前編
「俺は許されるんだろうか」
不安の色を見せる我が弟子の背中を優しく叩く。
この一年でお前は随分変わったさ。誠意を見せて来い。
口下手なりに精一杯の激励を送れば、弟子もとい、日野原毬也は頼りなげな口元を引き締めて背筋に力を入れる。
うんうん。君は顔は超一級なのだから、つけられる格好はどんどんつけなさい。
「誠心誠意を持って謝り、改心した事を告げなさい。そしてお前の方から愛の言葉を囁くのです。さすれば春は訪れよう」
向こうの選択次第だがな。
本心は声に出さず、耳に良い言葉だけを連ねる。
でもまあ、私の目から見ても概ね成功するだろう。ほぼ十割で勝ち戦である。
「あんたは最後まで変な奴だな。でも、ありがとう」
聞き様によってはちょい不吉なフラグ発言だが、これから愛の告白という戦地に赴く男に水を差すわけにもいかないので素直に謝辞を受け取った。そして遠くなる背中を見送って、私は盛大に溜息をついた。
「あー、くっそなげぇ一年だったなぁ! これでしくじったらやり直しだったらマジキツイんですけど、まったく……」
ごちて空を仰げば、冬の頃より色づき始めた水色のスクリーンを背景に桜の枝が四方に広がりを見せていた。
花はまだ咲かぬ三月一日。シナリオ通りなら、今日がエンディングなのだが、私の長い夢はどこで終着を迎えるのだろうか。
この先私はどうなるのか。
あの人の未来は、世界の結末はどうなるのか。
懐郷の念と揺れる乙女心とどっちつかずに彷徨う私を此処まで繋ぎ止めた存在を待つ。
待合わせの約束はしていない。
校内の隅に生える古い桜の下で私が待っているなんて彼は知らないし、約束なんてするような仲でもない。
でも、彼がもっとも望まなかったエンディングに導いた私の意図を聞きたがる筈だという確信はあった。
彼にとって、最大の邪魔者で、言うなれば敵という存在の私が何者か知りたい事だろう。何度もはぐらかしたのだから。
自分と同じ存在なのか。
必ず聞くだろう質問の答えは、「近しいが、ノー」
私の本当の精神は此処とは違う世界軸にある。……おそらく。
何が目的なんだ。
想定される質問を浮かべていると、待ち人は静かに現れた。
静かなのだが速い足運びと、姿勢の良い立ち姿を眺めてやっぱり毬也と似てるわって思った。
歩き方って遺伝するものとは思えないけど、この一年長く見守って来た存在との共通点にちょっと切ない気持ちが胸に広がる。
それを指摘しちゃうと、私は物凄く嫌われるんだろうけどさ。嫌われたくないから言わないけどさ。つっても手遅れなんだけどさ。
私だって頑張ったこの一年、ちょっとくらい本音を漏らしてもいいよね。バチは当たらないよね。
弟子が勇気出すなら師匠も今やらなきゃダメじゃん! なんて屁理屈? 自己満足?
