実践授業
エレノアが雨ノ守学院に転入してから、半月が経とうとしている。
この前のテストでは、獅子の開いた勉強会のおかげで、夏姫も信二も赤点は免れたようだ。雨ノ守学院の授業は勉強自体、エレノアの通っていた学校よりも遅れているので、自分自身は復習のようなものだった。
なので、それなりに良い点を取れたのだが、エレノアにとって問題は、神気の扱いだと思う。いくら勉強が出来ようと、封滅士にとって重要なのは神気の扱いであり、今の自分では、小さな頃より修行を続けて来た、同級生どころか、中学生にも敵わない。
高校生になると、雨ノ守学院では実践訓練と言うものがあるのだそうだ。そして、その実践訓練は雨ノ守の地で行われるのではなく、都心に出向き、実際に低級の妖怪を退治するらしい。
いざ、その時の事を思うと、怖くなる。まともに戦えない自分が、実践訓練なんて出来るわけがない。
今日は休みの日なので、できれば顕現の練習をすべきなのだろうけれど、一向に向上しない神気の操作に嫌気が差し、エレノアは現実逃避の意味も込めて、雨ノ守の村を見て回る。
雨ノ守は自然に囲まれた、緑豊かな地。けれど、歩いていると、違和感をどうしても覚える。想像する田舎の村と、全然違うのだ。
田舎の村に行くと、必ずと言って良い程、畑があるものだけれど、雨ノ守にはない。雨ノ守の地を支えている産業が、農業では無く、封滅士だからだ。
理由はわかるが、印象と違うと違和感は、どうしても覚えてしまうものだ。そして、村の中で何よりも違和感を覚えるのは、村の所々に、最新の電化製品を扱った店や、最新式の図書館、ボーリングやビリヤード、カラオケボックスなどの遊び場が複合されたゲーム場、ブランド物のショップなどがあることだ。緑あふれる地には、不似合いなこと甚だしい。
しかし、何故、そのような施設が作られるのかも、理解している。
封滅士は命懸けの仕事であり、雨ノ守のような、各封滅士達の村に軟禁されていることから、その分、大金が支給される。その為、金払いが良く、封滅士を目当てにして商売を行う者が多く居るのだ。
おそらく、公共のバスなんかよりも、業者の物資搬入のトラックの方が、行き来が圧倒的に多いことだろう。
何と言うか、昔と今が、不自然に共有されている気がする。
そんなことを考えながら、歩いていると、コーヒーショップとして有名なチェーン店が目に入る。
こんなものもあるのかと苦笑していると、建物の中で働いている店員が、こちらを物珍しそうに見ていることに気付く。
エレノアはため息を吐く。
雨ノ守には、世に言う、外人と言う者が居ない。その為、自分のような、金髪に白人の肌が珍しいのだろうとはわかる。けれど、ジロジロ見られて気分の良いものでもない。
エレノアは獅子達の事を思う。
彼らは自分に、普通に接してくれた。いや、今も尚、接してくれている。そのおかげで、学校で孤立せずに居られるのだ。
どんなに感謝してもし足りない。
この、知らない地に来て、こうして落ち着いた気持ちで、村の中を歩けるのは彼らのおかげだ。もし、獅子達に出会っていなければ、人の目が怖くて、自分の部屋に籠りきろうとしていたかもしれない。そうならなかったのは、獅子達と言う、友達がすぐできたからだ。
獅子達は、何をしているだろうか?
そんなことを考えながら、とぼとぼと、村の中を歩き続ける。
「エレノアね」
いきなり声をかけられたので振り向くと、そこには夏姫が居た。
「夏姫さん。こんにちは」
「ええ。エレノアは何をしているの?」
夏姫が興味深そうに見て来るが、残念ながら、面白エピソードがあるわけではないので、つい、苦笑いをしてしまう。
「ただの散歩だよ。この村に来てから日も浅いしね。知らない所ばっかだし」
「そうか。私はこの村に生まれ育ったから、この村に、日も沈み込んでいることだろう。つまり、私はこの村を良く知っている所ばかり」
夏姫は胸を張ってそう言って来る。獅子や信二ならば、軽く突っ込みでも入れるのかもしれないけれど、そこまで仲良くなっている自信のないエレノアは、どう答えたら良いものかと迷ってしまう。
「えっと、そっか、凄いね」
曖昧な笑みを浮かべながらも、とりあえず、褒めてみた。
「ふふん。だろう」
夏姫は得意げに頷いた。褒められて嬉しかったようだ。
彼女はおかしなことを言うけれど、もしかしたら、無邪気なだけなのかもしれないと、エレノアは思う。
そして、そう考えると、ふと気付く。
「……もしかして、夏姫さんが、案内してくれるの?」
夏姫がこの村のことを良く知っているなんて、そんなの言わなくても、わかることだ。それなのにわざわざ言ったということは、良く知っているから、案内なら任せなさいと言う、意味合いがあったのかもしれない。そう考えれば、彼女の発言も納得できる。
「ふぅむ、案内か。だが、私は忙しい。それはまるで、アリとキリギリスの絵本の中に出て来る、アリの如く」
「えっと、ごめん。そうなんだ」
どうも単純に、この村に詳しいことを自慢したかっただけのようだ。獅子と信二が、夏姫の頭は残念だと言う意味が、なんとなくわかってしまう。
「そうだ。エレノアも行かないか?」
夏姫は、素敵なことでも思いついたと言わんばかりに、両腕を上げて誘って来る。奇怪な行動に、一瞬戸惑ってしまう。
「え、あ、うん。良いよ。……というか、どこに?」
「獅子の家よ」
「獅子君の?」
「そうよ。奴の家に、お菓子を貰いに行くの」
親指を立てた両拳を向けて来る。
「あの、忙しかったんじゃ?」
当然の疑問を尋ねると、夏姫は大きく頷く。
「忙しい。働きアリは、お菓子を求めて忙しいものよ」
「……そうだね」
釈然としないが、夏姫なので仕方ないと、エレノアは諦めた。
エレノアが獅子の家に行くのは初めてだった。
「こ、これが獅子君の家?」
「そうよ」
夏姫はあっさり答えて、門の中に入って行くが、エレノアは気後れして、門の前で立ち止まってしまう。
家の周りは、肩程の高さに綺麗に切り揃えられた木の塀に囲まれている。しかし、その囲んでいる面積が、驚くほど広い。門から家まで行くのに二十メートル近くの距離があると言うのは、相当だ。
広い庭には綺麗に手入れされた日本風の庭園が広がっていて、涼しげな池まである。肝心な家と言うか、既に屋敷の方は、木の柱に白い漆喰の壁、屋根には瓦が使われ、昔の日本の屋敷のようだ。今時珍しく、平屋の建物で、今の世の中では、京都かお寺や神社にでも行かなければ目に出来ないような造りだ。
入って来ようとしないからだろう。夏姫が不思議そうに見て来るので、エレノアは慌てて追いかける。
「獅子君って、本当に名家の御坊っちゃんなんだね」
「そうか?」
「うん。普段は気さくで偉ぶったりしないから、普通に接してたけど、なんか、こういうの見ると、違うんだなって思っちゃうなってね」
「違うわ。獅子はそんな大層な奴じゃない」
「そうかな」
エレノアは首を傾げるが、夏姫は特にどうでも良いのか、扉まで開けて勝手に入って行く。
「勝手に入って良いの?」
「顔パス」
「……そうなんだ」
夏姫はずんずん進んで行くので、エレノアは慌てて追いかける。
「あら? 夏姫さん」
途中で夏姫が、落ち着いた綺麗な声をかけられて、足を止めた。そこに居たのは、上品そうで綺麗な老女だった。真っ白な髪といくつもの皺から年なのだとわかるけれど、背はピンと真っ直ぐで、動きはキビキビと若々しく、老いを全く感じさせない。なにより、目がとても綺麗で、美しい年の取り方をした人だなと、エレノアは思った。
