第26話:三国同盟とマツリタケの香り(後編)
集結した東ライン同盟軍の総数は膨れ上がっていた。
目的は進軍してくる蛮族軍を、徹底的に殲滅するため。三つの王国から集結した同盟軍は精鋭ぞろいであった。
三倍以上の兵力差があり、守る地形も圧倒的に有利。
更には各国の優れた将軍たちが率いていたこともあり、負ける要素は一つもなかった。
◇
「そ、そんな……」
「馬鹿な……」
「我々は夢でも見ていたのか……」
だが三ヶ国の将軍たちは言葉を失っていた。
つい少し前まで自分たちの目の前にいた同盟軍の精鋭たち。それが今では見る影もなく、散開していたのである。
「我々は負けたのか……」
「ああ……」
「蛮族軍に……」
三人の将軍たちはようやく現実を直視する。
彼ら連合軍は蛮族軍に野戦で敗れ、部下の兵たちは四散していたのだ。
「ここにいたのね? 我々、遠征軍は降伏勧告を行うわ。とりあえず交渉のテーブルについてちょうだい」
そんな絶句している将軍たちの前に、蛮族軍から交渉の使者がやってきた。
元バルカン公国の公女ミリアという少女。蛮騎士の中で“地獄の使者”として恐れられている交渉人であった。
「交渉だと……?」
「ああ、そうだな……」
「まずは、話を聞こう……」
周囲を完全に包囲されていた将軍たちは、互いの顔を見回しながら承諾する。
本来なら下賎な蛮族共と交渉する事態が恥じること。
だが三倍以上もあった自軍を壊滅させられ、今は相手の言葉に従うしかない。
「そう? よかったわ。荒事は私も嫌いだし」
公女はにこりと笑みを浮べる。
このように戦のあとの交渉では、敗北側が激情する場合も多い。混乱して相手の使者を斬り捨てる時もある。
それにもかかわらず公女は余裕の笑みであった。
「お前たち、賢い」
「この人数でも。オレたち、負けない」
そんな時。公女の護衛の蛮兵たちが、将軍たちをひと睨みしてくる。
「ひっ……」
その野獣のような眼光の鋭さに、将軍の一人は思わず情けない声をもらす。
あわよくば公女を人質に取ろうと、心の中で策を考えていた者である。
「先ほどの野戦で、この蛮兵に……」
彼らとて各国の将軍であり歴戦の騎士である。
だが戦の直後ということもあり、今は目の前の蛮兵に心から恐怖していた。
「我が兵が十人同時でも、こいつ等に敵わなかったぞ……」
「ああ……そうだった……」
三倍以上の兵力差もものともしない、圧倒的な森の戦士たちの戦闘力に怯えていた。その信じられない光景を目にして、恐怖が染み付いていたのだ。
「では、蛮族王の待つ家屋に行きましょう。美味しい料理も待っているから」
「美味しい料理だと!?」
「大丈夫よ。彼ら森の民は“人”を食べないわ」
こうして蛮族軍の使者に連れられて、三人の将軍は蛮族王のもとへ向かうのであった。
◇
「以上が蛮族王からの条件の提示よ」
東ライン同盟軍の三人の将軍と、蛮族王の交渉は短時間で終わる。明朗な交渉が蛮族軍のもっとうであった。
「これが噂に聞いていた“降伏か徹底抗戦”の二択か」
「ですが、降伏後の五つの条件は……」
「ああ。噂とまるで違いましたな」
交渉役である公女ミリアの説明を聞き終えて、将軍たちはざわつく。
何故ならこれまで噂で聞いていた条件と、一部の内容がまるで違うのである。
「噂で聞いていたのは、降伏した後は酷い内容だったが……」
「ああ、まさか自治を認められるとは」
「しかも、これまでの宗教も自由とは……」
東ラーマ神聖王国からの経由で聞いていた情報と、実際の条件はまるで違っていた。
その差異に将軍たちは戸惑っていたのだ。
「あり得ないほどに納める税も低い。もしかしたら、今よりも……」
「今はまだ、それ以上言ってはいけぬぞ」
将軍たちは三人だけで互いの見解を述べ合う。
彼らとて祖国を愛する上級騎士である。だが今の大陸では戦乱が続き、国はいつか必ず滅ぶもの。
上級騎士は家族や家臣を養うために、臨機応変に対応して生き延びる必要があった。
「蛮族王が嘘を言って、我々を油断させている可能性もあるぞ」
「だが、先ほど山岳王国の岩鉄王からの、確証の言葉があった」
「ああ山穴族は嘘を付かない。これは絶対的だ……」