自己満足だ。これは私のエゴで出来た物語だ。
心の中の自分を見つめ、開き直って、私は目の前の儚げな少年を見つめた。
陽に透ける濃い茶色の髪が柔らかそうで触れたくなる。
憂いを帯びた瞳は未来への不安と、恐怖かな。私が抱かせた。
ごめんなさい。
あなたの望む結末にさせてあげられなくてごめんなさい。
私が心の中でそんな懺悔を叫んでいるとは知る由もない彼は、美山麦は、固い声で追及する。
「呼水さん、あなたの目論見通り彼女はあの男を選んだよ。満足?」
押し隠しているが漏れ出ている怒気に胸が痛い。でも同時に安堵する。
「それじゃあ、君は消えないんだよね」
爪先から髪の先まで眺めて異変がないのを確認して、今度ははっきりと胸を撫で下ろす。しかし美山君の顔はますます強張るばかり。
誰にも明かしていない秘密を言い当てられたらそうなるのも無理もない。
私の存在って、その点でホント気持ち悪いよな。
だから正直に謝ろう。
「我儘やってごめんなさい。私、美山君が幸せになれる生存ルートをどうしても開拓したかったんだ」
ついでに目的も暴露する。
「はい?」
美山君がキョトとするのも理解する。メタ発言だもんね。メタメタのヘビメタだ。
彼はこの世界の時間軸には本来存在しない存在だが、私だってこの世界に存在している筈のない存在なのだ。
私はこの世界を外側から見ていた。
ゲームと言うソフト媒体を通して、この世界をシナリオとして追体験して来たのだ。
して、何処から話しましょうかーー。
『世界が終わる、その前に。』
そんなタイトルの女性向け恋愛シミュレーションゲームがありました。所謂“乙女ゲーム”と呼ばれるジャンルの恋愛ゲームだ。
大まかなストーリーとして、幼馴染みのイケメンに中学時代にこっ酷くフラれたヒロイン美山みのり(デフォルト名)は、以来恋愛恐怖症を抱え、高校生活を日陰者として過ごして来た。
一年を暗く地味に送って来た彼女だが、二年生への進級を目前にした春休みに「未来のあなたの息子」だと名乗る、同年代くらいの男子に世界を救う為に恋愛をしてくれとせがまれた。その男子こそが美山麦である。
導入部分をざっくりと説明。
未来では原因不明のウイルスが世界規模で蔓延し、手の施しようなく人類は絶滅寸前に陥る。そんな中、唯一の抗体を持つ人類と判明したのが美山君だったのだが、ある日、抗生薬開発途中で彼の存在が曖昧になる事件が発生。原因は彼の母親であるみのりが恋愛恐怖症により、美山麦を産むという可能性が激減したからだ。
世界を救う為、仮初めの肉体で過去に渡った美山君は彼女のトラウマ克服をサポートしに来た……と言うなんちゃってSF仕様ストーリー。
攻略対象は五名。重要なのは彼女の遺伝子を継ぐ男子で、父親は誰でも大丈夫! ご都合主義とか言わないの。これはフィクションです。
それからのみのりさんは女を捨てていた一年のブランクもあるので、恋愛恐怖症を克服しつつ、教養、魅力、運動、コミュ力、器のパラメータを上げる日々が始まるのです。何故なら未来の世界が彼女の子宮にかかっているから。
シナリオの期間は高校二年の一年間となっていて、最終日の三月一日に、一番好感度の高い男子に告白しに行くイベントが発生するのだ。
なんとも王道展開。因みに攻略対象も王道だ。だけどそこが良くて、大学受験を控えていたのに私はフルコンプで攻略したっけなぁ。
シンプルだけど、攻略対象と心が近づく度に傷口が痛んで一歩踏み出せないヒロインの葛藤が切なさを生んで琴線に触れたのだ。
美山君はそんな彼女の良きサポートキャラ。攻略対象の好感度や、趣味、好みとか教えてみのりさんの背中をとにかく押す。時には辛口で押す。
誰よりもヒロインの味方で、ヒロインを想っている健気な美少年。しかし彼は未来の息子という設定の為か絶対に攻略不可なのだ。
下手すれば攻略対象以上の人気を誇る美山麦君は、ファンから“攻略出来ないバグバク”と囁かれた。私もその現実に嘆いた一人です。
そんな美山一派の涙腺が崩壊するのは、最終日前日の二月二十九日。
