雨ノ守
この世には妖怪がいる。
それは世間一般に知られていることだ。
今でも人が突然妖化して、妖怪となることがある。
織田信長は魔王となったのは有名だし、新撰組の副長も鬼となったと知られている。他にも昔の英傑の中には、妖化した存在も多く居たことだろう。
しかし、妖怪になるのは人間だけでは無い。
物が長い年月を経て妖怪になったり、動物が妖怪になることもある。
そして、妖怪の多くは、人に害を成す。その為、人は妖怪に対抗する方法を常に探していた。その中でも、最も有効とされたのが、神気を持った者達の存在だ。
神気は妖怪との戦いに対して、絶大な力を発揮する。妖怪には、普通の武器などがあまり効かないので、神気を持った人間は貴重な人材と言えた。それでも問題は、神気を持つ存在が少ないと言うことだ。
この国は、神気を持つ者を効率良く利用する為、妖怪の対抗策として、神気を持った人間を出来るだけ集め、彼らを、妖怪を封じ、もしくは滅す者、封滅士として育て上げることにした。
その様は、徴兵のようであり、これが民主主義のやり方かと、批判する者もいたにはいたが、誰もが妖怪の脅威を考えると、受け入れる流れが自然に出来上がっていた。
「僕が数多の妖怪を率いて、世界を支配するという、なんとも不思議でとんでもな夢を見たんだ」
そして、そんな封滅士を育てる地の一つ、雨ノ守にて、土地の名を受け継ぐ少年、雨ノ守獅子は、今朝見た、自分が魔王となった夢の内容を呑気に語った。
もう高校ニ年になるというのに、魔王だなんて、正直恥ずかしいのかもしれないけれど、話のネタとしては十分なので、ついつい、朝の登校中に、幼馴染に話してしまう。
話を聞いていた、一見清楚な少女は、考えるように俯く。
艶やかな黒髪を腰まで伸ばした清楚な少女、日野夏姫の背は平均的で、ほっそりとした体つきに、上品そうで綺麗な顔立ちをしている為、どこかのお嬢さんと言った雰囲気を醸し出している。……実際、この雨ノ守の地では日野家は名家のお嬢さんなのだけれど、しかし、同じ高校の制服で、ズボンとスカートの差はあれど、女子と男子でそれほど違うデザインではないのに、どうして自分とは印象が違うのだろうと、獅子はいつも不思議に思う。
自分よりも少しばかり低い位置にある夏姫の顔を眺めていると、彼女は何がしか答えが出たようで、何度も頷く。
「そうよ。きっと獅子は魔王の生まれ変わりなのよ」
その表情は無表情だが、夏姫が楽しそうだと言うことが、獅子にはわかる。
夏姫は感情を表に出すのが苦手なのか、本当に大きな感情でもないと、表情を表さない。それで冷たい奴だと誤解もされがちだけれど、長い付き合いの獅子には、夏姫がどんな風に感じているのかは、だいたいわかるようになっていた。
「何その、超展開」
「私の直感は当たるのよ」
胸を張って答える夏姫に、思わず苦笑してしまう。
「それ以上に外すけれどね」
夏姫の直感は、偶に驚くようなことでも当たるのだけれど、当たらないこともしばしばだ。むしろ、当たらないことの方が当然多い。正に、当たるも八卦当たらぬも八卦。占いとたいして変わらない直感力。いや、以下だと思う。さすがに、魔王の生まれ変わりは言い過ぎだ。当たったらこの世はおかし過ぎる。そんな世界は全力で否定しよう。
「まぁ、良いわ。早速だけれど、私は真理を手に入れたのだ」
自信に満ちたように自らの胸を叩き、そんなことを言って来る夏姫。彼女は顔に感情を出さない代わりに、動きが大げさだったりする。
「へぇ~、真理ね。そいつは凄い。いったい、どんな真理だい?」
「地球は丸いわ」
大真面目に言う夏姫に、思わず吹き出しそうになるのを堪える。
「そいつは凄い真理だ。小学生でも知っていそうだけれどね」
獅子の指摘に、夏姫は馬鹿にするように鼻で笑って来る。
「ふふん。確かに小学生でも習うことだけれど、果たして、それが正しいとどうして言えようか?」
「そんなの、宇宙からの映像を見れば、一目瞭然じゃないのかな?」
「そんなことはないわ。宇宙からの映像? 果たしてそれが、造り物でないとどうして言えるのかしら。少なくとも、私は宇宙に行ったことも無いし、そもそも、人類は本当に宇宙に行くことが出来たのだろうか?」
