第14話:岩鉄王と嘘とツマミ(前編)
蛮族王は蛮兵を率いて大遠征を進めていた。
人間離れした圧倒的な武を有する蛮族軍。最後まで抵抗したフラン王国も、彼らに併合される。
そして東部山脈にある山岳王国にも、その蛮兵の剣は達しようとしていた。
◇
そんな中、野戦を前にして両者の交渉が行われていた。
場所は山岳王国の最前線基地である砦。今回は蛮族軍側が先に使者を送り、この地を訪れている。
「……以上が、私たち遠征軍からの条件よ。岩鉄王」
「ふん。そうか」
蛮族軍の外交使節である公女ミリアは、条件を読み上げていた。
その内容に山岳王国の王である岩鉄王が、鼻を鳴らしながら返事をする。
蛮族軍が提示したのはいつもの条件であった。
『徹底抗戦か完全降伏かの二択』そして降伏後の五つの服従条件である。
「ふん。それにしても、こんな山奥まで攻め込んでくるとは。蛮族軍の連中も物好きじゃのう」
「この東部山脈は大陸の中でも、最重要拠点の一つ。分かっていると思うけど」
岩鉄王の皮肉に、ミリアは正直に答える。
この東西に長い山脈地帯は“大陸の屋根”とも言われていた。土地が極端に痩せており、農業や酪農には向かない。
だが資源に優れ無数の鉱山が連なっている。そして、その多くを彼ら山穴族が独占しているのだ。
「ワシが在位してからの間は、平地の世界のことには干渉しなかった。そして、これからも干渉するつもりはないぞ」
岩鉄王は強気であった。
彼ら山穴族は欲が少なく、金や領土拡張には興味を持たない種族である。
そのため生活に必要な分だけ採掘して、物資を加工する。また小食であるために食料も、わずかな山の幸だけで済む。
特に岩鉄王が在位してからは鎖国を宣言して、自給自足の生活を続けてきたのだ。
「そして干渉してくる者には、ワシら容赦はしないぞ!」
岩鉄王はそう言い放ち、右手の大槌を床に打ちつけた。
激しい音を立てて、頑丈なはずの岩床が粉砕される。
「ワシらはこうして数百年間に渡り、平和と文化を守ってきたのじゃ!」
岩鉄王は鼻を鳴らしながらミリアを威嚇する。
山穴族は土と岩の種族である。背はそれほど高くはないが、全身の筋力は人族を遥かに凌駕していた。
「こちら手を出さなければ良し。だが侵略者には容赦はせぬぞ!」
山穴族は普段は陽気で温厚なヒゲもじゃの種族。だが侵略者に対しては徹底的に攻撃を仕掛ける。
類まれな鍛冶技術によって作られた彼らの防具は、騎士の剣すらも弾き返す。そして怪力から繰り出される打撃や投擲は、騎士鎧を楽々に粉砕してしまう。
この武力と装備のお蔭で、山岳王国はこれまで自治を守ってきたのだ。
「本当に素晴らしい鍛冶技術ですわ……。これをサガイの街に持って帰れたら、銭に……」
そんな岩鉄王の武具を見つめて、大商人カネンは惚れ惚れしていた。
今回は外交使節団の一員として、この大頭も同行している。だが重大な任務を忘れて、大好きな銭の計算をしていた。
「カネン殿、お静かに。ミリア様が交渉をしています」
「おお、そうでしたわ。これはアランはん。失礼しました」
バルカンの近衛騎士アランに注意され、カネンは大人しくなる。
ここで岩鉄王の機嫌を損ねたら、何が起こるか想像もできない。大人しくミリアのサポートに戻る。
「ふん。ワシら山岳王国の意見は以上だ。何人もワシらに干渉するな。嫌なら戦じゃ!」
山穴族は頑固な性格の種族としても知られる。そのお陰もあり全員が優れた職人であった。
だが今回はその気性が外交の難航に影響している。
「言い分はわかったわ、岩鉄王」
静かに聞いていたミリアは、一度相手の話に同意する。彼らの頑固な性格は知っており、無理強いはしない。
