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「僕も二十歳になったらお見合いするの?」

 すっかり満腹になって寝室のベッドの上でゴロゴロと寝転がっていた遙は、小松崎の言葉を思い出して尋ねる。四人の姫達は貢や守の兄たちと既に付き合っているし、言い方は悪いが残っているのは林鐘だけだ。しかし、林鐘は確かに若くて美人だが恋愛対象としては大人過ぎるように思えるし、何より華朝の言葉だと林鐘は既に貢のことが好きらしい。尋ねながら身体を反らして頭の方向を仰ぎ見ると、先程からベッドの外側で何ごとかしていた海王が「ちょっと待て」と答えた。

 二人でもゆったり寝られる大きなベッドは楕円形で、透明なサラダボウルのような形をしている。中にはクッション材のようなものが敷かれており、枕の代わりに頭の部分だけが少しだけ高くなっていた。床の上に底の平らなボウルを置いただけに見えるベッドは一見不安定そうだが、寝転がってみると意外に快適である。

「う~ん……」

 林鐘の気の強そうな顔を思い出し、遙は思わず唸る。すると、操作盤のようなものをいじっていた海王がようやく体を起してウムと満足そうに笑った。

「これで良し」

 そしてそう言うと、ヒョイと浮かび上がって頭上を飛び越え、遙の隣にフワリと下りる。その後を海王の美しい尾ヒレがまるでレースのようにふんわりと追い掛けていくのを見て、その幻想的な美しさに遙は思わずうっとりした。

「綺麗だなぁ……」

 ずっと思っていた言葉が自然と口を突いて出る。遙はベッドの上に起き上がると、自分の隣に寝転んだ海王の尾ヒレをジッと見詰めた。一番先の透明に近い部分が水の動きに合わせてユラユラ揺れている。力強く水を蹴る尾ヒレの、その部分だけが何とも言えず繊細で、実はずっと触れてみたいと思っていた遙はそっと手を伸ばした。

「触ってもいい?」

 尋ねた時にはもう膝の辺りに触れた後で、海王が苦笑しながら「好きにしろ」と答える。遙はパッと顔を輝かせると、大喜びで尾ヒレに向かって手の平で撫でた。

「あったかい」

 角度によって淡い桜色にも藍色にも見える艶やかな鱗は思った以上に滑らかで、魚と違ってほんのりと温かい。人間の下肢にあたる尾は全体が筋肉で出来ているのかとてもしなやかで弾力があるが、引き締まったくびれから先の尾ヒレは向こうが透けて見えそうなほど薄く優美で、その対照的な美しさに遙はうっとりと見惚れた。

「綺麗だなぁ……」

 何度目になるかわからない感嘆の溜息を漏らすと、黙ってされるがままになっていた海王が手を伸ばして遙の足に触れる。

「お前の棒のような足も見ようによっては美しいと思うぞ」

 どうやら褒めてくれているらしいと気付き、遙は声を上げて笑うと、手荒に触れたら破れてしまいそうな尾ヒレの先にそっと触れた。途端に海王が僅かに身じろぐ。

「くすぐったい?」

 振り返って悪戯っ子のように笑うと、海王が困ったように顔をしかめる。

「くすぐったいと言うか……まあ、その辺りには触らないで貰えると嬉しい」

「ふ~ん」

 人間だって足の裏を触られればくすぐったいのだから、人魚の尾ヒレも敏感なのかもしれない。遙は少し残念に思いながらも手を引っ込めると、今度は尾を覆っている鱗を指先でなぞった。祖母が大切にしまっていた鱗はカリカリに乾いていたが、こちらは艶も違うし弾力もある。色も数倍鮮やかで透明感があった。