「どんだけ、疑り深いんだろうね」
滑稽なやり取りに獅子はつい笑みを浮かべてしまう。
「私は自分の目で見たものしか、信じない主義なのよ。余計な知識は偏見を生むわ」
「じゃあ、世界一周なんてのはどうかな? 東に進み続ければ、いずれ、日本に戻ってくる、みたいな」
「飛行機が一方向に進んでいるなんて、私には確認のしようも無いわ」
夏姫はナンセンスねと言わんばかりに、肩を竦めてくる。
「……そう。……で、どうして地球は丸いと思ったの?」
「この前、飛行機に乗った時のことなのだけれど、地平線が、弱冠丸っぽかった」
そんなことで良いのかと、なんだか納得できない気持ちになるが、細かいことは気にしないことにした。夏姫との付き合い方は、気にし過ぎないことだと既に悟っている。
「……そうなんだ。一つ利口になったね」
「なったわ」
夏姫は嬉しそうに頷いた。
なんとも変わった子だと、獅子はいつも思う。
とても美人なのに、先程のやり取りでわかるように、頭の方がかなり残念なことになっている。人によっては、電波さんなどと呼んでいる人まで居るぐらいに、奇異な少女。
夏姫のちゃんとした出会いは小学三年生の頃。獅子は夏姫という少女が居ることは、同じ名家の人間として知っていたが、特に当初は接点も無かった。
夏姫は言動が一見高飛車で偉そうな為、クラスの中でも孤立していた。いじめにまで発展しなかったのは、名家の出だと言うことだけでなく、彼女の何事にも物怖じせず、正面からぶつかって行く性格の為だろう。むしろ、彼女に関わるのは面倒臭いと言う説も有力だ。わけのわからないことを語って来るので。
そんな中、夏姫と仲良くなる切っ掛けとなったのは、二つ向こうの山へと、学校で遠足に行った時のことだった。
孤立していた夏姫は、獅子と同じ班に割り振られた。
獅子は最初、夏姫の事を面倒だと思っていた。誰も彼女に話しかけることなく、ゆるい山道を登って行く。
なんとも気まずい班行動。
山の中腹にある広場で、昼食の休憩をする時だった。
自分がお弁当を忘れていることに気付く。
友達と食べるお弁当。ピクニックの最も楽しみな瞬間と言って良い場面で、獅子は最大の失敗をしていた。
正直、お弁当を持って来てないことを友達にバレて、からかわれるのも同情されるのも嫌だったので、友達から離れることにした。
お腹はペコペコ。食べるものは無い。
なんとも情けない気分になりながら、皆から少し離れたところで座り込む。
そんな時だ。夏姫から話しかけて来たのは。
「何をしているの? 雨ノ守」
獅子は突然呼ばれたので振り返る。雨ノ守というこの地と同じ名字で呼ばれるのは、あまり好きではないので、自然顔を顰めてしまう。
「なんだ。電波かよ。何か用か?」
事実を知られたくないので、険悪な雰囲気を出して言うのだが、夏姫は全く気にした様子を見せない。
「雨ノ守が、何をしているのか気になったのよ」
率直な疑問に、獅子は押し黙ってしまう。
「雨ノ守は、御飯を食べないのか?」
「……弁当が無いんだよ」
獅子は苦々しく答える。電波と呼んでいる少女に馬鹿にされるのかと思うと、なんとも忌々しい。
「御飯がないのなら、お菓子を食べれば良いじゃない。夢のお菓子生活」
ガッツポーズまで決めて力説する夏姫。
「どこのアントワネットだよ。……それに、菓子も無いよ。……って言うか、菓子生活って、菓子だけ食ってたら、虫歯になるだろ」
今思うと、栄養素の問題の方が強いだろうけれど、あの頃の獅子には、虫歯の方しか思いつかなかった。
「ならば、歯磨き粉生活?」
「歯磨き粉を食えっての? なんとも、腹の中からスースーしそうな話だね」
「ちなみに、私のお薦めはバナナ味の歯磨き粉。食べ過ぎると、オエッとしたわ。注意が必要」
「……食ったのか」
「最初は美味しかったのよ」
夏姫は遠い目をする。
最後は悲惨だったのだろう。
「……まぁ、良い。雨ノ守。一緒にお昼を食べましょう。……亡きお母様から、友達と一緒に食べて来なさいと言われたの」
「何だ、その遺言。……ていうか、電波の母親、死んでんのか?」