「沙苗お婆ちゃん。こんにちは」
夏姫は頭をペコリと下げる。エレノアは慌てて同じように頭を下げる。
沙苗と呼ばれた老女は、こんにちはと微笑み答えて、エレノアの方に視線をむけてくる。
「あなたは初めてですね。私は雨ノ守沙苗。ここの当主をしています」
沙苗はゆったりと丁寧に、自己紹介をしてくれる。
この人が、この町を管理する、元老院のトップなのかと、夏姫は息を飲む。
「あ、はい。私はエレノア・トンプソンと言います。獅子君のクラスメイトです」
「そう。獅子のお友達ですね」
沙苗はそう言いながら、嬉しそうな顔をする。その顔はとても優しげで、この地を束ねる人間の前に、やはり、獅子の家族なのだと、エレノアは思え、緊張が解けて行く。
「獅子に会いに来たのですか?」
「そう」
「では、少し待っていて下さいね。……獅子。獅子は居ますか?」
沙苗は家の奥に向かって、透き通るような声で呼びかける。
「ん? 何だい、沙苗」
奥の方から、着物姿の獅子がやって来る。そして、エレノア達の姿を見ると、納得したような顔をする。
「夏姫が来たのか。それに、エレノアも。……まぁ、立ち話もなんだから、僕の部屋に来ると良い」
獅子はそう言って、自らの部屋へと、案内してくれた。
獅子の部屋は、畳敷きの八畳ほどの、和式の部屋だ。
エレノアは、男子の部屋に入るなど、小学生以来なので、ついつい物珍しく眺めてしまいそうなものだが、どうも、その点に関して、獅子は面白味のない人間のようで、卓袱台と本棚しかない。なので、眺める所など、無いと言って支障はなく、むしろ、部屋にある縁側から覗ける庭の風景の方が、見ていて楽しい。
夏の空気は熱いけれど、縁側から吹きつける風は、風鈴の綺麗な音色とともに、涼やかさを与えてくれて、とても気持ち良い。
庭を眺めていると、庭の隅で、小学生高学年くらいの少年が歩いていることに気付く。
「あれは、昇平ね」
自分が少年の事を見ていることに気付いたのか、夏姫がそう話す。
「昇平君?」
「獅子の弟。雨ノ守の次期当主」
「次期当主って、獅子君じゃないの?」
年長順的に考えれば、それが普通に思える。
「いや。僕には無理だよ」
獅子は首を横に振る。
「獅子は神気が使えない。だから、次期当主にはなれない」
「その点、昇平は優秀さ」
「そうなんだ」
エレノアは納得して頷く。
雨ノ守は封滅士の名家だという。その当主になるのだとしたら、神気が使えなければ話にならないだろう。いくら、その子供が神気の保有者である可能性が高くとも。
自分の目には無邪気に遊んでいるように見える。けれど、そんな少年の肩にも、重い役割があるのだろう。おそらく、自分なんかより。
果たして自分は、封滅士という役割が果たせる人間になれるのだろうかとも思うし、押し付けられた役割から、逃げ出したい気持ちにもなる。
「でも、次期ってことは、沙苗さんの次なの? 普通なら、獅子君のお父さんかお母さんが、次を継ぐんじゃないの?」
「普通はそうなんだけど、沙苗の息子の隆造夫婦は、二十年前の妖怪との戦いで亡くなり、隆造の娘で、昇平の母親の静音は、五年前に病気で亡くなったんだ。父親の幸次は、生きてはいても、雨ノ守の直系では無いから、跡継ぎには上げられないんだよ。だから、自動的に昇平になる」
獅子はさらりと言うが、身内の死を思い出させるような事を言ってしまい、エレノアは戸惑った。
「……あ、あの。ごめんなさい」
エレノアはとりあえず謝った。
「ん? 別に良いよ。死を思い出すのは辛いのかもしれない。けれど、僕がその亡くなった人だったら、忘れて欲しくないはずだ。だから、謝らなくて良い」
獅子は優しくエレノアに、語りかけてくれた。
「うん。ありがとう、獅子君。……そっか。……でも、沙苗さんって、獅子君の曾お婆ちゃんなんだね」
「はは。見えないでしょ。沙苗はああ見えて、もうすぐ九十になるんだよ」
「九十? 嘘っ。六十ぐらいに見えた」
「本当にな。……沙苗はいつまでも綺麗だよ」
獅子は遠い目をして言う。何か、思い出しているのかもしれない。
「綺麗なのは当たり前。沙苗お婆ちゃんは、私の憧れ。私もいつかああなるの」
夏姫はそう言って、何度も頷く。その様子に、エレノアは苦笑してしまう。沙苗の上品で、揺らぎの無い水面のように落ち着いた雰囲気は、今の夏姫がどんなに頑張っても、なれるものではないと思えたのだ。
「でも、わかるよ。私もあんな風に年を取りたいと思ったもの。……でも、獅子君は沙苗さんの事を、呼び捨てにするんだね」
エレノアは、先程から不思議に思ったことを聞いてみた。すると、獅子は軽く肩を竦める。
「まぁ、昔からの癖さ。呼び慣れてしまってね。傍からは、変に思われるのはわかっていても、習慣だから、中々、治らないのさ。……で? 夏姫は何しに来たの」
獅子は話を変えて、夏姫に尋ねる。
「暇なので、お菓子を貰いに来た」
「自分の家で貰いなよ」
夏姫の言葉を、あっさり切って捨てる獅子。
「で? エレノアの方は?」
「あ。私は夏姫さんに誘われて」
「……そうなんだね」
なんだかエレノアは、夏姫と同類に見られたような気がした。
「というわけで、お菓子よ。お菓子が無ければ、一歩も動けないわ」
そう言って、夏姫は畳の上をゴロゴロと転がって行く。
「ったく。しょうがないね」
獅子は文句を言いながらも、お菓子を用意しようと部屋から出て行く。結局、彼は夏姫に甘いのだと、微笑ましい気持ちで思う。
「……獅子君は、家では着物なんだね。いつもそうなの?」
身近に着物を普段着として使う人がいなかったので、新鮮な気持ちになって、夏姫に尋ねる。
「そうよ。獅子は洋服より和服の方が好きよ」
「そうなんだ」
そんな会話をしていると、今度は羊羹を載ったお盆を持って、獅子が戻って来た。
「これで良いかね?」
「ええ。羊羹は美味しいわ」
夏姫は起き上がると、羊羹をパクつき始める。
「良かったら、エレノアも食べなね」
「うん」
エレノアは頷いて羊羹を食べると、とても美味しかった。甘過ぎないのに、小豆の味がしっかりと、口の中に広がる。もしかしたら、高級品なのかもしれない。
「なんかごめんね。お邪魔しちゃっただけでなく、お菓子まで貰って」
「良いよ。……それより、エレノアはそろそろ、雨ノ守での暮らしに慣れたかな?」
「うん。大分ね。獅子君達のおかげだよ」
「何もしてないよ」
獅子は、エレノアの心からの感謝の言葉に、軽く肩を竦めてあっさり答えるだけだった。自分の感謝の気持ちが伝わらないと言うのが少しばかり不満で、彼の事を不満そうに見ると、獅子は苦笑する。
「まぁ、確かにエレノアが孤立しないようにとは、初めは考えたよ。けどね。そんなのは初めだけ。後は友達だから、接していたんだよ。……実の所、僕の友達なんて、信二や夏姫以外じゃ、ほとんどいないからね」
「そうなの?」
エレノアは意外に思う。少なくとも、エレノアにしてみれば、獅子は接し易い人だ。友達など、いくらでも居るだろうと思っていた。それなのに、いないと言う。
エレノアは、ある一つの可能性を思い出す。
「……もしかして、神気の力がないから、仲間外れにされているとか?」