「綺麗だなぁ……」

「もういいだろう」

 さすがに煩くなったのか、海王が唸るように言って、飽きることなくいつまでも自分の尾を撫でている遙の手を掴んで引く。引っ張られるまま大人しく仰向けにひっくり返った遙は、ふとあることに気付いて「あれ?」と言って目を丸くした。横たわった遙の下で、クッション材がゆっくり沈んで体の形に窪む。その窪みの水が心なしか温かくなっているのを感じて、遙は驚いて辺りを見回した。それを見て海王が満足そうに笑う。

「熱くはないか」

「なんか、あったかい」

 遙が答えると、海王は目を細めて笑みを深めた。

「よく眠れるように少しだけ温度を上げておいた。今日は色々あったから疲れたであろう。ゆっくり眠って身体を休めるがよい」

 どうやら先程はベッドの温度調整をしていたらしい。どういう仕組みになっているのかは不明だが、サラダボウルの中の水だけがほんのりと温まっていく。不意に疲れを感じて思わず欠伸をした遙は、うん、と答えて目を閉じた。

「おやすみなさい」

 確かに今日は本当に色々あった。突然海王にさらわれて海に飛び込まされたのが随分昔のことのように思える。その時のことを思い出した遙は、あッ、と声を上げて飛び起きる。

「設楽先輩!」

 自分の名前を必死に叫んでいた設楽を思い出し、慌てて隣を見ると、海王が安心させるように笑んだ。

「貢には家臣から連絡を入れさせておいた。お前の無事は守にも伝わっているだろう」

「良かった……!」

 海王の言葉に遙はホッとして微笑む。それを見た海王が、なぜか目を眇めて面白くなさそうな顔をした。しかし、すぐに小さく苦笑して溜息混じりに呟く。

「年甲斐もない……」

 自嘲するような響きを感じ、遙は何のことかと海王を見る。海王は肘を曲げて手の平に頭を載せると、空いている方の手でうるさそうに長い髪を掻き上げた。銀色の艶やかな髪が水の動きに合わせてユラユラたゆたい、遙はその優美な曲線をうっとりと眺める。

「綺麗だなぁ……」

 遙は溜息と共に呟くと、天井に視線を移した。

「実はね、もし海王に会えたら訊いてみたいことがあったんだ……」

 遙の言葉に、海王が「ん?」と言ってその先を促す。遙は小さく息を吸うと、思い切って尋ねた。

「僕の祖父のことだよ……憶えてる?」

 一瞬沈黙が訪れる。少しして、海王が小さくウムと答えた。

「嵐の晩に海に投げ出されて死んだんだ。でも、ばあちゃんは『海王が殺した』と思ってる……」

「そうか……」

 遙の言葉に、しかし海王は否定も肯定もしない。遙は続けた。

「海王は一族を捨てた自分を憎んでいるから祖父を殺したんだ、ばあちゃんはそう言うけど、でも僕はそうは思わない。会ってみてよくわかった。海王はそんな人じゃない」

「だが、あながち間違いとも言えん……」

 遙の言葉に、低く海王が答える。遙は視線を向けると、美しい長を見詰めた。海王は遙の顔から視線を逸らすと、遠い目をして言った。

「富沙の夫が海に投げ出されたと連絡があった時、わたしは助けに行かなかった」

「間に合わなかったんでしょ……?」

 海の底に住んでいる人魚が海面に出るには徐々に身体を慣らさなくてはならない。それを一気に浮上しようとすれば、いかな海王といえども相当のダメージを受けるだろう。大切な一族の長をじいや家臣達が止めたであろうことは遙でも容易に想像がつく。

「だが、決断したのはわたしだ。見殺しにされたと責められても弁解は出来ん」

 海王の瞳が暗く陰る。遙はその端正な横顔をじっと見詰めた。

「ばあちゃんを憎んでる……?」

 そっと尋ねると、海王が驚いたように遙を見て「まさか」と答える。

「一族を捨てたのに?」

 重ねて尋ねると、海王は笑みを深めて言った。

「富沙を育てたのはこのわたしだ。わたしは富沙のことを実の娘のように思っている。手放すのは確かに心配だし寂しくもあるが、親の手を離れて巣立っていく子供を憎く思う親などいない」