「とても元気よ」
「なら、何で亡きとか言うのさ。……わけわかんないな、お前は」
獅子は苛々と言うのだけれど、夏姫は気にせず、背負っていたリュックから弁当箱を取り出す。その弁当箱は三段重ねの重箱で、とにかく大きかった。
「……うお、でっけぇ」
「亡きお母様の形見よ」
「生きてんだろ?」
「ええ」
何でこいつは、母親を殺したがってんだろうと、その時、心底思った。――後々聞いてみると、その方が悲劇のヒロインっぽいでしょと、言われるのだが――。
「それで、作り過ぎちゃったから、一緒に食べないか?」
なんとも、ラブコメでありがちな、女の子が好きな男の子を誘う時のようなことを言って来る。……照れることなく真顔で。
恋愛感情は全く無さそうな行為だ。
「作り過ぎたのは母親だろ? さも、お前が作りましたと言わんばかりだなぁ」
「違うわ。作ったのは家政婦よ」
「……はは。母親の形見ですらないじゃんか」
滑稽なやり取りに、思わず笑ってしまう。
「まぁ、くれるって言うんなら貰うよ。つ~か、本当に電波一人じゃ食いきれないだろ、その量は」
「無理ね。半分も食べきれないわ」
「何を考えてんだよ、電波んところの家政婦も」
無駄が多過ぎる家政婦に、思わずため息が出てしまう。
類は友を呼ぶと言うが、夏姫の周りもそんな奴らばっかりなんだなと思った。
獅子はその後、夏芽のお弁当を御馳走になる。
さすがに御馳走になるだけでは悪いだろうと、ピクニックの間、夏姫の話し相手になることにしたのだが、その間に獅子は気付いていた。
夏姫は確かにおかしなことばかり言うけれど、むしろ、それに付き合うのが楽しいと。
だから、夏姫の友達になろうと決めたのだ。
そして、今では夏姫との付き合いは、高校まで続いている。
夏姫のおかしな発言は変わることなく、獅子は今でもその発言を楽しんでいるのだ。
雨ノ守の地は、都心から離れた山の中にある村だ。最も身近な駅から、一時間に一本だけあるバスで、三十分程かけて、やっと辿り着けることのできる田舎の地。
獅子達の通う封滅士の学校、雨ノ守学院は、村から更に外れた山の中腹にあり、麓からは、気が遠くなるような長さの階段が続いている。名目上は足腰を鍛える為だということだが、毎日登っている身としては、嫌がらせにしか思えない。
そんな階段をうんざりした気持ちで登りながらも、獅子は夏姫に話しかける。
「そういや夏姫は、今度のテストは大丈夫なのか? もう、一週間前切ったよ」
「テストって何のこと?」
「……マジで言ってる?」
僕は疑わしげな視線を向ける。
「冗談よ」
「だよね。……今度赤点取ったら、ヤバいのはお前だぞ」
「嘘」
驚きに目を見開く夏姫。非常に嘘くさい。感情は表に出せない癖に、大げさな演技だけは上手かったりするのだ。
「何、今更知った的な反応してんのさ。ヤバいに決まってんでしょ。この前の数学とか、追試でなんとか通ったんだろ? 進級できなくなるぞ」
「……私、文系だし、仕方ないわ」
「文系で英語も赤点って不味くない?」
「そんな事実は認められておりません」
夏姫は顔の前に両腕を交差させて、バッテンを作る。
「ああ、ごめん。スレスレだったっけ」
そう。夏姫はなんとか、赤点を逃れていた。あと、五点少なければ赤点になっていたけれどなんとか逃れてはいたのは事実。しかし、スレスレで赤点を逃れたと言うことは、少しでも下手打てば、赤点になると言うことだ。不味いと言うことに変わりはない。
「私の心配よりも、自分の心配をするべきね」
「僕の?」
「そうよ」
夏姫は胸を張って答えるので、思わず首を傾げる。
心当たりがない。
少なくとも、夏姫と違って、自分は勉強をしっかりしているので、平均七、八十点台は取れると思っている。少なくとも、クラスの平均の半分が赤点になるのだが、五十を超えれば、赤点なんか、考える必要はないということだ。かなり余裕である。
自分の何を心配するのだろうと不思議がっていると、夏姫は気を良くしたように笑みを浮かべる。口元だけなので、作り笑いっぽく見えるけど。
「ふふん。私の答案を、あなたの名前で提出するのよ」
