第23話:自由貿易都市と〆のラーメン(後編)
貿易自由都市ラスチンプール。
東ラーマ神聖王国の隠れ家の一室に、緊迫した緊張が走る。
「さて、メシを作る時間だ」
だが現れた黒髪の青年は、そんな緊迫した空気におかまいしであった。
携帯用の調理器具の設置を始める。
手際よく金属製の部品を組み立て、小さな台を設置。発火剤に着火して、鍋に湯を沸かし始める。
「キサマ、何のつもりだ!」
「軍神様の手前だぞ!」
東ラーマの隠密衆の“影”たちは暗殺用の短剣を、その奇妙な料理人に向ける。
刃先にはかすっただけでも死にいたる、猛毒を塗られていた。
「オレはメシ番。料理を作るのが仕事だ」
「な、何だと⁉」
「命が惜しくないのか!?」
だが青年は猛毒に短剣などお構いなしに、料理の準備を進めている。
湯を沸かしながら袋から食材を取り出し並べていく。
「き、キサマ!」
影たちは腕利きの暗殺者であり、いつも冷静さを失わない。
だが青年の異様な気配を感じて動揺していた。怒りに任せて行動を起こそうとする。
「下がれ」
「ですが軍神様……」
「この私が下がれと言っているのだ」
「は、はい……」
そんな激昂している影たちの動きを、軍神は言葉だけで制する。
主からの凄まじい殺気に当てられて、影たちは黒髪の青年から離れていく。
この軍神という男は知恵が回るだけはない。武人としてもかなりの力を秘めていた。
「部下が失礼したね、黒髪のメシ番……サエキ殿」
部下を下がらせた軍神は、静かに調理台に歩み寄っていく。
ミリアたちは既に眼中になく、黒髪の青年だけを見つめている。
「時間がないから今日は急いで作る。三分だけ待っていろ」
だがサエキは軍神を見向きもせずに、調理を続けていた。
湯とは別の鍋に、半透明のスープを沸かし始める。
「三ふん? 何かの時間の単位か。ところで自己紹介がまだだったね。私の名はアレス・リーボック。東ラーマ神聖王国で軍師の地位にあるものだ」
ここにきて軍神は初めて自分の名を明かす。
これまでミリアたちに対しては、一切名乗らなかった。だが黒髪の青年に対しては、最上位の礼を持って接している。
「メシ番のサエキ殿、単刀直入に言おう。君を我が東ラーマの専属の宮廷料理人に迎えたい」
「何ですって……」
軍神アレスのまさかの言葉に、ミリアが先に反応する。
何故ならラーマ神聖王国の宮廷料理人といえば、大陸でも最高峰の名誉ある職務。
それは上級貴族よりも位が高く、巨万の富と名声を得る者の称号なのだ。
「サエキ殿。君の噂は聞いている。曰く、その料理は感動を越えた味を生む。曰く、その料理を食べた者は感動のあまり虜になる……」
まるで演説でもするように軍神は、サエキのこれまでの功績を褒め称える。
これまで降伏したミリアたち諸侯たちが、あれほど蛮族王に忠誠を誓うのも、その料理のお蔭だ。誰もがもう一度食べたいがために熱狂的に戦うと。
「曰く、蛮族軍の快進撃を陰で支える立役者……とね」
軍神は調理台の青年に近づき笑みを浮べる。
これまで誰も知らなかった蛮族軍の快進撃の秘密。その中心にいたのが黒髪の料理人であると、軍神は推測していたのだ。
「もう一度言おう。宮廷料理人になれば君は全てを得られる!」
大陸でも三大国家の一つである東ラーマ神聖王国。
その最高位にあたる宮廷料理人になれば、思うがまの生活ができる。世界中からあらゆる食材を集めさせ、誰も作ったことがない豪華な料理を作る。
そんな夢のようなことも可能なのだ。
「それから君が宮廷料理人の任を受けてくれたら……そこにいる者たちの命も助けよう」
その言葉と共に軍神は空気を変える。
先ほどよりも強烈な殺気を表に出し、ミリアたち五人を視線で突き刺す。
いつでも彼女たちの命を奪えると、サエキを強迫する。