「良かった……!」

 その言葉に、遙は思わずホッとして微笑む。すると、海王が手を伸ばして遙の前髪に触れた。

「それに、お前を見ればすぐにわかる。富沙は幸せに暮らしているようだ」

 海王はそう言うと、遙の柔らかな前髪を優しく撫でる。そして、まあるい額の形まで富沙にそっくりだと言って笑った。

「富沙は今でも気が強くて涙脆いか?」

 海王の問い掛けに、遙は「う~ん」と言って苦く笑う。

「涙脆いかどうかはわからないけど、気は強いよ」

 そしてそう言うと、でもね、と言って続ける。

「口ではキツいことを言っても、いつも僕のことを考えてくれてるんだ。毎朝僕を起こしてくれるし、お弁当を作ってくれるし、あんな嘘をついたのだってきっと僕を守ろうとしたからなんだよ」

 そうなのだ。祖母はいつだって自分のことを一番に考えてくれていた。

 『美波にとって、お前は可愛い一人息子だ。お前が死ねば美波が悲しむ』

 祖母はそう言っていたが、それは祖母にとっても同じだったのだろう。今更ながらに祖母の気持ちを思い、遙は黙って出て来たことを悔やむ。

「と言うことは、わたしはまたまた富沙を怒らせてしまったことになるな」

 すると、黙り込んでしまった遙を見て、海王がおどけたように言った。

「なにせ、富沙の大切な宝物を無断でこんな所にまで引っ張って来てしまったのだからな」

 海王の言葉に、遙は火がついたように怒り狂っている祖母を想像して思わずゾッとする。そして、慌てて海王を見ると「どうしよう!」と言って狼狽えた。

「海王はずっと昔に別れたきりだから知らないかもしれないけど、今のばあちゃんはすっごく恐いんだからね! 本当の鬼婆みたいに恐いんだからね!」

「そうか」

 今の祖母がいかに怖いかを力説すると、海王が暫し考えてから小声で問う。

「林鐘よりもか?」

 あれは姉妹の中でも一番富沙に性格がよく似ておる、という言葉に、遙は「冗談!」と言って喚いた。

「あんなモンじゃないよ! もう、これ以上無いってくらいに恐いんだから!」

 祖母に比べれば林鐘などは、ただの我儘なお姫様だ。小松崎を連れて来なかっただけでヘソを曲げるだなんて、実に可愛いものである。そう言うと、途端に海王が再び不機嫌な顔になる。

「ああいうのが好みなのか?」

 複雑な顔で問われて、遙は呆れて海王を見る。

「なんでそうなるの?」

 そして眉をひそめてそう言うと、プイと顔を背けて目を閉じた。

「とにかく、帰った時の言い訳を今から考えておいてよね。僕、怒られるのヤだからね」

 そして、そう捨て台詞を残すとさっさと寝る体勢になる。温かな水に包まれてあっという間に眠りに落ちて行こうとしていると、海王が小声で呟いた。

「眠ったのか……?」

 自分に対しての問い掛けなのはわかったが、どうにも眠かったので返事をしないでいると、少しして微かに溜息の音が聞こえる。そして、海王が小さく呟いた。

「お前が女であれば何の問題も無かったのだがな……」

 うっかり漏れたのであろう本音の言葉に、遙は少しだけ意識を浮かび上がらせる。

(恨むよ、ばあちゃん……)

 そして、胸の内で祖母への恨み言を呟くと、そのまま深い眠りに落ちた。



「また来てくださいね」

 華朝が遙の手を握り締めて名残惜しそうに言う。遙は「はい」と答えると、他の姫達を見た。一番端に林鐘の姿を見とめ、ホッと笑みを漏らす。

「ごめんね。昨日は怒らせてしまったみたいで……」

 ヘソを曲げた理由は聞いていたが、とりあえず謝ると、林鐘が「謝らないで!」と言ってプイとそっぽを向いた。

「女の子みたいって言ったの……あれ嘘だから。じいに、蘭月と桂月の血筋ばかりになってしまうからお前は貴方の子を生めと言われたものだから、つい八つ当たりしてしまったのよ。謝るわ」

