二、
気が付けば酷く見慣れた、されど現実ではあり得ない場所に突っ立って風に吹かれていた。
そもそも今日俺は、ログインした記憶がない。
幾度となくログアウトを念じてみても、両目が映し出す景色は枯れ木と鬱蒼と茂った寂れた世界だけ。
三つの情報が合わさって意味することは、即ち。
「……と云う訳で、果たして俺はどうするべきなんだろうな」
途方に暮れた俺の声が、だだっ広く殺風景な草原に零れ落ちる。勿論、解決策どころか人の返事すら戻っては来ない。此方を窺う妖の獰猛な唸り声なら其処彼処からわんさか返ってくるが。
「――目が覚めたら、そこはゲーム世界だった」
今度は何処ぞの有名な小説のプロローグの雰囲気を真似して呟いてみたが、迫りくる心細さは和らがなかった。むしろ虚しさが追加されただけだ。止めよう、これ以上いたずらに自分を痛めつけるのは。
ここは巷に溢れるそういう設定のセオリーに則って、なけなしの冷静さを総動員して、取り敢えず自分の姿を確認してみることにしよう。そうするべきだ。
先ずは足先から、草臥れた草履、小袖、帯、真っ白な羽織り。それとは別に中には肌着を着込んでいる。以上。『大江戸巷説帳』にログインした時と、何ら変わりがないようだ。
「てことは」
前髪を数本、力任せに引っ張ってみる。限局した痛みと共に、柔らかい髪の毛が指に絡み付いた。澱んだ空に翳して見たそれは、手触りの良い癖っ気を伴った白銀。つまり。
「見た目は『社』のまんま、なのか」
見飽きたとさえ言い切れる、血の気の失せた細面を思い浮かべ、俺は小さく息を吐いた。まぁ、良い。面立ちも体格も、実は現実の自分とそうは変わらない。立ち居振る舞いに殆ど違和感を覚えないのは、そう云う事なのだろう。
さて、外見チェックが終わったならば、次にすべきことは『お品書き』画面が起動できるかどうかだが。
――『お品書き(メニュー)』。STR・INT・VITやら、普通にローマ字を使用している癖に、お品書き。運営側が和風で統一したいのか、和洋ごっちゃなファンタジーを目指しているのか分からなくなるメニュー画面。それを呼び出してみようと思う。
操作は至って簡単。ぱちん、と厨二臭く指を鳴らす動作を行うだけだ。
「お、出る」
眼前に、白い半透明の画面が現れた。ステータス、という文字へ指を伸ばす。直ぐに職業やレベル、ATX・DEFといったキャラクターの基本性能の他に、所持金やら装備やらを記した文字が表れた。
さて、まずは職業欄の確認からいこうか。『呪術師』と、直ぐ下に『薬師』の表記。それぞれ隣にはレベルが添付されている。二五〇に、二四七。馴染みある数字だ。
次に所持金。これまた見慣れた十桁の数字が整然と並んでいた。自前で装備を揃えきった挙句、大将戦(ボス戦)で大量に稼げるお金には殆ど使い道がなく、貯まるに任せていた結果がこれだ。これが現実世界ならば、俺は即座に大学に退学届を提出して、悠々自適に自室へと引き籠っていただろう。
最後に、『お道具箱』。傷薬を筆頭に毒消し、麻痺治し、火傷薬など状態異常を改善する薬が勢揃いしている。これらは妖を倒した際に稀にドロップするのだが、そもそも俺の副職業が治癒を専門とする『薬師』な時点で必要ないわけで、またもや貯まるに任せた結果がこれだった。
他には呪いの羽織りや、呪いの藁人形、呪いの帯留めや呪いの簪、……別に俺は呪いのアイテムばっかり好んで集めていたわけではない。ドロップするから拾っただけだ。深い意味はない。ないったらない。
「まぁ、これで『大江戸巷説帳』の世界だと、ほぼ決定してしまったわけだ……」
これで画面の左上にログアウトの五文字が躍っていたら、全てが万々歳だったのだが。現実、いや、非現実か? は、そうそう簡単には進まない。世知辛いのは何処でも一緒。青少年は苦労すべき、って奴か。良い迷惑だ。
「……移動でもするか」
俺は思考を一旦停止させ、澱んだ雰囲気を醸す草原のなれの果てを見渡した。
此処で呆けて突っ立っていた所で、どうせ状況は一ミリたりと変わらないのだろう。ならば留まる理由は皆無だ。それにさっきから爛々と輝く異形の怪から注がれる熱視線が鬱陶しい。幾ら低レベルの妖しかいないからと言って、俺は一晩を其処で過ごせるようなモノ好きでもない。
ここは一先ず、冷静になった頭で居住区『都』へと向かうべきだな。そう結論付けて、俺は右足を一歩、大きく前へと踏み出す。
意外と冷静さは失ってないみたいだ、流石だ、俺。
自分を褒め称えることで湧き上がってくる様々な憶測や混乱に意識して蓋を被せて、見慣れた、しかし本当の意味では馴染んでいない荒れた野道を一歩一歩進む。
体感的に一時間も歩き、舗装されてない砂利道に足を痛めたところで、ふと、『都』までの転移陣を持っていたことに気がついて、脱力感に襲われてへたり込んでしまったのは、まぁ、あれだ。幾ら冷静さを装ったところで、所詮は虚勢を張っていただけだって改めて突き付けられたわけで。
出来れば見なかったことにしておいてくれ。