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封王祭

 土地神の事件から一ヶ月程が経ち、封王祭の季節がやって来た。

 祭りはとても楽しみでありながら、獅子の身が心配なエレノアにとっては、複雑な感情を抱えながら、初めての雨ノ守の祭りを迎えることになる。

 封王祭の祭りは、雨ノ守学院のある山の、丁度、村を挟んだ向かいの山で行われる。エレノアはこちら側に来るのは初めてだったのだが、その山の中腹には、神社のような境内が建てられ、その周りには屋台などの縁日が開かれていた。

 エレノアと夏姫の二人は、境内の石段に、座り込みながら獅子と信二を待っていた。

 エレノアは夏姫に借りた着慣れない浴衣姿でいる為、なんだか落ち着かず、周囲をキョロキョロと見回す。

「むぅ。男共はどこにいるのだろう? 美少女二人を放っとくとは、なんとも失礼ね」

 一緒にいる夏姫が文句を言う。

「ふふ。向こうも見つけられないでいるだけだよ、きっと」

「私の時間は有限なのよ。例えるのなら、夜空を流れるホシクサのように、その煌めきは一瞬なの」

「干し草? ……えっともしかして、夜空に流れるってことは、流れ星の瞬きのことを言いたかったの?」

「そう、それね」

「遠い。似た名前とかでは、全然ないよ」

 エレノアは指摘するが、夏姫は気にした様子もなく、話を続ける。

「封王祭は二日間行われるわ。でも、私も獅子も、明日は封印の張り直しで忙しいの。つまり、お祭りを楽しめるのは、今日だけなのよ」

「そうなんだね。……じゃあ、狙われるとしたら、明日ってことかな」

「……まぁ、そうだと思うわ」

「それにしても、封印された妖怪って学校の裏に封印されているんだよね。何で向こうではなく、こっちで封王祭は行われるのかな」

 夏姫は不思議に思って首を傾げる。

 本来、封印の儀式にしても、封印されている場所で行うのが、本当だろうと思うのだ。

 エレノアの質問に対する答えは後ろからかけられる。

「何でって、封印が施されたのが、この山の山頂だからだよ」

「獅子君と、信二君」

 振り向くと、その二人がいた。

「遅いわ二人とも。お前らは亀か」

「酷いな。これでも頑張って探したんだけどな」

「エレノアの金髪は目立つと思ったんだけどな。思いのほか、染めてる奴が多いのな」

 信二はくたびれたように言う。けれど、その手には、既に屋台で何か買ったのか、紙の包みに包まれた何かの食べ物が、袋の中にいくつも入っているので、真剣に探していたかが、若干疑わしい。

「というか、私の髪は目印なの?」

 エレノアは自分の髪を抑えて言う。

「目立つからな」

「酷いなぁ」

「あはは。それだけ、エレノアの髪が綺麗だってことさ。浴衣も似合っていて、とても素敵だよ」

「そ、そう? ありがとう」

 エレノアは照れてしまう。

「私の浴衣姿はどうかな?」

 夏姫がポーズをとって、獅子に尋ねる。

「ああ。夏姫もとても綺麗だよ。正に和服美人って感じだね」

「でしょ、でしょ」

 褒められた夏姫は上機嫌にその場をくるくると回る。

「良かったね。夏姫」

「当然ね」

 夏姫はピタリと止まり、胸を張って答えるが、目が回ったようで、危うくふらりと倒れそうになるのを、獅子が慌てて受け止める。

「セーフね」

「セーフじゃなくて、危ないから気を付けなね」

「しょうがない。気を付ける。……あっ、信二。お前は何を食べている」

「あん? イカ焼きだけど」

 言った通り、信二はイカ焼きをパクついていた。合流する前に買っていたものの中にあったのだろう。食べるのを皆に会うまでは遠慮していたようで、会ったことで遠慮することも無くなったと、他にも紙の包みから出しているものがある。

