表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
23/27

第23話:自由貿易都市と〆のラーメン(後編)

 貿易自由都市ラスチンプール。

 東ラーマ神聖王国の隠れ家の一室に、緊迫した緊張が走る。


「さて、メシを作る時間だ」


 だが現れた黒髪の青年は、そんな緊迫した空気におかまいしであった。

 携帯用の調理器具の設置を始める。

 手際よく金属製の部品を組み立て、小さな台を設置。発火剤に着火して、鍋に湯を沸かし始める。


「キサマ、何のつもりだ!」

「軍神様の手前だぞ!」


 東ラーマの隠密衆の“影”たちは暗殺用の短剣を、その奇妙な料理人シェフに向ける。

 刃先にはかすっただけでも死にいたる、猛毒を塗られていた。


「オレはメシ番。料理を作るのが仕事だ」

「な、何だと⁉」

「命が惜しくないのか!?」


 だが青年は猛毒に短剣などお構いなしに、料理の準備を進めている。

 湯を沸かしながら袋から食材を取り出し並べていく。


「き、キサマ!」


 影たちは腕利きの暗殺者であり、いつも冷静さを失わない。

 だが青年の異様な気配を感じて動揺していた。怒りに任せて行動を起こそうとする。


「下がれ」

「ですが軍神様……」

「この私が下がれと言っているのだ」

「は、はい……」


 そんな激昂げっこうしている影たちの動きを、軍神は言葉だけで制する。

 主からの凄まじい殺気に当てられて、影たちは黒髪の青年から離れていく。

 この軍神という男は知恵が回るだけはない。武人としてもかなりの力を秘めていた。


「部下が失礼したね、黒髪のメシ番……サエキ殿」


 部下を下がらせた軍神は、静かに調理台に歩み寄っていく。

 ミリアたちは既に眼中になく、黒髪の青年だけを見つめている。


「時間がないから今日は急いで作る。三分だけ待っていろ」


 だがサエキは軍神を見向きもせずに、調理を続けていた。

 湯とは別の鍋に、半透明のスープを沸かし始める。


「三ふん? 何かの時間の単位か。ところで自己紹介がまだだったね。私の名はアレス・リーボック。東ラーマ神聖王国で軍師の地位にあるものだ」


 ここにきて軍神は初めて自分の名を明かす。

 これまでミリアたちに対しては、一切名乗らなかった。だが黒髪の青年に対しては、最上位の礼を持って接している。


「メシ番のサエキ殿、単刀直入に言おう。君を我が東ラーマの専属の宮廷料理人ハイ・キュイジニエに迎えたい」

「何ですって……」


 軍神アレスのまさかの言葉に、ミリアが先に反応する。

 何故ならラーマ神聖王国の宮廷料理人ハイ・キュイジニエといえば、大陸でも最高峰の名誉ある職務。

 それは上級貴族よりも位が高く、巨万の富と名声を得る者の称号なのだ。


「サエキ殿。君の噂は聞いている。いわく、その料理は感動を越えた味を生む。いわく、その料理を食べた者は感動のあまりとりこになる……」


 まるで演説でもするように軍神は、サエキのこれまでの功績を褒め称える。

 これまで降伏したミリアたち諸侯たちが、あれほど蛮族王に忠誠を誓うのも、その料理のお蔭だ。誰もがもう一度食べたいがために熱狂的に戦うと。


いわく、蛮族軍の快進撃を陰で支える立役者……とね」


 軍神は調理台の青年に近づき笑みを浮べる。

 これまで誰も知らなかった蛮族軍の快進撃の秘密。その中心にいたのが黒髪の料理人であると、軍神は推測していたのだ。


「もう一度言おう。宮廷料理人ハイ・キュイジニエになれば君は全てを得られる!」


 大陸でも三大国家の一つである東ラーマ神聖王国。

 その最高位にあたる宮廷料理人ハイ・キュイジニエになれば、思うがまの生活ができる。世界中からあらゆる食材を集めさせ、誰も作ったことがない豪華な料理を作る。

 そんな夢のようなことも可能なのだ。


「それから君が宮廷料理人ハイ・キュイジニエの任を受けてくれたら……そこにいる者たちの命も助けよう」


 その言葉と共に軍神は空気を変える。

 先ほどよりも強烈な殺気を表に出し、ミリアたち五人を視線で突き刺す。