「はは。それはないよ。雨ノ守に住んでいる人の半数くらいは神気がないんだ。一般の人が住んでいないわけでもないからね。だから、神気を使えないからって差別されることはないよ。……それより問題は、僕の雨ノ守の名前の方だよ。雨ノ守の当主は、元老院を束ねる人間でもあるからね。普通の奴らは、雨ノ守家が怖くて、まず、自分から近付かない。近付かなければ、好かれはしないものの、嫌われもしないからね」
「……なんか、それってやだね」
「だろ? だから俺は雨ノ守って、呼ばれたくないのさ。幼い頃は、関係なかったんだけどね」
獅子は疲れたような笑みを浮かべる。
「なんか。獅子君も大変なんだね」
「そうでもないよ。僕は妖怪と戦わないから、結局の所、誰よりも安全だからね。それに、多くはなくとも、夏姫や信二、エレノアって言う、楽しい友人達が居る。僕は幸せ者だよ」
「そっか」
エレノアは頷き、羊羹を口に運ぶ。友人達の中に自分の名前があるのを、自分が嬉しく思っていることを自覚しながら。
「……で、エレノアは大丈夫なの? 実践訓練」
「うぐ」
急な質問にエレノアは食べていた羊羹を詰まらせそうになる。
「その調子だと、自信無い?」
獅子が心配そうな顔をする。
「……まぁ、ちょっとね。神気を使った、自分の意思での肉体強化は、元々、体を動かすことが好きだったおかげか、感覚的にわかり易くて、すぐにできるようにはなれたんだけど、武器の顕現が出来ないの」
「なるほどね。確かに難しいって言うし……」
獅子は頷きながら視線を転じる。
「なぁ、夏姫。お前は教えてあげられないの? 顕現」
羊羹を食べていた夏姫は、食べる手を止めて、羊羹に差していた爪楊枝を床に置くと、何も無くなった手を見せてくる。そこには、髪の毛が握られていた。短い所を見るに、獅子のだろう。
何をするのかと見ていると、髪の毛が、爪楊枝へと姿を変える。
「簡単」
夏姫はそう言うと、新たに現れた爪楊枝で、羊羹を食べ始めた。
「うわぁ。歯に食べ物が詰まった時とか、便利そう……って、僕は顕現する所を見せろって言ってんじゃない。顕現の仕方を教えろと言っているんだよ。というか、まずは食べるのを止めろ。食い意地張り過ぎ」
「むぅう。待ってて、クロム。すぐに戻るから」
夏姫は名残惜しそうに言う。
「誰だよ、クロムって」
「羊羹の名前」
「無駄に格好良いな。と言うか、羊羹としても待っていたくはないだろ。待ってたら食べられて消されちゃうんだから」
「愚かね。食べ物の役割は食べられること。つまり、私に食べられて、私の血肉になることがクロムの喜び」
「……まぁ、腐らせるよりは確かに良いかもな」
「納得しちゃうんだ」
獅子が最終的に夏姫の意見を通すことに、エレノアは意外さを感じる。
「獅子は途中で面倒になって妥協する」
夏姫が説明する。
「ああ。そうなんだ」
「まぁ、信二みたいに最後まで付き合うと、疲れるからね。夏姫の話は適当に合わせるのが良いんだよ」
肩を竦めて言う獅子に、エレノアは苦笑してしまう。
夏姫に顕現の方法を習う為、庭へと出る。
「1、2、3、ドッカーン。夏姫お姉さんの、顕現教室が、はっじま~るよぉ~」
無表情で明るくそんなことを言う夏姫に、思わず目を疑う。
「気にしたら負けだ。脱線するぞ」
「う、うん」
恐ろしい。一体、どんな授業になるんだろう。
「というか、夏姫さんは普通に、教えられるの?」
「できると思うよ。一応あれでも、日野家の次期当主だし。……たぶん」
「たぶんって」
夏姫が雨ノ守を管理する一人になると思うと、不安しか浮かばないのは何故だろうか?
エレノアがそんなことを思っている内に、夏姫の授業が始まる。
「さて。顕現に最も必要なもの。それは妄想。以上」
「えっと、以上って早過ぎるよ。それに妄想って」
エレノアは戸惑ってしまう。
「うん。あながち、間違いではないね」
「え? そうなの?」
「そうだよ。顕現っていうのは、武器っぽくするだけでは駄目だからね。顕現した武器に、特殊な力を付加させなくちゃいけないんだよ」
「そう。見本を見せる。顕現せよ、鬼切丸バージョン一・〇」
地面に落ちている小枝を拾い、明音が朗々と言霊を唱えると、小枝は赤い刀へと姿を変える。
「二・〇と、色が違うわ」
「本当だ」
「当たり前。違うからこそ、バージョンナンバーを振っているのだから」
驚く二人に、夏姫は不服そうな顔をする。
「いや。てっきり夏姫の事だから、適当に言っているだけだと思ったよ」
「う~む。侮辱を受けたわ。……まぁ、良い。とにかく見本を見る」
夏姫はそう言って、刀身を庭に敷き詰められた芝に触れさせる。すると、芝が燃えて行く。
触れたものを燃やす。それが、夏姫の鬼切丸の力なのだろう。
「凄い」
「ああ。……凄い燃えているよ。……家の芝が。ていうか、燃やさないでよ。手入れしてあんのに。つうか、すぐに消せ。火事になるだろうが、馬鹿」
獅子の文句に、夏姫は不満そうな顔をする。
「むぅ。顕現せよ。鬼切丸バージョン二・〇」
そういうと、鬼切丸の刀身が水色に変わり、炎に触れさせると、炎は消え、芝生は勢い余って、凍りつき、ボロボロと崩れていく。
「やり過ぎ」
「むぅう。これは武器だもの。やり過ぎるべきだわ」
「なら、せめて家を汚さないでくれ」
「家では無く、庭よ」
「庭も十分、家の一部だよ」
獅子はしゃがみ込み、すっかり無くなってしまった芝生の下の地面を撫でる。一か所だけとはいえ、みっともない見た目になってしまった。
「でも、そうか。形にするだけじゃ駄目なんだね。……うぅ。形にするだけで、苦労しているのに」
エレノアは困ったように自分の手を眺める。しかし、その様子を見た夏姫は首を横に振って、説明し始める。
「順番が違うわ。形なんてものは、後からついて来るものだから、むしろ、やるべきことは顕現した時の能力よ」
「能力?」
エレノアはあまりピンとこなかったので、首を傾げる。
「封滅士にはそれぞれ、得意な能力があるんだよ。例えば、夏姫なら、火と氷ってことなのかな? 真反対の二つを操るってのも、珍しいけれど」
獅子が説明してくれる。
「そう。能力の発言がまず大事」
夏姫はそう言って、手の上に炎を灯す。
「顕現していないのに、能力は使えるんだ」
エレノアが感心したように見ると、夏姫は頷く。
「けど、この状態は神気を常に使っている状態だから、神気のだだ漏れ状態なのよ。長くは保てないし、顕現に比べれば、込められる力も弱いから、実践には不向きね。でも、顕現を覚えるには、まず、これが出来るようになった方が良いと思う。卵を手に入れるには、鶏が先に必要と言うこと」
「……そうなんだ」
「最後の例えが良くわからなかったけれどね」
獅子はぼやく。
「そうかしら? 鶏を手に入れる為には卵が必要。けれど、卵を貰うには鶏が必要なのよ」
「……うん。まぁ、納得し難いけれど、そうだね。それで?」
「つまり、顕現も一緒。能力を発揮する為には、武器を顕現させることが必要だということね。けれど、武器を作るには、能力を作ることが必要って言うこと」
「ううむ。わかるような、わからないような」
「まぁ、とりあえず、能力から発揮させれば良いってことよね」
エレノアは確認するように言う。
自分の発揮できる能力が何なのかはわからないけれど、少なくとも、今までの手探りの状況よりは、随分マシだと思えた。
「楽しそうでしたね、獅子」
夏姫達が帰った後、沙苗が獅子に、話しかけ来た。