もう、ほぼ運命の相手が確定すると、美山君は大気に溶けるようにみのりさんの目の前で消えてしまうのだ。
「俺のサポートは終わり。これからのみのりさんは自分の足で立って歩くんだ。あの人が好きなんでしょ。だったら、もう俺を頼ってちゃダメなことくらい分かるよね?」
なんて最後の教鞭を取るわけだ。
みのりさんは泣きながらも別れを決意して、美山君の手を取って告げるんだ。
「未来でまた会いましょ」って。
この時の美山君の無言の笑みのスチルにどれだけ胸が締め付けられたか。フルコンプした後、美山君の独白おまけシナリオを読んだあと、私は更にもがいて嘆いた。
美山君、彼はとんでもない闇を抱えていたのだ。
「美山君さ、世界を救うのに彼女の遺伝子を継ぐ男子なら誰が父親でもいいって話、アレ嘘だよね」
無言で目を見開く美山君の動揺は無理もない。この真実はヒロインみのりさんにも話していない、話せない絶対の秘密なのだから。
「……あなたはどこまでこの話を知っているの?」
「大筋はあらかた、ぐらいかな」
シナリオに描かれた部分だけだから全てを知っているわけではないので、概要部分だけが私の情報になる。それでも彼が隠したい部分は知っていると言える。
そもそも、ヒロイン美山みのりと美山麦が未来の親子だなんて、この母子の間だけの秘密なのだ。表向きの関係は従兄弟。
だから私が彼らが親子という前提で口火を切ればそりゃ驚くだろうよ。何ならもっと驚かせてやろう。
こっからは種明かし。まだ私のターンである。
「美山麦は、美山みのりと日野原毬也の息子。それ以外の男から産まれない。つまり、毬也以外と結ばれた場合、君は存在しないから世界も救われる」
「そこまで知ってるんだ。ホント気味が悪いね、あなた」
ああ、なんともクソ鬱な真相だろうか。何周も回ってフルコンプしたご褒美は知りたくもない、救いようのない未来だとか。
恋人エンド、親友エンド、バッドエンド。それぞれのルートでのエンディングを全て回収すると開かれる、美山麦視点のシナリオは後味が悪い。
どれだけ悪いか説明するのは難しいからバッドエンドについて触れたい。
このシナリオのバッドエンドは必ずヒロインみのりが「自身を振った毬也を忘れられず、傷付いても毬也を選ぶ」と言うものだ。
その時の麦は怒りもするが、最後は泣き出しそうな振り絞る声でこう告げる。
「未来でまた会おう、母さん……」
恋人エンドでみのりさんが言った台詞を美山君が口にする。これが酷い伏線だった。
美山麦は公式の攻略対象との間には産まれない存在。だからみのりさんの「未来で会おう」と言う言葉に、はっきりとした返事をしなかった説明がつく。
ならどうして自分の存在を消す必要があるのか。
簡単だ。彼が世界を終わらせるからだ。
毬也は酷い男だ。幼馴染みで仲の良かったヒロインに心の傷を負わせる振り方をするような奴だ。みのりさんは結果的に彼と結ばれても幸せとはならなかったらしい。
未来で美山君を産んでから暫く、父毬也は外に女を作って出て行く。美山君は母子家庭でみのりさんの苦労を見ながら育った。
裕福ではないが、みのりさんはいい母親で、美山君は父がいる頃より幸せだった。けれど毬也が金を無心しに何度か戻るようになり、ささやかな生活も綻びを見せ、窮したみのりさんはそのまま過労が元の病で亡くなってしまった。
その後、母方の実家で大人になるまで成長した美山君は、自然と医療方面の仕事に就く。医者ではなく、研究者の方で、新薬の開発に情熱を注いだ。
私生活も安定し、良き女性に出会い、婚約を結んだ。その頃に母が亡くなって以降顔を見せなかった毬也が現れた。目的は無論、金である。
父親になんの情も湧かない美山君は素気無くするが、次に毬也は婚約者に的を変えた。ない事ばかり挙げ連ね、義父と言う立場を笠に来て、彼女と彼女の家族に不信感を植え付けた。
程なくして婚約は破棄となった。
婚約者は義父と彼は別だと言ってくれたが、彼女の親はそうではない。美山君も、たとえ縁を切ろうとも一生つきまとうであろう未来を見据えて道連れは望まなかった。