 いつでも彼女たちの命を奪えると、サエキを強迫する。


宮廷料理人ハイ・キュイジニエの任を受けてくれたら、誰もが幸せになれるのだよ、サエキ殿」


 強大な地位とミリアたちの命。その飴と鞭とを使い分けた、軍神の巧みな交渉術であった。


「軍神とやら、一ついいか?」

「ああ、何でも言ってくれたまえ! 何なら君の望む富も与えよう!」


 これまで軍神の言葉を無視していた、青年が口を開く。

 すっと右手の人差し指を立て、言葉を発する。


「黙れ。料理に唾が飛ぶ。それにお前の髪の毛も」

「なっ……」


 サエキはエプロンを締め直し、軍神を一瞥いちべつする。反論さえ許さない強い言葉と黒い瞳で。


「な……」


 その鋭い眼光に抜かれて軍神は動きを止める。青年の発する強烈な気の前に、動けないのだ。


「それでいい。さて最後の仕上げだ」


 うるさい軍神を黙らせたサエキは料理の仕上げに入る。

 スープの入った鍋を沸騰ギリギリまで加熱していく。


「凄く……いい香り……(鶏肉汁)チキンブンヨンかしら……?」


 漂ってきた香りに、ミリアは思わず言葉をもらす。

 影たちから猛毒の短剣を向けられながらも、食欲が勝ったのだ。


「これはチキンブンヨンとは違いますな……もっと複雑な食材が組み合った、深い感じがしますな、ミリアはん」

「そうね」


 カネンも思わず鼻を膨らませる。

 二人が味わったことがあるチキンブンヨンとは、何かが少し違っていた。

 肉や野菜や魚介類など、未知の食材が複雑な香りである。


「ふん。どうやらヌードルを茹でているぞ」

「本当ですね、岩鉄王様……スープ・パスタとも違いますね?」


 岩鉄王ドバンと小姓リットンは別の大鍋に注目する。

 黒髪の青年サエキは何やら麺を茹でていのだ。自分たちの知る乾麺パスタとは全く違う。

 黄金色の縮れた麺を、沸騰したお湯から湯切りし始める。


「危ないぞ。離れていろ」


 その時、黒髪の料理人は次の行程に移る。

 すぐそばにいる軍神に対して警告する。


「なっ……?」


 調理台の上の様子を、間近で凝視していた軍神が声を上げる。

 青年から発せられる気が解除されて、いつの間にか身体の自由が利く。


「ぐ、軍神様!」

「危険です! お下がりください!」


 同じく解除された影たちが動き出す。

 自分たちの主を危険から守ろうと身をていす。

 黒髪の青年が沸騰した鍋から、お湯をまき散らしてしたのだ。


「キサマ! 騙したな⁉」

「料理をするふりをして、軍神様に危害を加えるつもりだったのか!?」


 影たちは軍神の盾になりながら、短剣を構える。

 だが青年の発する気により、これ以上は調理台には近づけない。


「これは秘技“つばめ返し”。湯切りの動作だ。気にするな」


 そんな影たちにお構いなくサエキは調理を続けていく。目にも止まらない速さで麺を湯切りする。

 黄金色の麺は次々と器に移されていく。


「あの目にも止まらない動き……もしも、剣に持ち替えたなら……」


 その光景を見ていた近衛騎士アランは、思わず声を震わせる。

 サエキの動きはまさに武道に通じた者の同じ。

 その腕の調理道具を剣に持ち替えたらどうなるか? それを想像しただけで震えがはしっていたのだ。


「ば、バカな……」

「この我々が目に追えないだと……」


 動揺していたのは影たちも同じであった。

 血のにじむ様な鍛錬を受けてきた彼らも、青年の動きが見えていない。

 腕利きの隠密衆“影”たちの背中に、凍るような汗が流れる。


「さて、完成だ」


 だが、そんな外野に構わず青年は調理を続けていた。

 深い器の中に麺と具材を盛り付けて、料理を完了させたのだ。


「熱いから気をつけて食え」

「えっ……?」


 暗殺者たちに囲まれているミリアたちの前に、サエキは料理を運んでいく。

 影たちは黒髪の青年の発する気の前に動けずにいた。


「これはスープ・パスタかしら?」

「いや、ミリアはん……こんな麺料理はじめて見ます」

 