「……えっと、どう言うこと?」
本当に夏姫の思考が理解できず、怪訝そうな顔をしてしまう。
「つまり、私があなたの名前で提出すると、どうなると思う?」
「ん? そりゃ、僕の答案が二つあることになるな」
獅子の言葉に、こいつ、わかってないなと言わんばかりに、夏姫が首を振る。
「あなたは私の名前で答案を出すことになるのよ」
「しないよ」
「馬鹿な」
「馬鹿なって、するわけないじゃん。そんな自分が危なくなるようなことを」
「むぅう」
夏姫は当てが外れたことに唸って、考え込む。
校舎が見える。今時珍しいらしい二階建ての木造校舎が。
クラスメイトの何人かと挨拶をかわしたが、夏姫は考え続けていて、無視の方向。しかし、クラスメイトは夏姫の性格を知っていて、気を悪くしたりしない。皆、大人だ。若干、可哀そうな子を見る目で通り過ぎるのみ。
「夏姫。学校だぞ」
「いつの間に」
夏姫は玄関に入ったことに気付いたようで、驚いたように周囲を見渡す。
「で、何か思いついたか?」
靴を上履きに履き替えながら、夏姫に尋ねる。
「そうね。答案が二つあるってことは、先生もどっちが獅子のだろうと思うわね」
「……まぁ、だろうな」
「そして、良い点数の方が、私だと言い張るわ」
「ああ、なるほど。そうすると、僕が自動的に点数悪い方になるというわけか。ふざけんな、ボケ。僕だって、良い方だと言い張るぞ」
「……これは、どちらが先生に信用されているかが勝負ね」
夏姫の発言に、苦笑する。
「負ける気がしないんだけど」
「そうなの?」
「そうだよ」
夏姫は自分に対する教師の評価をもっと知るべきだと思う。
「それにしても、私は封滅士になるつもりだから、正直な話、テストなんて必要ないと思うのだ」
「いくら封滅士でも、学ぶことは大事だよ。昔は夏姫の言う通り、封滅士は封滅する訓練だけをさせられた。しかしそれによって、封滅士は本当に妖怪を滅することしか知らない集団になってしまったんだよ」
「それは、生臭い集団ね」
「血生臭いね。生臭いだと、腐っているだけだよ。……まぁ、それで、そんな血生臭い集団になっていることを、憂えた人達もいたんだよ。今、僕らが学べているのは、そんな人達の努力であり、幸せなことなんだ」
「価値感の相違ね」
「そうかい? 少なくとも、夏姫は歴史の授業は好きだろ?」
尋ねると、夏姫は力強く頷いた。
「好きよ。 駅女と言う奴ね」
「歴女ね。昔はそれすら学べなかった」
「数学と英語は、その弊害ね。……分が悪いわ」
「そんなことはないさ。こうやって、呑気に話していられる状況。それこそが、僕らが最大に得ているものさ」
獅子は楽しそうに笑いかける。
雨ノ守学院は、上からはロの字型の校舎になって見える。玄関から右が、高校生の教室が並び、左は中学生の教室が並んでいる。元々、神気を持った生徒は少ないので、中高一貫教育と言う形をとっている。
二階の右奥にある自分の教室に着くと、教室は騒がしかった。
まぁ、普段でも、ホームルームが始まるまでに友人同士で騒いでいたりするが、今日は何だか雰囲気が違う。例えるなら……。
「雪が降ったのね」
「雪?」
夏姫の言葉に、獅子は首を傾げる。
季節は、もうすぐ夏本番。普通の一般高校生なら、近付く夏休みを楽しみにしていることだろう。封滅士の学生には、夏休みなんてないけれど。しかし、雪が降るのはおかしい季節だ。更に言うなれば、今日は快晴だった気がする。
信じられない気持ちで、獅子は窓の外を見る。
すると雪は、当然のように降っていなかった。
「……えっと。夏姫はついに、幻が見えるようになったかな?」
「違うわ。今の教室の雰囲気が、雪が降った時のように、ソワソワしている」
「ああ、そう言うこと。確かにそうだね。浮かれていると言うより、ソワソワしている感じだよね。何があったんだろう?」
獅子は首を傾げ、近くにいる男友達の信二に、何があったのか話を聞いてみる。