 林鐘の言葉に、途端に侍従長が渋い顔をする。遙が視線を向けると、侍従長がゆっくりと頭を下げて言った。

「富沙様の血筋も残したかったものですから……差し出がましいことを致しまして申し訳ございません」

 遙は侍従長の意外な言葉に驚いて目を丸くする。すると、海王が笑った。

「富沙はじいの宝物だったからな」

「私だけではありません。ここにいる者全てにとって、富沙様は大切な宝物でした」

 海王の言葉に侍従長はそう返すと、再び遙に視線を戻す。

「遙様は富沙様にとてもよく似ていらっしゃる。じいが懐かしがっていたと富沙様にお伝えくだされ」

 侍従長の気難しい目が一瞬だけ柔らぐ。遙は嬉しくなって頷くと、思わず侍従長に抱き付いた。

「必ず伝えます。ありがとう、ばあちゃんを好きでいてくれて……」

 思わず目頭が熱くなる。ずっと気掛かりだったのは、一族を捨てて人間に嫁いだ祖母がみんなにどう思われているのかだった。でも、全然心配は無かった。海王も、伯母達も、そしてじいや家臣達も、みんな祖母を許していた。許して、そして昔と変わらずに愛してくれていた。もうそれだけで遙は胸がいっぱいだった。

「では行こうか。そろそろ期限に間に合わなくなる」

 海王の言葉に頷き、差し伸べられた手を取ると、グイとその胸に抱き寄せられる。海王は大きく跳躍すると、美しい尾を力強く振った。

「さようならーーー!」

 バルコニーに立つ人の群れがぐんぐん遠ざかって小さくなる。やがて、美しい竜宮城はあっという間に暗い闇の中に消えた。

「……また来てもいい?」

 暗闇の中、城のあった方向に目を凝らしながら遙は尋ねる。

「もちろんだ」

 海王は嬉しそうに答えると、一瞬沈黙してから再び言葉を継いだ。

「大人になったら城で暮らさぬか、遙」

「城で?」

 遙は驚いて、自分を抱えている海王を見上げる。

「ずっとでなくてもいい。一年の半分でも三分の一でも、何日かでもいいのだ」

 真っ暗な海を進みながら、海王が真剣な声音で言う。

「実はな、じいとの約束だから会いには行ったが、遙が女だったとしてもわたしは連れて帰るつもりはなかった。神が滅びよと言うなら滅びるのが運命だと思っていたからだ。だが、お前に会って気が変わった」

 海王はそう言うと、遙をグイと抱き締め直す。

「笑ったり怒ったりクルクルと表情の変わるお前を見ているうちに……そして自分の隣で無防備に眠るお前の寝顔を見ているうちに、こんなのもいいんじゃないかと思ったのだ。お前が隣にいてくれれば、きっと毎日が楽しいに違いない」

 遙は答えに困って口篭る。しかし、海王も答えを期待してはいないようだった。

「その頃はきっと姫達の子供も生まれて、城は賑やかになっていることだろう。誰かに男が生まれたら、その子にこの城を継がせてもいい。そうすればお前が子を産む必要もなくなる」

「僕は産めないって!」

 焦って言うと、海王が声を上げて笑う。揶揄われたのだと気付いた遙はムゥと唇を尖らせたが、すぐにフワリと微笑んだ。

「そうなったら素敵だね」

 子供たちの笑い声で溢れた龍宮城は、毎日が賑やかで楽しいことだろう。遙は自分を取り巻く海水が徐々に温かくなっていくのを感じながら、海王の思い描く城に思いを馳せた。


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