 運ばれてきた料理を凝視して、ミリアたちは首を傾げる。

 目の前の深い器に澄んだスープが入っていた。その中に先ほどの黄金色の麺が見える。

 更に上に乗る具材は肉と野菜だけと、意外とシンプルであった。


「これはラーメンだ」

「“らーめん”……?」


 サエキの口から料理名が出てきた。

 それはスープ料理ともスープ・パスタとも違う不思議な麺の料理である。


「ワシも初めて聞きますわ、ミリアはん」


 大陸から様々な食材の集まる商国サガイ。そこに住んでいたカネンでも知らない料理の名であった。


「本来は違うが、今回はフォークとレンゲを用意した」


 固まっていたミリアたちのために、サエキは食べるための道具を差し出してくる。

 一つは滑りにくい木製のフォーク。そしてスプーンを更に深くした、“レンゲ”と呼ばれる道具であった。


「なら食べましょう。お腹がペコペコだわ」

「ミリア様……さっき屋台であんなに食べたのに……」

「サエキの〆の料理は別腹なのよ、リットン君!」


 市場バザールであれほど食べたにもかかわらず、ミリアたち五人は不思議と腹が空いていた。

 サエキの調理する姿を見ていたら、無性に腹が空いてきたのだ。


「ふん。ならワシから食うぞ」

「ちょっと、ドバン待ってよ。私も食べるんだから!」

「もちろんワシも食べますわ!」


 五人はラーメンと呼ばれる料理を、一斉に食べ始める。

 ある者は黄金色の麺から口にして。

 またある者はレンゲを使いスープを口に入れる。

 そして上に乗った具材から食べ始める者も。まさに三者三様の食し方である。


「えっ……?」

「あっ……」

「ふん……」


 だが一口目を口にした反応は、誰もが同じであった。

 想像していたのとは違う、まったく新しい味に言葉を失う。


「えっ……なにこれ⁉ 麺がすごく美味しい!」

「そうですな! こんなに澄んでいるのに、コクのあるスープは初めてですわ!」

「ふん。具の肉も美味いぞ。それにこっちの卵を茹でたものも」


 そして次の瞬間には歓喜の声を上げる。と同時に二口目と三口目。次々と食していく。


「このスープは凄いわ……宮廷料理でも飲んだことのない複雑な……でも一体感のある味わいだわ」

「分かったで! この麺が縮れているのは、スープと絡ませるためだっんですわ!」

「ふん。酒を飲んだ後でも不思議と美味い。むしろ飲んだ後の方が美味いぞ」


 ミリアたちは感動をしていた。

 彼女たちは貴族令嬢であり大商人。これまで世界各国の高級料理は食べてきた自負があった。


 だがこのラーメンという料理は、それらの全てを越えていた。

 たった一個の器の中に、無限の味と可能性が凝縮されていたのだ。


「本当に美味しいですね……でも、どうしても、すする音が出ちゃいますね」


 小姓リットンは感動しながらも、食べるのに手こずっていた。

 熱い縮れ麺のため食べる時に、どうしても音が出てしまうのだ。

 それは大陸の食事のマナーとしては、最低な行為であり苦戦していた。


「ラーメンは音を出して食べるのが正式だ。その方が美味さは倍増する」

「えっ……? でもサエキ様が言うのなら……あっ、本当だ! 更に美味しくなりました!」


 思いっきって食べ方を変えたリットンは、大きな声を上げる。

 サエキの言葉の通りに、豪快に音を出してすすってみた。すると麺とスープが更に絡み、美味さが倍増したのだ。


「えっ、リットン君、本当に⁉ なら私も……うん、食べやすいし、美味しくなったわ!」

「ミリア様……そんなはしたない食べ方を……ですが、これは本当に美味くなりました」


 食事のマナーに厳しい騎士アランは、主ミリアに注意を促そうとする。

 だがその言葉を途中で止める。何故なら本当に倍増したのだ。

 音を出して食べることにより、料理ラーメンの味が格段に上がったのである。


「音を出して食べる。これは本当に美味しいですわ! このスープだけでもフルコースの一品として通用しまっせ、サエキはん!」