冴木信二は、中学から続く友人で、背が高く、筋肉質な体つきをしている。野球に青春を賭ける健全過ぎる高校生で、既に教室に居るのも朝の練習があったからだろう。雨ノ守学院の野球部は、封滅士という人より優れた身体能力を持った集団の為、公式の試合には出られない。それなのに、彼らは熱心に練習している。ご苦労なことだとも思う。公式の試合もできず、将来的には、封滅士になることは決まっていると言うのに、努力を続けているのだから。
しかし、無駄な努力とは思わない。熱心になれる物があるということは、良いことだ。そう言うものがあるからこそ、この世を守ろうと思える。正直、獅子はそんな信二を、尊敬さえしている。
「おう。なんでも転校生がうちのクラスに来るらしい」
「へぇ。そりゃ、珍しい」
神気に目覚めた者が、転校生として雨ノ守に転校してくることは、偶にあることだが、高校生になって、神気に目覚めると言うのも、随分と遅い気がする
「そうだよな。噂じゃ、家族が封殺士にさせない為に、匿っていたって話だよ。友達の友達から聞いたぐらいの、根拠のない憶測だけれどな」
信二の言葉に、獅子は思わず眉を顰めてしまう。
「おいおい。それが本当でも嘘でも、その噂は失礼だろう」
神気を持った者を匿うのは立派な犯罪だ。気軽に噂して良いものではない。
「まぁ、確かに」
信二も調子に乗ったことを恥じたのか、微妙な顔をする。
「……転校生か」
夏姫は夏姫で何か考え込むように呟いているので、気になって、彼女の推測を聞いてみる。
「おそらく、転校生は異世界からの使者。いや、むしろ、使者じゃなくてお姫様。きっと、教室で自己紹介の所で言うのよ。『ああ。勇者よ。会いたかった』という感じで」
「何、その超展開」
信二が呆れたように言う。
「と言うか、またその、超展開かよ」
「また?」
「さっき、僕は魔王の生まれ変わりと言われたよ」
「マジで? あははは。何それ、超笑える。じゃあ、勇者は誰? もしかして俺?」
信二が夏姫に尋ねると、彼女はきっぱりと首を横に振る。
「違うわ。信二は魔王にやられる、粋がった戦士」
「酷っ。粋がって、しかもやられんのかよ」
「そうよ。そして、勇者は私。ザ・主人公」
「いやいや、転校生が姫なら、勇者は男だろ」
僕の指摘に、夏姫は小馬鹿にするように大げさに肩を竦める。
「今の世の中、百合もあり」
「ないわ~。と言うか、夏姫にそういう性癖があったとは、意外だよ」
「そんな性癖はない」
自分で言っといて、自分で否定するなよと、獅子が言おうとした所で、ホームルームのチャイムが鳴った。僕と夏姫は席が隣だが、信二の席は遠いので、ここでおしゃべりが中断となる。いつも通りの事だ。
僕は夏姫の前の席に座る。
ホームルームの始まりと共に、先生の後ろを、金髪女が付いて行く。とはいえ、染めているようでは無く、地毛。外人さんだ。
クラス中がざわめく。
いくら時代は国際社会とはいえ、封魔士の学校に、外人の転入生など初めての事ではないだろうか。
金色の髪を短く首元で切り揃え、肌の色は日本人とは違って、本当に雪のように白い。さすが白人と思う。体つきは細く、どこか儚げな印象を受ける。整った顔に蒼く輝く瞳。その瞳は今、揺らいでいた。
外人の少女は黒板にエレノア・トンプソンと名前を書くと、自分の名前を短く告げて、押し黙る。
「何か、自己紹介はないのか?」
担任の浅賀が声をかけるけれど、エレノアと言う少女は、ひたすら戸惑っている。
しょうがないと、獅子は思う。妖怪の存在や封滅士の活躍などは、世間一般に知らされていても、普段の人となりは知られていないそうだ。
人はわからない存在を恐れる。幼ければ、そんな偏見も無いのだろうけれど、高校生もの大きさになれば、偏見も生まれようというものだ。そして、彼女は封滅士を怖がっている。良くわからないから。
「いやいや。転校生は美人で嬉しいね。これは正に、天が与えた僕への幸運」
獅子はできるだけおどけて言ってやる。何はともあれ、偏見を無くすには変な気構えを無くすべきだ。向こうにしても、こちらにしても。
「ほんとだぜ。外人なんて、この雨ノ守来てから初めて見た。日本語は喋れんのか?」
獅子に調子を合わせて、信二がエレノアに尋ねる。
「……え、えっと、日本で育ったので、問題ないです」
おずおずといった様子で言葉を返すエレノア。
