第12話:死神と塩味のオムライス(後編)
「このセリスは“災厄の王女”と呼ばれてきた」
不幸な運命のもとに生まれた王女。セリスを見つめながら、傭兵ハデスは静かに語り出す。
「占いによる運命の決めつけ。小国にはよくある風習だ」
セリスは産まれた時の占いで、“災厄の王女”と決めつけられてしまった。
更に彼女の母親は身分の低い女官。王宮の噂ではそのことも要因だったと。
「他の王族の姉妹とは違い、この薄汚い塔がセリスの部屋だ。生まれた時からな」
ハデスは命懸けて守っていた塔を指差す。
そんな彼女は食事や服も粗末なものしか与えられなかった。
理由としては“災いを懲らしめるため”。そんな下らない占いのために、セリス王女は塔の中に閉じ込められていた。
実の父であるフラン国王に飼い殺しにされていたのだ。
「だがセリスは普通の子だ。むしろ誰よりも心が優しい少女だ」
フラン王国に雇われていたハデスは、ある戦で大けがを負ってしまう。
国王の無謀な愚策を忠実に守ったために。自身が死地を求めすぎて、不覚をとってしまったのだ。
「オレはこの子に恩がある」
フラン国王も見捨てた瀕死のハデスの命。
だがこの少女は救ってくれた。ハデスのために三日三晩の祈りを捧げて。そして奇跡的にハデスは一命をとりとめたのだ。
「だから、この奇跡の少女のために、オレは命を惜しまない」
それ以来、ハデスは王女セリスに仕えていた。王位継承権が無く、何の報酬も出ない少女のために仕えていたのだ。
「この子には王位継承は無い。だから見逃して欲しい! 代わりに大陸一の剣士と言われる、このオレの命を捧げる!」
ハデスは剣を捨て、蛮族王に頭を下げる。無言で見つめてくる、仮面の王に慈悲を請う。
実の父から見捨てられた、セリスの命を救ってくれと嘆願する。
「ありがとう、ハデス。でも私はフラン王国の王族の責任を果たすわ」
「セリス!」
「死ぬ前に……こんなに美味しいものを食べられて……もう、後悔はないの……」
ハデスの嘆願を聞きながら、王女セリスは覚悟を決めていた。
価値の無かった自分の命一つ。これで無用な争いが止められるのなら、命は惜しくないと。
先ほどまでの大粒の涙は止まり、そこには覚悟を決めた王女の顔があった。
「でも、本当は……もっと外の世界が見たかったかな。川や草原や……」
少女は最後に一粒だけ涙をこぼす。
これまでの短い人生を、この古びた塔だけ過ごしてきた。
「そして、もっと美味しい食べ物を、食べたかったわ……」
本当はもっと色んな光景を見て生きていたかった。
そうつぶやきながら目を閉じる。自分の命が散るのを覚悟して。
◇
「我が王の決断を下す」
その時、王の側に控えていた幹部が口を開く。蛮族王の決断の言葉が発せられるのだ。
「えっ? ……風……?」
橋の上の状況を静かに見守っていたミリアは、思わず言葉を発する。
先ほどと同じ風が通り過ぎていった。蛮族王から放たれたその風は、静かにセリスに届く。
「我が王は言う。フラン王国の第二王女セリス。王の剣の風にて死した。故に戦は終わりだ、と」
幹部がその言葉を発すると、何かがボトリと音を立てて地に落ちる。
それは死を覚悟した少女の首元から落ちた音だった。
この場にいた誰も反応できなかった蛮族王の風の斬撃。それが放たれていたのだ。
「セリス!」
この場にいる者の中で、ハデスだけは蛮族王の動きが見えていた。
そして隣の少女に視線を向けて、声を悲痛な声をあげる。
「そんな……」
先ほどの蛮族王からの風の斬撃。あれは剣筋的に、間違いなく彼女の首を落としていた。
セリスの死をハデスは覚悟していたのだ。
「そんな……生きているのか……?」
だが少女は無事であった。
祈るように目をつぶっていたセリス。その首から上は無事に繋がっている。
「では……先ほどは何を斬ったのだ……?」
蛮族王の風の剣は確実に何かを切断していた。
ハデスはふと少女の足元に視線を向ける。
「髪……だと?」
そこに落ちていたのは少女の髪の毛であった。三つ編みに結われた束だけが落ちている。
蛮族王の風の斬撃は、セリスの髪の毛だけを斬り捨てたのだ。
「いったい何故……命を奪わず、髪の毛だけを……」
ハデスは蛮族王の意図が理解できずにいた。
なぜ髪の毛だけを斬ったのか。そして何故それをもって第二王女の死を宣言したのかと。
「“髪は女の命”……オレの故郷の言葉だ」
「何だと?」
そんなハデスに向かって、黒髪の青年が口を開く。
女性にとって髪の毛は命と同じ価値をもつ。つまりセリスは髪の毛は斬られて、王女としての命を失ったと語る。