「残念ながらスープの単品はない。スープと麺、そして具材の三者が揃ってこそのラーメンだ」

「なるほどね! まさに食材の究極結婚マリアージュとっ言ったところね!」


 料理のことだけは雄弁に語る青年の言葉に、カネンたちは納得していた。

 食べる者と食材のバランス。

 その全て計算尽くされた究極の一杯に酔いしれていた。



「ふう……ご馳走さんでしたわ」

「本当……食べた後はため息しか出てこないわね……」


 いつの間にかミリアは完食していた。

 麺と具を食べ尽し、満足そうなため息を吐いている。

 スープも最後の一滴まで飲み干し、器は完全に空になっていた。


「ふん。人族のメシも悪くないな」

「人族と言うか……サエキ様の料理は……」

「ああ、言葉にできないな」


 何とも言えない満足感と心地よさが、彼女たち五人を包みこむ。

 空になった器から視線を宙に向けて放心状態となる。

 まるで全身全霊を賭けた戦に勝った勇者のように、感慨に浸っていた。



「な、何なのだ……これは……?」


 そんな静寂の空間に、軍神の震えた声が響き渡る。

 これまでミリアたちの食べる様に、食い入るように見入ってしまったのだ。


 その原因は不明であり、軍神の知能をもっても解析不能。

 人としての本能である“食欲”が、彼をそうさせていた。


「お前の分だ」

「何だと⁉」


 そんな絶句していた軍神の前に、一つの器が差し出される。

 サエキが軍神のために、新たなるラーメンを作ってくれたのだ。


「これが“らーめん”か……」


 出来立ての料理からは、湯気が立ち昇っている。

 それを見つめながら軍神は思わずつばを飲みこむ。


 先ほどミリアたちが美味そうに食べていた、不思議な麺料理。この大陸の誰も食べたことがない極上の料理であった。


「各国の王ですら食べたことがない……究極の料理……」


 無意識的に軍神はフォークに手を伸ばす。

 このラーメンという食べ物の正体を調べなくては。大陸一の知恵者と呼ばれる頭脳が、回答を欲していたのだ。


「軍神様、いけません! 毒が入っているかもしれません!」

「大丈夫だ。サエキが私を殺すつもりなら、既にこの世にいないだろう」


 食事を止めにかかる部下を、軍神は制する。

 何故なら先ほどの調理中に、軍神は動きを止められていた。黒髪の青年の発する異様な気の前に。

 彼に敵意があるのならば、手元の包丁で軍神はこの世にはいないであろう。


「なら食べるとするか……」

「『いただきます』だ」

「“いただきます”か……不思議な言葉だな」


 青年の言葉に軍神も従う。

 これまで使ったことのない不思議な儀礼の言葉。いただきます……と口にするだけで、何故か心が軽くなる。


「おお……これは……」


 ラーメンを口にして軍神は言葉を失う。

 麺とスープを口に入れて、具も食す。この究極の味を何とか表現しようと試みる。


「これは……言葉は無意味だな……」


 だが軍神は言葉で表すことを諦める。

 大陸中の言語と知識を有する、この男でも不可能だった。

 このラーメンという料理に対する賛辞の全てを、言葉に表現することは。


「美味かった」

「ああ、そうか」


 軍神は一心不乱に。そして一気に食べ終えて、そのひと言だけを発する。

 それ以外の言葉は必要なかった。このラーメンという食べ物を現す賛辞は。


「私の名はアレス・リーボックだ」


 軍神は改めて自分の名を名乗る。

 東ラーマ神聖王国の軍師の地位としての名ではない。一人の男としての名乗り直したのだ。


「オレはサエキだ」


 その想いに黒髪の青年は答える。自分の料理を食した相手として、今度は対応に扱う。


「そして改めて望む、サエキ。君を宮廷料理人ハイ・キュイジニエに……いや一人の男として迎えたい!」


 そんな料理人シェフに対して、アレスは自分の本音をぶつける。

 軍師としての上辺だけの言葉ではない。

 料理の味に感動した一人の男として、サエキを望んでいた。


「蛮族王との先約がある」

「そうか……」