「宮廷料理人の任を受けてくれたら、誰もが幸せになれるのだよ、サエキ殿」
強大な地位とミリアたちの命。その飴と鞭とを使い分けた、軍神の巧みな交渉術であった。
「軍神とやら、一ついいか?」
「ああ、何でも言ってくれたまえ! 何なら君の望む富も与えよう!」
これまで軍神の言葉を無視していた、青年が口を開く。
すっと右手の人差し指を立て、言葉を発する。
「黙れ。料理に唾が飛ぶ。それにお前の髪の毛も」
「なっ……」
サエキはエプロンを締め直し、軍神を一瞥する。反論さえ許さない強い言葉と黒い瞳で。
「な……」
その鋭い眼光に抜かれて軍神は動きを止める。青年の発する強烈な気の前に、動けないのだ。
「それでいい。さて最後の仕上げだ」
うるさい軍神を黙らせたサエキは料理の仕上げに入る。
スープの入った鍋を沸騰ギリギリまで加熱していく。
「凄く……いい香り……(鶏肉汁)チキンブンヨンかしら……?」
漂ってきた香りに、ミリアは思わず言葉をもらす。
影たちから猛毒の短剣を向けられながらも、食欲が勝ったのだ。
「これはチキンブンヨンとは違いますな……もっと複雑な食材が組み合った、深い感じがしますな、ミリアはん」
「そうね」
カネンも思わず鼻を膨らませる。
二人が味わったことがあるチキンブンヨンとは、何かが少し違っていた。
肉や野菜や魚介類など、未知の食材が複雑な香りである。
「ふん。どうやら麺を茹でているぞ」
「本当ですね、岩鉄王様……スープ・パスタとも違いますね?」
岩鉄王ドバンと小姓リットンは別の大鍋に注目する。
黒髪の青年サエキは何やら麺を茹でていのだ。自分たちの知る乾麺パスタとは全く違う。
黄金色の縮れた麺を、沸騰したお湯から湯切りし始める。
「危ないぞ。離れていろ」
その時、黒髪の料理人は次の行程に移る。
すぐそばにいる軍神に対して警告する。
「なっ……?」
調理台の上の様子を、間近で凝視していた軍神が声を上げる。
青年から発せられる気が解除されて、いつの間にか身体の自由が利く。
「ぐ、軍神様!」
「危険です! お下がりください!」
同じく解除された影たちが動き出す。
自分たちの主を危険から守ろうと身を挺す。
黒髪の青年が沸騰した鍋から、お湯をまき散らしてしたのだ。
「キサマ! 騙したな⁉」
「料理をするふりをして、軍神様に危害を加えるつもりだったのか!?」
影たちは軍神の盾になりながら、短剣を構える。
だが青年の発する気により、これ以上は調理台には近づけない。
「これは秘技“つばめ返し”。湯切りの動作だ。気にするな」
そんな影たちにお構いなくサエキは調理を続けていく。目にも止まらない速さで麺を湯切りする。
黄金色の麺は次々と器に移されていく。
「あの目にも止まらない動き……もしも、剣に持ち替えたなら……」
その光景を見ていた近衛騎士アランは、思わず声を震わせる。
サエキの動きはまさに武道に通じた者の同じ。
その腕の調理道具を剣に持ち替えたらどうなるか? それを想像しただけで震えがはしっていたのだ。
「ば、バカな……」
「この我々が目に追えないだと……」
動揺していたのは影たちも同じであった。
血のにじむ様な鍛錬を受けてきた彼らも、青年の動きが見えていない。
腕利きの隠密衆“影”たちの背中に、凍るような汗が流れる。
「さて、完成だ」
だが、そんな外野に構わず青年は調理を続けていた。
深い器の中に麺と具材を盛り付けて、料理を完了させたのだ。
「熱いから気をつけて食え」
「えっ……?」
暗殺者たちに囲まれているミリアたちの前に、サエキは料理を運んでいく。
影たちは黒髪の青年の発する気の前に動けずにいた。
「これはスープ・パスタかしら?」
「いや、ミリアはん……こんな麺料理はじめて見ます」
運ばれてきた料理を凝視して、ミリアたちは首を傾げる。
