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眠れる獅子王

 獅子の遺体をそのまま晒しておくわけにもいかず、信二は、シャツの上に着ていた上着を、獅子の上にかけてあげている。

 エレノアと夏姫はその間、社の外で待っている。

 少しでも獅子の近くに居てあげたい気持ちも無かったわけでもないのだが、表情を押し殺し、何の反応も示さない夏姫に、獅子の死を直視させるのも気の毒に感じ、自分からは動こうとしない夏姫の手を引いて、社の外へと出たのだ。

 どういうわけか、社に来てからは、白いライオンが襲ってくることはなかった。もしかしたら、今まで封じていた獅子の力を恐れて近付いてこないのかもしれないと、エレノアは思いながら、遥か遠くに見下ろせる、村の様子を眺める。

 あちこちに巨大な篝火が焚かれているのが遠目ながらに見て取れる。少しでも明るくして、白いライオンに対抗しようとしているのだろう。さすが封滅士の村である。急な襲撃に対してもすぐさま村が滅びることは無さそうだ。

 少しばかり安堵しながらも、エレノアは気遣わしげに夏姫の様子を窺う。どう話しかけて良いのかわからなかった。

 獅子と最も関係が長いのは夏姫だ。そして、最もショックを受けているも夏姫だ。自分だってショックはないわけでは無かったが、いざ、彼女の状態を目にすると、彼女の心配の方が先に立つ。

 もしかしたら、他を心配することで、獅子の死を自分自身で直視しないように誤魔化しているだけなのかもしれないけれど。

 しばらくして、信二が出てくる。

 信二は社の縁側に腰かけると、疲れ切ったようにため息を零す。

「……誰が、こんなことをしたんだろうね」

 こんなこと。もちろん、獅子を殺したことだ。けれど、言葉としてはっきり言うことはできなかった。心の底では未だに、現実であって欲しくないと言う思いが強くあるから。

「知らねぇよ」

 信二の顔は下を向いたまま、冷たく素っ気ない答えを返してきた。人を気遣うだけの余裕がないのだろう。だから、エレノアは短く頷き返すだけにする。

 しばらく沈黙が続き、今度は信二が口を開いた。

「獅子の顔な。なんか、すげぇ、穏やかな顔してたんだ。本当にただ、眠っているだけじゃないかって思うくらい。何で、死ぬって時に、そんな顔しているんだよ」

 こちらに視線を向けることなく、ともすれば独白かと思えるような言い方をする。

「……もしかして、獅子君を……あんなことをしたのは、知り合いってことなのかな?」

 エレノアは尋ねる。

「だろうな。獅子はずっとここで生きて来たんだ。雨ノ守の奴なんて、誰もが知り合いだろ。さらに言うなら、眠れる獅子王って奴の封印のことを知っているのも、村の奴だって考えるのが普通だ」

 最初からそのことには気付いていたのだろう。信二は忌々しそうに言う。

「……そっか。そうだね。……獅子君、可哀そう」

 同じ村に暮らしていた、顔見知りの人間に、容赦なく殺された獅子。そこには、憎しみがあったわけでは無く、大妖怪の封印を解くと言う、ただ、そんなことの為に。その様を想像すると、獅子があまりにも可哀そうで、酷過ぎる。

「ちげぇよ。俺は獅子が可哀そうなんじゃない。ムカつくんだ」

 信二は俯いたまま、首を横に振ってそんなことを言う。

「ムカつく?」

「そうだ。あいつは笑顔で死んでたんだ。つまり、自分の死を受け入れてた。俺達が、……俺達がどんなに悲しむかも考えずに。……畜生。なんで、……なんで死んじまうんだよ。獅子の野郎」

 信二は涙を流しながら、何度も座っている縁側を殴りつける。壊れるのも構わずに。

 誰もが悔しくて、悲しいのだ。

 果たして、自分達は、獅子の死を乗り越えるのだろうかと、エレノアはぽっかりと胸に開いてしまった喪失感を思いながら、顔を上げる。そして、その存在に気付いてしまう。

「な、なんなの、あれは?」

 エレノアの驚く声に、信二は訝しげに顔を上げ、やはり、同じ所を見て、顔を強張らせる。二人の目にしたもの。それは村を挟んで、丁度、対称となる山に居た。

 そう、いつも、エレノア達の通う雨ノ守学院のある山。

 その更に頂上付近に、立ち上がる人影。

 しかし、これだけ離れていて目に出来る人影だ。近くで見れば、数十、いや、数百メートルはあるだろう。

 その体には白い体毛が覆い、特に首元には立派なタテガミが付いている。その体は力強くしなやかな印象を与える。口は横に裂け、そこからは家ほどもある、強大で鋭い牙が覗く。例えるのなら、人型をしたライオン。

 獅子が封印の儀式として着ていた格好に似ている。

「あ、あれが眠れる獅子王かよ。あれじゃあ、妖怪って言うよりも、怪獣じゃねぇか」

 信二が顔を引き攣らせて言う。

 しかし、わからないでもない。眠れる獅子王から見れば、人間など、虫くらいの大きさにしか見えない。いくら封滅士と言えど、その姿は人間でしかなく、どんなに数を寄り集めた所で、どうにかできるような代物には見えなかった。