「そうだね。楽しかったよ。ありがとう、沙苗」
「何故、お礼を言うのですか?」
「何故って、こうして、僕が今を楽しめているのは、沙苗や和馬のおかげだから」
和馬とは、今は亡き、沙苗の夫だ。
「本当だったら、和馬は僕なんか、受け入れたくないはずなのに、優しくしてくれた。本当の家族のように振舞ってくれたんだ」
「そうですね。和馬さんは優しい人でした」
「それに沙苗だって、僕に居場所を与えようと、この、雨ノ守の地のあり方を変えてくれた。だから、僕はこうして、今を生きることが出来ている。だから、ありがとう」
「私への礼などいりません。私の望みは、……獅子。あなたは幸せになって欲しいということです」
沙苗はそう言って、頭を撫でて来る。
獅子は撫でられながら思うのだ。
自分ではなく、沙苗に幸せになって欲しいと。
彼女は今まで、本当に望んだ通りの結果を、得たことがないから。
雨ノ守の人間として、沙苗は望まない結婚をした。
それでも、和馬の優しさに心を許し、子供を儲け、孫を得た。本当に望んだ通りのものではなくとも、彼女はそれなりに、幸せを得たと思った。けれど、それすら、彼女の手をすり抜けたのだ。
夫、和馬。そして、息子夫婦と孫娘の、早くしての死。
沙苗は多くのものを失っている。
だからせめて、残り少ない彼女の人生が、これから先、何も失わず幸せなものであって欲しい。それが、獅子の偽らざる思いだった。
一週間程が経ち、実践訓練が行われる。
実践訓練は、その名の通り実践だ。
プロの封滅士達が依頼を受けて妖怪退治を行うように、雨ノ守学院の教師達が都会の依頼の中から、生徒達でも果たせそうな依頼を選択し、その依頼を生徒達に行わせる。つまり、本当の妖怪退治を行うということ。
妖怪は人の集まる都心に、現れやすい。その為、雨ノ守学院の生徒達は、都心にやって来ていた。
「ビバ、都会」
夏姫がバスから降りるなり、両手を上げて叫んだ。
今いるのは、結構大きな駅の前なので、周囲には多くの人通りがあり、その人達が、変なものを見るような視線を向けて来る。正直、すぐ後ろを歩くエレノアは恥ずかしくて仕方ない。出来れば他人のフリをしたいけれど、同じ制服を着ている時点で、無理だろう。
「えっと、夏姫さん。都会の人はビバとか言わないからね」
「嘘」
夏身は驚いた顔をする。
「本当だよ」
「チョベリバは?」
「古いよ。古過ぎるよ。尋常じゃないくらい」
「そんな。……勉強したのに」
「勉強って、何を?」
尋ねると、夏姫が肩にかけていたトートバックから本を取り出して、渡して来る。本の表紙を見ると、『今時の女子高生の会話帳』と書かれていた。
「今時って書いてあるのに」
夏姫は不満そうに本を睨みつける。
「十何年も前に書かれてる時点で、今時なわけがないだろう」
バスから降りて来た。信二が夏姫の頭を軽く叩いた。
エレノアは本の後ろから、出版年を見ると確かに十何年も前だった。今時であるわけがない。
本格的な封滅は、妖怪が行動を起こす夜となる。その為、泊まることになるホテルに行くまでの間、少しではあるけれど、自由行動になる。
都心には、雨ノ守の地にはない数々の店があるので、皆が皆、浮足立っている。
エレノアと信二と夏姫の三人は、見上げる程大きなショッピングビルが立ち並ぶ、アーケード街を歩く。お店の種類は雨ノ守と比べるべくもなく、同じ様なお店でも、品揃えは都心の方が遥かに多い。
「あれは何かしら」
電飾が眩しい程光り、複数の音が大音量で混じり合っているお店を、夏姫が指差して聞いて来る。
「ゲームセンターだね」
エレノアは答えながら、雨ノ守にはゲームセンターが無いことを思い出す。エレノア自身はゲームをやらないので、今の今まで気付かなかった。
「あれが噂の、ヤンキー達の溜まり場ね」
「溜まり場って、一昔前だぞ」
信二が呆れたように言うけれど、残念ながら、縁のないエレノアにとっても、夏姫と似たような印象しかない。
「あれは?」
今度は、壁に多くのポスターが張られた建物を指差す。
「映画館よ」
「魅惑のデートスポットね」
夏姫は感心したように頷く。
「魅惑ではないだろう。……つうか。何で獅子は来ないんだよ。俺は夏姫の突っ込み役は、嫌だぞ」
ずんずんと進んで行く夏姫に、信二は顔に手を当てて嘆く。
「獅子君は神気を持たないから、実践訓練は、さすがに意味がないからじゃないかな?」
エレノアがそう言うと、夏姫が振り返って、真剣な目で見てくる。
「違うわ。そういうことじゃない。彼は雨ノ守に居なければならないの」
「なんだそれ?」
信二は眉を寄せる。
「昔からの決まり。多分。獅子が生まれる前からの」
「……そういえば獅子君は、雨ノ守の地から出られないって言ってたわ」
一度、獅子が言ってたことを、エレノアは思い出す。どうして出られないのかを聞いた時、獅子は曖昧に誤魔化した。
「夏姫さんは、獅子君がなんで雨ノ守の地から出られないのかを知っているの?」
「知っている。封王祭の封印の子だから」
「……封印の子?」
「……あれか」
エレノアは首を傾げ、信二は心当たりがあるのか、顔を顰める。
「えっと、そもそも、封王祭って何なの?」
「お祭り」
夏姫は即答する。それだけで、説明は終わりのようだ。
隣で信二がため息を吐く。
「……封王祭ってのは、一年に一度、雨ノ守の地で行われる、あの村特有の祭りだ。何でも、雨ノ守の地には、昔の封滅士達が手に負えなかった大妖怪が封じられているらしい。だから、俺達がそのことを忘れない為に、封王祭って祭りを毎年行うんだ」
「そうなんだ。……そのお祭りに、獅子君はどう関わるの?」
「ああ。封王祭は、伝説の中で起こった出来事を、表現するんだ。そして、伝説だとその大妖怪は、人を生贄として封じられた。その生贄となった人は、封印の子と呼ばれていて、その役を獅子がやるんだ」
「つまり、獅子は封印の子。そして、封印の子に任命された人は、雨ノ守から出ちゃいけないって言われているの」
夏姫が信二の説明に付け足す。
「どうして、封印の子になると、雨ノ守の地から出られないの?」
「封王祭は、ただのお飾りの儀式じゃないもの。獅子は本当に妖怪を封じているのよ。獅子が離れれば、封印が不安定化し、解けると言われているわ」
「そうなのか? 獅子にそんな力があるのか?」
信二が意外そうな顔をする。それは、エレノアにしても同じ気持ちだった。獅子には神気がないのだから。
神気を持った人が妖怪を封じていると言うのならわかるけれど、何の力も持たない獅子が、妖怪を封じていると言うのも、おかしな話だ。
しかし、それに対して、夏姫は鼻で笑う。
「獅子は雨ノ守家の人間。神気を持たないなんてあり得ない。獅子に神気が無いのは、獅子の神気が常に封印の為に注がれているからだと私は思うわ。だから、獅子自身には、力を使うだけの余裕が残っていないのよ」
夏姫の言っていることが正しいと決まったわけではないけれど、その通りなのかもしれないとも思える。エレノアは獅子の事を思うと、悲しい気持ちになる。
大妖怪を封じる為に、自分の力すら封じられ、雨ノ守の地から出ることすらできない。
夏姫は言った。獅子が生まれる前から決まっていたことだと。そこに、獅子の意思はなかっただろう。
自由にならない力。自由に出ることのできない土地。獅子にとって、どれだけの閉塞感があるのだろうか?