「私も食べるわ。行くわよ、獅子」

「え? 僕も?」

「だってだって、私、イカ焼きがどこに売っているか、わからないんだもの」

「まぁ、そうか。ていうか、やっと合流したんだから、皆で行くべきだろう」

 獅子はエレノアと信二を振り向いて言う。

「ふふ、そうね。また、私の頭を目印にされては、堪ったものではないからね」

 人の頭を目印代わりに使った二人に、エレノアは軽く文句を言う。


「何故だ。何故なんだ」

 夏姫は驚愕の声を上げるので、獅子は呆れた顔をしてしまう。どんなに驚愕を表そうとしていても、焼きそばを手に持っていては、あまりにも決まらない。

「何をそんなに驚いているのかな?」

「この焼きそばは不味い」

 夏姫は断言して、焼きそばの入ったパックを押し付けて来る。獅子も渡された焼きそばを食べてみて、顔を顰める。

「確かにこれは酷い。水分が強過ぎて、べちゃべちゃするし、なにより、味付けが薄い。調味料ケチってんのかな?」

「そうなのよ。こういうお祭りの日に食べるものは、いつも以上に美味しく感じるものと、相場は決まっているものを。……この焼きそばは、その補正能力すら上回る不味さね」

 夏姫は不機嫌そうに、先程買った屋台を睨みつける。

「あはは。そんなに酷いんだ」

 そんな二人の様子に、エレノアは笑ってくる。

「この不味さは罪よ。地獄に落ちてしかるべきだわ」

「そこまで?」

 獅子はさすがに、驚いてしまう。料理が下手だからと言って、地獄に落ちるのは、あまりにも重い罪だと思う。

「だって、私の食べられる量が、一口分減ったのよ」

「いや。お前がお腹いっぱいで苦しんでいる所を、見たこと無いぞ」

 信二が半眼になって、呆れたように夏姫を見る。

 夏姫はほっそりとした見た目からは想像できない程、大食いだったりする。いつだったか、エレノアと一緒に獅子の家に遊びに来た時にも、羊羹の切られていないものを、丸々一つ、食べきったりもしていた。

「そうだよね。夏姫は本当にたくさん食べるよね。でも、太らないって、羨ましいな」

「ん? でも、エレノアだって、太って無いでしょ?」

 獅子は、エレノアの姿をマジマジと見て、首を傾げる。

「私だって、少しは努力しているからね。毎日走ったりとか。……まぁ、走るのは単なる趣味だけど。……ていうか、見つめないでよ。恥ずかしいな」

 エレノアは体を見詰められたのが恥ずかしかったのか、顔を少し赤くしながら、隠すように手を前に持って来た。

「ああ、ごめん。でも、そうなんだ。努力しているんだ」

 獅子はそう言いながら、既に、たこ焼きを食べ始めた夏姫を見る。

「夏姫は努力とかしている?」

「ん? にゃんの?」

 聞いていなかったようで、夏姫はいつの間にか手にした焼きとうもろこしを頬張りながら、首を傾げる。

「……してなさそうなだね」

「ああ。これは隠れデブか」

 信二が口悪く、同意する。

「むむ。何故か私に、ブーデーの疑惑が」

 心外だと言わんばかりの夏姫の口調。

「いや、何故かって言われても、見てればそんな疑惑も浮かぶでしょ」

 獅子は、弁明をしながらもホットドッグまでパクつき始める夏姫に、呆れ顔で言う。

「むう。これでも私は、毎日、運動をしている」

「そうなのか?」

「そう。毎日、山の中腹まで、登っているの」

「へぇ。そりゃ、意外に頑張って、……って、学校に通っているだけじゃねぇか」

「でも、思ってみれば、戦闘訓練とかあるから、相当体動かすよね。学校に太っている人とか、全然いないし」

「そういや、そうだな」

「信二なんか、お腹が綺麗に、六つに分かれているしね」

「まぁな」

 信二はちょっと、自慢げな顔をする。

「そうなの?」

 エレノアは信二のお腹を見て、夏姫は興味深そうに、信二のお腹をゲシゲシ殴る。ちなみに、叩くなんて、可愛らしいものではなかった。

「わお。ほんとに硬いわ」

 夏姫は自分のお腹も触ってみて、自分との感触の違いに驚いて見せる。

「そうだろ」

 信二は秘かに自慢だったようで、夏姫に殴られたと言うのに、益々、嬉しそうだ。

「獅子はどんなもの?」

 夏姫は、今度は獅子のお腹を殴ってこようとする。

「いやいや。俺は鍛えてないから止めて。お腹を殴るのは本当に止めて」

 獅子は慌てて夏姫の額を抑えて、近付かせないようにする。本気で嫌がる獅子の様子に、信二とエレノアは笑い出す。

 そんな二人に、獅子は非難がましい視線を向けるが、次第に自分まで笑えて来て、結局笑ってしまう。

 夏姫は相変わらずの無表情だけれど、楽しんでいる雰囲気は、そのはしゃぎ過ぎている行動力から、十分に感じられた。

 その後も、金魚掬いをしては夏姫が、一匹もすくえずにキレたり、射的をしては信二が、熱中し過ぎて屋台のおっちゃんと喧嘩を始め、封王祭の簡単な盆踊りのようなものをしたら、踊りなれないエレノアは転びと、祭りらしいことを、四人で思いっきり楽しんだ。

