沙苗の願い
獅子王が復活する騒動から、一週間が経った。
白いライオンが村のあちこちで暴れ回ったことで、村中で被害が出たが、封滅士達の活躍により、幸い、死人までは出ることはなかった。
獅子王が沙苗に封印されることで、本格的な行動を起こさなかった所が大きいだろう。
しかし、元老院の当主が亡くなったことで、村の中は大きく混乱した。この事件に、元老院の人間が関わっていたことも、その混乱に拍車をかけている。
事件を関わった者たちの多くは、村から出て行き、一部は罪を問われて捕らえられ、元老院を支える人材が急激に減ってしまい、今は誰もが、村の立て直しに追われている。
とはいえ、ただの学生でしかないエレノアにはできることが少ない。名家の人間としてあちこち駆け回っている夏姫の仕事を少しでも楽にしようと、崩れた建物の、瓦礫の撤去を手伝うことが精一杯だ。
正直な話、おかしな言動の多い夏姫に、人を導くようなことができるとは思わなかったけれど、子供らしく遠慮のない夏姫は、雨ノ守の大人達に人気が高く、夏姫の為に働こうと思わせる一点においては、とてもリーダーとして優れているようだった。
思ってみれば、自分も信二も、獅子もまた、ついつい夏姫の面倒を見ているのだ。皆が支えてくれるリーダー。彼女はそれになるのかもしれない。
「金髪の姉ちゃん。良く働くね」
瓦礫を運んでいると、他の作業をしている村の人達に、そう声をかけられる。
「うん。早く、元に戻って欲しいからね。私は、雨ノ守が大好きだから」
エレノアは胸を張って、心からこう答える。すると、村の人達は誰もが嬉しそうな顔をしてくれる。
自分の住んでいる村を褒められて、悪い気はしないのだろう。
皆、自分の村が好きだから。
そして、それは自分も同じだと本当に思う。
ここに来た時は、不安でいっぱいだったけれど、今では大切な友達がいて、掛け替えのない場所になっている。
「おにぎりとお茶、持って来たよぉ」
割烹着を着た人が、大きなお盆に山ほどおにぎりを積んで、肩には大きな水筒をいくつも肩にかけながら、差し入れを持って来てくれる。
「ありがとうございます。……って、獅子君。何してるの?」
割烹着を着ていたのは獅子だった。
「何って、お手伝いさ。はい、おにぎり」
獅子はそう言いながら、お盆を差しだしてくる。
その顔は、エレノアの良く知っている獅子の顔で、形成しているのが沙苗の体とは、うっかりすれば、忘れてしまいそうだ。この人の姿は、妖怪になる前の、人としての獅子の姿なのだという。
「いや、わかるけど、何で給仕?」
「だって俺は、エレノアみたく馬鹿力はないからね。できることと言えば、これくらいしかないからね」
「馬鹿力って、私は神気の力が使えるだけだからね。筋肉ムキムキとかじゃないからね」
「あはは。わかっているよ」
エレノアは意地悪なことをいう獅子を睨みながらも、最後には笑ってしまう。
獅子は自分の正体を私達に知られてからというもの、積極的に動くようになった。前までは、どこか一歩下がって、夏姫の補佐をしているように見えた。けれど、今は違う。自分から動いて、人と積極関わるようにしている。獅子の中で、どんな心境の変化があったかはわからない。けれど、良いことだと、エレノアは思う。
「おにぎりか。ありがとうな、獅子」
「美味そうじゃねぇか」
作業していた村人達が近付いて来る。
「じゃあ、丁度良いし、休憩にするか」
獅子の持って来た差し入れに、皆は喜び、休憩にする。
「美味しいね。おにぎり」
木陰で、エレノアが美味しそうにおにぎりを頬張るのを見て、獅子は嬉しくて破顔する。
「そっか、良かった。僕もいくつか造ったんだよ」
「そうなんだ」
「うん。そうだ、漬物はどうかな?」
おにぎりだけでは何なので、大根の漬物も付けておいたのだ。獅子が尋ねると、エレノアは大根の漬物を食べる。
「うん、美味しい。ちょっとしょっぱいけれど、力仕事している時には、丁度良いかもね」
「そっか。ちょっとしょっぱいか。漬け過ぎたのかもしれないな」
獅子が眉を寄せると、エレノアは驚いた顔をする。
「獅子君が漬けたの?」
「ああ。ぬか床自身は、沙苗のなんだけれどね。……沙苗はほら……あれだから、僕が引き継いだんだよ」
獅子はやはり、沙苗が死んだとは言えない。言ってしまえば、どうしても自覚してしまい、悲しさに溺れてしまうから。
「……そうなんだ。……獅子君はさ。……えっと」
エレノアは聞こうか聞くまいか迷っているようだ。けれど、決心したように頷くと、こちらを真剣な目で見つめて、尋ねてくる。
「獅子君は、沙苗さんとどういう関係だったの? それに、……沙苗さんが昔、選択したことって、なんだったの?」
獅子は昔のことを思い出すように、遠くを見る。エレノアは気を遣うけれど、自分にとっては、昔を思い出すことは苦ではない。沙苗と過ごした時間は、とても楽しいものだったから。だから、獅子は語ることにする。
昔の事を。
僕は当時、妖怪であることを隠さずに生きていた。人の世から外れ、孤独にね。
丁度、僕が死んだあの社に、住んでいたんだ。
そこに、沙苗がやって来た。
中学生くらいだったかな?