自分には想像することしかできない。
それでも、獅子が雨ノ守と呼ばれたくない理由が良くわかった。雨ノ守の名は、容赦なく、自らの役目を意識させることになるからだ。
エレノアは、少し前まで平和な日常を当然のものとして受け入れていた。しかし、その陰には、封滅士達の陰の努力があったのだと、自らもその境遇になって、少しずつ理解してきた。
理不尽だと思う。
封滅士は、皆の為に戦っていると言うのに、何故、封滅士ばかり自由を縛られるのだと、エレノアは思う。
獅子が人生を振り返った時、幸せだったと思える人生で、あってくれれば良いと。そうでなければ、可哀そうだ。そして、おそらく幸せにできるのは、今の所、自分達のような、友人達の存在なのだと思うから。
「よし、てめぇら。集まったな」
夜になり、担任の浅賀がホテルの裏にある駐車場に、生徒達を集める。
「これからお前達は、初めての妖怪退治に行くわけだ。一応、こちら側で弱い妖怪を選んじゃいるが、何せ向こうはこの世の枠から外れて生きている奴らだ。いきなり強くなっている可能性もある。だから、油断すんなよ。下手したら死ぬからな。少なくとも、アクシデントがあったとしても、先生達が助けに来るまで、自分らで身を守れよ」
浅賀はいつも通り、かったるそうに説明する。
「うぅ。私、結局力を発揮できなかった」
エレノアが不安そうに言うと、信二が励ますように肩を叩いて来る。
「別にお前一人で戦えって話じゃないから、俺らが守ってやるよ」
夏身も任せとけと言わんばかりに頷く。
今回の封滅は三人で協力して退治すると言う方法を取る。三人なら、一人でいる時よりも恐怖に陥ることは少なく、弱い妖怪を十分に倒せると考えているのと、実際の封滅士にしても、仲間と協力して戦うことが多いので、コンビネーションを磨くと言う意味もあるのだろう。
先生からの説明が終わると、それぞれのグループに分かれて車に乗り込む。さすがに生徒全員が戦えるだけの弱い妖怪が集まっているところなどない。なので、いくつにも分かれて、色々な現場に行くことになるのだ。
「でも、どうして妖怪退治は夜に行うのかな?」
エレノアは移動中の車の中、疑問に思ったことを口にする。
全ての妖怪がと言うわけではないが、多くの妖怪は、夜の方が活発化し、本来の力を発揮すると言われている。ならば、封滅士としては、昼間の方が戦い易いはずなのだ。それなのに、今回にしても、普通の妖怪退治にしても、夜に行われることが多い。酷く非合理的な気がする。
「よくわかんないけど、大人の事情って奴らしいぜ」
信二が肩を竦めて答えた。
「そうなの?」
「ああ。なんでも、国としては妖怪の存在を、あまり一般的に知られたくないってのが本音らしい」
「知られたくない? でも、妖怪はいるって、誰もが知っているよ」
エレノアが雨ノ守に来る前にも、ニュースなどでは、どこどこで妖怪の被害があったという報道が、普通にあった。別段、妖怪の存在が隠されているようには思えない。
「まぁな。けど、エレノアだって、雨ノ守に来るまでは、詳しくは知らなかっただろう? なんでかわかんないけれど、詳しく妖怪の事を知られたくないらしい」
信二も言っていて不可解に思ったのだろう。首を傾げる。
「理由は単純さ」
エレノア達の引率者であり車を運転している担任の浅賀が答える。
「そうなんですか?」
「ああ。国にとって、邪魔な妖怪や神はいくらでもいる。だから、国は自分達の事情でそれらの存在を滅ぼすんだ。けどな、お前らは知っているだろうが、妖怪には人間だった者もいるんだ。一般人にそれを知られれば、国は非難を受けるだろう。世の中には、人権団体とかいうのがいるからな。つまり国としては、妖怪の人権まで叫ばれちゃ堪ったもんじゃないんだろうよ」
「……妖怪の人権」
「だから世間では、妖怪ってのは、ただの人間の敵でなくてはならない。それ以上の事は知られちゃいけないのさ」
「つまり、妖怪の事を知られない為、少しでも一般の人達の目に触れない為に、危険でも夜に戦わなければいけないってことなんですね」
「そういうことだ。腹立たしいことにな。国の事情で、どれだけの封滅士が危険な目に遭っていることか」
浅賀はとても不機嫌そうに顔を顰める。
封滅士の中には、浅賀が教えて来た元生徒達もいるのだろう。そんな彼らが、むざむざ危険な状態で戦わされている。中には、夜でなければ、死なずに済んだ封滅士もいたのかもしれない。
普段はぶっきら棒でやる気のない態度ではあるけれど、やっぱり浅賀は教師なんだなと、エレノアは彼の評価を改める。
「この国は変わるべきなんだ。封滅士達がどれだけ貴重で、どれだけ尊い存在なのかを知るべきだ」
浅賀はこの国の今の在り方を、本当に嫌っているようだ。
でも、エレノアにしてもわからなくもない。自分は封滅士側になって間もないけれど、封滅士には、色々な負担を強いられている。
夏姫は気楽にしているように見えて、将来的には、名家の人間としての責を負わされている。獅子は妖怪を封じる為、神気まで使えない状態にされ、雨ノ守の地に縛り付けられている。自分や信二にしても、持っていた夢を諦めることになった。それを、恨めしく思わないと言うのは、嘘になるだろう。
長年、封滅士として生きて来た浅賀は、自分なんかよりも、よっぽど大きな感情を抱えているのだろうと、エレノアは思った。
「ふあ。着いたの?」
車が止まると、夏姫が尋ねて来る。静かだと思ったら、どうやら寝ていたようだ。
外の様子を窺うと、立ち入り禁止のパネル板に囲まれている工事現場のような所がすぐに目に入る。車から降りると、鉄柵の扉を開いて中に入る。すると、廃ビルがあった。十階建てぐらいだろうか。
雨ノ守の地にはこれだけ巨大な建造物がないので、今日だけで、これほど建物を見上げると言う行為が久しぶりだと思ったことはない。引っ越す前は普通だったのに、エレノアは苦笑してしまう。
「しっかし、廃ビルって言うにも、ボロ過ぎねぇか?」
ビルを見た信二が顔を顰めて、ぼやくように言う。
確かにビルはボロボロで、あちこちの壁が崩れている。風化しただけにしては、建物自体はそれほど古くは見えない。
「ああ。ここのビルは手抜き工事の問題で引き払われてな。更にそこに妖怪が住んじまって暴れ回るから、あんなふうに、ボロボロになってんだ。気を付けろよ。床が突然抜け落ちていたり、お前らが暴れ過ぎたら、崩れたりするからな。ビルの中に居る状態で倒壊したら、さすがに助けられないぞ」
浅賀が注意する。
「はい、気を付けます」
「わかった」
「むぅ。私はスマートなので、心配無い」
エレノアを始め、三人はそれぞれ浅賀に答えて、廃ビルの中に入って行く。