目の前の深い器に澄んだスープが入っていた。その中に先ほどの黄金色の麺が見える。
更に上に乗る具材は肉と野菜だけと、意外とシンプルであった。
「これはラーメンだ」
「“らーめん”……?」
サエキの口から料理名が出てきた。
それはスープ料理ともスープ・パスタとも違う不思議な麺の料理である。
「ワシも初めて聞きますわ、ミリアはん」
大陸から様々な食材の集まる商国サガイ。そこに住んでいたカネンでも知らない料理の名であった。
「本来は違うが、今回はフォークとレンゲを用意した」
固まっていたミリアたちのために、サエキは食べるための道具を差し出してくる。
一つは滑りにくい木製のフォーク。そしてスプーンを更に深くした、“レンゲ”と呼ばれる道具であった。
「なら食べましょう。お腹がペコペコだわ」
「ミリア様……さっき屋台であんなに食べたのに……」
「サエキの〆の料理は別腹なのよ、リットン君!」
市場であれほど食べたにもかかわらず、ミリアたち五人は不思議と腹が空いていた。
サエキの調理する姿を見ていたら、無性に腹が空いてきたのだ。
「ふん。ならワシから食うぞ」
「ちょっと、ドバン待ってよ。私も食べるんだから!」
「もちろんワシも食べますわ!」
五人はラーメンと呼ばれる料理を、一斉に食べ始める。
ある者は黄金色の麺から口にして。
またある者はレンゲを使いスープを口に入れる。
そして上に乗った具材から食べ始める者も。まさに三者三様の食し方である。
「えっ……?」
「あっ……」
「ふん……」
だが一口目を口にした反応は、誰もが同じであった。
想像していたのとは違う、まったく新しい味に言葉を失う。
「えっ……なにこれ⁉ 麺がすごく美味しい!」
「そうですな! こんなに澄んでいるのに、コクのあるスープは初めてですわ!」
「ふん。具の肉も美味いぞ。それにこっちの卵を茹でたものも」
そして次の瞬間には歓喜の声を上げる。と同時に二口目と三口目。次々と食していく。
「このスープは凄いわ……宮廷料理でも飲んだことのない複雑な……でも一体感のある味わいだわ」
「分かったで! この麺が縮れているのは、スープと絡ませるためだっんですわ!」
「ふん。酒を飲んだ後でも不思議と美味い。むしろ飲んだ後の方が美味いぞ」
ミリアたちは感動をしていた。
彼女たちは貴族令嬢であり大商人。これまで世界各国の高級料理は食べてきた自負があった。
だがこのラーメンという料理は、それらの全てを越えていた。
たった一個の器の中に、無限の味と可能性が凝縮されていたのだ。
「本当に美味しいですね……でも、どうしても、すする音が出ちゃいますね」
小姓リットンは感動しながらも、食べるのに手こずっていた。
熱い縮れ麺のため食べる時に、どうしても音が出てしまうのだ。
それは大陸の食事のマナーとしては、最低な行為であり苦戦していた。
「ラーメンは音を出して食べるのが正式だ。その方が美味さは倍増する」
「えっ……? でもサエキ様が言うのなら……あっ、本当だ! 更に美味しくなりました!」
思いっきって食べ方を変えたリットンは、大きな声を上げる。
サエキの言葉の通りに、豪快に音を出してすすってみた。すると麺とスープが更に絡み、美味さが倍増したのだ。
「えっ、リットン君、本当に⁉ なら私も……うん、食べやすいし、美味しくなったわ!」
「ミリア様……そんなはしたない食べ方を……ですが、これは本当に美味くなりました」
食事のマナーに厳しい騎士アランは、主ミリアに注意を促そうとする。
だがその言葉を途中で止める。何故なら本当に倍増したのだ。
音を出して食べることにより、料理ラーメンの味が格段に上がったのである。
「音を出して食べる。これは本当に美味しいですわ! このスープだけでもフルコースの一品として通用しまっせ、サエキはん!」