話を聞くと、彼女は妖怪を退治にやって来たそうだ。僕がその妖怪だと気付かずに、そんなことを言うものだから、思わず笑ってしまったよ。
本当に久しぶりの笑いでね、あることを思いついたのさ。人間のフリをすることをね。
まぁ、妖気の使えない僕には、そのまま生きるだけで、人間と変わらないからね。
それからというもの、沙苗は僕が独りぼっちだと知ると、良く遊びに来るようになった。優しい人だったというのもあるけれど、彼女も雨ノ守の人間として、人から特別視され、潜在的に孤独を感じていたのかもしれない。
まぁ、それでも、二人で過ごす時は楽しかった。うん。とても楽しかった。
僕はずっと、一人だったから、話し相手がいてくれるだけで、本当に嬉しかったんだ。
それが、三年くらい続いたよ。
僕は自分の年だけは、好きなように変えられるから、人間と同じように年を取りながら、彼女と接していたんだ。
その時には、ずっと一緒に居たいと思うようになっていたからね。
そう。僕は沙苗が好きになっていたんだろう。
それと同時に、妖怪だと知られることが怖くもなっていた。
けれど、沙苗は知っていたんだ。
僕が妖怪だと。
そして、それでも、彼女は好きだと言ってくれた。
……次第に、僕らは恋仲になり、二人で、幸せな時を送ったよ。
でも、沙苗は、次期雨ノ守の当主。妖怪なんかと結ばれることが、許されるわけがない。
沙苗が二十歳になり、大人となった時、縁談が持ち上がった。雨ノ守の一族としての縁談。
彼女は迷っていた。
雨ノ守の人間として、役割を果たすか。立場を捨て、僕と一緒に山奥で生きていくか。
……結局、彼女が選んだのは、雨ノ守としての役割だった。
僕が、雨ノ守の村で人として生きていけることを条件として付けてくれたものの、彼女は役割を果たすことを選んだんだ。
彼女の決断は仕方なかったと思う。妖怪と人間が結ばれるわけがないのだから。
でも、沙苗は、僕に罪悪感のようなものを、感じていたのかもしれない。
だから彼女は、今回の事件で命を、僕に与えるような事をしたんだろう。
獅子は語り終えて、深く息を吐く。
エレノアを見ると、彼女は何か考えているようだった。
昔の話をしていると、どうしても思ってしまう。今、近くに沙苗がいないことが寂しいと。けれど、思い出は寂しさばかりでは決してなかった。なので、獅子は沙苗の事を想い続ける。
「違うと思う」
突然エレノアがそんなことを言う。
「ん? 何が?」
獅子は首を傾げると、エレノアは獅子を睨みつけてくる。
「これは、私の勝手な想像だけれど、沙苗さんが獅子君を選ばなかった理由はたぶん、獅子君に、人として生きる喜びを知って欲しかったからだよ」
「人として?」
「そう。だって、二人で逃げたとしても、雨ノ守の人達に獅子君は恨まれて、生きていくことになる。それは、沙苗さんが亡くなっても、ずっとずっと生きていく獅子君には、残酷なこと。……少なくとも、沙苗さんはそう考えたんだと思う。だから、自分がいなくとも、獅子君が人として生き、皆に認められれば良いと思って、雨ノ守の村で、人として生きていける条件を付けたんじゃないかな」
「……そうかもしれない」
「それに、生贄だって罪悪感からじゃ無いと思うよ。獅子君のことが今でも好きだからだよ」
「好きだから?」
「そうだよ。今、獅子君の体を形成しているのは、沙苗さんの体なんでしょ? つまり、一緒になったってことだよ。沙苗さんは、獅子君の体になっても、獅子君と一緒に生きていきたいと思ったんだよ」
「……一緒に」
果たしてそうなのだろうかと考える。
獅子は沙苗の命を犠牲にしてしまった。だから、彼女の分まで生きようと思っていた。けれどもし、本当に一緒になりたくて、その身を捧げたと言うのなら、彼女の分までではなく、彼女と共に、生きて行こうと考えられるのかもしれない。
獅子は自分の体に耳を傾ける。
本当にそう思ってくれているのかを。
けれど、答えが返って来ることはもちろんない。
しかし、沙苗の優しい笑みが頭に浮かぶ。
だから、信じようと思った。沙苗がいつまでも一緒に居てくれているのだと。
今回の作品には、結構思い入れがあったりします。
僕はシリアス一辺倒になりがちなので、自分なりにユーモアを、と思って作ったのが夏姫なのですが、……笑いって難しい。
彼女に笑っていただければ、本当に嬉しい限りです。
楽しいキャラクターを作ろうと頑張ったからこそ、特に思い入れがあるので。
結果は残念でしたが、次こそ、一次を通れるように頑張っていきます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。