 昔の人が滅するのではなく、封じた理由が良くわかる。

「あんなもの、どうするんだろうな」

「うん」

 茫然と見上げていると、視界の隅に、村の方から巨大な鳥が飛んで来るのが目に入る。

 巨大と言っても獅子王に比べれば霞むほどではあるけれど、人の三倍くらいの大きさがある。

「あれは妖怪?」

 エレノアは近くに落ちている石を拾い、いつでも顕現できるように警戒する。

「いや。あれは式神だ」

 信二は冷静に見て取る。

 巨大な鳥は見る見るこちらに近付いて来ると、社の前に降り立った。そして、鳥の上に人が立っていることに気付く。雨ノ守沙苗だ。

「沙苗さん」

 エレノアが呼びかけると、沙苗は柔らかい笑みを浮かべる。

「無事で何よりです」

 沙苗は巨大な鳥の式神を消し、地面に着地する。

「はい。……でも、獅子君が……」

 エレノアは言葉に詰まる。獅子は沙苗の孫だ。誰よりも、悲しいことなのかもしれない。しかし、言葉を詰まらせたことで、沙苗は悟ったように頷いた。

「そう。獅子はやはり殺されていましたか」

 沙苗は少し眉を寄せただけで、獅子王の方に視線を移すと、すぐに普段の優しげな顔に戻ってしまう。

「では、あなた方には、今の雨ノ守の現状をお話しします」

「ちょっと、待って下さい」

 あまりにあっさりした態度に、エレノアは思わず口出ししてしまう。

「何ですか?」

「その。獅子君が死んだのに、それだけなんですか?」

「そうですね。悲しくはありますが、それだけです。それに、今は時間がありません」

「時間って」

 エレノアはあまりに素っ気ない沙苗の態度に怒りを覚えた。

 自分の家族に対して、その態度はあんまりだ。少しでも、涙を流すでもしてくれれば、獅子だって浮かばれると思うのに。

「やめろ、エレノア。沙苗婆さんも、立場があるんだ。俺達の前で、大っぴらに悲しめないんだろう」

「あ、……う」

 エレノアは、信二の制止の声に、罪悪感を覚える。

 確かに、信二の言う通りだと思ったからだ。沙苗は自分達なんかよりも遥かに大人だ。大人は自らの立場によって、感情を表に出すことを許されないことが良くある。

 特に、雨ノ守を背負っている沙苗からすれば、悲しむよりも、やらなければならないことが多くあることだろう。自分のしたことは、彼女の心の傷を踏みにじるようなものだ。

「……ごめんなさい」

「良いのですよ。あなたの怒りは、それだけ獅子のことを大切に思ってくれていると言うことだから、私は嬉しいのですよ」

 そう言いながらも沙苗は、俯いたまま、何の反応も見せない夏姫を、沙苗は痛ましそうに見やる。

「そして、それだからこそ、私はあなた方に頼みたいことがあるのです」

 沙苗は更に言い募るけれど、やはり夏姫は何の反応も示さない。だから、エレノアが尋ね返す。

「頼みたいこと?」

「まずは、今の状況を話します。今、雨ノ守は二つに分裂しています。一つは、獅子王を倒すか、もしくは再度封印しようとする意見の者達です」

「倒すって、可能なんですか?」

「封印が解けたばかりの今ならば、おそらく可能です」

「そうなんですね」

 どうやって、倒すのかはわからないけれど、沙苗がそう言うのなら、方法はあるのだろう。

「そしてもう一つは、獅子王をこの地から追い出すと言う意見です」

「追い出す? 追い出してどうするのですか?」

「放っておくのです。そうすれば、他の里の封滅士が、何がしか手を打ってくれるでしょう」

「でも、それだと」

「そうですね。そうなると、それまでの被害は相当なものとなるでしょう。けれど、雨ノ守の村には、獅子王を封じて来たことで、辛い思いをして来た者も多いのです。なので、他の地に任してしまえば良いと考える者もいるのです」

「そんな」

 エレノアの両親は、雨ノ守の外に住んでいる。もし、獅子王が雨ノ守から追い出され、暴れ回り、誰も止めることができなければ、確実に両親の下まで、危険が及びもしよう。

「もちろん私は、そんなことをさせたくありません。なのでその為に、あなた方の力を借りたいのです」

 エレノアは獅子王を見る。力を貸して欲しいと言われたところで。自分なんかにどうすることもできないような気がするけれど、それでも頷く。

「私に何が出来るのかわからないけれど、できることがあるのなら、何でもします」

「ああ。俺もだ」

 信二も頷く。

「……そうですか。ありがとう。……では、獅子王の核を破壊して欲しいのです」

「核?」

「ええ。今の獅子王は封印から目が覚めたばかりで、核が剥き出しの状態になっています。あなた達には獅子王の体内に侵入し、核の破壊、もしくは封印をして欲しいのです」

「なんか。凄い大役だな」

 信二が顔を顰める。

「どうして私達なんですか? 私達より優れた封滅士なら、他にもたくさんいるじゃないですか」

 ここは封滅士の村だ。プロの封滅士もいるし、先輩達だっている。確かに夏姫ならば、それらに遜色しない才能を持ってはいるけれど、今の夏姫は、心が傷付いている。

「そうね。確かにあなた達より優れた使い手はいるでしょう。……そう。私だけでも、対等以上に戦えるとは思います。けれど、あなた達は獅子と最も仲の良い者達だからこそ、頼むのです」

