第10話:死神と塩味のオムライス(前編)
蛮族王は蛮兵を率いて大遠征を進めていた。
人間離れした圧倒的な武を有する蛮族軍。東部でも有数の商国サガイも彼らに併合される。
そして小国であるフラン王国にも、その蛮兵の剣は達しようとしていた。
◇
蛮族軍との野戦に大敗したフラン王国は、愚かにも徹底抗戦を選択する。
そして圧倒的な蛮族軍に攻められ、フラン城は陥落寸前であった。
「ハデス団長、塔の立て籠もりの準備は終わりました」
「そうか。あとは下がっていろ」
鮮血傭兵団の団長ハデスは、部下たちを後方の塔まで後退させる。そして自分は一人だけ塔へ通じる橋の上に残る。
「さて、待たせたな」
ハデスはそう言い放ち、真紅の剣先を塔の反対側に向ける。外からの客人を待たせる趣味は、この剣士にはない。
「鮮血傭兵団のハデス! このフラン攻城戦の勝負はついた! 降伏しろ!」
「このフラン城で残るは、その塔と第二王女のみだ。大人しく引き渡せ!」
ハデスの剣先にいたのは蛮族軍の騎士たちであった。
正確に言うならば蛮族軍に合流した諸侯軍。彼らも蛮兵と共に、このフラン城の攻城戦に加わっていた。
「能書きはいい。こいつらの次に死にたい奴は……こい」
ハデスは騎士たちの勧告を無視して、足元を剣で指し示す。
その足元には数十の騎士たちの亡骸があった。全てが一刀両断のもと斬り捨てられている。
「くっ……我が鉄鎖騎士団の誇る騎士たちが……」
「我ら紅蓮騎士団の猛者どもが、こうも一方的に……」
ここにいる諸侯軍の騎士たちは攻めあぐねていた。
彼らの狙いはこの先の塔に逃げ込んだ、フラン王国の第二王女の身柄。だが塔に行くにはこの一本橋を抜けていく必要があった。
「何だったら、また十人同時でもいいぞ」
だが騎士たちは足止めをくらっていた。
塔まであと一歩というところで、信じられないこと事件が起きていたのだ。
たった一人の剣士。傭兵ハデスによって、騎士団が返り討ちに合っていた。
数人がかりで斬り込んでも、未だに突破すらできていない。
「死神ハデス……化け物め……」
「金のためなら誰でも殺す亡者め……」
騎士たちは激怒しながらも、侮蔑の言葉を発することしかできない。
何故なら数十人もの腕利きの騎士が、一人の傭兵によって一刀両断にされている。
弓矢も通じず、逆に“矢返し”の剣技で被害は増大するばかり。
たかが第二王女を一人捕えるために、これ以上の損出は騎士団の名誉にかかわる。
「ふっ。噂に名高い蛮族軍だと聞いていた。だが期待はずれだったな」
ため息をつきながらハデスは剣を鞘に納める。
だが隙は全くない。一歩でも間合いに近づけば、また閃光のような抜刀術は放たれるのだ。
「かかって来ないのか? その気になればオレは三日三晩、寝ずに戦える。別に持久戦でも構わない」
信じられないことにハデスはたった一人で、塔へ通じるこの橋を死守するつもりである。
ここ通るためには鬼神のような剣士を倒すしかない。
「くっ……」
「こんなところで失態は……まずいぞ……」
諸侯たちは焦っていた。
何故なら彼らは蛮族軍として、この戦で手柄を立てる必要がある。
『遠征軍への軍役の義務。戦の手柄に身分の差はない。平等に恩賞を与える』という軍規に従い、残してきた母国のために戦っていたのだ。
◇
「通してもらうわ」
そんな諸侯たちが攻めあぐねていた時。後方から別の騎士団が到着する。
「これは……バルカンのミリア公女」
「ええ。ここから先の交渉は私に任せて」
やって来たのは元バルカン公国の公女ミリアと、配下の騎士団であった。
蛮族軍の中では交渉の役職に就いており、他の諸侯からも一目置かれている。他の騎士団はミリアのために道を開けて通す。
「鮮血傭兵団の団長ハデス……という名かしら? このフラン城は陥落寸前よ。降伏してちょうだい」
ミリアは蛮族軍の正式な使者として、ハデスに降伏勧告を伝える。
今の状況としては終戦間際だと説明しながら。
両軍の戦力差を測れず、籠城戦を選択したフラン国王は既に戦死。他の王族や幹部たちも捕獲済み。
この戦の大勢は決したとミリアは冷静に伝える。
「バルカンのミリアとやら。たしかにフラン国王は愚かだった」
ハデスは自虐的に今回の戦の経緯を鼻で笑う。
隣国から“愚王”とも呼ばれたフラン国王は、何を思ったか蛮族軍からの使者を斬り捨てていた。
そして止める家臣たちを排除して徹底抗戦を決断。己の王の地位の保身と、下らない利権を守るために。
「それなら降伏しなさい。あなたも蛮族軍の目的は、分かっているのでしょう?」
ミリアは静かに説得を続ける。
蛮族軍は攻め込む前に、相手国に勧告をしている。