「残念ながらスープの単品はない。スープと麺、そして具材の三者が揃ってこそのラーメンだ」
「なるほどね! まさに食材の究極結婚とっ言ったところね!」
料理のことだけは雄弁に語る青年の言葉に、カネンたちは納得していた。
食べる者と食材のバランス。
その全て計算尽くされた究極の一杯に酔いしれていた。
◇
「ふう……ご馳走さんでしたわ」
「本当……食べた後はため息しか出てこないわね……」
いつの間にかミリアは完食していた。
麺と具を食べ尽し、満足そうなため息を吐いている。
スープも最後の一滴まで飲み干し、器は完全に空になっていた。
「ふん。人族のメシも悪くないな」
「人族と言うか……サエキ様の料理は……」
「ああ、言葉にできないな」
何とも言えない満足感と心地よさが、彼女たち五人を包みこむ。
空になった器から視線を宙に向けて放心状態となる。
まるで全身全霊を賭けた戦に勝った勇者のように、感慨に浸っていた。
◇
「な、何なのだ……これは……?」
そんな静寂の空間に、軍神の震えた声が響き渡る。
これまでミリアたちの食べる様に、食い入るように見入ってしまったのだ。
その原因は不明であり、軍神の知能をもっても解析不能。
人としての本能である“食欲”が、彼をそうさせていた。
「お前の分だ」
「何だと⁉」
そんな絶句していた軍神の前に、一つの器が差し出される。
サエキが軍神のために、新たなるラーメンを作ってくれたのだ。
「これが“らーめん”か……」
出来立ての料理からは、湯気が立ち昇っている。
それを見つめながら軍神は思わず唾を飲みこむ。
先ほどミリアたちが美味そうに食べていた、不思議な麺料理。この大陸の誰も食べたことがない極上の料理であった。
「各国の王ですら食べたことがない……究極の料理……」
無意識的に軍神はフォークに手を伸ばす。
このラーメンという食べ物の正体を調べなくては。大陸一の知恵者と呼ばれる頭脳が、回答を欲していたのだ。
「軍神様、いけません! 毒が入っているかもしれません!」
「大丈夫だ。サエキが私を殺すつもりなら、既にこの世にいないだろう」
食事を止めにかかる部下を、軍神は制する。
何故なら先ほどの調理中に、軍神は動きを止められていた。黒髪の青年の発する異様な気の前に。
彼に敵意があるのならば、手元の包丁で軍神はこの世にはいないであろう。
「なら食べるとするか……」
「『いただきます』だ」
「“いただきます”か……不思議な言葉だな」
青年の言葉に軍神も従う。
これまで使ったことのない不思議な儀礼の言葉。いただきます……と口にするだけで、何故か心が軽くなる。
「おお……これは……」
ラーメンを口にして軍神は言葉を失う。
麺とスープを口に入れて、具も食す。この究極の味を何とか表現しようと試みる。
「これは……言葉は無意味だな……」
だが軍神は言葉で表すことを諦める。
大陸中の言語と知識を有する、この男でも不可能だった。
このラーメンという料理に対する賛辞の全てを、言葉に表現することは。
「美味かった」
「ああ、そうか」
軍神は一心不乱に。そして一気に食べ終えて、そのひと言だけを発する。
それ以外の言葉は必要なかった。このラーメンという食べ物を現す賛辞は。
「私の名はアレス・リーボックだ」
軍神は改めて自分の名を名乗る。
東ラーマ神聖王国の軍師の地位としての名ではない。一人の男としての名乗り直したのだ。
「オレはサエキだ」
その想いに黒髪の青年は答える。自分の料理を食した相手として、今度は対応に扱う。
「そして改めて望む、サエキ。君を宮廷料理人に……いや一人の男として迎えたい!」
そんな料理人に対して、アレスは自分の本音をぶつける。
軍師としての上辺だけの言葉ではない。
料理の味に感動した一人の男として、サエキを望んでいた。