「獅子君と?」

「そうです。獅子王は封印していた獅子の影響を受けています。眷属の白きライオンならまだしも、獅子王自身は、あなた達を攻撃できない」

「獅子君の影響を? どうして?」

「それは……」

 沙苗が語ろうとした時、社に向かって駆け登って来る気配がある。沙苗はそちらに顔を向け、瞬時に警戒し、戦闘態勢へと変わる。

「何が?」

 エレノアが戸惑ったように言うと、沙苗は振り向かずに言う。

「おそらく、獅子王の封印を解いた者の仲間でしょう」

 つまり、獅子王を封印しようとしているエレノア達にとっては、敵である。

「……獅子を殺した奴の仲間」

 この時、夏姫はゾッとするような暗い声音で、獅子の死を目の当たりにしてから、初めて呟いた。

「夏姫?」

 エレノアが尋ねるけれど、夏姫は何も返さず足元の石を両手に一つずつ拾うと呟く。

「顕現せよ、鬼切丸二刀」

 それと共に、夏姫の両手に二本の鬼切丸が、顕現させる。彼女が鬼切丸を二本顕現させる所を、エレノアは初めて見た。

「何をするつもりですか? 夏姫さん」

 沙苗が咎める。

「……獅子と同じ目に合わせるだけ」

 つまり、殺すと言うこと。

「いけません。人を殺すことは許しません。あなたにはすべきことがあります」

「すべきこと? 私のすべきことは私が決める。獅子はいつもそうさせてくれたもの」

 夏姫はそう言って、今にも気配に向かって跳びかかろうと、足に力を込める。

「それでは、獅子を本当に失いますよ」

 沙苗の意外な言葉。その言葉に、夏姫の動きが止まる。

「どういうこと?」

「獅子王の下へ行けばわかります。あなた達はそこで、選択するでしょう。……私が昔、選択したように」

「それは?」

「残念ながら時間がありません。自分の目で確かめなさい。顕現せよ、旅鳥」

 沙苗がそう言って地面を足で軽く叩くと、地面が盛り上がり、先程の巨大な鳥が現れる。

「この鳥が、あなた方を獅子王の核へと連れて行ってくれます。行きなさい」

「行かせはせん」

 頂上に辿り着いた、気配が二つ飛び出してくる。

 それぞれが巨大な狼の式神に跨って、現れた二人の男。その顔には、名前までは知らないけれど、見覚えがあった。元老院に呼び出された時、部屋の隅で控えていた男達。つまり、名家の血統に連なる者。

「まさか、元老院の人間から、裏切り者が出るとは」

 沙苗は顔は憂いを帯びる。

「お前達の考えは古いのだ。古い因習に囚われ、封滅士の立場が弱くなるばかりだ。これは、我らの理想を果たす為の行い。邪魔はさせん」

「くだらない理想の為に、獅子を殺したのか、お前はぁ」

 夏姫が今まで見たことのない怒りの声を上げ、斬りかかろうとする。それを沙苗が平手で頬を叩く。夏姫はその衝撃に、思わず尻もちをついていた。

「エレノアさん。信二君。夏姫さんを連れて行って下さい。あそこでは、彼女が誰よりも選ぶべきでしょうから」

 夏姫が何を選ぶと言うのだろう。けれど、今は悠長に質問している暇はない。

「……でも、相手は二人ですよ」

 エレノアが心配すると、沙苗は笑みを浮かべる。

「これでも私は、雨ノ守の当主です。いくら現役を退いたとはいえ、どれだけ雑魚が相手になろうと、負けはしませんよ」

 沙苗の自信に満ちた笑み、エレノアは頼もしさ以上に、恐怖を感じてしまう。

「我々が雑魚だと? 馬鹿にしてくれる」

 男達は沙苗に跳びかかる。

「顕現せよ、火蜂」

 沙苗は小刀を顕現させ、一振り。すると、巨大な炎が巻き起こり、跳びかかって来た男達は火に包まれながら、吹き飛んで行く。

「さぁ、この隙に行きなさい」

「はい」

 エレノアは沙苗の実力を信じられない思いで沙苗を見ながらも、信二と共に夏姫を抱え、鳥の姿をした式神の上に乗る。すると、式神は全てを理解しているのか、すぐさま飛び立った。

 空を飛ぶ。

 不安定さと今まで感じたことのない浮遊感に、エレノアは思わず悲鳴を上げそうなる。鳥は自分達の重さなどまるで意に介さずに、高度をぐんぐん上げていく。

 地面を見れば、村の所々にある家はまるでミニチュアで、人々は米粒よりも小さい。若干、高所恐怖症だったりするエレノアは、思わず卒倒しそうになるので、とりあえず空を見上げると、そこには満面の星空が広がっている。普段であれば、その壮大な眺めに見惚れもしよう。しかし、そんな雰囲気にはなれない。視界の隅には常に、巨大な獅子王の姿が目に入るのだ。

 近付けば近付く程、その巨大さに圧倒されていく。まるで、巨大過ぎるビルを間近で見た時のように、自分がちっぽけに見えてくる。

 本当に大丈夫なのだろうか ?

 不安な気持ちを抱えながらも、鳥の式神は、獅子王の胸の辺りへと突っ込んで行く。


 獅子王の胸へと当たると、まるで薄い膜に当たったような感触があるだけで、獅子王の体内へと入って行ける。封印が解けたばかりで、実体化しきれていないのかもしれない。

 獅子王の体内は、例えるなら、スポンジのようにスカスカで、それでも一つ一つの空洞が大きく、鳥の式神は、楽に進んで行く。そして、その中でも、他の所よりも明らかにしっかりとしている足場に降り立つ。

「えっと、どこに行けばいいのかな?」

 突然降ろされたので、エレノアは周囲を戸惑ったように見る。

「ここら辺だけ、足場がしっかりしているだろ? なら、この中心じゃないか?」

 信二がそう言って、中心の方向を、周りと比べて予想しようとする。

「さっさと行って、さっさと滅して、さっさと獅子を殺した奴らの所に行こう」

 夏姫はそう言って、中心地と思われる方向に、さっさと歩きだす。

「ったく、夏姫の奴、一気に荒み過ぎだろ」

「でも、それだけ獅子君が、夏姫にとって大きな存在だったんだよ」

「まぁ、そうだろうな。あいつは獅子に甘やかされてきたからな。ったく、獅子の馬鹿野郎。夏姫の面倒を最後まで見ろってんだ」

「……本当だよ。獅子君の馬鹿」

 信二とエレノアは、文句を言いながらも寂しいという気持ちを共有していた。それでも、その想いにいつまでも浸っているわけにはいかない。二人は急いで夏姫を追うと、彼女は一際大きな空洞の前で立ち止まっていた。

「どうした? 夏姫」

「獅子」

 夏姫はある一点を見て、茫然と呟く。

「獅子?」

 信二とエレノアは、夏姫が見ている方に視線を向ける。そして、二人は絶句することになる。

 そこにあったのは巨大な心臓。全長五、六メートルはある。おそらくこれが、獅子王の核なのだろう。しかし今、三人にとって問題なのはそこでは無い。その心臓に埋め込まれているものが問題なのだ。

