてぇぇ⁉」
茫然自失となっていたところに、まさかの追撃。サガイ語を全開で絶叫してしまう。
こうしてしてカネンの理性と記憶は吹き飛ぶのであった。
◇
「……カネン……様……カネン様……」
気がつくとカネンは立ち尽くしていた。
従者リットンに揺さぶられて意識を取り戻す。
その左手には何回もお替わりして空になった木皿が。そして調理した黒髪の青年も既にいない。
「ワシは一体……?」
カネンは記憶の一部を喪失していた。
青年の料理に一心不乱に食べすぎて、記憶障害を起こしていたのだ。
「では、食事の時間。ここで終わる」
その時、蛮族の外交官が口を開く。
商国サガイからの客を招いての食事の時間が終わりだと宣言する。
「なん……やて……!?」
食事の宴が終わり、蛮族王は警護と共に立ち去っていく。
つまりカネンは持ってきた高級食材と料理。蛮族たちを上回る秘策を出すタイミングを逸したのだ。
「まさか……この料理が蛮族軍の……策だったのか……?」
カネンは呆然としながら、その場でしばらく立ち尽くすのであった。