第22話:自由貿易都市と〆のラーメン(中編)
ミリアたち五人は東ラーマの武装集団に捕まってしまった。
そして自由貿易都市ラスチンプールの郊外にある屋敷に連行される。
◇
「ここは……?」
ミリアたちが連行されたのは、何の変哲もない商人の屋敷であった。
周囲を防犯用の塀で囲まれた頑丈な建物である。
「ここは我々、東ラーマ神聖王国の拠点の一つです」
「なるほどね。さすがは噂に名高い“軍神”ね」
軍神を名乗る銀髪の青年の言葉に、ミリアは警戒しながら答える。
青年はパッと見は普通の文官である。だが、その身のこなしは明らかに武人のものであった。
「ちなみに逃げようとしても無駄です。この応接室の外にも、兵を配置しています」
「ふん。たしかにそのようじゃな」
軍神の警告に岩鉄王ドバンは鼻を鳴らす。
ミリアたち五人の武器は全て没収されていた。縄で縛られることもなく、彼女たちの身体の自由は利く。
だが武装した集団に囲まれて、ミリアたちは無駄な抵抗を諦めていた。
「では、話を聞こうかしら? 軍神さん」
「この状況で随分と落ち着いていますね。ミリア・レン・バルカン公女殿」
「バルカン公国に生を受けた者として、覚悟はできているわ」
軍神の揺さぶりにも、ミリアは動じていなかった。相手の鋭い視線に対しても、真っすぐと見つめ返す。
「それにいつも蛮族の戦士に囲まれているから、肝も据わるわ」
「なるほど。他の方も同様なようですね」
軍神はミリア以外の四人に視線を移す。
騎士アランと大頭カネン、小姓リットンも覚悟を決めた表情で、席に付いていた。
山穴族の岩鉄王ドバンにいたっては、市場で買っておいた果実酒を飲んでいる。
「さすがは噂に名高い“蛮騎士”の方々ですね」
「蛮騎士?」
「ミリア殿たちを含めた、諸侯の呼び名です」
初めて耳にするミリアの疑問に、軍神は巷での噂を伝える。
“蛮騎士”とは蛮族軍に合流した諸侯たちの呼び名だと。
これまで多くの敵国を権謀術数で降伏させ、戦いとなれば勇猛果敢に突撃する。その名は多陸中に急速に広がっていると、軍神は説明する。
「今やその名を聞くだけで、震えあがる国王たちもいますよ、ミリア殿」
「人のことを化け物みたいに呼んで、失礼な連中ね。でも悪くない呼び名だわ」
軍神と相対しながらも、ミリアは不思議なくらいに落ち着いていた。
彼女が蛮族軍と合流してからは、命を賭けた交渉と戦いの毎日。その経験がミリアを人として大きく成長させていた。
「なるほど……噂以上に切れ者揃いですね。ですが、これで冷静な交渉ができるというものです」
不遜な態度をとるミリアたちに、軍神は怒る素振りはない。むしろ頼もしそうに不敵な笑みを浮べている。
「ところで東ラーマの話というのは、なに?」
「そうですね。なら単刀直入に言います」
いよいよ両者の会談が本題に入る。
軍神はミリアたちの顔をゆっくり見回し、静かに語り出す。
「あなたたち蛮族軍……我が東ラーマ神聖王国と同盟してください」
「何ですって、東ラーマと同盟を⁉」
軍神の口から出たまさかの言葉に、ミリアは声をあげる。
彼女は他の様々な条件を想定していた。だが軍神の言葉は想像の上をいっていたのだ。
「はい、ミリア殿。蛮族軍の皆さんには、私も最初から注目していました」
狼狽するミリアに構わず、軍神は言葉を続ける。
蛮族軍は少数部族でありながら、破竹の勢いで勢力を広げている。そして括目すべきは、併合した国を合理的に統治する遠征軍の制度だと。
「その勢力はまだ東部の一部でしかありません。ですが将来的には三大国家を脅かす勢力までに、成長していくでしょう」
この軍神は見抜いていたのだ。
今はまだ取るに足らない蛮族たちの小さな勢力。
それが数年後には大陸に覇を唱えるほどに成長する。そのことを最初から予見していたのだ。
