05 感謝
「お礼?」
廊下へと連れ出された俺の第一声がそれだった。
「はい、貴方には助けていただきましたから」
微笑み。
一瞬、頭が働かなくなる。
「ああ、そんな大したことじゃ」
「貸しだとか、借りだとかそういうのあまり好きじゃないんです」
「気持ちだけで......」
「気持ちを受け取るつもりがあるのなら、ちゃんと受け取ってください」
押しが強い......そんな強い口調でもないのに......。
真綿で首を――ならぬ、綿の包囲網を詰められている......そんな感じがする。
「わかりました、何をしてくれるんです?」
俺の問いに彼女はあらぬ方向を見上げた――特に考えていなかったようだ。
奏に今日は夕飯を用意しなくていいとメールを送る。
結局、駅前の店で何かをおごると言う事で手打ちになった。というより、させた。
確かに昨日の件は、彼女の言葉を借りれば大きな助けというやつだったかもしれないが、こっちからすればそう大した事をしたという訳でもない。
仰々しくお礼だとか言われても逆に困るという物だ。
まだ空は水色だが、振り返るとオレンジ色が混ざってきている。
「お待たせしました」
空に向けていた視線を下ろすと、ちょうど先輩が駆け寄ってくるところだった。
「いや、別に......それじゃ、行きましょうか」
黙々と並んで歩く。
歩く。
歩く。
......正直、気まずい。
向こうもそう思っているのか、時折俺の方を向くが、何を言うでもなく視線を前に戻してしまう。
思えば、話そうにも昨日初めて会って、お互いの事を知らないのだから、話のしようもない。
共通の話題はあるにはあるが、放課後にまで持ち出したいとは思わない......彼女が優等生の類であれば別だろうが。
そういえば、名前すら教え合っていないのか......。
「あ、そういえば」
不意に話しかけられたせいか、思わず足が止まる。
「どうしました?」
「ああ、なんでも......それで、何を?」
先輩は怪訝そうな顔をしていたが、俺が促すと再び口を開いた。
「駅前と言っても、色々とお店があるじゃないですか。どこで食べるのか、行く前に決めておきませんか?」
......言われてみればそうだ。
「駅の中のハンバーガーでいいですけど......」
「ハンバーガーですね、それじゃ行きましょうか?」
先輩の声と共に再び歩き始める。
会話もないままに駅前に辿り着く。
放課後になったばかりのせいか、ちらほらと制服姿で駄弁っている連中の姿が見える。
たまに視線を向けられるが、すぐに興味を無くしたかのように逸らされる。
「空いててよかったですね」
先輩の言葉通り、店内は時間が早いせいかガラガラだった。
「それでは私、注文を......あ、そういえば何を頼むんですか?」
「注文くらい自分でやりますって」
「いいですから......あー、君はここで座ってて、ね?」
話が進まなさそうだ。諦めて席に座る。
「それで、何を注文すれば?」
「......ダブルバーガーのセット、飲み物はコーラで」
「わかりました」
......何がそんなに嬉しいんだろうか。
「ポテトが揚がらないみたいなので、後から持ってきてくれるそうです」
スマホをいじる事、数分。先輩がトレーを運んでくる。
大きな包みと、小さな包み。そして二組のコップ。
「同じカップだったら普通に間違えそうだな」
どうやら先輩はアイスコーヒーを頼んだらしく、透明な容器の中で茶色い液体が躍っていた。
「匂いを嗅げばわかりません?」
「俺、コーヒーの匂いダメなんすよ」
実際、職員室にはあまり立ち入りたくない。
「そうなんですか? 悪い事してしまいましたかね?」
「いや、その程度なら問題ないです」
蓋で閉じられているせいか、そこまで気にはならなかった。
「そうですか......」
割と喜怒哀楽がはっきりと出る人なのだろうか?
どこか湿っぽいオーラを放っているように見える。
そんなタイミングでポテトが揚がったようだ。
「Sですか......」
「嫌いではないんですけどね」
ポテトを摘まみながら、どこか困ったような表情を浮かべていた。
「まあ、欲しいと言われてもあげませんけどね?」
「いえいえ、そんな......」
確かに油っぽいしな、女子は色々と食事に関して色々と気を遣わないとならないらしいし。
「ところで......あの」
「なんです?」
「ええ......と、そのですね」
途端に口調がしどろもどろになる。
......緊張している?
「......連絡先交換しませんか?」
唐突だった。それを彼女も分かっているのか、より慌てふためいている。
「なんでまた急に?」
俺の促しに、彼女は無言で視線を泳がせる。
「......きっと、迷惑に思われるかもしれませんが――まだ、私はあなたにきちんとお礼ができているとは思えないのです」
正直、今奢られてるのも不本意な結果によるものだ。
でも、今断ったところでまた同じような結果になるのが見えている。
それ以前に――
「いいですよ」
――俺自身に強く断ろうという意思が湧かないというのもあった。
「えっ?」
「どうしたんですか、豆鉄砲を食らった鳩みたいな顔して」
「いや......だって」
半分は諦めだったが、もう半分は悪い気がしないからだ。
「昼間はそれなりに時間かかりましたし......君はこういうのを嫌がりそうだなって」
「どうせ、折れるまで続けるのでしょう?」
「まあ、時間の許す限り」
どれだけだ。
連絡先を交換し合って、店を出る。
「私は電車を使うのですが、君は?」
「この辺りに住んでいるので歩きですね」
「そうですか......それでは、伊島君、また今度」
小さくお辞儀をして、先輩は改札のある階に向かって歩き出した。
「次、次か......」
あまり人数が多いとは言えない連絡先の欄に『黒羽 夏波』という見慣れない文字列が表示されている。
そのことに思わずため息が漏れる。
黒羽先輩は美人と呼べる部類の人だろう。
少なからず好意を持たれていることは確かで、それは嬉しいのだが......。
あの程度の手助けでここまで好かれる物だろうか?
まあ、あの人か俺のどっちかが世間一般とズレているって事もあるのかもしれないが......。
8話途中までの書き直し。