三人の将軍の心は、大きく揺れ動いていた。
これまで大森林の民は野蛮な民族だと思われていた。
森の獣の生肉を食らい、人を森の中にさらっていくと。
『悪さをした子は、大森林に連れていかれるぞ!』という子どもを戒める話を、彼ら三人も気かされて育ってきた。
「だが実際の、蛮族軍は違っていたな……」
「ああ、規律に厳しく、無用な戦をしないかった」
「ここまでの村や街でも、一切の略奪がなかったと聞く」
この大陸の戦場で、兵たちによる略奪行為は日常茶飯事で行われる。
何故なら兵たちへの一番の報酬は略奪行為であった。
特に下級騎士や兵士にとっては貴重な収入源であり、戦の時はここぞとばかりに略奪を徹底していた。
「そればかりか、飢饉に苦しむ村を救ったとも聞いたぞ」
「私は疫病の特効薬を、無償で配布しているとも聞いた……」
しかし蛮族軍は彼らの想像とまるで違っていた。
戦の時は圧倒的な力で、その蛮勇を敵に示す。だが、それ以外の場面では、聖人君子のように振る舞っていたのだ。
「どうすれば……」
「国に戻って、国王陛下に相談を……」
「だが、どうやって説明をすれば……」
三人の将軍は戸惑っていた。
この現状をどうやって、祖国の重鎮たちに伝えればいいのかと。
彼らの意志によって完全降伏か徹底抗戦かの、祖国の運命が決まってしまうのだ。
◇
そんな重い空気の中、交渉の時間は終わりとなる。
「さあ、メシだ」
大きく揺れ動いていた三人の前に、次々と料理が出されていく。
目つきの鋭い黒髪の料理人が運んできたのだ。
「これは……?」
「先ほどから、美味そうな匂いを出していたのは……」
「ああ。だが、この香りはいったい?」
戸惑っていた将軍たちは、不思議な匂いの料理に釘付けになる。
それはお盆に乗った不思議な料理であった。
見たこともないような料理が、皿の器に美しく盛り付けられている。
「あの山脈でいい茸を見つけてきた。そのマツリタケのお膳料理だ」
黒髪の料理人は不愛想に説明していく。
器に入ったものや、茸の形のまま焼かれた料理もあった。
「マツリタケ……だと⁉」
「そんな、馬鹿な……あの幻の茸を⁉」
「だが、この形は間違いない!」
食材を凝視して将軍たちは、その茸の名を叫ぶ。
この目の前の茸の名はマツリタケ。断崖絶壁にしか生えない幻の茸であり、高級食材として知られる。
彼の主である国王ですら、口に入れたことはない希少な食材。金を積んでも買えない代物であった。
「これが“マツリタケの炊き込みご飯”で、こっちが“マツリタケの塩焼き”で……えーと、こっちが……」
「“マツリタケの土瓶蒸し”だ」
「そうそう、どびん蒸しだよ」
配膳係りの少女が笑で料理の説明をしていく。言葉に詰まったものは黒髪の料理人が補足する。
「マツリタケのコース料理……だと」
「そんなもの聞いたことも……おお、だが、この香りは⁉」
「蓋を開けただけで、溢れ出してくるぞ!」
土瓶蒸しの蓋を開けて将軍たちは叫びだす。
マツリタケは味だけではなく、その香りも絶品とされていた。
収穫してから香りは数日で消えてしまう。だからこそ遠方にいる国王は食べられない、幻の食材なのだ。
「香りだけはないぞ……美味いぞ!」
「ああ、こんな美味い料理は初めてだ!」
「美味い……美味すぎる……」
香りに釣られた将軍たちは、いつの間にか食していた。
そして食べながら猛烈に感動している。
つい先ほどまでは惨敗にうなだれていた。だが今は胃袋と心に染みる、温かい料理に心から感動していた。
「そういえばマツリタケは、あの山脈の断崖絶壁にしか生えないはずだぞ……?」
「そうだ……どうやって収穫してきたのだ?」
食事をしながら三人には、とある疑問が浮かびあがる。
これほど美味である高級食材のマツリタケだが、その収穫は恐ろしいほどに難しい。
専門の軽業の職人ですら半数以上は命を失う、そんな難所にしか生えない。
命を奪う誰も採れない茸。だからこそ幻の食材なのである。
「地元の猟師からマツリタケの噂を聞いて、オレが採りにいった」
黒髪の料理人は将軍たちの疑問に答える。
天然のマツリタケの群生場所を聞き、山脈を越えて収穫してきたと。もちろん生態系を守るために、計算して採ってきたと語る。
