第6話:大商人とサガイ風お好み焼き (前編)
蛮族王は蛮兵を率いて大遠征を進めていた。
人間離れした圧倒的な武を有する蛮族軍。東の雄の一国バルカン公国も彼らに併合される。
そして大陸でも有数の商国サガイにも、その蛮兵の剣は達しようとしていた。
◇
「いやー。なかなか圧巻な陣構えだな、リットンよ」
「は、はい、カネン様」
商国サガイを代表する男カネンは、小姓のリットンと共に馬を進めていた。
彼らが感心しているのは蛮族軍の本陣の様子。圧倒的な武の気を放つ猛者たちが、この本陣に連なっている。
「兵も強く、士気も高い。うらやましい限りですな」
壮年であるカネンはサガイを統治する大頭の一人である。だが敵国のことながらカネンは感心している。
「これならサイガは籠城しても、一ヶ月も持たんかしれんな」
サイガ軍は最初から野戦を放棄して、今は籠城をしていた。そのため蛮族軍は街を遠巻きに包囲している。
蛮族軍はいきなり城攻めをせずに使者を送ってきた。彼らとの交渉のためにカネンとリットンは、この蛮族軍の本陣を訪れていたのだ。
「それにしても、伝統あるバルカン公国のミリア公女が、蛮族軍に降るとは意外でしたな」
「ええ、私もそう思います。カネン殿」
カネンたちを案内していたのは、公女ミリアであった。
彼女は蛮族軍の外交使節として、サガイの代表であるカネンを連れてきたのだ。
ガネンの嫌味のある揺さぶりにも、ミリアは平静を保っている。
「いやー、それにしても蛮族軍は凄いですな! 鉄鎖騎士団と紅蓮騎士団、それにバルカン騎士団と、大陸東部の騎士団の見本市ですな!」
陣の中を見回しながら、カネンは感嘆の声をあげる。
蛮族軍には各国の諸侯軍が勢ぞろいしていた。これ異様で壮観な遠征軍など聞いたこともない。大商人としてのカネンの心が刺激される光景である。
「カ、カネン様は恐ろしくないのですか……?」
「んっ? リットンはこいつらが怖いか?」
「は、はい。彼ら蛮族は、獣の生肉を食らい、人を森の中にさらっていくと、聞いたことがあります……」
大声で笑い声を上げているカネンに比べて、小姓リットンは怯えていた。
何しろ大森林の蛮族といえば、この大陸では恐怖の対象。『悪さをした子は、大森林に連れていかれるぞ!』という子どもを戒める話があるくらいだ。
「はっはっは……なーに、リットン。蛮族だろうが、人の形をしている限りは、飯を食う必要がある。つまりは“銭”の出番ってもんだ!」
「なるほど。さすがはカネン様です」
カネンは説明しながら豪快に笑い声をあげる。
この男の治めるサイガは商人の国。彼ら商人たち富と情報網は国王すらも超える。この大陸を裏から操っていると言っても過言でない。
それで先ほどからカネンは余裕の態度なのだ。
「それにリットン。ワシにはとっておきの秘策がある」
カネンは後方に視線を向ける。
そこにはサイガから同行させた荷馬車隊が着いてきていた。蛮族王への献上品との名目である。
「ワシらはこれまでの王国の騎士とは、ひと味もふた味も違うで」
彼ら商人は名誉や誇りなどで動かない。勝てる確信があったからこそ、危険な敵陣に乗り込んでいたのだ。
「カネン殿、着きました」
「ほほう。ここが蛮族王の家屋ですか?」
ミリアの案内で一行は目的地にたどり着いた。
蛮族軍の陣の中央にある巨大な家屋。この移動式テントの一室で、商国サイガと蛮族軍との交渉が行われる。
「蛮族軍が家屋を本陣にしていることに、驚かないのですね? カネン殿は」
「サイガは大陸東部の銭の集まる街。それと同時に全ての情報も集まる……という訳ですな」
ミリアの疑問にカネンはその種明かしを答える。