「王女でなくなった者は、もう塔の中にいる必要はない。自由の身だ」
青年はそう言いながら城門の外を指差す。
生まれてから飼い殺しにされていたセリスは自由を得たと。“災厄の王女”ではなく普通の少女として、これからは生きていけるのだ。
「私……生きているの……それに自由に……」
セリスは目を開け、自分の状況に言葉を詰まらせる。
死を覚悟していたにも関わらず生きていたこと。そして自由を得たことに感動していた。
「でも、私……どうやって生きていけば……」
それと同時に不安に襲われる。
これから外の世界に出て、どうやって生きていけばいいのか。生まれた時から塔の中にいた彼女は、生きていく術が分からないのだ。
「オレは給仕人を探していた。行く当てがなければ、手伝え。亡国の少女よ」
「こんな私でも、大丈夫なの……?」
「やる気さえあれば大丈夫だ。三食の賄いメシ付きだ」
「うん……私……頑張る!」
黒髪の料理人の問いかけに、セリスは元気いっぱいに答える。
城を出て、普通の少女として生きることを選択する。その大きな瞳にはもう涙はなかった。
「そういえば、お前の料理の仕上げがまだだったな」
セリスが料理を食べ終えたのを確認して、青年は次の料理に取りかかる。
「お前は……この絵だ」
黒髪の料理人はハデスの料理の仕上げにかかる。
先ほどと同じようにナイフでオムレツを切り、ケチャップで何かを描いていく。
「この絵はいった……」
セリスの新たなる人生の瞬間に、ハデスは放心状態であった。
更に自分の目の前に描かれた絵を見て、傭兵は言葉を失う。それは簡単な絵であるが、どこか懐かしい感じのする光景であった。
「それは“剣士花”だ」
「“剣士花”だと? これは……」
青年の説明をハデスは小さく繰り返す。
地獄の戦場だけに生きてきたハデスは、しゃれた花の名など知らない。だが描かれた花の形には見覚えがあった。
このフラン王国の領土の内の、街道沿いに咲いていたのを覚えている。
「その花言葉は“永遠の忠義”と“家族”だ」
「永遠の忠義と……家族だと……」
ハデスは口の中で、その花言葉をつぶやく。
いつも何気なく目にしていた花の想いの意味を。自分の胸の中の想いと重ねて、何度も呟く。
「黒髪の料理人……お前は……」
「オレの名はサエキだ。お前もオムライスも早く食え。食いしん坊の公女が狙っているぞ」
「ああ、そうだな……ちょうだいする……サエキ」
ハデスは目の前にあるオムライスを、スプーンですくう。
料理は時間が経ち既に冷めていた。
だが冷めてもなお、そのオムライスは柔らかった。
「知らなかった……食事は……こんなに美味いものだったのか……」
「ねえ、美味しいよね! 美味しいよね、ハデス!」
「ああ……そうだな、セリス……」
オムライスを口に入れて、ハデスは身体を震わせる。
生まれた時から傭兵団にいて、まともな食事など口にしたことはない。これまでの食事といえば死なないために食べる作業であった。
「でも……サエキ。少し、味付けがしょっぱ過ぎるぞ……このオムライスは……」
「人間の涙には塩分が含まれている。だからだ」
「そうか……オレの涙は、しょっぱいのか……」
サエキの言葉でハデスは気がつく。
自分が大粒の涙を流していたことに。
生まれ始めて流した自分の涙の味に、心の底から驚いていた。
「ねえ、ハデス。私も料理が上手くなったら、オムライスを作ってあげるね!」
「ああ、セリス……楽しみにしている……」
死神と呼ばれた男は、何度も何度も料理を噛みしめる。
これまでの灰色の人生を塗り替えるように。
「ああ……本当に……美味いな……」
そして新しい自分の人生を確かめるように。
◇
この日。
フラン王国は蛮族軍に制圧される。
王国としてのフランは消滅して、蛮族軍の直轄地となる。
だが愚王によって圧政を強いられていたフラン地方は、これまでないほど繁栄をしていく。
そして、それから十数年後。
大きく成長した第二王女が凱旋によって、フラン王国の自治は復活する。
かつては死神と呼ばれた剣士の助けのもとに。
◇
「ねえ、ハデス! 早く遠征軍に合流しましょう!」
「ああ。急ぐな、セリス。転ぶぞ」
「団長はセリスお嬢に、過保護すぎますぜ!」
「親バカ……って、やつだな!」
『降伏をした国は大森林遠征軍への軍役の義務が生じる』
傭兵ハデスは自ら名乗りをあげて、蛮族軍の大遠征に加わる。
自らの率いる鮮血傭兵団と。そして新たに養女となった少女セリスと共に。
(サエキ……か)
不思議な黒髪の料理人に恩を返すために、死神と呼ばれた傭兵は新たなる道を選んだのであった。