『もしも徹底抗戦を選択した場合は、容赦なく攻め落とす。その先導者は責任を取らせるために、すべて斬首』という内容である。
「その塔にいる第二王女を捕えたら、この無用な戦は終わるのよ」
つまり指導者である国王の一族の者。つまり塔の中の第二王女を捕えたら、他のフラン兵は助かるのである。
もちろん雇われていただけの、ハデスたち鮮血傭兵団の命も全員助かる。
「たしかに愚かな戦を起こした責任は、国王一族にある」
「そうでしょう、ハデス」
「だが、断る」
「えっ……?」
まさかのハデスの返答に、ミリアは言葉を失う。
噂ではハデスという傭兵は、判断力に優れた人物だと聞いていた。傭兵をビジネスと考え、利益をもって動いていると。
ゆえにミリアも理詰めをもって、冷静に説得をした。
だが今のハデスは明らかに、何か個人的な感情をもって動いている。
「悪いが、あの少女……第二王女とオレは約束した。だから、ここを通すわけにはいかない」
小さくそう言い放ちハデスは、再び真紅の剣を抜く。
そして剣先を無防備なミリアに向かる。交渉は終了して、ここからは剣の時間だと言わんばかりに。
「ミリア様、お下がりください!」
「アラン……」
主の危険を察知して、一人の騎士が前に出てきた。バルカンの近衛騎士であり、ミリアの側近である騎士アランである。
「ほう、少しは骨がありそうな奴が出てきたな」
アランの全身を観察して、ハデスは笑みを浮べる。一瞥しただけでアランの騎士の腕を測ったのだ。
「ミリア様。このハデスという傭兵は、金で人を斬る快楽者です。説得は意味を成しません」
「でも、アラン。私には違うように見えるの……」
あくまでもミリアは説得を続けようとする。
だがハデスの鋭い剣先は、徐々に近づく。もはや話し合いは不可能な状況となっていた。
「くっ……」
ミリアは説得を諦めて、一歩後ろに下がる。
だが、ここままでは更なる犠牲者が、傭兵の剣の前に倒れていくであろう。それほどまでに死神ハデスは圧倒的な死の臭いを放っていた。
◇
「んっ……?」
そんな時だった。ミリアは何かに気がつく。
自分の脇を“風”が通り過ぎていったのだ。
「……王の御成りだ」
「えっ……?」
そして、どこからともなく声が聞こえる。
その声にミリアは聞き覚えがあった。
いつも蛮族王の側に控える幹部の一人のもの。無言の蛮族王の代わりに代弁する“声”の者である。
だがミリアが周囲を見渡しても姿は見つからない。
「い、いつの間に……」
その出現にいち早く反応したのはアランであった。前方に視線を向けて声を震わせている。
「えっ……そんな……」
次に反応したミリアも視線を前方に戻し、そして言葉を失う。
何故ならいつの間にかそこに、一人の戦士……蛮族王がいたからである。
「まさか王が……自ら……」
ミリアは自分の目を疑う。
その者は異彩を放っていた。
不気味な呪術の描かれた仮面を被り、金色の獣の毛皮をまとっている。
立っているだけで、その全身から覇気が発せられていた。
「ほう、こいつが噂の蛮族軍の総大将……蛮族王か?」
ハデスは突然目の前に現れた、蛮族の王を見て笑みを浮べる。
密集する騎士団の隙間をどうやってすり抜けてきたか、ハデスですら見当もつかない。
だが見るかに猛者である蛮族王の登場を、心から喜んでいた。
「我……ここに死地を見つけたり……」
そうつぶやきハデスは剣を上段に構える。
これまで一度も見せたことのない本気の構え。この剣士はここまで全力で戦っていなかったのだ。
「早まるな。真紅の剣士よ」
蛮族王の側に控える幹部が、ハデスを制止する。戦いの時間はもう少しだとだと。
いつものように王の言葉を代弁する。仮面の蛮族王は終始無言を保っていた。
「“腹は減っては良き戦はできぬ”と……我らが王、メシを所望している」
黒装束の幹部はそう宣言して、指をパチンと鳴らす。
静まり返った橋の上に、乾いた音が鳴り響く。全員視線がその指先に注目される。
「メシ番……メシの準備だ」
「ああ、分かった」
幹部のその合図に反応して、また新たなる者が姿を現す。
「えっ……サエキ⁉」
「いっ、いったいいつの間⁉」
突然のことにミリアとアランは、またもや言葉を失う。
そして自分の目を疑う。
何故なら携帯用の調理台をもった黒髪の料理人が、どこからともなく橋の上に現れたのだ。
「キサマはいったい何者だ……」
ハデスは剣を構えたまま、黒髪の青年を殺気と共に睨み付ける。
先ほどの蛮族王と同じく、この者も気配を全く感じさせなかった。間違いなく腕利きであり、異質な料理人として警戒している。
「さて、メシを作る時間だ」
だが黒髪の青年は一向に気にかけていない。
こうして真紅の剣を向けられたまま、メシの時間が始まるのであった。