この数ケ月の蛮族軍の行動を、カネンは把握していた。大量の工作員を雇い、蛮族軍の動きを見張っていた。それ故にこの余裕の態度なのである。
「それでは噂の蛮族王はん……お手並み拝見といきますか」
カネンは不敵な笑みを浮かべながら、交渉の場へと向かうのであった。
◇
商国サガイと蛮族軍との交渉は、驚くほど短く終わった。
今は内容の最終的な確認をしている。
「ふむ。想定内の通りだったな、リットン」
「はい。カネン様の情報の通りでしたね」
カネンとリットンは二人きりで、蛮族軍からの条件を再確認する。
蛮族側が提示した条件は二つ。『降伏するか。徹底抗戦するか』その二つの選択だけであった。
「もしも降伏した場合の条件も、情報と同じでしたね、カネン様」
「ああ、そうだな」
蛮族軍に降伏した国には次のような条件を守る必要がある。
――――◇――――
決められた徴税を治めれば、今までの自治や宗教も認めてくれる。
遠征軍への軍役の義務はあるが、民族や男女の差別はなく平等に恩賞を貰える。
もしも反乱を起こした場合は容赦なく攻め落とされる。
――――◇――――
「やはりワシが銭で手に入れた情報通りだったな」
降伏後のこの条件も、カネンが入手していた情報と一致していた。
特にバルカン公国に潜ませていた間者からの情報。そこから入手した情報を分析して、カネンたちは作戦を立てていたのだ。
「ふむ。この蛮族軍は思いのほか、一貫主義といったところか……」
カネンはこれまでの情報を頭の中で総括する。
蛮族軍はこれまで併合してきた全ての諸国に、この同じ条件で対応していた。大国小国の区別なく自治を与えてきたのだ。
「蛮族王が、口を開かないもの作戦の一つか?」
カネンたちの交渉の相手は、蛮族軍の外交官が担当していた。
交渉の間にいる蛮族王は終始無言。呪術が描かれた不気味な仮面を被り、毛皮で覆われた椅子に鎮座している。
「蛮族王はん……これは意外と食えない相手かもしれんな」
好敵手の出現にカネンはニヤリと笑みを浮べる。
これまで大森林の蛮族たちは、低い文明度しかないと思われてきていた。
弓矢で獣を狩り、生肉を素手で食す。国も法もなく野蛮人だと、周辺の諸国の民によって蔑まれてきた。
「この蛮族王が、かなりの知恵者……か?」
だが蛮族王が提示して条件は、明らかに理に適っていた。
圧倒的な武を持って野戦を制してからの、非常識なほどの好条件での降伏勧告。税も安ければ自治も認めるなど、地獄への天の助けにも感じる条件であった。
これでは大抵の諸国は全面降伏を受け入れるであろう。つまりかなりの知恵者が、この大遠征を立案し運営しているのだ。
「いや、もしくは影の誰か、がいるのかもしれんな……」
カネンは交渉の間を鋭い視線で見渡す。この遠征軍の仕組みを考えた“知恵者”を探すために。
相手側の幹部には屈強な蛮兵が連なっている。それ以外にも元バルカン公国の公女ミリアや、他国の騎士たちもいた。
「いや、この中にはいない……な」
目的の相手を見つけられずカネンはため息をつく。
たしかに蛮族以外の者たちに知性はある。だが蛮族軍の快進撃を操るほどの知恵者は、彼ら諸侯たちの中にいない。
「一目だけで分かるとは……さすがはカネン様ですね」
「サガイで生き抜いたら力や。リットンも嫌でも分かるようになる」
大商人であるカネンは特殊な力を持っていた。それは“人を見抜く力”であり、才能といった方が正確かもしれない。
商人の国であるサガイには、魑魅魍魎とも思える曲者揃いの商人たちが住まう。
その全ての魍魎たちを押し退けて、カネンは大頭の地位を勝ち取った。
この人を見抜く特殊な能力は、その中で身につけた処世術ともいえよう。
◇
「飯の時間だ。食っていけ」
