第2話:公女とバルカン牛のハンバーグ (中編)
蛮族軍との交渉は驚くほど短く終わった。
今は内容の最終的な確認をしている。
「これが降伏の条件なのね?」
「ああ。期日は明日。陽が沈むまで」
ミリアは相手の条件を再確認する。
蛮族側が提示した条件は二つ。
『降伏するか。徹底抗戦するか』その二つの選択だけであった。
「こちらから別条件を出す権利はなさそうね、アラン」
「はい、この状況ですから」
何しろ先日のバルカン平原での決戦で、公国軍は大敗をしていた。
更に公都も完全に包囲され、状況は圧倒的に不利。ミリアたちは相手の条件の中から、最良を選択するしかなかった。
「それにしても蛮族王は、まだ一言も発していないのね」
ミリアとの交渉は蛮族軍の外交官が担当していた。
交渉の間にいる蛮族王は終始無言。不気味な仮面を被り、巨大な毛皮で覆われた椅子に鎮座している。
「しかし、ミリア様。逆に不気味です……」
座ったままの蛮族王は、不気味なまでの気を放っている。バルカン公国でも有数の騎士であるアランも、その覇気に気圧されていた。
「とにかく、アラン。私たちだけで相手の条件を少しまとめましょう」
「はい」
本筋の交渉が終わり、誰にも聞かれないように二人は再確認する。
蛮族軍の外交官が提示してきた条件は、次のような内容であった。
――――◇――――
一つ。反乱を起こさなければ、決められた徴税に応じて自治を認める。
二つ。能力があれば異民族や男女の差別はない。誰でも受け入れて厚遇する。
三つ。遠征軍への軍役の義務。戦の手柄に身分の差はない。平等に恩賞を与える。
四つ。各国と各部族の住民の生活や文化宗教を認める。
五つ。反乱を起こした場合は容赦なく攻め落とす。その先導者はすべて斬首。
――――◇――――
「……随分と変わった内容よね、アラン」
「はい。我々の戦の常識から逸脱しています」
二人が驚くのは無理もない。
何故なら蛮族側の提示した条件は、この大陸の戦の常識とは全く違う内容だったのだ。
この時代の戦といえば版図拡大や宗教戦争が主になる。敵国の自治を奪い、文化と風習を滅ぼす戦が常識。ここまで寛容な降伏条件は聞いたこともない。
「それに彼らに納める税金も破格に安い。この蛮族軍は普通ではありませんね」
アランの言葉にあるように、蛮族軍の仕組みは異質であった。
何しろ降伏した国に対しては、自由とも言えるほどの自治が残る。むしろ重税に苦しむ者にとっては、まさに天の助けに思える。
(でもバルカン公国の名にかけて、蛮族どもに降伏するなんて絶対に許されない……)
だがミリアは考えを曲げない。
誰にも聞かれないように、心の中で思いをつぶやく。
バルカン公国は二百年も続いてきた名家である。質素ながらも独自の文化を生み出し、ミリアナも誇りに思って育ってきた。
(亡くなったお父様と兄上様のためにも……降伏なんて絶対に許されない)
ミリアの父と兄は数日前に戦死していた。バルカン平原の決戦において、蛮族軍に殺されていたのだ。
(父と兄……二人の代わりに、私が頑張らないと……)
圧倒的な武の蛮族軍に対して公国の騎士たちは、最後まで勇敢に戦い散っていった。
そして臨時的な継承権の関係で、まだ少女であるミリアが公女の地位に就いている。
(バルカンの誇りを……一族の名誉を……)
幼い頃から英才教育を受けてきたミリアには、強い意志があった。
伝統と誇りあるバルカン公国に“降伏”の二文字はないと。そして蛮族軍に一矢報いるために、ミリアは覚悟を決めていた。
(敵である蛮族王を、相打ち覚悟で必ず……)
懐に隠し持つ暗殺ナイフを確かめ、ミリアは心に強く誓うのであった。
◇
「飯の時間だ。食っていけ」
そんな決意のミリアに、蛮族の外交官が声をかける。いつの間にか時間が経っていたようだ。
「ええ、分かったわ」
暗殺のことを考えていたミリアは、平静を装い答える。
だが胸は激しく鼓動する。
いよいよ暗殺の時がきてしまったと。祖国の誇りを賭けた、ミリアの死に際がやってきたのだ。
(情報の通り蛮族どもは、食事の時間を大事にするのね……)
事前の情報によると、蛮族軍には一つの弱点があった。
それは晩餐の食事の時。総大将である蛮族王が、警護の固い玉座から降りてくるのだ。
(その時を狙ってこのナイフで……)
絶好のタイミングを狙って、蛮族王を亡き者にする。晩餐の食事はどんなものが出てこようが関係ない。
(公国の誇りにかけて……絶対に父上と兄上の敵を……)
そして自分の命など惜しくはない。相打ち覚悟で必ず暗殺を成功させる。そうミリアは心に誓う。
(あれ?……でも、この香ばしい香りは……なに?)
ミリアが心の奥で復讐の炎を燃やしていた、その時。鼻孔に香ばしい匂いが流れ込んできた。
(これは……肉の?)
それは獣脂に焼けるような匂い。
いや、肉と何かが組み合わせて焼ける香りであった。
「この匂いは何かしら……」
思わずミリアは声を発する。そして匂いの出どころに意識を向ける。
この匂いの出所は交渉の間の片隅。その柱の影から、この香ばしい匂いは流れてきたのだ。
(これは牛の肉を焼いているの……?)
バルカン公国の公女であるミリアは、食文化にも通じている。
大国にも匹敵する公国の一族であり、幼い頃から様々な料理を口にしていた。
(違う。何だろう、これ? 嗅いだことのない……不思議な香り……)
だが、そんなミリアでも未知の匂い。これまでの人生で食したことのない、不思議な肉の焼ける匂いであった。
「あの柱の影で誰かが、これを調理しているの……?」
香りにつられてミリアは足を進める。
そこに行けばこの香りの正体が分かる。好奇心の強いミリアはどうしても知りたくなり、その場所へと向かう。
「えっ……料理人?」
たどり着いたミリアは思わず声をもらす。
大広間の後方にある調理場にいたのは、目つきの鋭い一人の青年であった。
「黒真珠のような……黒い瞳と黒い髪の毛……」
青年は不思議な風貌であった。
大陸では珍しい黒目黒髪の持ち主。思わず見とれてしまうほどの神秘的な黒色である。
東の大海を越えた地に住む民と、ミリアは聞いたことがある。
「何でこんな人が、蛮族の料理人をしているの……?」
ミリアはそんな疑問の声を思わず口に出してしまう。よく考えたら失礼な問いかけである。
「オレは蛮族王の専属の料理人。メシ番だ」
「メシ番……」
黒髪の青年は調理しながら、ミリアを一瞥だけして答える。ミリアは初めて聞く不思議な職業の名に、思わず言葉を重ねる。
こうして公国の命運を賭けた宴が始まるのであった。