「この短期間でよくもう、ここまで見抜けますな……さすがは軍神はんですな」
軍神の説明を聞きながら、カネンは感心する。
商国サガイがある東部地方は、この大陸でも片田舎。中央に国を構える大国は、普通なら見向きもしない情勢である。
だがこの軍神という青年は、かなり前から蛮族軍の動きを探っていたのだ。それは情報を生業とするカネンよりも、優れた情報収集能力である。
「彼らは私の直属部隊の一つの“影”。この大陸の全土に散っております」
そんなカネンの言葉に答えるように、軍神は配下の紹介をする。
東ラーマ正規兵に混じり、黒装束を着た隠密の者たちのことを。一人一人が潜入工作の達人であり、腕利きの暗殺者だという。
「ちなみに貴方たち蛮族遠征軍の中にも、影は潜ませております」
「まあ、あの連中は、そういうのに無頓着だからね」
間者を潜ませている軍神の告白にも、ミリアは驚いていない。
何しろ森の民には、情報を秘匿にする習慣がないのである。作戦としては圧倒的な戦闘力で、ひたすら西に進軍していくだけ。
そんな遠征軍の空気がありミリアたちも、潜入している工作員に対しては放置していた。
「たしかに私も調べて驚きました。蛮族軍は策を弄さない民だと。そして貴方たち蛮騎士の皆さんが、遠征軍の躍進の原動力になっていることも調べました」
その言葉と共に、軍神の放つ空気が変わる。
相手を値踏みするように、ミリアたちを一人ずつ見回す。
「買いかぶりすぎよ。私たちは手柄を立てるために、必死なだけよ」
「ですが蛮騎士の皆さんの士気の高さが異常です。私の情報では手柄以外の……何か別の目的のために戦っているように思えます」
謙遜するミリアを、軍神は鋭い視線でいぬく。
彼女たちは蛮族によって母国や家族を奪われている。普通なら自発的に合流するなどあり得ない。
だが蛮族に併合された諸国ほとんどが、彼らに自発的に協力していた。天才的な頭脳を持つ軍神ですら、その謎を解明できずにいたのだ。
「ご存知かと思いますが、戦いは負の感情しか生みません……」
軍神は少しだけ感情を込めて言葉を続ける。
戦いとは常に破壊しか生まないと。勝敗によって恨みが必ず残り、後世に遺恨がある。
その負の連鎖があり、どんな大国でも必ず終わりを迎える。
かつては大陸でも最大の勢力を誇っていた、ラーマ神聖王国も同様であったと嘆く。
「ですが蛮族軍のその統合の秘密が解明できたなら、我が東ラーマは大陸の統一も可能でしょう。我々と共に平和な世界のために、協力をし合いましょう!」
軍神は自分の本当の目的を、ミリアたちに明かす。
今はまだ取るに足らない勢力である蛮族軍。それと共闘することで、東ラーマは祈願を果たすことを。
軍神は祖国東ラーマによる大陸統一を願っていたのだ。
「なるほど。貴方の要望は分かったわ」
軍神の話を静かに聞いていたミリアが口を開く。
併合する条件的には悪くはない。東ラーマと協力したら遠征軍は、さらに勢いが増すであろう。
「それならば是非、蛮族王殿にこのことを伝えてください」
軍神の言葉は聞いているだけで、妙に説得力があった。
巧みに言葉の緩急をつけて、相手の心に近づく。上から強迫するだけではなく、時には親身にもなる。
そのことで相手の心情を操作していた。
この男は策略家だけではなく、交渉人としても軍神は一流の技をもっていたのだ。
「でも、断るわ」
だがミリアは軍神の提案を、即座に拒否する。
彼女は遠征軍の外交使節官として、蛮族王から許された独自の権限をもっていた。
その意思表示として、東ラーマの交渉に応じないことを断言する。
「ミリア殿、考え直すつもりはないのですか?」
「ええ。蛮族王の目的はただ一つ。遠征軍による大陸制覇よ」
「それは残念です……」