元々はオフィスビルだったのだろう。玄関には大きなホールが広がっている。中は電気が供給されていないので、もちろん、電灯が付いているわけもなく、周囲はあまりにも暗く、全体像は見えない。
「さて、どこから探すべきかね」
信二がビルに入ってすぐに首を傾げる。
「というか、この暗さは不味くない?」
エレノアは周囲をキョロキョロと見回しながら言う。倒すべき妖怪からすれば、夜目も利き、自由に動き回れる場所だろうけれど、そんな心得のないエレノアには、まともに動くことすらままならない。
「そうね。美味しくない」
「……不味いってことか? まぁ、そうだな。いくら俺達も夜目が利くとはいえ、妖怪に比べれば、どうしても劣るからな」
信二は夏姫の言葉を無視して、同意する。
「二人は夜目が利くんだね」
エレノアは感心しながらも、自分の能力が劣っていることが嫌になる。完全に足手まといだと思ってしまう。
「さて、光はどう確保するか」
「任せると良いわ。顕現せよ、光鳥」
夏姫は地面に落ちている瓦礫を三つ拾い、それぞれを光り輝く鳥へと顕現させる。光る鳥は一匹ずつ、エレノア達、それぞれの周囲を飛び回り、辺りを明るく照らす。
「これは式神」
エレノアはその鳥を驚き見つめる。その鳥は少し前に、授業で習った式神に違いなかった。
式神とは、封滅士が武器を顕現するように、神気を使って作り出した、擬似的な生物である。創造主の神気の塊なので、作り出した封滅士の意思を、ある程度読み取って動いてくれる。なので、封滅士にとって良きパートナーとなる。しかし、式神を作り出すのには、神気を練る相当な技術力が必要とされて難しい。現役の封滅士の中には、式神を作り出せない者もいる程に。
だが、夏姫はそれを、軽々と三匹も作り出した。
「凄い。凄いよ、夏姫さん」
「ふふん。そうでしょう。けれど、残念ながらこれはたいしたことじゃないわ。実践で使うような複雑な式神ならまだしも、この式神は光り輝いて、私達の後を付いて来るだけの単純なもの。だから、武器を顕現させるのを少し応用すれば、簡単にできるわ。式神は神気を駆逐するのが難しいだけで、神気の使用量が特別多いわけじゃないもの」
「まぁ、夏姫はそう言うが、こいつの実力は相当だよ。現役の封滅士にも引けを取らない」
信二がそう言うと、夏姫は彼から距離を取る。
「むぅ。信二が珍しく私を褒めている。これは、何かの罠?」
「んなわけないだろうが。……ったく、人が珍しく褒めてやっているのに。それよりも、暗闇の問題はなんとかなったな。どこから妖怪を探す?」
信二は、ある程度明るくなった周囲を見て言う。
「そうね。妖怪の居る所。それは、最上階よ」
夏姫が自信満ちた答えを返す。
「どうして?」
「ゲームではだいたいそうだから」
「……まぁ、別に心当たりがあるわけでもないし、それで良いか。で、どこから、最上階に行けるんだ?」
ホールにはエレベーターが目に入るけれど、電気が通っていないのだから、当然のように動くわけもない。
「廊下の奥に、非常階段とか、あるんじゃないかな」
「なるほどな。そこから上がるか」
信二は頷き、三人は奥へと進んで行く。
非常階段を、問題の最上階近くまで上がってきたが、特に妖怪から襲いかかって来ることもなく、エレノアとしては少々、拍子抜けしてしまう。もっと、妖怪は積極的に襲いかかってくる者だと思っていた。
そのことを信二に話すと、彼は肩を竦める。
「妖怪だって、警戒心があるのさ。特に、式神も出して、神気を持っているって一目でわかっているだろうから、むやみに襲いかかってきたりはしないんじゃないか? むしろ、今も陰から俺達の様子を窺って、チャンスが来るのを待っているのかもな」
「そ、そうなのかな」
エレノアは信二の説明に怖くなり、周囲を見るけれど、妖怪の姿が見えたりはしない。
「しっかし、手抜き工事にも、程があるだろう。どんだけ崩れてんだって話だよ」
今日、何度目かになるかわからない、崩れた階段を飛び越えて、信二がぼやく。
「手抜き。それは賄賂の臭い。政治家か。政治家が悪いのか」
「知らねぇよ」
信二はうんざりしたように言う。このビルが何故手抜きになったかなどと言う、いきさつは知るわけもない。夏姫自身もたいした答えを期待していたわけではなく、キョロキョロと周囲を見る様は、ただ、単純に飽きて来ただけのようだ。
エレノアはため息を吐いてしまう。こちらは今にも心臓が止まりそうな程緊張していると言うのに、夏姫は普段通り余裕綽々と言った様子で、正直羨ましくて仕方ない。
「着いたぞ、最上階に」
「居るかな、妖怪」
「まぁ、居なけりゃ、一階ずつ降りてきゃ良い」
信二は軽く答え、非常階段の防火扉を開ける。
最上階には、廊下が長々と続いていて、廊下の左の壁には、いくつもの扉が付いていて、部屋の多さを感じさせる。
「一つ一つ、部屋を調べんの、かったるいな」
「同感」
夏姫は信二の言葉に同意する。
「まぁ、かったるくても、やらなくちゃいけないんだから、頑張ろうよ」
エレノアがそう声をかけると、二人はうんざりとした顔をしながらも、歩き出す。
「エレノア。下は崩れやすいから気を付けろよ」
「そう、いつ崩れるかわからない」
信二と夏姫が、後ろを振り返って、心配してくれる。
エレノアは、自分を気にかけてくれる心遣いが嬉しくて、ありがとうと言おうとした瞬間、……二人は床を踏みぬいて、落ちて行った。
「……ば、馬鹿でしょ。あなた達、馬鹿なんでしょ」
思わず、エレノアは叫ばずにはいられない。人の事を心配しておいて、自分が落ちるって、どれだけ愚かなことをしているんだろう。
とりあえず、二人が無事かどうか心配になる。それぞれに付いている光鳥の明かりは見えるのだが、肝心の二人の姿は良く見えない。けれど、穴の下の方から声が聞こえてくる。
「うお。びっくりした。三階層くらい下まで落ちて来ちまったか」
「ふふん。私は四階層よ」
「なんで自慢げなんだよ」
そんなやり取りが聞こえて来たので、二人とも無事だったと、言うことがわかりホッとする。しかし、それと同時に、一人きりになってしまった心細さを感じる。
「うぅ。どうしよう。こんな時に妖怪が現れたら」
エレノアは周囲を見回す。
光鳥が周囲を照らしてくれているので、真っ暗な状況に比べれば、心は幾分か和らぐけれど、光の届いていない闇の先を想像すると、肌が泡立つような恐怖心が湧きあがってしまう。
どうしよう。
ひたすら頭の中では何かしなければという思考は浮かぶのだけれど、それ以上発展することはなく、怖くて体が強張ってしまう。
エレノアが何も行動にできずにいると、後ろの方で、先程登って来た非常階段の扉が、開閉する音が聞こえて来る。振り返るけれど、そこまで光は届かず、誰が来たのかわからない。
「夏姫さん? それとも、信二君?」