 心臓の中央。そこに、雨ノ守獅子の上半身が、突き出していたのだ。

「なんで、なんで獅子がここにいるんだ?」

「そうだよ。獅子君の体は、社にあるはずだよ。……それなのに」

 信二とエレノアは困惑する中、夏姫は獅子に近付くと頬に触れ、嬉しそうに顔を緩める。

「……温かいし、生きている」

「そんな馬鹿な」

 獅子の脈を取った信二が、驚き目を見張る。

「確かに、死んでいた。どんなに生きていて欲しいと願っても、脈は動いてくれなかったんだ」

「それは当然だ。死んでいるんだから」

 突如、自分達が来た方とは違う方向から声をかけられる。

 三人が三人とも驚き振り向くと、そこには、良く知る人物。獅子達の担任の教師である浅賀がいた。

「なんで、先生がここに?」

 エレノアは尋ねる。

「何故だと思う?」

 疑問に疑問で返して来る浅賀。それがまるで、からかっているように思える。

「もしかして、俺らの邪魔をしに来たのか?」

「八十点だな。邪魔をしに来たんじゃない。俺の邪魔をする奴を、待っていたのさ。……まぁ、お前達なら、邪魔する必要も無いかもしれないがな」

 最後の言葉は、自分達には獅子王を滅するだけの力が無いということだろうか?

「……つまり、敵ってことかよ」

「そうなるな」

 浅賀はあっさりと頷く。

 しかし、エレノアは不思議にも思うこともあった。待っていたと彼は言った。けれど、自分達が獅子王の中に入って来たのは、かなり早い段階だと思いもする。つまり、待っているには、獅子王の封印が解けるタイミングがわかっていなければ、難しいと思うのだ。

 そこで、エレノアはある可能性に気付いてしまった。

「……もしかして、獅子君を殺したのは、浅賀先生なんですか?」

「ほお、気付いたか。その通りだ」

「なんで。なんでそんなことをした」

 信二が睨みつける。

「自分達の理想の為だ。お前達は思ったことは無いか? 何故、自分達、封滅士ばかりが、色々な役割を押しつけられなければいけないのだと。神気を持っている。ただそれだけの理由で、何故妖怪と戦わなければならない。何故、限られた場所でしか住めない。何故、好きな職業に就職できない。何故、スポーツの大会に出ることができない。お前達も、不満に思ったことはないか?」

 エレノアは胸を突かれたような気分になる。

 確かにあるのだ。

 何故、好きな陸上を諦めなければならなかったのだろう。

 何故、大好きな友達と別れなければならなかったのだろう。

 何故、怖いのに、妖怪と戦わなければならないのだろう。

 神気なんて持ちたくなかった。好きで手に入れた力では無いのに。

 浅賀の言葉は、エレノアの心を代弁している。

「確かに、不満に思わないって言ったら、嘘になる。けれどそれが、今回の事と、何の関わりがある」

 信二が凄むように尋ねる。

「簡単なことだ。私は、神気を持つ者は、優れた存在だと思っている。つまり、神気を持つ者がこの世を支配するべきなんだ。その為には、世界を一度、壊す必要がある。そして、獅子王にはそれだけの力がある」

「くだらねぇ。その年で、世界征服なんて、餓鬼みたいなこと言ってんじゃねぇよ。……そんなことの為に、獅子を殺しやがって」

「ふん。まだお前達には、愚かな人間に、仕えることのくだらなさがわからないだけだ」

「もう、お前の理由なんて、どうでも良い。それより、あの心臓に埋め込んである獅子は何なんだ。お前の趣味か? 悪趣味だぞ」

「何だ。お前達は知らないのか。あれは、獅子王の本体であり、雨ノ守獅子の本体だ」

「どういうことだ?」

「簡単に言えば、雨ノ守獅子は妖怪だったってことだ」

「ふざけるな。社には、獅子がいる。お前が殺した獅子が」

 妖怪は、死ねば塵になって消えてしまうのが普通なのだ。獅子が妖怪ならば、死体が残るはずがない。

「ふむ。お前達の知っている雨ノ守獅子とは、昔の封滅士が、人の身に封じた獅子王の欠片だ。奴はそれ故、人の体を持っている。だから、普通の妖怪とは違い、死んでも形を残したのだ。今回の件は、獅子王が、人の器を無くしたというだけのこと」

「つまり、獅子君と獅子王は、元々は同じ存在だったということ?」

 エレノアが尋ねる。しかし、浅賀が答えるよりも早く、答えは別の所から返って来た。

「いや。元々というよりも、今も同じ存在なんだよ」

 皆が驚き、声の方を見ると、そこには獅子王の心臓に埋め込まれていた獅子が目を覚ましていた。

「し、獅子君?」

 果たして、こちらの獅子は自分の事を知っているのだろうかと、エレノアは恐る恐る話しかける。心臓に居る獅子は遥か昔に、雨ノ守獅子と別れた獅子王なのだから。

 けれど、エレノアの心配をよそに、獅子はいつものように、優しげな笑みを浮かべる。

「やぁ、エレノア。……久しぶりなのかな? う~ん。時間の感覚がわからないや。でも、僕の体の形成具合を見るに、それほど時間は経ってないか」

「本当に、獅子なのか?」

 信二も信じられないと言うように、言葉をかける。

「まぁね。今は獅子王だけど、そうだよ。雨ノ守獅子は、僕の魂を入れていた器。……そうだな。今の状態を例えるなら、魂を封じた器が壊れ、本来の所に、戻って来たってとこかな。……ごめんな、信二。僕が死んでいるのを見て、いっぱい、泣いただろ? 寂しくて」

 不自然な状況だと言うのに、獅子はおどけて見せる。

「泣いてねぇよ」

「嘘だぁ。絶対泣いただろ」

「泣いてたわね。もう、これでもかって言うくらい。……正直、引いたわ」

 夏姫が信二をからかうように言う。

「うっせ。つーか、獅子が死んだと思って、一番荒れたのは、お前じゃねぇか。何が、獅子と同じ目に合わせるだけだ。お前のキャラじゃないだろ」

「そんな事実は認められていないわ」

 夏姫が顔を逸らす。

 エレノアはそんな様子を見ながらも、自然に笑みが浮かんでしまう。もう二度と、皆で笑うことはできないのではないかと思っていた。けれど、獅子が戻ってきたことで、皆に笑顔も戻っている。それが嬉しくて仕方なかった。