その言葉と共に、軍神の声色が鋭く変わる。
同調するように周囲の“影”たちが殺気を放つ。
「ミリア殿は自分の命を惜しくないのですか?」
軍神はこの場を支配しているのは、自分たち東ラーマであることを誇示していた。
交渉に応じなければミリアたち五人を、ここで殺害するつもりだと脅しているのだ。
「元は捨てたこの命。他の全員も覚悟しているわ」
だがミリアは脅しにも屈しなかった。
それは周りのアランやカネンたちも同様である。
彼女たちは蛮族たちの戦いに敗れ、一度は祖国の名を失った者たち。囚われた時点で覚悟を決めていた。
「そうですか、ミリア殿。ならば仕方ないです……」
残念そうな表情をしながら、軍神は右手で合図する。
それと共に部下の“影”たちが剣を抜く。影たちの刃先が黒く光り猛毒が塗られていた。
「私たちも、むざむざ殺されないわよ!」
「ミリア様……私の後ろに」
「ふん。何人かはこの鉄拳で道連れじゃ」
ミリアたち五人は抵抗する意志を見せる。
状況的にこの応接室から逃げ出すことは不可能であろう。だが蛮族軍の一員として、彼女たちは最後の悪あがきをするのだ。
「でも……死ぬ前に、もう一度だけ食べたかったな……」
そんな中、ミリアは誰にも聞かれないように小さくつぶやく。
あの黒髪の青年の顔を思い出しながら。
その手から生み出される不思議な、でも温かい料理のことを思いながら。
「殺れ」
そんなミリアたちに対して、軍神は非情な宣告を発する。
影たちは一斉に動き出して包囲網を縮めていく。掠っただけでも死にいたる猛毒の短剣の刃先を、ミリアたちに向けながら。
「本当に……無念だわ……」
ミリアは最後にもう一度だけつぶやく。
いよいよ覚悟を決める時がやってきたのだ。
◇
「待ってもらおうか」
「えっ……?」
だがその時である。
ミリアの耳に幻聴が聞こえた。
何しろこの場にいないはずの者……だが覚えのある青年の声が聞こえたのだ。
「交渉のメシがまだだ」
「そ、そんな……」
応接室に現れたのは、黒髪の青年であった。
その姿を見てミリアは言葉を失う。
もしかしたら幻聴に続き、幻覚まで見えてしまったのかと。
「サエキはん!」
「サエキ様!」
だがカネンとリットンも目を見開き、その青年の名を叫ぶ。
どうやら青年の姿が見えていたのは、ミリアだけはなかったのだ。
「キサマは⁉」
「いったい何者だ⁉」
無表情だった影たちは一斉に動揺する。
何故なら何の気配も感じさせず、この黒髪の者が現れたのである。
「何処から⁉」
「外の兵たちは何をしていたのだ⁉」
この屋敷の周囲は完全武装の東ラーマ兵に警護されていた。だが、この黒髪の青年は応接室に潜入している。
東ラーマでも恐れられている軍神の“影”。彼らですらこの青年の気配を、全く感じさせなかったのだ。
「オレはメシ番だ。蛮族王から交渉の場の料理を頼まれている」
周囲を猛毒の短剣に囲まれながらも、青年は動じていなかった。
携帯用の調理台の入った大きな鞄を床に置き、準備を始める。
「ふふふ……君が蛮族王の秘蔵の料理番……メシ番か……」
そんな黒髪の青年の姿を見て、軍神が肩を震わせる。
込み上げる笑い声を抑えようと、言葉を止めているのだ。
「私は……君の登場を待っていたんだよ! この人質を使ってね!」
「なんですって⁉」
軍神のまさかの言葉にミリアは驚愕する。
この男は最初から、自分たちと交渉をするつもりはなかったのだ。
蛮族軍の大躍進を裏で支えていた謎の存在。“メシ番サエキ”をおびき寄せるための計略だったのだ
「計略だと? オレには関係ない。さて、メシを作る時間だ」
「何だと!」
だが黒髪の料理人サエキは、一向に気に掛けていない。
こうして猛毒の刃を向けられたままメシの時間が始まるのであった。