夏姫達が戻って来たのかと、エレノアは思って声をかけたのだけれど、返答はない。
「ちょ、意地悪しないでよ」
エレノアは不安から声を荒げるが、それでもやはり返事はなく、ゆったりと何かの気配が近付いてくるだけだ。そして、彼女は見る。薄っすらと照らす光の先。そこに居る者の姿を。
人型をしていたが、それは完全に人ではなかった。身長は天井近くまであり、手足が異様に細長い。その頭部には、大きな一つ目が白く輝いている。
そう、そこに居たのは妖怪だった。
妖怪は闇から身を覗かせると、こちらを見て、真っ赤な口を笑みの形に裂かせる。
「ひっ」
エレノアは後ろに下がろうとするが、足が恐怖に強張っていて、もつれさせて転びそうになる。それでも、なんとか壁に手をついて転ぶのを避けるけれど、がくがくと体中が震え始めている。
逃げなくちゃ。
エレノアは身を翻して走り出す。強張ってはいても、雨ノ守に来る前は、陸上部で毎日のように走っていた体だ。動き出せば本来の動きに戻って行く。
穴の開いた床を飛び越えて、廊下を走りだすと、妖怪は壁を伝って追いかけて来る。両者の動きの速さはほぼ同じ。廊下は長いが、このままでは、すぐに追い付かれてしまうのも目に見えている。
だからエレノアは、偶々開いていた両開きの部屋の中へと逃げ込んだ。両開きの扉はここだけで、部屋の中はとても広かった。もしかしたら、ここは社長室のような、重役の部屋だったのかもしれない。
エレノアは慌てて扉に鍵をかける。
するとすぐに、扉を叩く物凄い衝撃が伝わってきた。その衝撃音が聞こえて来るごとに、心臓を鷲掴みにされたような気がする。
頑丈な扉はそれでもなんとか耐えてくれていて、エレノアは扉の様子を祈るように見つめながら、部屋の隅に蹲る。
「早く。……早く、夏姫さん達、来てよ」
涙が零れてしまう。何で自分なんかに、神気が目覚めてしまったんだろうとすら思えてしまう。怖く怖くて仕方なかった。
ミシミシと、嫌な音が聞こえて来る。慌てて扉を見直すけれど、未だ扉は壊れる様子は見えない。ならば、なんの音だろうと改めて見ると、扉の周囲にある壁のひびが、段々と広がっている。扉よりも、建物の方が耐えられなくなっているようだ。
「そんな」
エレノアは壁に手をついて立ち上がり、なんとか逃げる場所はないか視線を巡らすけれど、出入り口は入って来た扉だけだった。
大きな音を立てて、扉が倒れる。そして、向こうにはやはり、妖怪の姿があった。
妖怪は、エレノアがすでに逃げ切れないと悟ったのか、ゆったりと余裕を持って近付いて来る。
怖い怖い怖い。……でも。
恐怖を感じすぎた性か、恐怖している状態に、慣れ始めてもいた。だから涙を拭い、エレノアは見よう見真似で構える。
早く、夏姫達が来て、助けてくれたらどんなに良いだろうとも思うが、自分の頼り過ぎている思考が、嫌にもなる。
自分と夏姫達は友達だ。友達とは、対等でなければいけないと、エレノアは思っている。だから、このまま、甘えてばかりではいられない。
「戦わなければ駄目。ここには戦いに来たのだから。逃げに来たわけじゃないんだから」
エレノアは自分に言い聞かせると、意識的に神気で体を強化させ、殴りかかる。けれど、エレノアに戦いの心得があるわけではなく、あるとすれば、最近の授業で少し習った程度。なので、その拳は妖怪に届く前に、妖怪の長い腕で、顔を殴り飛ばされる。
エレノアは地面に転がり、痛みに呻く。
今まで、殴り飛ばされることなんて経験はなく、それだけで、折角湧き起こった気力も消えてしまう。
「……助けて。お父さん。お母さん……夏姫さん。……信二君。……獅子君」
頬の痛みに拭ったはずの涙はまた溢れだし、そんな弱音を吐いてしまう。それでも救いはなく、妖怪はゆっくりと近付いて来る。そして、妖怪の口がニタリと裂け、手がエレノアを掴もうと伸びて来る。
「いや。いや。いやぁああああ」
エレノアは全力で拒絶する。妖怪の腕を無我夢中で蹴り、殴り、少しで遠くに行って欲しいと。
そんな時だった。エレノアの中の神気が変化を起こしたのは。
神気が全てを拒絶するように周囲に解き放たれ、それは強力な電流へと変わる。突然の電撃に妖怪は言葉にならない悲鳴を上げ、後ろに下がる。
エレノアも自分の放つ電流に気付く。
「これが、私の力?」
すぐに電流は消えてしまったけれど、一度変えた神気を、同じような感覚で変化させることはできると思った。
電撃に一度怯んだ妖怪が、警戒するように近付いて来る。でも、エレノアの心は落ち着いていた。
以前は、自分の無力感から、どうしようもない相手としてへの恐怖だった。けれど、今なら対抗出来るだけの力がある。それが、どれだけ自分の支えになることだろう。もしかしたら、新しい力を得たことによる、高揚感もあるのかもしれない。それでも、自分自身の恐怖が薄れているのを、エレノアは自覚していた。
エレノアは神気を操り、電流を放つ。
電流は周囲に広がり、妖怪にまで届く。妖怪は痛みに悲鳴を上げるが、それでも威力が足りていないことを、自分で自覚する。妖怪は痛がってはいても、耐えている。今までの余裕を消して、突っ込んで来る。
エレノアはそれを飛び退いて避ける。
恐怖による体の強張りは解け、今なら思うように動ける。近くで戦うことは無理だけれど、ある程度距離を保ったまま、逃げ回ることならできる。
しかし、遠くに行けばそれだけ、電撃の威力は落ちてしまっていることにエレノアは気付く。今は周囲に電流が流れているだけで、威力まで散らばってしまっているのだ。
「それなら」
手の平を妖怪に向け、電流の向きを妖怪に持って行こうとする。散らばっているなら、指向性を与えて、まとめ上げれば良い。
しかし、慣れないことなので、狙いは逸れ、妖怪も動き回るので、何度も外してしまう。
「くぅ」
いくら相手の攻撃を避けられるとは言え、逃げ場など限られてくる。次第に追い詰められるエレノア。だから、腹を決め、一か八かの手段に出る。
集中する。とにかく集中する。
妖怪が突っ込んで来た。そして、振り上げられる腕の一撃。今まではそれを後ろに逃げることでなんとか避けていた。けれど、エレノアは一歩踏み出す。その一撃を踏み込みながら避けようとしたのだ。
妖怪の一撃は避けきれず、肩にかすり、バランスを崩して前に倒れてしまう。妖怪が勝利を確信し、ニタリと笑みを浮かべるけれど、エレノアは怯まなかった。
近付いたこと。それ自体が、エレノアの狙い。
妖怪の次の攻撃を仕掛けて来る。しかし、それよりも早く、エレノアは手の平を妖怪に向けていた。
「くらえぇえええええ」
放たれる電撃。あまりにも近い為、それは、逸れようもなく、妖怪に当たる。
妖怪は電撃に苦しみもがき、腕を振るう。それは近くに居たエレノアに当たり吹き飛ばされてしまう。