「お前達にとっては、獅子が妖怪であったことはどうでも良いのだな」

 浅賀が少し呆れたような顔をする。

「関係ない。妖怪が必ずしも悪ではないと、教えてくれたのは、先生。獅子が妖怪ならば、神になれば良い」

 夏姫は即答して、社から顕現したままだった鬼切丸を構える。

 それに、エレノアも続いて、頭に差していたかんざしを引き抜き、鞭に顕現させる。もしかしたら、獅子が死ぬ前に妖怪だと知らされたのなら、動揺し、悩んだかもしれないと思いもする。けれど、獅子が死んでショックを受け、妖怪というあり方であっても、彼が生きていたことは、本当に嬉しかったのだ。だから今、獅子が妖怪であろうと、なんだろうと関係ない。

「私達にとって、獅子君は大切な友達だから。それだけで十分」

「そうだ。昔の獅子がどんな奴だったかは知らないが、今の獅子は良く知っている。だから俺は、人に害なすなんて思わねぇ。だから、あんたを倒して、獅子を連れて帰る。顕現せよ、岩切甲」

 信二が浅賀を睨みつけ、ポケットから鍵を取り出すと、手甲へと顕現させる。

「……皆」

 獅子は感極まったのか、目を潤ませた。

「ふん。なるほどな。だが、私はお前達に負けてやるほど、弱くはないぞ。顕現せよ、青天槍。そして、牙呂」

 浅賀はそう言って、槍と狼の式神を顕現させる。

 まず、狼が襲いかかって来る。エレノアが鞭を振るい、近付かせないようにする。けれど、狼の動きは速く、鞭を掻い潜って来る。接近を許してしまったエレノアは噛みつかれそうになる。

「危ねぇ」

 信二が狼を横から殴りつけることで、エレノアは噛まれずに済む。

「ありがとう、信二」

「ああ。気を付けろよ。マジで強いぞ」

 信二は答えながらも、注意を呼び掛けてくる。

 夏姫がそんな中でも、浅賀に斬りかかる。しかし、浅賀は槍を巧みに扱い、夏姫を近付けさせないどころか、彼女が次第に押されていく。

 エレノアと信二は加勢しようとするが、狼が牽制するように攻撃してくるので、思うように助けられない。

 夏姫は一度距離を取ると、着物の袖を切り裂く。

 神楽を舞っていた着物は重く、飾りがあちこちに付いていて動き難いので、少しでも軽くしようとしたのだろう。そして更に、切り裂いた袖に神気を込めて投げつける。

「穿て、氷針雨」

 幾つもの氷の針に切り裂かれた袖は姿を変じ、浅賀に襲いかかる。しかし、彼は槍の柄の中心を持って、グルグルと回すことで全ての氷の針を、払い落してしまう。

 浅賀が槍を突き出して来る。距離は離れていると言うのに、空気が揺れ、衝撃波が夏姫を穿つ。吹き飛ばされる夏姫。

「夏姫」

 信二の注意が夏姫へと向いてしまう。その隙を逃さず、狼が信二に襲いかかりのしかかって来るので、信二は反応が遅れ、倒れて込んでしまう。

「くそ」

 狼の牙が信二の首を狙ってくる。信二は必死で顎を掴み、全力で近付くのを防ぐが、両者の力は拮抗する。狼の方は体重を預ければ良いだけなので、長期戦となれば信二は負けてしまう。

 エレノアは信二を救う為、鞭で狼を叩く。弱い妖怪ならば、それだけで滅することはできるのだが、浅賀の顕現させた式神は、倒れるだけで、滅する所まではいかない。

 狼は身を起こすと、こちらを睨みつけ、唸り声を上げてくる。エレノアは怖いと思うが、それでも歯を食いしばり、鞭をいつでも振るえるように、しっかりと握りしめる。突進してくる狼。それを迎撃しようと鞭を放つが、狼は軽々と避けていく。そして、距離を詰めて来た狼の体当たりに、吹き飛ばされてしまう。

 地面を転がり、体中に感じる痛みに息を喘がせながらも、なんとか立ち上がる。見ると、信二が狼に攻撃を加えることで、エレノアへの追撃を止めていた。

 吹き飛ばされた夏姫の方を見ると、夏姫は無事だったようで、浅賀と戦っている。この場において、自分が最も役に立てていないと、エレノアは感じてしまう。少なくとも、信二と同じだけの実力があれば、狼を引き付けておくこともできると言うのに。

 いくら浅賀が強くとも、夏姫と信二が二人がかりでかかれば、なんとか倒すことだって、できると思うのだ。

「エレノア」

 獅子の呼ぶ声に、エレノアは振り返る。彼は手招きしていたので、近くへと行く。

「エレノア。君の力を借りたい」

「力を? でも、私は何もできていないよ」

「そんなことはないさ。僕が力を貸す。そうすれば、この状態を一変できる」

「本当に?」

「ああ。けれど、とても危険だ。それでも良いか?」

 獅子が心配しながらも、確認して来る。

 獅子は優しい人だ。それなのに、危険なことをさせようとしているのは、この場を切り抜けるには、必要なことだからだろう。だから、エレノアは頷いた。

「その為に、私は何をすれば良い?」

 獅子は髪の毛を抜くと、それを渡して来る。

「これで武器を顕現させると良い。そうすれば、僕の気を利用できるようになる」

「獅子君の気を? でも、それなら、夏姫や、信二君の方が上手く使えるんじゃ」

「たぶん、夏姫や信二は、自分の扱える神気の量を、体で覚えてしまっている。だから、勝手にセーブしてしまうんだ。でも、エレノアならまだ、それがない。全力を出そうとして、使えるだけの気を絞りだそうとするはず」

