藍猫 太古と神話の世界の話 1
――…………いやっ、まだ死にとうない。
闇の中で白い魂はもがく。自分が死んだという事実を認めずに。
――……いやや、いやや、まだ、小説全部書いてへんねんやっ。
亡くなりかけの意識の端に浮かんだのは、先日拾った黒猫、ソラをモデルに書き始めたファンタジー小説。長編小説の予定だった。ソラが王になって、国を治める話だった。
まだ、一章3万字程度とちょっとしか書いていない。
彼(黒猫の妖怪)の前で、音読して彼を驚かせる予定だった。
迫害と弾圧を受けたと聞いた。前世の僕を探していたと聞いた。
でも、僕は、前世など、覚えていなかった。
彼があんまり必死に、死にかけてまで、前世の僕を、探していたと聞いた。
ただ自分の家に住み着いた黒猫一家の長男、ボス猫だった彼を、気まぐれに構って、餌をやって、寝床をやって、気まぐれに世話を焼き、友達が居なかったのか、彼を話し相手にしていた“前世の僕”というヤツを、60年以上探していたと聞いた。
すごい執念だと思った。
ただ「一緒に居てね? ずっと一緒だよ? ソラ」……と言われただけで、護る義理もない約束を護るため、探し続けていたなんて、なんて義理固いイイ奴なんだと思った。
最初はただ、親戚の墓の掃除を、母に頼まれて嫌々来ただけだった。
すると猫が死にかけていた。ボロ布のようにボロボロな黒猫だった。
ふと思いついて、僕は「困るんだよな~」と呟いた。
心底困った表情を作り、大学の演劇の講義で習った身の振り方を思い出して、まじえながら。
そしたらね、その黒猫は力なく、まっすぐその蒼穹の空の青い目で僕を射抜くんだ。
あんなに綺麗で直向きな眼は、ついぞ見たコトがなかった。
サファイアやターコイズ、瑠璃の色にも見えて、本当に綺麗だった。
身体はボロボロの泥んこまみれだったのに、眼がね、良かったんだよ。
ささくれだった心をすっと救い上げられたみたいだった。
あんなまっすぐ、真正面からこちらを見る眼を僕は久しぶりに見た。……久しぶり? いつ見たかも思い出せないのに、久しぶりに見たと感じた。不思議だね。
彼とは初めて会うはずなのに、懐かしい、会わなくなって数十年も経った幼馴染に会った気分だったんだよ。
だから、戯れに言ってやったんだ。
その日、出かける前に読んでいた電子小説の一節の真似をして。
「こまったな~」と首を傾げて、眉を八の字に下げて、腕を後ろで組んでみた。
感情を込めないのは得意だった。
頭をからっぽにして、動作にだけ集中すれば良い事だったから。
黒猫がこちらに反応したのを確認して、ニヤリと口の端を吊り上げた。
(かかったな!)と、周囲に人が居ないのは確認済みだった。
誰が墓場など、好き好んで行きたがるものか。
ましてや、曼珠沙華さく彼岸の季節でもないのに。
僕は彼に戯れがてら遊びを仕掛けた。
「だってここ、わたしのお墓だもん!」なんて。
嘘に決まってるのに、黒猫はカッと目を見開いて、よろよろと弱弱しく身を起こそうともがくんだ。
ひょいっとつまみ上げたら、人の言葉を喋るし、体の隅から隅までボロボロなのに人を威圧するような覇気は強いし―――面白い、と思った。
人の言葉を喋る猫――すなわち、【猫又】または【猫妖怪】
猫は30年生きれば化生と化す。
普通の猫の寿命は、野良猫で一年もなく、飼い猫でも10年ばかし。
猫に限らず、獣ならば、千年生きれば【神】となる。
猫なら【猫神】、狐なら【天狐】【狐神】、狸なら【大明神】?
とにかく気に入ったから、家に連れて帰った。
親兄弟、親戚連中、爺婆どもまで毎日、毎日喧嘩三昧で、遊ぶ金の欲しさの借金にまみれていたあの家に。碌でもない家に。こっそりと連れて帰った。
ソラと名乗った黒猫を風呂に入れ、逃げようともがく彼を押さえつけて体を洗った。
意外にも毛並みはさらさらふわふわ、僕好み。枕にするのもいいかなどと可笑しな考えを浮かべるくらいだった。体はガリガリだったけどなっ!
彼と猫じゃらしで遊び、餌の魚で遊び、撫でくりまわしたりして彼を健康的に、太くしていった。あの日々は楽しかったなぁ……。あんまり焦らしてやるとソラの声音が半泣きになって、冗談めかして僕は彼の『主』とやらを演じる。
ただの暇潰し。されど暇潰し。だけど暇潰し。
親より先に死んだら、賽の河原で石積か、親不孝の罪で地獄行きだと聞いていた。
だから、事故かなにかで死ぬことを、心のどこかで願っていたのも事実。
まだ死にたくなかった体の欲求も、心の欲望も事実。
恋なんて、したことがなかった。愛なんて、わからなかった。
知らない訳じゃないけれど、わからなかった。理解、したくなかった。
自分が自分でわからなかった。
だから僕は『役』を演じる。
そうすれば、誰か好いてくれる……? 本当の臆病な自分を隠して、僕はあなたの望む『役割』を演じるよ……?