彼は共に歩く人をまた失い、絶望した。
そしてその果てに得たものは殺意だった。
彼は父親の毒殺と言う手段を選ぶ。
毒薬は自ら開発した。人生を奪われた復讐に、自分が人生で得たスキルを用いた結果だ。
体内には残らない毒薬。遅効性で自分の見知らぬところで死に追いやると言う、とても乙女ゲームのジャンルにしてはえげつない手法。
復讐幕は呆気なく閉じた。
警察からの連絡一本で実父の死を知り、彼は泣きながら笑った。
最初からこうすれば良かったと言う思いと、取り返しのつかない過ち。
毬也の死は病死とされ、美山君の罪は誰も知らず、誰にも裁かられないものになった。
でも、この時、既に終末のカウントダウンは始まっていた。
謎の病の発症である。
感染性が非常に高く、自覚症状が出た頃は手遅れの死の病。
職業柄、美山君もこの病に立ち向かい、新薬の研究に取り組んだ。そして、気づいてしまったのだ。
この病原菌は父殺害に用いた毒薬だと。
ウイルス性の毒薬だった。
遺体からか、死に至るまでの間で広まったのか。感染ルートは定かではないが、彼は知らぬ間に人類全てを絶滅へと追いやる、さながら魔王になってしまったのだ。
毒薬を作るのは容易かった。しかし抗生剤は効かなかった。ウイルスの進化の方が早過ぎたのだ。
被害が世界規模に広まり、社会機能も落ち、研究も難しくなった。
栄華を誇った人類の文明も地に落ち崩壊を見せる。
そんな中、美山君は知りたくない事実に気付いた。
自身だけ感染しない事に。
慌てて自身の血液を調べると、彼だけこのウイルスの抗体を持っていたのだ。
どんなに進化しようと耐えうる抗体が備わっていたのだ。
婚約者を失った時にこれ以上はないと思った絶望があった。
今更この環境で人類を救うだけの抗体を増産する機能は残っていない。
自ら命を絶っても罪は償えない。何度繰り返し死んでも足りない。
いっそ生まれなければ良かったんだ。
絶望の淵で彼は声を聞いた気がした。
『ならば、贖罪の機会を与えようーー』
気付くと、若返った自分がいた。
家と、ある高校の転校手続き書類と生活に必要な金額が振り込まれた通帳と身分証が用意されていた。
訳のわからないまま急に崩壊以前の世界に放り出された美山君は、あてもなく何処か見覚えのある街を歩き、ある女性を見かける。
若き日の母、美山みのりだった。
彼は感動に震えた。それから自分のすべき道を知った。
やり直そう。
決して自分が生まれない世界を作り直そう。
そして物語は始まるのだ。
「重いよ! 私ら乙女はイケメンとの恋愛をライトに楽しみたくてプレイしてんのになんだよこの裏設定! 重すぎるわ! 乙女ゲームでのハピエンの裏側に死が付きまといすぎて腐臭がするわ!」
探偵さながら「君の動機はこうだ」と言わんばかりに、見てきたかのように彼の過去をつらつら述べた私はとうとう爆発した。
どうしてこう胃にズシンと来る設定を作ったんだ制作側! ポータブルプレイヤーをクッションに投げ出して叫んだあの日、母に「煩い」と叩かれた痛みを私は忘れない。
あれは一種のトラウマゲームだと思うのよね。それ以来私は受験戦争に突入ってのもあったのも理由に、なんとなく乙女ゲームとは疎遠になっていた。
つまり美山君はある意味で私の最後の男になるのかしら。
……戯言はこれくらいに。
熱くなりすぎて、私の抱える秘密を思わず暴露したことにより、美山君は色々頭を痛めてしまっていた。救済せねば。
「プレイ、裏設定、乙女ゲーム……え、ごめん、なんか俺と次元が違う感じが……」
彼なりに私の存在を究明したかったんだろうけど、阻む壁は容易に越えられないだろう。そうだ。マジで次元が違うんだから。
二次元の壁。
一部の人類が越えたくても越えられない、エベレストよりもオリンポス山よりも遥か遥かに高く聳える壁。
私はその壁を越えた存在。
神様、女神様、勇者様?
とんでもない。
二次元の馬鹿の壁を越えたるは、今にも就活しくじりそうな平凡女子大生、呼水斎様である。