「……なんか、馬鹿にされているような気がする」

「そんなことはないよ。ただの、事実だ」

「うう。わかったよ。顕現せよ、雷光鞭」

 エレノアは、獅子の髪の毛で、鞭を改めて顕現させる。その時、恐ろしい程の気が、武器の中に、流れ込むのを感じた。思わず、恐怖に手を放しそうになるが、なんとか堪える。

 エレノアの方が良いという、獅子の言葉が良くわかる。

 こんな溢れそうな力、慣れたものであれば、慣れた物である程、その怖さがわかってしまうのだ。

 顕現したのは今までと変わらない鞭だけれど、篭められた力は桁外れだ。

「使えるのは一撃だ。それ以上はエレノアの方が、耐えられなくなる」

「……わかった。外さない」

 今まで避けられてばかりで自信はなかった。それでも、死んでも当ててやると、エレノアは思った。

「狙うべきは式神だよ。それを浅賀先生に当てれば死んでしまうからね。エレノアは人を殺したら駄目だ。だから、式神を倒して、浅賀を無力化するんだ」

 顕現に必要なのは神気と、それを形作る為の精神力。それは式神も同じこと。その為、式神を倒されると、その使い手は精神的な衝撃を受けることになってしまう。それは、神気を篭めた式神程、その反動が強い。

 浅賀の放った式神の強さから察するに、相当な神気が使われているだろう。それこそ、封滅士としては未熟とはいえ、信二に対抗できるくらいの。つまり、式神を倒せば、かなりの精神的衝撃を与えることができ、神気を扱えない程、追い詰めることができる。

 エレノアは頷き、信二と狼の距離が離れるのを待つ。今の雷光鞭がどれだけの力を発揮するかわからないので、信二の近くでは使えないのだ。

 待っている間、夏姫はジリジリと浅賀に追い詰められて行く。

 信二も、疲れを知らない式神に、苦戦し始めている。

 エレノアの心に焦りが募る。

「落ち着きな、エレノア。チャンスは来るよ」

 獅子が宥めるように声をかけてくれなければ、焦って攻撃を放っていたことだろう。そう言う彼の拳は、力を篭め過ぎて白くなっていた。けれどそれが、耐えているのが自分だけではないと教えてくれる。

 夏姫がまた、衝撃波で吹き飛ばされる。さすがに、限界なのか、氷の鬼切丸を地面に差して、立ち上がるのがやっとという状態だ。

「そろそろ諦める気になったか? 日野」

 浅賀は勝利を確信したように言ってくる。

「まだ。私には秘密の策。つまり、秘策がある」

「秘策? ふん、なら見せてみろ」

「もう、使った」

 夏姫はニヤリと笑う。

 浅賀は警戒するように周囲を見るけれど、何か変わったようすはない。だから、彼は冗談だと思って、鼻で笑う。

「時間稼ぎか? だが、時間が無くなって不味いのは、お前の方だぞ。と言うか、もう、諦めろ」

 浅賀はそう言って、槍を構えようとしたのだろう。けれど、違和感を覚えたようだ。

 そう、浅賀の靴は氷に覆われて、動かなくなっていた。

 それこそが、夏姫の秘策。

 地面に付きつけた氷を操る鬼切丸で、地面を凍らせたのだ。

「ちっ」

 浅賀はなんとか、氷によって張りついた靴を地面から引き離そうと力を篭める。氷はそれほど頑丈ではないので、一瞬で剥がれ落ちるが、それでも、夏姫にとっては、ずっと狙っていた一瞬だ。

 夏姫は、相手が氷に気を取られた隙を逃さず懐に入り、炎の鬼切丸で切り裂いた。

 浅賀は後ろに跳び、完全に斬られることからは避けたが、斬ったものを燃やす鬼切丸の力からは逃れられない。

 傷口を焼く炎の痛みに、浅賀は絶叫し、炎を消そうとする。そして、その動揺は、繋がっている式神にも伝わる。

 狼の動きが一瞬止まり、その隙を信二が逃すわけもなかった。信二は思いっきり狼を殴り飛ばしたのだ。

 それでも、狼は頑丈で、全く消えはしない。おそらく、浅賀が夏姫たちの攻撃力を計算して、一撃では決してやられない式神を作り出していたのだろう。

 けれど、距離が開いた。チャンスが来たのだ。

「信二君。下がって」

 エレノアは叫びながら、雷光鞭を振るう。

 けれど、叫んだことで狼も反応する。エレノアの雷光鞭を、身をくねらすことで、紙一重で避けてしまう。エレノアは一瞬、絶望に目の前が真っ暗になる。だが、獅子の力を受けた雷光鞭にはその先があったのだ。

 狼の足下の地面に当たると、当たったところから、直径三メートルほどの雷光の球が広がり、そこにあったもの全てを消滅させた。もちろん、すぐ近くに居た狼は、それに巻き込まれ、消滅した。

 浅賀を見ると、式神をやられたことで、強力な精神的な衝撃を受けたのか、まるで電流を受けたように体を震わせ、気絶する。

 そして、エレノア自身の雷光鞭も、強力すぎる気に耐えきれず、砕け散る。途端に襲いかかる、消失感に視界が揺らぎ、ずんとのしかかる全身のダルさに倒れそうになる。しかし、篭められていた気はほとんど獅子のものだった為か、気絶するほどのものではなかった。よろめき座り込みながらも、意識を失うことはなんとか耐える。でも、神気をコントロールできる気はしなかった。