 獅子は楽しくて楽しくて、明日なんて、来なければ良いと心から思った。


「ぶはっ。お前のその格好。毎年見るけれど、本当に笑えるな」

 次の日、封王祭の、封印張り直しの儀式の為に、昼の内に境内にやって来ていた獅子だったが、途中でやって来た信二が、自分の格好を見て笑って来る。一緒に来たらしいエレノアも、吹き出しまではしないが、笑いを必死で堪えている。

「むぅ。やっぱり変だよな」

 毎年の事なので慣れてしまったが、今の獅子の格好は、獣の着ぐるみのような格好だ。白い毛皮に長い尻尾。首元にはタテガミのように、長い毛を模した毛糸が覆っている。

 この姿に最も似た動物と言えば、ライオンだろうか。

「ふふ、もしかして、獅子君だから、ライオンの格好なの?」

 エレノアが興味深そうに聞いて来る。どんなに興味深そうだろうと、半笑いではあるが。

「まぁ、そんなもんだよ。というか、ここに封じられている妖怪がそうなのさ。眠れる獅子王。それがこの地に眠る妖怪の名前さ。そして、僕の名前の由来でもある」

「眠れる? どうして名前に眠っているって付いているの?」

「んっと、言い伝えだと、獅子王自体は何かしようとはしないのさ。いつもは眠っているように体をジッと横たえている。こちらから攻撃しない限りは、目覚めない」

「へぇ。それなら、こんなに面倒な封印なんかしないで、放っておくことはできなかったのかな?」

「確かに、寝ているだけなら問題は無かっただろうし、今も、封印が解けるのに、誰も危惧したりはしなかっただろうね。けれど、眠れる獅子王の厄介な点は、その巨大過ぎる妖気を無意識に式神化させて、周囲に近付く者に攻撃を加えるのさ。例えば今、ここに眠れる獅子王が封印から解ければ、獅子王の式神が、誰彼構わず、襲ってくることになる」

「そりゃ、厄介なこと、この上ないな」

 信二が顔を顰める。

 そんなことになれば、雨ノ守の地は壊滅することだろう。眠れる獅子王の眷属が後から後からと湧き出すような地では、当然のように住み続けることはできないのだから。

 それに、逃げるにしても、封滅士ならば、なんとか戦いながら逃げることもできるかもしれない。けれど、この地には、一般人もいるのだ。それを守りながらとなると、かなりの被害も予想できる。

「そうならないように、私達は頑張る」

 隣の部屋から、夏姫がやって来る。

 その姿は飾り立てられた巫女風の斎服で、彼女の美しさがとても際立っている。

「綺麗」

 エレノアが言葉を漏らす。

「ふふん。当然ね」

 夏姫は胸を張って答える。

 彼女は封印の張り直しを、神気をもって補助する神楽の踊り手の一人を務めるのだ。これは、名家の出身というよりも、神気の高い女性が選ばれる。やはり、彼女の神気は粗削りではあるけれど、封滅士の中でも相当なものなのだ。ちなみに、神気の高い男性は、神楽の音楽の演奏をする。

 信二とエレノアは、どちらも選ばれず、協力できないと、悔しそうにしていたが、獅子にはその気持ちが嬉しかった。


 夜になると、封印の張り直しが行われる。

 多くの神楽を踊る女性達と、その音楽を奏でる男達。その姿は壮麗で、多くの観客がその様子を、見に来る。毎年行う、形ばかりの儀式とは違い、今回は本当の儀式なので、見る人の目から見れば、神気の高まりすら感じることだろう。

 封印される妖怪役の獅子は、境内にある神楽舞台の真ん中で寝たふりをしながら、間近でその様子を眺めていた獅子だが、時間になり、境内の裏手に用意された山車の上に乗せられる。