「ところで岩鉄王は、ここのいるハデスと親交があると聞いたわ?」
交渉が佳境に入り、ミリアは最後のカードを出す。
今回の使節団に同行している傭兵ハデスを指し、頑固な岩鉄王を揺さぶる。
「確かにその男は、ワシが認めた数少ない人族だ」
ハデスはこの岩鉄王と面識があった。
今から数年前に両者は敵同士で剣を交えていた。山岳王国の利権を狙った某王国に、当時のハデスは雇われていたのだ。
「その剣士は人族ながら、あっぱれな男じゃった」
その時の戦は山岳王国軍が圧勝した。
だが最後まで諦めなかった鮮血傭兵団を、岩鉄王は認めていたのだ。
「この“鮮血の剣”は岩鉄王に貰ったものだ」
ここまで終始無言だったハデスが、初めて口を開く。
腰の愛剣に手を当て、岩鉄王に視線を向ける。
「人族は嘘をつく。だが、その男は嘘をつかない。だから認めて剣を与えた」
この岩鉄王は極度なまでに人族を毛嫌いしていた。
軽薄に嘘をつく裏切り者として見ている。そんな中でハデスの真っ直ぐな人柄に惚れていたのだ。
「それなら私たちにも機会を……」
「ふん。ダメじゃ! ハデスたち以外の、お前たち全員。これまで嘘を付いてきた者ばかりじゃ!」
ミリアの弁解の言葉を、岩鉄王は強固に遮る。
そして怪しく光る鋭い視線で、ミリアたち使節団を見回す。
「山穴族の王族であるワシには、嘘は通じん」
「そ、それは……」
その言葉にミリアは反論ができなかった。
何故なら山穴族の王族である岩鉄王には、特殊な力があったからだ。
“嘘の者を見破る力”
この特殊な力は感覚的なものである。だがハデスの説明では、かなり正確な能力であるという。
「こりゃ一本取られましたなー。ワシらは生きていく上で、少なからず嘘はつきます」
商人であるカネンは半分諦めてつぶやく。
何しろ人は生きていく上で、大小の嘘は必ずついてきた。
例えば相手を思いやっての方便や、交渉のための言葉。それらの過去の嘘を岩鉄王に感知されていたのだ。
「ハデスはんだけは、少し変わったお方ですからな……」
カネンが言うとおりハデスは特殊な男である。
生まれた時から傭兵団で育ち、言葉を発する前から剣を握ってきた。常に死地を求めているために、ハデスの言葉には欺瞞がない。
そんな特殊性もあり、この傭兵だけが岩鉄王に気に入られていたのだ。
「でも……」
「ふん。もう交渉はお終いじゃ。帰って戦の支度をしてこい!」
引き下がるミリアに対して、岩鉄王は交渉の扉をばっさりと閉じる。
「もう一度だけでも話を聞いてちょうだい」
「ふん!」
だがミリアは山岳王国軍と戦うのを回避したかった。
もしも両軍が戦えば、おそらくは戦力的に蛮族軍が勝つであろう。これは傭兵ハデスの冷静な分析結果である。
だが反撃を受けた蛮族軍の被害も尋常ではない。そうなると今後の大遠征の継続は難しくなる。
そのためミリアは必至で今回の交渉に挑んでいたのだ。
「お前たちでも、この岩鉄王を認めさせることができる」
その時である。
ミリアの窮地に、ハデスが静かに口を開く。
「“火神の儀”を認めてもらえばな」
「“火神の儀”……?」
初めて聞く言葉にミリアは首を傾げる。こんな話は事前にハデスから聞いてはいなかった。
「ふん。ハデスよ! 面白い冗談を言うようになったな!」
ハデスたちのやり取りを聞き、岩鉄王は豪快に笑い声をあげる。ニヤリとして、つまらない交渉の場に楽しみを見つけた。
「確かに“火神の儀”を乗り越えたなら、ワシも認めよう。おい、持ってこい」
「はっ!」
岩鉄王は部下たちに何かを持ってこさせる。どうやらハデスの言葉にのってくれたようだ。
「“火神の儀”は簡単じゃ。コレの飲み比べで、ワシらに勝つだけじゃ」