「えっと、やったの?」

 エレノアは中々信じられず、思わず尋ねてしまう。

「ああ。浅賀を倒した。あの調子だと、数日は神気を扱えなくなっているだろうね」

 獅子が認めてくれたので、やっと実感が湧いて来る。

「すげぇじゃねぇか、エレノア。なんだ、あの攻撃」

 信二が驚いた顔で近付いて来る。

「えっと、獅子君が力を貸してくれたの」

「獅子が?」

「そうだよ。あり余った獅子王の力を、エレノアに分けたのさ」

「無茶するな」

 信二は呆れながらも笑みを浮かべる。

 気絶した浅賀を縛りつけてから、夏姫も近付いて来た。

「でも、凄かった。その様は、まるで、ドールのよう」

 夏姫はうんうんと頷きながら言う。

「人形?」

 言っている意味がわからず、信二が首を傾げる。

「トールの事だよ、きっと。北欧神話の雷神トール」

「ああ」

 信二は納得するが、夏姫は恥ずかしそうに顔を逸らす。

「噛んだだけ」

「いや、単純に間違えただろ」

 信二が突っ込み、エレノア達は笑う。いつもの日常だ。日常が戻って来た。エレノアはそう思った。


「後は、獅子君を元に戻すだけだね」

 エレノアはそう言って、獅子を見る。どんなに日常に戻って来たと思えたとしても、以前、獅子が心臓に埋め込まれた状態は変わりない。

「ああ。でも、どうやって、戻すんだ? 引っこ抜けば良いのか?」

「任せると良い」

 夏姫は信二の言葉に、獅子の周りの心臓を切り取ろうとする。

「いやいや。この心臓、僕の心臓だから、普通に死ぬからね」

 獅子が慌てて止める。

「マジかよ。じゃあ、どうすればいいんだ」

 信二が獅子に尋ねるけれど、獅子は曖昧な笑みを浮かべて、黙り込む。

「ふん。困っているようだな、妖怪」

 いきなりの声に振り向くと、浅賀がもう目が覚めたようだ。縛られて、神気の使えない浅賀はもう、脅威ではないけれど、それでも、エレノア達は、身構えてしまう。

 浅賀は精神的な衝撃を受け、精根尽き果てた状態だと言うのに、自信に満ちた表情をしている。

「本当にね」

 獅子は浅賀の言葉に、自嘲的に同意した。

「獅子君?」

 エレノアは不思議に思って尋ねる。すると、獅子は気まずそうに頬を掻く。

「んっと、とても言い辛いんだけれどさ。獅子王を止める為に、僕を殺してくれ」

「……何を言っている、獅子」

 夏姫が信じられない者を見るように、僅かに目を広げる。

「どう言うことだよ、獅子。殺せってのは」

「言い難いんだけれど、僕の妖気は馬鹿みたいにでかくてさ。……正直、ほとんどコントロールできないんだよ」

 獅子はまるで、怒られるのを待つ子供のように、とても気まずそうな顔をする。

「つまり、どうなるんだよ?」

「……つまり、このままだと全てを破壊するまで、暴れまわることになるんだ。皆は、僕はそんなことしないって言ってくれるけれど、そこに、僕の意思は反映されないんだ。今、雨ノ守の地で、僕の眷属が暴れているのも、それが理由。なんとか、夏姫達には襲いかからないようにしているけれど、それがやっと。……だから、僕を殺してくれ。体が完全に形成する前に。そうなったら、僕は夏姫達にも襲いかかることになるかもしれない。……僕はできれば、誰も殺したくないんだよ」

「……そんな」

 エレノアは目の前が真っ暗になる。

 獅子とまた出会え、日常が戻って来たと思ったのに、殺してくれと言うのだ。

 社で、獅子の亡骸を見た時の絶望感。もう二度と味わいたくないと思ったのに。

 エレノアは、社での沙苗の言葉を思い出す。

 あなた達は選択することになるでしょうと、言っていた。

 つまり、選択とはこのことなのだ。

 雨ノ守の地を守る為に、獅子を殺すか。獅子を救う為に、雨ノ守を滅ぼすべきか。

「はは。迷っているな。俺は最初に言っただろう? お前達であれば、邪魔をする必要もないかもしれないと。獅子と仲が良ければ良い程、獅子を殺すことはできないと」

 浅賀は苦しそうなのに、勝利を確信したのか笑っている。

 エレノアは悔しかった。

 皆で頑張って、浅賀を倒したのに、最後の最後で、救いの無い二択が待っていた。

 目を閉じれば頭の中に、家族の顔が浮かび、転校する前の友人達の顔が浮かぶ。けれど、目を開ければ、すぐ近くに獅子がいる。

 エレノアは歯を食いしばり、拳を握り締め、必死に考える。どちらが大事か。どちらが大切か。

 けれど、選べない。どんなに考えた所で、どちらも大切なのだ。

 他の二人はどうなのだろうと、夏姫と信二を見る。

 夏姫はジッと獅子を見詰め、信二は何か良い方法はないかと絞りだそうとするかのように、額を右手で握り締める。

「あんたは、何でこんなことをするんだよ」

 信二が叫び、浅賀を睨みつけた。

「その人は、友達を失ったんだよ。この国の、封滅士を顧みない選択でね」

 獅子が言う。

「どう言うことだ?」

「その人は、普通の人間が嫌いなのかもしれないけれど、やっぱり封滅士の教師なのさ。浅賀先生は親友を失い、悲しみ苦しんだ。この国はしばしば、封滅士を顧みない選択をする。それによって、亡くなった封滅士は今まで何人もいるんだよ。そして、その犠牲になる人は将来的に、夏姫や信二、エレノアなのかもしれない。つまり、浅賀先生は、自分の教え子に、そんな理不尽な目に、遭って欲しくなかったのさ。だから、封滅士の立場を、一変させる為に、この計画を行った。ただの、野心じゃない。だから、賛同者も多かったと思うよ」

 獅子の、自分を殺した浅賀を庇うような言葉。

「なら、今は何なの? 私達は、理不尽な目に遭っている」

 エレノアは獅子に尋ねる。

「それは小さな犠牲さ。将来的に見ればね。今、エレノア達が、僕を殺して多くの人を救うべきか、それとも、僕に生きて欲しいかで迷うように、彼は迷って選択したのさ。僕を殺して、多くの封滅士を救いたいと」