 山車の上に乗っていると、遠くに神楽を踊る夏姫の姿が小さくだが目に入る。

 普段のふざけ切った姿とは違い、真面目に踊る夏姫の姿は、本当に美しいと思える。今まで何人もの踊り手を見て来たが、彼女の踊りは今まで見た誰よりも力強く、芯がしっかりしている。

 見ていると心が安らいでいく。

 夏姫はこの後も踊り続けるのだろう。出来れば最後まで見ていたいが、山車に乗って運ばれる獅子は、いつも神楽を最後まで見ていられない。

 獅子は太鼓や笛の音に耳を傾けながら、この一年の事に思いを馳せる。

 夏姫が居て、信二が居て、そして新しくエレノアが加わって、本当に楽しいと毎日だと思う。

「はは」

 昨日の楽しかった前夜祭の事を思い出して笑う。

 前に土地神のした、自分が消えるという予言。暴走する土地神。元老院内部での揉め事。

 色々な問題もあるが、できれば、この日常が、できる限り続いてくれれば良いと思う。

 しばらく、大きな山道を進むと、山車が止まる。

「我々はここまでです」

 山車を引いていた青年二人がそう言う。

「わかっているよ。毎年やっているんだから」

 獅子は軽く答えながら山車から降り、頂上の社まで、一気に続く階段を見詰める。

 これからここに一夜泊まり、封印の補強を終えれば良いだけだ。土地神がいなくなったことで、封印はかなり弱体化していることだろう。けれど、自分がしっかりしていれば、問題の無いことだ。上を見上げながら急な階段を上っていると、延長線上に見える星空がとても綺麗に輝いている。

 星を見ると、どうしてか孤独を感じる。遠くから聞こえる祭りの音がとても楽しそうで、取って帰りたい思いに駆られる。

「何を考えているんだか」

 獅子は首を横に振る。たった一晩の我慢だ。そうすれば、祭りは終わっているかもしれないが、いつもの楽しい毎日に戻れる。

 階段を頂上付近まで登って来た獅子は、あることに気付く。

 遠くからは相変わらず、太鼓や笛の音が聞こえてくるので気付くのに遅れたが、毎年聞こえる虫の囀りが聞こえないのだ。

 季節は十月。虫が繁殖の為に最も頑張っている時期だ。それなのに、涼やかな羽音が聞こえないのはおかしい。まるで、今から起きる不吉な出来事を予期しているようだ。

「……そっか。……終わりってのは、呆気なく来るもんなんだな」

 獅子は理解して頷き、臆することなく、階段を登り終え、社の中に入って行く。

 社の中は六畳ほどの広さで、板敷きの床と、漆喰の壁に囲まれているだけで、何の飾り気も無い。

 しかし、その中には人影があった。

 見知った顔だ。

 普段ならいないはずの人だけれど、今回は、妖怪の封印を解こうとする者が現れるかもしれないと言う、危惧があった。その為の、護衛……のはずなのだけれど、その雰囲気は、獲物を待ち構える狩人のよう。

「どうも、僕を守るって感じでは無さそうだね」

「そうだな。今回の首謀者の一人って所だ」

 護衛の男は事も無げに言う。

「そっか」

 残念ながら、予感は的中してしまったようだ。

 信頼されて、護衛を任された男が犯人だったということは、思ったよりも根は深そうだ。果たして、何故妖怪の封印を解こうとしているのだろうと、獅子は不思議に思うが、どうすることもできない自分には関係ないかと、考えることを止める。

「顕現せよ、青天槍」

 護衛の男がそう言うと持っていた棒を、槍へと変じさせる。獅子は特に何かすることもなく、その様子を眺める。

「どうした? 抵抗しないのか?」

「はは。僕は神気が使えないからね。抵抗なんてしたところで、逃げ切れるとも思えないし、それに……」

「それに?」

「それが人の決めたことだと言うのなら、僕は受け入れるだけだよ」

 獅子の言葉に、男は忌々しげに口端を上げる。

「ふん。ムカつくぐらいに潔いな。まぁ、お前にとっては、今の生はどうでもいいのかもしれないな。……だが、人の決めたことと言うが、これは雨ノ守に住まう、全ての意思では無いぞ?」