だから殺さないで。棄てないで。裏切らないで……?
僕は人間が怖いんだ。怖くて怖くて仕方がない。たまらない…!!
自分を殺して『役』を演じていれば、成長も喜びも少ない代わりに誰も僕を邪魔にしない。誰かが拾い上げてくれる。鏡の前で研究して作り込んだ笑顔で笑って、僕は周りのみんなが望む『子ども』を演じる。
わたしの年齢は19歳。ある女子大の大学生。まわりは老人だらけ。彼らはどこかで僕や周囲の子に『子ども』のままで在ってほしいと求めているような気がした。
僕は大人になる機会を逸した子ども。大人になり損ねた『子ども』。来年の始まりには二十歳。二十歳、だった。誕生日を迎える前に死んでしまった『わたし』。
内面はとっくのとうに『大人』でも、周りは『子ども』を求めてた。
だから、僕は……『子ども』のまま、成長、しきれなかった……のかもしれない。
なんて、もう終わった事なんだけどね。
ああ~、小説と黒猫が気になる。
パソコンの中身の自作小説と電子書籍の山! 誰か気づいて消してくれない哉~? 壊してくれない哉。
拾ってきた途端、感動に尻尾をぶんぶん振りまくって喜色満面で飛びついてきた黒猫。あの時は思わずはたき落としたが、今なら受け止めてやる。事実と認めていなかった前世とやらも一応、百歩譲って認めてやる。だから――
パソコンの内蔵データを前足で肉球パンチ連打で壊してくれ!!
無理だとはわかっているが、万にひとつの可能性で壊れるかもしれんだろ! 空猫――!! お願い、お願い、母だけには、母だけには、弟にも見られたくない私の脳内がーーー! がががががががっ。
ぜぃ、ぜぃ、はぁはぁ……やめよう。虚しいだけだ。
「《おまえ、面白いな》」
よく言われます。幻聴まで聞こえて来たらしい。いよいよダメかも。
「《もう死んでるのにダメとかないだろ。もう前の人生は終わってんだから》」
そうっすねー。幻聴なのによく聞こえますねー。これから行くのは地獄ですか?煉獄ですか? 消滅っすか? 無ですか? 幻聴さーん。
「《幻聴じゃねーよ。おまえの中の選択肢には『天国』はないのか? 普通、人間真っ先に死んだら天国を思い浮かべるぞ》」
そんな上等な生き方してないっす。生きる屍みたいな生き方しかしてないっす。だから、パソコンの中身だけ消去ぷりーーず!! ついでに猫の様子も気になる。弟、猫アレルギーなんだよっ。アイツが見つかったら捨てられるか、保健所でバッサリに決まってる!? ううわ~、どうしよどうしよ、なんともならん。よしっ!
「《………おう、諦めろ。ところでおまえ、俺の従者、やる気ないか?》」
あんた誰?
「《俺は……××××。狐になっちまった元、○○大学の理系学部所属男子だ。享年22。卒論も仕上げて後はのんべんだらり過ごすだけのはずが、気づいたらこっちの世界に居て、狐になっていた至って普通の……メス狐》」
は?………ちょっ、ちょっと待て!! なんで狐が喋れやがる!? なんで僕ら普通に会話出来てやがる!?
「《俺が霊体状態で、おまえが魂だけの人間だからさ。なァ、質問に応えろよ。俺の従者、やる気ないか?》
ああ、霊体同士で会話ごっつんこ、な~るほど。ポンっと手を打ってハイ納得、じゃっねーよ!! 従者とか後でイイからこっちの質問に答えてくれ、頭がパンクしそうなんだ。なんでテメェの躰と思しき
おいこらちょいテメェ、生きてやがる、よな? なんかもふもふ毛皮の感触が手にあるような気がするんだが、気のせいだよな? 温かいなんて、死んだら感じねェんだろ? わたしは死んでる、よな? そしてアンタの名前が聞き取れへんかったんやけど!!
「《死んだら、感覚とか、どーなんだろうな。死んだけど、俺は今、狐の躰で生きてるぞ~。おまえの肉体らしきモノも生きてるが、抜け殻状態だぞ~。俺の名前は……××……ん? あれ、脳に霞がかったみたいに薄れて………忘れちまったな。世界が違うから、死人の名前は使えないってか? やれやれ、面倒なこった》」
こいつ、面倒で済ましよった!? いやいやいや、もっと追究しようよ。自分の存在証明でショ? 名前がないと不便だよ? 名前ないと他人の認識が顔と口調ぐらいでしか出来ないよ? つかテメェは結局誰だ!?