「……そんな」

 エレノアは複雑な気持ちになる。

 浅賀を憎いと思う。許せないと思う。けれど、わからないでもないと、少し思ってしまったのだ。

「さぁ、それより時間がない。迷うことはないよ。僕を殺しな。僕は長く生きて来たんだ。十分過ぎる程ね。皆には、他にも大切な人がいるだろう? なら」

「うるせぇ」

 獅子の言葉を、信二が遮る。

「獅子。お前は俺達と、いつでも別れて良いと、思ってたのかよ。お前は、もっと、俺達と居たいとは、思わなかったのかよ。俺は、ずっと、獅子と一緒に居たいんだ」

 信二が怒鳴るように叫んだ。

「そ、それは……」

 獅子は言葉を詰まらせ俯く。

 エレノアは見た。獅子の目に涙が浮かんでいるのを。

 おそらく獅子も、信二と同じ気持ちなのだろう。けれど、自分達の為に、雨ノ守の為に、その心を押し殺そうとしているのだ。

 それでも、獅子は選択しているのだ。自分を犠牲にしてでも、皆を守りたいと。

 救いたかった。獅子を。

 エレノアは、何か他に方法はないかを必死に考える。

「封印をし直すことは、できないの?」

「俺たちじゃ、やり方がわからない上に、……生贄が必要なんだろ? 誰が、生贄になるんだ」

「……それは」

 確かに、ここにいる誰かが失われる選択をしてはいけないと思う。ただ、失う対称が獅子では無くなるだけだから。私達にとって、大切な友人をなくすことに、変わりがなくなってしまう。

 ふと、エレノアは浅賀を見てしまう。生贄の対象として、考えてしまったのだ。元々、獅子の命を奪ったのは彼なので、責任を取るという意味では、丁度良いのではないかと、心の片隅で、囁いて来る。

 視線に気づいた浅賀は苦笑する。

「おいおい、怖いことを考えるな。けれど、無理だぞ。俺は封印のやり方を知ってはいるが、生贄自身が、自らの体をさし出すことを承諾しない限り、その術式は成立しない」

 エレノアは、悔しさと気まずさに俯いてしまう。

 獅子の命を奪ってまで、この状況を作り出した浅賀が、今更心変わりするとは思えない。

 他に思いつくこともなく、時間だけが刻々と過ぎていく。

「……そろそろ時間だ。もうすぐ完全に僕の体が形成されてしまう。その前に、僕を殺すんだ」

 獅子が、時間切れを告げてくる。

「……夏姫。お前が決めろ。お前が最も獅子との関わりが長い。……正直、お前に最も嫌な責任を被せることになるんだろうけれど、俺には決められないんだ。……それに、お前が決めたことなら、俺は納得できるから」

 信二は涙を滲ませ、悔しそうに言う。

「うん。夏姫が決めて。沙苗さんも言っていた。夏姫が誰よりも選ぶべきだって。私もそう思うから」

 エレノアと信二、それぞれの言葉に、夏姫は頷き、獅子を見詰める。

「……どうするの? 夏姫」

 獅子が優しく尋ねると、今までジッと彼を見詰め考えていた夏姫は、口を開いた。

「私は、……私は、獅子に生きて欲しい」

 夏姫のはっきりとした言葉。それは雨ノ守の人々を裏切る言葉なのかもしれない。けれど、エレノアはその選択を受け入れた。


 夏姫の言葉を聞き、獅子は自分の頬に涙が零れていくのを自覚する。

 友人が、自分の事を思ってくれる嬉しさ。

 そんな友人を救えない悲しさ。

 どうにか、救うことはできないのだろうか?

 獅子は何度もそう考える。

 けれど、強過ぎる自身の力は、全くコントロールが利かず、今、夏姫たちを襲わないようにしているのが精一杯の状況だ。

 そんな時、獅子は鳥の羽音を聞いた。

「あなた達は、選んだのですね」

 式神に乗って現れたのは、沙苗だった。

「沙苗さん。無事だったのですね」

 エレノアが驚いている。

「言ったでしょう? 雑魚がどれだけかかって来ようと、負けませんと」

 しかし、獅子は沙苗が怪我をしているのに気付いた。相当、きつい戦いだったのだろう。

「それより、夏姫さん。あなたは選んだのですね」

「うん。私は獅子を生かす。沙苗お婆ちゃん。邪魔をするというのなら、私はお婆ちゃんとも闘う」

「そう。あなたは、私が出来なかった選択をしたのですね」

 沙苗は悲しそうに、けれど、嬉しそうに呟いた。

 昔の事を思い出しているのかもしれない。まだ、沙苗が若かった頃のことを。

 昔、沙苗は雨ノ守の地の為に、獅子を選ばなかった。

 それは仕方ないことだ。獅子だって、彼女の選択は正しいと思った。けれど、彼女はそれからというもの、自分に対して、負い目のようなものを感じているのか、今までのように、接することが出来なくなってしまった。

「大丈夫ですよ。私はあなたの邪魔はしません」

 沙苗は優しく、夏姫の頭を撫でながら、眩しいものを見るように目を細める。

 自分の思うままに、獅子のことを選んだ夏姫を、もしかしたら沙苗は、羨ましく思っているのかもしれない。それは自分の幻想だと思いながらも、獅子はそう感じる。

 沙苗がこちらを見てくる。その目は、何十年と経とうと、美しいままだと獅子は思う。

「獅子。夏姫さんは、私のできなかった選択をしました」

「……そうだね」

「だから、私はまた、選択しようと思います。昔、できなかった選択を」

「沙苗?」

 獅子は、意味がわからず首を傾げる。

「今度こそ、あなたと一緒になりましょう」

 沙苗はそう言って、着物からいくつもの札を取り出し、それに神気を込めて、周囲に札の陣を張る。遥か昔に見たことのある陣を。

「……沙苗。お前、生贄になるつもりか」

 獅子は陣の正体を見抜き、驚いて茫然と呟く。

「沙苗お婆ちゃん」

 獅子の呟きを聞いた夏姫が、止めるべきか見ているべきか、どうすべきかわからずに、沙苗を見る。それに対して、沙苗は夏姫に向かって、安心させるような笑みを浮かべる。

「これが私の選択です。……獅子、あなたは生きなさい。そして、夏姫さん達と生きるのです。あなたを選んでくれた、人達と」

 沙苗がそこまで言ったところで、陣は光り輝き、彼女の姿が光の中に消えていく。

 沙苗が自分の為に、命を代償にしようとしている。

 獅子は自分の頬に、涙が流れていくのを感じながら、意識が遠のいて行くのを感じた。


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