「まぁ、そうだろうね。そうだったら、僕は自分が可哀そうで泣けてくるよ」

「だろうな」

 男も、獅子の言葉に苦笑する。皆がこの状況を認めていると言うことは、皆が獅子に死ねと言っているようなものだ。

「けどね。僕は皆の意見が大切だからって、何かを果たそうとしている思いを、否定する気はないんだよ。僕なんか、ダラダラと生きているだけだから、何かやるべきことを決めて、前に進もうとしている人には憧れるし、果たさせてあげたいとも思うんだ」

「それが、お前の存在を奪うことでもか?」

「うん。それに、あなただって、僕を殺すことを、少しは悲しんでくれているようだし」

 獅子は護衛の男の心を見透かすように言う。護衛の男は獅子の言葉に、辛そうな顔をする。

「……中々に、心を揺らがしてくれるな。……知らない仲では無い。情が無いわけでもない。だが、俺は今更止める気はない」

「わかってるよ。先程、僕が今の生をどうでも良いと思っていると言ったけれど、実際の所、僕は掛け替えのない時間だと思っているんだ。その程度で止めるような弱い意志なら、さすがに奪わせてはやれないよ」

「……そうか」

 男はジッと目を閉じ、そして開けた時には、真っ直ぐな瞳をして、槍を構える。

「せめて、苦しまないように、一撃で終わらせてやる」

「そうだね。頼むよ。苦しいのは嫌いだからね」

 獅子が笑いかけると、護衛の男は槍の切っ先を、獅子の心臓目がけて突き刺した。


 突然、地面が大きく揺れたことで、太鼓や笛の音が止まる。それでも夏姫は、神楽を舞い続けるけれど、太鼓や笛の音は、中々戻ってこない。

 近くで見ていたエレノアは、不思議に思って周囲を見回す。

 大人達が何かを真剣に話し合っている。

 そうこうしている内に、村のあちこちから悲鳴が聞こえてきた。

「何かあったのかな?」

 不安になって信二に尋ねると、彼も眉を寄せて周囲を見ている。

「わかんね。こんな事、今まで一回もなかったし」

「そうなんだ」

 夏姫はそれでも神楽を舞っている。

 いつもの話が脱線する夏姫とは思えない集中力に驚いてしまう。

 しかし突如、その後ろの空間が歪んだ。そして、現れる白いライオン。そのライオンは夏姫に向かって襲いかかる。

 気付いたエレノアは、夏姫を助けに行こうとするのだが、間に合う距離では無い。

「夏姫」

 呼びかけるが、舞に夢中になっている夏姫は全く気付かない。

「天駆けよ、鳳花閃」

 飛んできた札が、白いライオンに当たり、花のように炎が膨れ上がり、消滅させる。

 さすがに今の騒動で、神楽舞台の近くに居た誰もが異変に気付く。

「大丈夫ですか? 夏姫さん」

 元老院の代表である雨ノ守沙苗が、夏姫の下へと近付く。どうやら、札を投げたのは彼女のようだ。

「大丈夫? 夏姫」

「大丈夫か」

 エレノアと信二も神楽舞台の上に登って近付く。すると、夏姫はずっと舞っていた性か、汗だくになりながらも周囲を見回している。

「何があったの?」

 事態を飲み込めていないようだ。それだけ集中していたのだろう。

「うん。なんかいきなり、夏姫さんの後ろに、白いライオンが現れたんだよ」

「ライオン? 妖怪なの?」

「たぶん」

「おそらく、雨ノ守の地に眠る妖怪、眠れる獅子王の封印が、解けたのでしょう」

 沙苗は沈痛な面持ちをする。

「眠れる獅子王。獅子君が封じているって言う、大妖怪の事ですね」

「ええ」

「マジかよ。……もしかして、獅子の身に、何かあったかもしれないってことですか?」

 信二の問いに、沙苗は重々しく頷いた。

「おそらく、そうでしょう」

「畜生」

 信二はそう言うなり、走り出して、神楽舞台から飛び降りる。

「ちょっと。信二君、どこに行くの?」

 呼びかけると、信二は立ち止まり、振り返って叫ぶ。

「獅子の所に決まってんだろ」

「でも、社には近寄ったら駄目だって」

「はん。そんなの封印が解けない為にだろ。解けた今、関係ねぇ。それよりも、獅子が心配なんだよ」

「信二」

 夏姫が珍しく鋭い声を出すので、信二が戸惑ったような顔をする。

「な、なんだよ」