相手側を値踏みしてカネンたちに、蛮族の外交官が声をかける。交渉もひと段落したので宴の時間がきたのだ。
「飯の時間ですか? それは楽しみですわ」
カネンは何気ない顔で外交官に答える。
だが内心では胸が高まっていた。大事な商国サガイの命運を賭けた、大勝負の時間がやってきたのだ。
「い、いよいよ……ですね、カネン様」
「ああ、蛮族たちの、噂の飯の時間や」
カネンが集めた極秘の情報によると、蛮族軍には秘密があった。
それは晩餐の食事の時。総大将である蛮族王が、警護の固い玉座から降りてくること。
(そして謎の料理か……)
カネンは心の中で警戒を強める。
バルカンの間者から仕入れた極秘情報によると、宴に謎の料理が出てくるという。
その誰も見たこともない料理を食べてから、諸侯たちは軍門に降ると噂されていた。
(おそらく、かなりの豪華な料理。しかも珍品に宝食材……といったところだろう)
戦乱が続くこの大陸では、食の文化はかなり衰退している。ゆえに交渉や晩餐会での食事に、各国の統治者たちは力を入れている。
有名な料理人たちを金にものを言わせて引き抜く。豪華な料理を出せるものが、権力と文明度の高さで上に立てるのだ。
(だが、こっちも奥の手があるんや……)
カネンには絶対的な自信があった。
この後の宴でどんな食事が出てこようが関係ない。その秘策があれば蛮族共に負けないことが可能なのだ。
(ワシら商国の力を舐めてもらったら……ふむ?……むむ? 何だ、この香りは……?)
カネンが心の奥で勝ちを確信した、その時である。
その大きいな鼻に芳醇な香りが流れ込んできた。
(これは……タレか?)
それは何かのソースに焼けるような匂いであった。
宮廷料理に出てくる高級ソース……いや、それ以外にも何かが組み合わせて焼ける香りであった。
「この匂いは何や……?」
思わずカネンは匂いの出どころに意識を向ける。
匂いは交渉の間の片隅。その柱の影から、この香ばしい匂いは流れてきたのだ。
(この音は鉄板で何かを焼いているのか……?)
商国サガイの大頭であるカネンは食通である。
その巨万の富と権力で、大陸中の様々な料理を口にしていた。音を聞いただけ、ある程度の調理方法も推測可能。舐めてもらったら困る。
(だが、何だ……これまで嗅いだことのない……不思議な香りだ……)
だが、そんなカネンも未知の匂い。
これまでの人生で食したことのない、不思議なソースの匂いであった。フルコースの高級ソースとも全く違う風味である。
「あの柱の影か……これを調理している者がいるのは⁉」
香りにつられてカネンは足を進める。
そこに行けばこの香りの正体が分かる。噂の料理を作る料理人がいる場所へと。強欲なカネンどうしても知りたくなり、その場所へと向かう。
「こいつは調理人か……?」
たどり着いた場所でカネンは眼を細める。
大広間の後方にある調理場にいたのは、エプロン姿の青年であった。しかし料理人にしては目つきが鋭すぎる。
「黒目黒髪……東の海の向こうの者か……?」
青年は不思議な風貌であった。
この大陸では珍しい黒い瞳と髪の持ち主。噂では東の大海を超えた地に、その風貌の人種は住んでいる。
カネンは大航海を終えてきた船乗りから、そう噂で聞いたことがあった。
そんな黒髪の青年が無言で調理をしている。
「なんだ……その不気味な料理は⁉」
鉄板の上の料理を目にしてカネンが思わず声をもらす。
高級食材を焼いていたと予想していた。だが実際にはドロドロの不気味な液体を焼いていたのだ。
「もう少し待て」
「な、何やて⁉」
大商人であるカネンを一瞥することもなく、青年は調理を続けている。
こうして商国サガイと蛮族軍との、宴の戦いが始まるのであった。