「蛮族王との先約がある」
「そうか……」
アレス・リーボックが人として、自分の本心をぶつけた初めての交渉。男としての後悔はない。
だが彼にも軍神としての責務があった。
「なら仕方がない。力ずくでも君を連れて帰る……やれ」
「はっ!」
息を整えたアレスは合図をする。
それと同時に武装した兵たちが、部屋に雪崩れ込んで来る。
屋敷に待機していた東ラーマ兵が、この応接室に集結したのだ。
「ミリアはん……これはマズイでっせ……」
「ええ、今度は相手も本気ね……」
サエキとミリアたちは完全に包囲さてしまった。
先ほどの脅しとは違い、敵兵は実力行使に出てきたのである。
「サエキ……抵抗するなら、君の仲間の命は無い」
軍神は危険な笑みを浮べながら宣言する。
謎の青年サエキなら、この場から逃げ出すことも可能であろう。
だがその場合は、残るミリアたちの命は無いと脅してきた。
「サエキ……私たちに構わずに、貴方だけでも逃げて!」
「そうや、サエキはん。あんたの料理は、まだ遠征軍に必要なんや!」
そしてミリアたちもこの窮地の状況を察している。自分たちが足手まといになることを理解していた。
「悪いがオレは荒事が苦手だ。それに、そろそろ迎えの時間だ」
「何だと⁉」
黒髪の青年のその言葉を発した、次の瞬間である。
応接室の窓が破られ、赤い閃光がほとばしる。
「遅かったな」
「セリスから話は聞いている」
サエキはその閃光の主に向かって語りかける。
それは一人の剣士。あまりの速さにその動きが見えなかったのである。
「ハデスはん⁉」
「それに鮮血傭兵団の皆も⁉」
応接室に単身で突入してきたのは、傭兵ハデスであった。
それに続くように彼の部下である傭兵団も遅れて突入してくる。
「ハデス……まさか“死神”!?」
「あの真紅の剣は……間違いない……死神だ!」
ハデスの名と姿に東ラーマ兵は驚愕していた。
何しろ死神は大陸でも最強の剣士の称号の一つである。
それを示すかのように先ほどの一瞬で、既に数人の東ラーマ兵が斬り捨てられていた。
「軍神様をお守りしろ」
「くっ!? 屋敷に火をかけられているぞ!」
戦況は一変する。
ハデスたちはこの屋敷に火をかけていた。
“影”たちは自分たちの主アレスを、死神の刃から守ろうと動く。それほどまでに死神ハデスの力は圧倒的であった。
「ミリアはん、ワシらも今のうちに撤退を!」
「そうね……あれ、サエキは?」
この混乱を利用して、カネンたちも脱出を試みる。
そして黒髪の青年サエキはいつの間にか姿を消していた。
準備していた調理台も含めて、煙のように応接室から姿を消していたのだ。
「相変わらず食えない男だ。深追いをするな。オレたち撤退するぞ」
「へい、団長!」
サエキが消え去った後を見つめながら、ハデスは苦笑いする。
誰にも気配も感じさせない見事な撤退術。これで『荒事が苦手だ』と言い捨てるのだからタチが悪いと。
「軍神様、奴らが逃げていきます!」
「追う必要はない。この屋敷を廃棄して、我々も撤退する」
「はっ!」
軍神たちもこの屋敷からの撤退を決断した。
このまま追撃戦を行っても、鮮血傭兵団との消耗戦となる。
下手をしたら東ラーマの生命線とも言える、軍神アレスに危険が及ぶ可能性もあった。
「黒髪の料理人……メシ番……サエキか……」
燃え始めて屋敷を一瞥しながら、アレスは小さくつぶやく。
たった一人の取るに足らない料理人。
だがその存在はアレスの人生の中で大きな衝撃を与えていた。
「必ず東ラーマの……私のモノにしてみせる……」
最後にもう一度だけつぶやき、軍神アレスは去っていくのであった。
◇
この日。
大陸の歴史が変わった。
三大国家の一つである東ラーマ神聖王国が、大きく変動した日。
そして大陸の運命が新たに動いていくのであった。