「《あ~、だから、……ややこしいから『ウカノ』で良いわ。畑作ってるし、周りに人がおまえしかいないし、日本神話のウカノミタマという狐神からとって『ウカノ』で。元は日本のごく普通の男子大学生なんだけどな。言っても通じねェだろ今のパ二くってるおまえには》」
サラッと今名前付けましたね!? お気づかい有難うございます!! 痛み入り過ぎて涙ちょちょ切れそうだわヒャッハ―!
「《おう、泣け泣け。こっちも唯一出会えた自分以外の生命体がこんなに馬鹿で阿呆で面白すぎて涙ちょちょ切れ?そうだわ。なんでおまえは人間で俺は狐でしかも女なんだよ!? 俺も人間の男が良かったぜ、クソッ》
どんまいどんまい。ノーコメント。
「《………くすん。俺以上に余裕ねェヤツに愚痴った俺がバカだった》」
はっ! 僕は馬鹿じゃなくて阿呆なんだ! 僕は阿保の子で遊ぶために産れて来たんだひゃっは~♪ おふっくろさ~ん!
「《はいはい、アホの子な》」
嘘だけどな。キリ!
「《嘘かよ。キリってなんだキリって。なんかの洒落か?》」
知らん。恰好つける時に『キリ』って言ったら格好つくって、ネット用語で言ってた。
「《あっそ。とりあえず、おまえと居たら退屈しなさそうなのはわかった》」
はい、ウカノ先生!
「《なんだ?》」
享年ってなに!? アンタも一度は死んだってことなんか!? ○○大学って、日本の東京大学(東大)から数えて5番目以内のめっちゃ賢いヤツが行く大学やろ?
「《おおそうだ。俺はあんまり賢くないけどな。聞いてないと思ったらちゃんと聞いてたんだな。偉いエライ。褒めてやるからおまえ、俺の従者に……聞いてるか?》」
なにこの人、エリート? ちょい毛ェもがせろ!! ハゲにしてやる!!
「《ははっ、マジで止めろ。せっかく得た二度目の命、早々詰みたくないだろ?》」
よし、もごう。なんかこの辺を探って、ああ、あったあった。もふもふ尻尾。ほうほう。モフモフですね~。僕にはない感触ですね~。ハゲろ。
「《いや、ホントマジで止めてクダサイお願いだからもぐなもぐなもぐな! いたたたたたたっ……なんつって。霊体だからもがれん。それより、もういいか? 肉体におまえの魂を繋ぐぞ?》」
ほわっ? に、に、肉体ですとーーー!?
「《………そこはやっぱ聞いてなかったんだな》」
僕の肉体、僕の肉体、僕の肉体。小説の続きを書いて、書いて、書いて、書きまくって、旅をして、酒を呑んで、宴会して大騒ぎとか、旅して、美味しいもの食べてとかが出来る!? やった、これで勝つる……!! かも?
「《欲望だらけだな。やっぱおまえ面白いわ。前世の俺の周りには居なかったタイプだ。よかったな~転生できて》」
ほい! ウカノ先生、従者になったらメリットとデメリットはなんですか!?
「《メリットはこのままそっちに放ってある体で生き続けられること。デメリットは俺と一緒に居なきゃいけない事だ》」
なんだ、一緒にいるくらいなら訳ないさ。
ウカノと名乗った狐さん? 真っ暗闇で目が見えないからわからないけれど、確かにいるらしい声に導かれて目をやった先には、真っ白な髪をした中性的な子どもが横たわっていた。誰、これ? 果てしなく美人且つ和風なんだが。
髪の毛から衣服まで真っ白け。
ぷるんと潤った桜唇に丸い童顔。瞳を開ければぱっちり目尻の大きな瞳が覗きそうです。
髪型は、日本のお城に住むお姫さまみたいにまっすぐ切り揃えられ、ぱっつんつん。
儚さを漂わせた優美な和少女……? 性別を感じさせないお身体です。
愛玩するのにちょうど良さそうな美しい子どもでした。
お菓子とか、ジュースとか強請ればだいたい貰えそうね。ちょっと得した気分……?
これ、ぼくの躰?
「《そうだ、手を引いてやるから早く器に戻れ。死ぬぞ》」
これ、僕の躰。………おわっ!?
すぽっと掃除機かなにかに吸い込まれる感覚で僕は、この世に生を受けた。
ぱっちり目を開くと、嬉しそうに雰囲気が笑った大きな3尾の狐が居た。
「………禿ればいいのに、もふもふ獣のバカ野郎」
思わず吐いた呪その言葉。
声まで流れる水の如く綺麗で、自分の中身に似合わなくて、すこし凹んだ。