エレノアは痛みに顔を顰めながらもなんとか起き上がり、妖怪を見る。妖怪は跪いていた。けれど、消滅していない。妖怪は死ぬと塵になって消えると言う。そうでないと言うことは、生きていると言うこと。
エレノアは立ち上がり、再度電撃を放とうとする。しかし、体中にだるさがのしかかり、電撃が放たれない。
「どうして?」
驚いて自分の手を見るけれど、理由がわからない。神気を集めようとするけれど、神気すら感じられない。身体能力を強化することさえままならない程に。更には、使おうと意識する程、だるさが増していくばかりだ。
そこまでいって、エレノアはある可能性に思い至る。今、自分が使っているのは、顕現ではなく能力の発現。つまり、前に夏姫の言っていた、神気のだだ漏れ状態だったのだ。おそらく、神気を使い果たしてしまったのだろう。
「そ、そんな」
絶望的な気分に囚われ、思わず尻もちをついてしまう。神気が無くなると言うことは、攻撃手段が無くなるだけではない。今までは、神気で体を強化していたからこそ、避けることも、相手の攻撃に耐えることもできたのだ。それが、今は無くなってしまった。
妖怪が起き上がるのが、目に入る。傷付き満身創痍そうに近付いて来るが、それでも、
今の、神気の尽きてしまったエレノアに、どうにかできる相手ではない。
恐怖がまた、湧き起こって来る。まともに動くことすらできず、恐怖に震えて見つめることしかできない。
「顕現せよ、鬼切丸バージョン一・〇」
声と共に、目の前の妖怪が切り裂かれ、燃え上がると、塵となって消えていく。
「な、夏姫さん」
「うん。その通り。ヒーローは遅れて来るものよ」
妖怪の後ろから出て来た夏姫は、鷹揚に答える。それはいつもの泰然とした姿で、安心感を与えてくれる。
「うっ、うぅ、わああぁぁぁん。怖かった。怖かったよ。ひっく」
救われたと言う安心感から、堰が切れたようにエレノアは、泣きだした。
「わお。急に泣き出した」
「そりゃ、それだけ怖かったんだろ? 早く助けりゃ良いものを」
夏姫の後ろにいつの間にかいた信二が、ぼやくように言う。
「ヒーローは遅れて来るもの」
「だからって、怖がらせるなよ。助けようと思えば、妖怪がこの部屋に入る前に、助けられたよな」
「……うぅ、ひっ、ひっ、そ、それ、ほんろう?」
エレノアは、さすがに信二の言葉を聞き流すことはできず、泣きながらも尋ねる。
「まぁな。俺らが落ちた穴から登った時には、妖怪に追われる夏姫の姿が遠目に見えたくらいだ。すぐに追えば、妖怪が壁壊す暇も与えなかっただろうよ」
「な、なら、なんで?」
エレノアの訴えに、信二が、バツが悪そうに頭を掻く。
「いや、……夏姫が止めたんだよ」
「うん。ヒーローは遅れてくるもの」
どうやらそれが、夏姫の思いらしい。
「……それは、もう良いよ」
そんなこだわりの為に、自分はこんな怖い思いをすることになったのかと思うと、怒りを通り越して、呆れてしまう。
「でも、そのおかげで、エレノアは力を手に入れたわ」
夏姫が、この結果をわかっていたように言う。
確かに彼女の言う通り、エレノアは神気を電気に変える力を手に入れたのは事実だ。
「もしかして夏姫さんは、私が能力に目覚めるってわかっていたの?」
「わかっていたわ」
夏姫は胸を張って答える。
「嘘だろ?」
信二は胡散臭げに夏姫を見る。
「人は、ピンチに陥ると、新たな力に目覚めるのよ。……アニメで見たわ」
「アニメかよ」
信二が思わず突っ込んだ。
エレノアはそれを見ながら思う。夏姫は本当に今まで、自分の思うように生きて来たのだろうと。だから、人の苦労よりも、自分の考えを優先してしまう。
「はぁ。夏姫さん。ううん、夏姫。私は結構、怒っているよ」
「ん? そうなの?」
「うん、当然でしょ。もう、体中痣だらけで痛いし、もう、へとへとで立てそうもない。出来れば、もっと早く助けて欲しかったよ」
エレノアが睨みつけると、さすがに夏姫も悪いことをしたと思ったのか、助けを求めるように信二を見る。
「いや、普通に謝れよ。確かにエレノアは能力を得たかもしれないけれど、しなくても良い怪我をしたのは事実なんだから。友達なら、危なくないように助けてやるのが、本当だろ?」
「うぅ。……ごめんね、エレノア」
夏姫は戸惑いながらも、素直に謝った。それを見て、エレノアは考えるように俯きながら、こっそりと笑みを浮かべる。
「……そうだね。じゃあ」
エレノアは手を差し出した。夏姫はその手を不思議そうに見る。
「言ったでしょ。私はへとへとで立てそうもないって。だから、手を貸して。今回は、それだけで許してあげるから」
エレノアはそう言って、笑いかけた。
「つまり、エレノアの痣だらけな姿は、夏姫の性と」
獅子が睨みつける。
「むぅ。そうだ」
夏姫は目線を逸らしながらも認める。どうやら、反省はしているようだ。だから、獅子はそれ以上、説教することは止める。
反省している者に、更に反省を促したところで、逆に開き直られるだけだ。反省しているのにこれ以上、どうしろと言うんだと。少なくとも、自分自身がそうだから、獅子は言わずに、呆れたようにため息を吐くだけに止めておく。
「ごめんな、エレノア」
獅子は改めて、エレノアに謝ると、彼女には苦笑されてしまう。
「もう私は夏姫を許しるよ。だから、獅子君が謝ることなんてないよ。……というか、何で獅子君が謝るの?」
「いや、まぁ、僕は夏姫の友達だからね」
「それなら、私だって友達だよ。むしろ、獅子君は夏姫の保護者って感じ」
「う~ん。そんな感じなのかな。夏姫の性格がアレだから、どうしても気になって、面倒を見てしまうんだよ」
獅子は自身の面倒見の良さを自覚して、微妙な顔をしてしまう。
「それだとまるで、私が子供のようではないか」
夏姫が心外だと言わんばかりに言ってくる。
「……そう言っているんだよ」
獅子は半眼で睨みつけ、改めてエレノアの顔を見る。彼女の顔には頬から目にかけて、痛々しい大きな痣が浮かんでいる。骨にまでは異常はなかったらしいが、普通の人間ならば、折れていたかもしれない程の、攻撃を受けたと言うことでもある。
獅子は手を伸ばし、エレノアの頬を優しく触れる。
「痕が残らないと良いね。エレノアは綺麗な顔だから、怪我をしていると悲しいや」
エレノアは顔を僅かに赤くする。
「あ。……うん。……ていうか、獅子君って、結構ジゴロ?」
「ふふ。そうかな」
獅子は笑い、軽く肩を竦める。
けれど、エレノアの怪我をしている姿を見ていると、本当に悲しい気持ちになる。
強過ぎる力は、周りを不幸にしてしまうことを知っているので、自分に力があったなら、なんてことは思ったことはないけれど、その怪我を自分が引き受けられたらと、獅子は思うのだ。