一、
知っていますか――――。
iOS 10に更新すると―――。
イベント途中だろうとなかろうと―――。
某魔法少女には会えないと云う事を―――。
昔から、俺は日本という国の歴史が好きだった。
小学生の頃は図書館に入り浸り、想像図がたくさん載っている図鑑を借りては自分がその時代で生活しているかのように空想し、中学生に上がれば各時代の生活を記した本を貪るように読み漁っては『御免!』が罷り通る様子を、目を輝かせて妄想した。
そして青い春の代名詞でもある高校時代。いや実に最高な娯楽だった、国語便覧と歴史便覧は。当時の生活を再現した絵を眺めるだけで、級友の口元を引き攣らせてしまう位にはだらしないにやけた面を晒していた自覚はある。
ここで先に断っておく。俺は確かに歴史が好きだが、所謂学校で教え込まされるような平安時代の文化がどうの、鎌倉時代は誰が政権をとっただの、そんな四角四面なお勉強知識を好いているわけじゃない。自慢じゃないが、記憶力という現代日本に必要最低限な必須スキルを母親の胎内に全て置き去りに誕生してきた俺にとって、今まで読み漁ってきた本の知識でさえ目から入って両鼻の穴から出て行ってしまっている自覚はある。数学やら英語やら化学やら、他の教科に比べればマシな結果は残せたが、飽くまで平均点付近で上下していただけだ。つまりが俺の歴史好きは、ある種の現実逃避とも良く似ているものであり。……まぁいいな。そんなことは。
話が長くなったが、繰り返すように俺は歴史が好きだ。いや潔く言い換えよう。大通りで自動車が排煙を撒き散らすことなく、街角で携帯電話を相手に謝り倒すサラリーマンがいない、現代文明ともいえる電力と無縁で長閑な環境が焦がれて止まない理想郷なのだ。
――だからこそ俺は、今現在置かれてしまっている状況にそこまで混乱することも、呪詛を吐き散らさずにもいられる。
さてここで、俺が置かれた現状を聞きたくてしょうがないと貧乏揺すりしている諸君、ちょっと待ってくれ。急いては事をし損じるという有名な諺がある。大きく吸って、大きく吐いて。吸って、吐いて、心を落ち着かせて。良し、少しの間これを繰り返していてくれ。その間に俺はとあるVRMMOについて説明しておくから。
とは言っても技術革命期の時代でもあるまいし、VRMMOとは何なのか世間様に周知される存在になったのだ、改めての説明は不要としてさくっと割愛する。俺が話したいのは『大江戸巷説帳』って言うタイトルについてだ。
全く聞き覚えがない? それは重畳、あったらこっちが驚きに両目をかっぴらいて眼球が乾いてしまう所だった。『大江戸巷説帳』なんて、マイナーと呼ばれるタイトルの中でもマイナー五本指に入るVRMMOなんだから。
そんなキングオブマイナーなゲームを何で俺が知っているのかは、古き生活への溢れんばかりの愛の賜物だとしておこう。大学で所属するサークルの先輩から勧められたのだと真実を明かした所で、一体その先輩は何処からそのゲームの存在を知ったのか疑問が湧くわけで、真実追究が某北国のお土産として有名なかのマトリョーシカ並みに切りがなくなってしまう。
取り敢えず、『大江戸巷説帳』というVRMMOがあった。そこで俺は廃人だった。その事実だけが重要だ。
簡単に世界観を説明しておこう。日本の古都、京都を思い浮かべて欲しい。碁盤の目のように整然と並んだ区画毎に居住区を初めとして店や茶屋が軒を連ね、都の中心には大きな御所が据えられている。町を行き交う人々は着物に髷にちらほらと帯刀者、つまりは江戸時代を想定してくれればイメージに大きな齟齬は出ない筈だ。
目の前に広がった古き良き街並みに、感動のあまり奇声を上げてぶっ倒れたっけな。初ログインの甘酸っぱい思い出だ。
次の日、お教え下さった眼鏡が素敵な先輩様には感謝の気持ちからステーキセット(ドリンク・スープバー込み)を奢って差し上げた。ファミレスで。
それからの生活はもう、睡眠時間を極限に削ってのめり込む日々。現実世界<大江戸世界。費やした時間を天秤に載せたら、圧倒的な質量を以て仮想世界へと傾き沈む。
ちなみに『大江戸巷説帳』だが、システムはそこらのVRMMOと何ら代わり映えはない。STR・INT・VIT・AGI・DEX・CRTにステータスポイントを振ってキャラは強く成長していく。就ける職業も侍、呪術師、薬師、忍者、舞妓など最低限はそろっている。
ここまで聞いて、だったら何故このゲームがマイナーとして日陰で燻っていたのか疑問に思う人が出てきたかもしれない。幾つか原因はあるのだが、致命的な理由としてはマップが四ヶ所しか存在しなかったことが挙げられる。妖を狩る場が三つと、『都』という居住空間。それで全てだ。
次いで、初期設定で性別が男しか選べなかった。意味が分からない。女性用髪型や女物の装備も揃えられているというのに、何故にそこで制限を掛けたのだ。これでネカマを信条とするプレイヤーや、いわゆるオタサーの姫(笑)達が排除され、更にプレイする人口が減少していく。
最終的に残ったのは俺みたいな現実逃避型の変人と、変人と、変人だけだった。見渡す限り変人の頭しか見えないとは、これ如何に。
まぁそもそもこのゲームは、金持ちの道楽で暇潰しがてらに作り出されたものだと、数少ないプレイヤー達の間でまことしやかに囁かれていたシロモノだ。実際に運営側のやる気のなさが惜しみない称賛を差し上げたい所まで到達していたから、それは限りなく真実に近いと思っている。問い合わせのメールに自動返信すら行わない会社なんて、顧客第一な競争社会で存在し続けていること自体が奇跡だろう。ちなみに二年経過した今も音信不通なのは言わずもがな。
とはいえ俺にとっては充分に全てが遠くない理想郷たり得たわけで、毎日飽きずにログインしては、建物を舐めるように眺め、行き交う人々を蛇のように観察し、親しくなった変人プレイヤー達と談笑しながら妖を狩っていった。
そうして過ごした、満ち足りて幸福な日々。二年も経てば『呪術師』レベルは二五〇とカンストし、サブである『薬師』は二四七とかなり高レベルへと成長していた。途中、お巫山戯から仲間達と組合『公共職業安定所』を設立して組合長に就任し、他の組合と狩りを競ったりと、和やかな中にも適度な刺激を自分達で追加して楽しんでいた訳で。
まぁ確かにずっとこの中で暮らしていけたら楽しいだろうな、って出席日数的に単位が危うい講義を聞き流しながら逃避していたのは認めるが。
けどな、誰が実際に『大江戸巷説帳』の世界に、取り残されてしまうなんて思うんだ?