「オラたちも、茸好き」
「一緒に、付いていった」
陣内にいた蛮兵たちは、黒髪の料理人サエキの言葉に続く。彼らも険しい山脈越えて、青年に同行していたのだ。
「馬鹿な……」
「あの断崖絶壁の山脈を山越えしただと⁉」
「だが、これで分かった……我々の同盟軍が背後を強襲された理由が……」
青年の説明に何かを思い出し、将軍たちは絶句する。
戦が始まる前は、前方に陣を張っていた蛮族軍の主力。だが気がついたら自分たち同盟軍の背後から強襲してきたのだ。
まるで幻を見ているかのような突然の出現。それもあり数倍の兵力差があっても、同盟軍は敗走したのである。
つまり蛮族の戦士たちは短時間で山脈越えて、背後から強襲してきたのだ。
「あの山、なだらかだった」
「大森林の大断崖に比べたら、子どもの遊び場だった」
将軍たちの疑問に蛮族の幹部たちが答える。
森の民は生まれた時から、過酷な大自然で育ってきた。そんな彼らにとって山脈越えの行軍は簡単だったのと。
「ば、馬鹿な……あの“死の山脈”を、子どもの遊び場だと……」
「あまり気を落とさない方がいいわ。彼らの身体能力は普通じゃないから」
そんな驚愕している将軍たちに、ミリアは補足をする。
山越えを出来たのは森の戦士たちだけ。ミリアたち諸侯軍は正面で待機をしていたと。
だから指揮官としての自信は失わない方がいいと語る。
「そうか……だが、あの黒髪の料理人は……?」
このマツリタケを収穫してきた黒髪の料理人は、どう見ても普通の人である。
だが先ほどマツリタケを収穫しにいってきたと口にしていた。
「彼も食に関しては、少し特別だからね……」
同軍に属しながら、ミリアでも把握できない謎の青年。そう苦笑いして答える。
「ふん。ワシら山穴族は手足が短い。だから時間はかかるが、あの程度の山は踏破できるぞ」
「さすがは山穴族だな。岩鉄王ドバン」
「そういえばサエキはん。そのマツリタケの収穫は一儲け出来そうですな。今度ワシにも」
「カネン様、ダメですよ。マツリタケの密漁は犯罪ですよ」
「サエキ。お替わりよ!」
「ミリアはん、いつの間にか⁉ それはずるいですわ!」
いつの間にかマツリタケを巡って、宴が賑やかになっていた。
森の戦士と人族、そして山穴族。
様々な種族と国籍の者たちが、マツリタケに舌鼓を打っている。
酒を飲み談笑を交わす。
お膳に並ぶ様々な料理を口にして、笑みをこぼしていた。
「ははは……我々のことは、もはや眼中にないな……」
「ああ。器が違ったということか……」
「そうだな……」
そんな不思議な光景に、三人の将軍は言葉を失っていた。
自分たちが今までこだわっていた、騎士としてのプライドを思い出しながら。
「もしかしたら、我々利用されていたのかもな……」
「ああ、東ラーマに……」
「あの軍神という若造にか……」
東ライン同盟の影の盟主は東ラーマ神聖王国である。
だが今回の蛮族軍に関しては、明らかに情報操作が行われていた。軍神と呼ばれる恐ろしい大軍師によって。
「さて……これを食べたら国に戻るとするか」
「ああ、そうだな。お前たちは自国の王にどう伝える?」
「それは……次に会った時の楽しみだな」
こうしてマツリタケの芳醇な香りは満ちていく。宴は心ゆくまで続いてくのであった。
◇
この翌日。
東ライン同盟は解散した。
そして三カ国はすべて蛮族軍に完全降伏をする。
これまで守ってきた三国同盟が消滅した瞬間であった。
だが即時降伏を選択した三つ国は、その後も長い間に渡り自治を認められていく。
そしてこれまで以上の繁栄をしていくのであった。
◇
「お前たちも来たのか?」
「ああ、貴君もか」
「同盟が解散したというのに、私たちは気が合うことだな」
『降伏をした国は大森林遠征軍への軍役の義務が生じる』
三人の元将軍たちは自ら名乗りをあげて、蛮族軍の大遠征に加わる。自らの直属の騎士団と共に。
「マツリタケか……」
「ああ。また食いたいな」
「次も家族には内緒で、またこの三人でだな」
「ああ、新しい三国同盟の結成だな」
残していく家族や祖国のために、彼らは新しい道を選んでいた。三人の絆を更に強めながら。