岩鉄王は台車で運ばれてきた物を指差す。それは山穴族の背丈ほどある巨大な瓶であった。
「中身は“火酒”じゃ。実に簡単じゃろう?」
その巨大な瓶に入っていたのは全て酒であった。何十人分の分量があるのか想像もできない大きさである。
「そんな火酒ですって……」
岩鉄王の説明にミリアたちは言葉を失う。
何故なら火酒はその名の通り、火が着くほど高濃度の酒である。山穴族独自の地酒であり、大陸でも最高に強い酒と言われていた。
「火酒はさすがに無理……ですわ……」
特殊なルートで入手して、カネンはこの酒を口にしたことはある。だが一口飲んだだけで泥酔した経験があるのだ。
「ミリア様……山穴族の方とは酒の勝負は……」
騎士であるアランも弱気になっていた。
何故なら山穴族は酒豪としても知られる種族である。それも生半可な酒の強さではない。
人族の酒豪が数人で挑戦しても、一人の山穴族に酒では勝てない。そんな逸話があるほど、生まれ持っての酒の分解能力が違うのだ。
「この火酒は神聖な酒じゃ。表面的な嘘は通じん。何しろワシらですら命をかけて飲むのじゃ」
岩鉄王は真剣な表情で大瓶を見つめる。
無類の酒好きの山穴族にとって、酒は特別な存在である。
特に火酒は“火と鉄の神”に捧げる神聖な飲み物。あまりの度数に山穴族ですら命を落とす危険性もあると語る。
「なんやて、命の危険が⁉ でも、ここは頑張らねば……」
「そうね、カネン……でも……」
「危険ですミリア様! それにカネン殿もお止めください!」
ミリアとカネンはこの交渉に命を賭けていた。
二人とも酒は弱い方ではないが、酒の勝負で山穴族に勝てるはずもない。
近衛騎士であるアランは主たちの、そんな無謀な挑戦を止めようとする。
「こんなこともあろうかと思って、助っ人を呼んでおいたぞ」
そんな三人を見かねて、ハデスが助け舟を出す。山穴族をよく知るハデスは、秘策を用意していたのだ。
「おい、セリス」
交渉の間の端に控えていた少女セリスに声をかける。
元フラン王国の第二王女であり、今はハデスの養女となったいた。
「うん、ハデス。助っ人さんは来ているよ!」
エプロン姿のセリスは答える。待っていましたと言わんばかりの、満面の笑みであった。
「お師匠さん、出番だよ!」
「ああ、そうか」
セリスの元気よい呼びかけに、一人の青年が姿を現す。ハデスがセリス経由で呼んでおいた強力な助っ人である。
「サエキはん!」
「サエキ⁉ ……あなた、何で、こんな所に⁉」
現れたのは黒髪の青年であった。
まさかの人物の登場にカネンとミリアは驚愕する。
何故ならサエキは蛮族王の専属の料理人。これまでは蛮族王のいる場にしか現れなかった。
「オレはメシ番。だから料理を作りにきた。その火酒に合う料理をな」
青年はそう説明しながら、携帯用の調理器具の設置を始める。
手際よく金属製の部品を組み立て小さな台を設置していく。
「サエキはんの……あの料理を食べるチャンスが……」
「火酒に合う料理を……」
並べられていく食材を見つめながら、カネンとミリアは言葉を失う。口元に溢れてきた唾を飲み込み、喉を鳴らす。
「ふん。どうした人族よ。火酒に怖気づいてしまったか?」
言葉を失っている二人を見て、岩鉄王は勝ち誇る。所詮は嘘をつく人族だと鼻を鳴らす。
「いいえ……この勝負受けてたつわ!」
「ワシもこの賭けにのったるで!」
だがミリアとカネンは声高らかに宣言する。
岩鉄王との“火神の儀”の勝負に挑むと声をあげる。
「なんだと……人族の分際で……」
こうして山岳王国との交渉を賭けた“火神の儀”の勝負。その幕が切って落とされるのであった。