 アレス・リーボックが人として、自分の本心をぶつけた初めての交渉。男としての後悔はない。

 だが彼にも軍神としての責務があった。


「なら仕方がない。力ずくでも君を連れて帰る……やれ」

「はっ!」


 息を整えたアレスは合図をする。

 それと同時に武装した兵たちが、部屋に雪崩れ込んで来る。

 屋敷に待機していた東ラーマ兵が、この応接室に集結したのだ。


「ミリアはん……これはマズイでっせ……」

「ええ、今度は相手も本気ね……」


 サエキとミリアたちは完全に包囲さてしまった。

 先ほどの脅しとは違い、敵兵は実力行使に出てきたのである。


「サエキ……抵抗するなら、君の仲間の命は無い」


 軍神は危険な笑みを浮べながら宣言する。

 謎の青年サエキなら、この場から逃げ出すことも可能であろう。

 だがその場合は、残るミリアたちの命は無いと脅してきた。


「サエキ……私たちに構わずに、貴方だけでも逃げて!」

「そうや、サエキはん。あんたの料理は、まだ遠征軍に必要なんや!」


 そしてミリアたちもこの窮地の状況を察している。自分たちが足手まといになることを理解していた。


「悪いがオレは荒事が苦手だ。それに、そろそろ迎えの時間だ」

「何だと⁉」


 黒髪の青年のその言葉を発した、次の瞬間である。

 応接室の窓が破られ、赤い閃光がほとばしる。


「遅かったな」

「セリスから話は聞いている」


 サエキはその閃光の主に向かって語りかける。

 それは一人の剣士。あまりの速さにその動きが見えなかったのである。


「ハデスはん⁉」

「それに鮮血傭兵団の皆も⁉」


 応接室に単身で突入してきたのは、傭兵ハデスであった。

 それに続くように彼の部下である傭兵団も遅れて突入してくる。


「ハデス……まさか“死神”!?」

「あの真紅の剣は……間違いない……死神だ!」


 ハデスの名と姿に東ラーマ兵は驚愕していた。

 何しろ死神は大陸でも最強の剣士の称号の一つである。

 

 それを示すかのように先ほどの一瞬で、既に数人の東ラーマ兵が斬り捨てられていた。


「軍神様をお守りしろ」

「くっ!? 屋敷に火をかけられているぞ!」


 戦況は一変する。

 ハデスたちはこの屋敷に火をかけていた。


 “影”たちは自分たちの主アレスを、死神の刃から守ろうと動く。それほどまでに死神ハデスの力は圧倒的であった。


「ミリアはん、ワシらも今のうちに撤退を!」

「そうね……あれ、サエキは?」


 この混乱を利用して、カネンたちも脱出を試みる。

 そして黒髪の青年サエキはいつの間にか姿を消していた。

 準備していた調理台も含めて、煙のように応接室から姿を消していたのだ。


「相変わらず食えない男だ。深追いをするな。オレたち撤退するぞ」

「へい、団長!」


 サエキが消え去った後を見つめながら、ハデスは苦笑いする。

 誰にも気配も感じさせない見事な撤退術。これで『荒事が苦手だ』と言い捨てるのだからタチが悪いと。


「軍神様、奴らが逃げていきます!」

「追う必要はない。この屋敷を廃棄して、我々も撤退する」

「はっ!」


 軍神たちもこの屋敷からの撤退を決断した。

 このまま追撃戦を行っても、鮮血傭兵団との消耗戦となる。

 下手をしたら東ラーマの生命線とも言える、軍神アレスに危険が及ぶ可能性もあった。


「黒髪の料理人シェフ……メシ番……サエキか……」


 燃え始めて屋敷を一瞥しながら、アレスは小さくつぶやく。

 たった一人の取るに足らない料理人シェフ

 だがその存在はアレスの人生の中で大きな衝撃を与えていた。


「必ず東ラーマの……私のモノにしてみせる……」


 最後にもう一度だけつぶやき、軍神アレスは去っていくのであった。



 この日。

 大陸の歴史が変わった。


 三大国家の一つである東ラーマ神聖王国が、大きく変動した日。


 そして大陸の運命が新たに動いていくのであった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