「私も行くわ。獅子が心配」

 夏姫の声は、切羽詰まっていた。

「お、おう。良し、行こうぜ」

 信二は嬉しそうに頷いて、夏姫と一緒に行こうとする。

「待ってよ。私も行くから」

 エレノアは慌てて追いかける。エレノア自身も、獅子が心配なのには変わりはないのだ。


 社へ向かう道の途中、白いライオンがそこかしこから現れるのを目撃する。

 一体一体は、それほど強くはないのだが、いかんせん数が多く。進むのに苦労をさせられる。

 また一体、エレノア達の前に立ちふさがった。

「顕現せよ、雷光鞭」

 エレノアは道の端にある蔓を引き抜くと、鞭を顕現させる。

 振るった鞭は複雑な軌道を描き、白いライオンに当たると、すぐさま霧散する。しかし、次の瞬間には後ろにもう一体現れる。

 すぐさま信二が手甲で殴りつけ、消滅させる。

「くそ。何なんだ、このライオンどもは」

「獅子君の言っていた、眠れる獅子王の、式神なんじゃないかな」

「ちっ。つまり、獅子王を殺さない限り、白いライオンは現れ続けるってことかよ」

「もしかしたら、そうかもしれない」

 確かにこれは最悪の災厄だと、エレノアは思う。今、自分達は神気の力があるからこそ、対抗できている。けれどもし、神気を持たない者が白いライオンと遭遇したら、一溜まりもないだろう。更に言うなれば、このまま際限なく現れると言うのなら、いずれ封滅士だって神気を使い果たしてやられていく。

「獅子王を先に倒した方が早いんじゃねぇか?」

 信二がそんな無茶を言う。

「遅いに決まっているでしょ。そもそも、獅子王ってのがどこにいるのかもわからないんだから」

 そう言いながらエレノアは、先程から押し黙っている夏姫に視線を向ける。先程まで神楽を踊っていた夏姫は、重そうな神事の斎服に、草履の履物と言う出で立ちだ。いくら神気で身体能力を強化しているとはいえ、動きにくい姿だし疲れてもいよう。

「大丈夫? 夏姫」

「大丈夫。それより、獅子が心配」

 夏姫にとって、獅子は本当に大切な存在なのだろう。いつもからは想像できない焦燥感が、その顔からは浮かんでいる。

 エレノア自身にしても、心配していないわけではない。

 早く、元気な獅子の顔が見たかった。


 何度も白いライオンに襲われながらも、なんとか辿り着いた頂上の社。

 エレノア達が慌てて中に踏み込むと、血の臭いが広がっていた。畳みの床を見るとそこには、胸から血を流す獅子の姿があった。

 エレノアは、恐怖で心臓が跳ね上がり、思わず立ち止まってしまう。

「ふ、ふざけんな。冗談もたいがいにしやがれ」

 叫び近付いたのは信二だった。

 獅子まで近付くと、胸ぐらを掴むようにして、起こそうとする。しかし、獅子は何の反応も見せず、手が力無く床に落ちる。

「お、おい。本当にふざけるなよ。起きろよ。頼むから起きてくれよ。死んでなんか無いんだろ? なぁっ。なぁっ」

 信二は必死で呼びかけるけれど、獅子はぐったりとして動くことはなかった。

 大きく唾を飲み込むと、信二は脈拍を調べる為、恐る恐るといったように喉元に手をあてがった。しかし、そこからは脈拍を感じ取れなかったのだろう。信二の顔は悲しみと怒りによりくしゃくしゃに歪み、涙を流しながら、もう二度と動かない獅子の体を力強く抱きしめる。まるで、死神から獅子を奪われないように。

「そんな。……そんなのって」

 信二の行動で獅子の死を確信してしまい、エレノアは力無く呟くことしかできない。

 目から涙があふれ出し、脳裏には、優しく接してくれた、獅子の顔がどんどんと浮かびあがって行く。無くしたものの大きさに、心が悲鳴を上げる。

 横から、トスンと言う何かが落ちたような音が聞こえた。

 エレノアは涙を流しながらも振り向くと、夏姫が茫然と座り込んでいた。

 その顔はいつものように表情が浮かんでなかったけれど、いつもはあるはずの目の光はなく、どこまでも虚ろになっている。

 その目は、全ての希望を失った人のように思えた。


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