「そっか。それなら良かった。英語で喋れとか言われたら、僕にはどうすることも出来ないからな」
「まぁ、間違いなく、この村の人間は全滅だろうね」
「全くだ」
信二は獅子の軽口に苦笑する。
「うっせぇぞ、お前ら。ナンパなら後でやれ」
浅賀は二人のやり取りを軽く一喝して黙らせると、エレノアを席へと座らせた。
「妖化ってのはつまり、妖気に目覚め、存在として変化する事を言う。まぁ、妖怪になるってことだな。けれど、便宜上妖怪と言っているが、全てが全て、妖怪になっているわけじゃない。なんだかわかるか? 雨ノ守」
浅賀が妖怪に付いて講義をする。
浅賀は長身痩躯の男性だ。言動は粗暴でやる気が無さそうに見えるが、芯はしっかりしていて、封滅士としての腕も一流で、良い教師だと獅子は思っている。まぁ、人によっては、ぞんざいな口調が気に入らないと言う者もいるが、獅子は特に気にしたことは無い。
彼の講義の内容は、今更な事も含まれているが、意外にしっかり知っている者は少なく、確認の意味を含めての授業だろう。更に言うなら、転校生のエレノアを気遣って、妖怪の事を復習しているかもしれない。
「所謂、神でしょ」
獅子は立ち上がって答えると、浅賀は満足そうに頷く。
「そうだな。妖気自体は、害悪というわけではない。お前らの使う神気と対して変わらん。と言うか、同じ物だ。お前らは妖化せずに、人として保てた者の妖気を、神気と呼んでいるだけにすぎん。……でだ。妖化した者には、人に害なす存在と、人に役をもたらす存在が居る。だから、我々人間は、自分達の都合で、人に害なす者を妖怪と、人に役をもたらす者を、神と呼んだ。つまり、根っこは同じ存在ってことだ。面倒くさがる奴は、どっちも妖怪と呼ぶがな。……じゃあ、最も俺達の役に立ってる神は何だ? 日野」
呼ばれた夏姫は立ち上がり自分を指差す。
「私ね」
「……いつからお前は神になった。それに役に立ってねぇだろうが。ったく、土地神だよ、土地神。土が妖化した妖怪がほとんどで、土地を活性化させ、農作物の成長を助けてくれるし、場合によっては、他の妖怪を退治してくれたりする。また、土地神は不確かではあるが、未来を見る。変えられる未来だ。故に、人に警告を与えてもくれる。この雨ノ守が自然豊かなのも、強大な力を持った土地神によって支えられているからだ」
浅賀の授業は続いて行く。
「ねぇねぇ」
後ろの席の夏芽が、背中を軽く叩いて来る。
「……授業中なんだけどね。はぁ、……なんだい」
「この地には土地神が居るのよね」
「そうだね。今、浅賀先生が言ってたね」
「見てみたいわ」
どうも、夏姫の興味を惹かれたようだ。
「はぁ。授業が終わったらね」
適当に頷いておく。
昼休み、転入生であるエレノア・トンプソンに、獅子達は話しかける。
「やぁ、トンプソンさん。僕は雨ノ守獅子。よろしくね。で、こっちが日野夏姫で、そっちは冴木信二」
エレノアにそれぞれが挨拶すると、彼女は獅子を見上げて首を傾げる。
「雨ノ守?」
「そ、雨ノ守。この地と同じ名前だよ。けれど、その名前で呼ばれるのはあんまり好きじゃないから、獅子と呼んでくれると有難い」
「は、はい。私もエレノアで良いです」
「あはは。同級生なんだから、敬語は止めてよ」
「むしろ、私はお嬢様と呼ぶと良い」
夏姫がそんなことを言う。
「夏姫は家で十分に言われてんだろうが。……で、俺は信二で良いよ。それより、一緒に飯を食いに行こうぜ」
雨ノ守学院では、給食と言う形をとっている。けれど、食堂に行かないと支給はされない。エレノアはあまり理解していないようなので、獅子達は案内する。
「エレノアは、どこの国出身なんだ?」
「わ、私はイギリス出身。でも、小学校に上がる前から日本にいるの。だから、日本人と対して変わらないと思うよ」
「へぇ。じゃあもしかして、見た目とは違って、英語が使えないとか?」
信二が面白そうにエレノアを見る。
「あ、ううん。それはないよ。家族同士だと英語でやり取りすることがほとんどだから」
「そっか。そりゃそうだよな」
「ふむ。私も英語はできるわ。アイアムチャンピオン」
夏姫が対抗心を燃やしたようで、思いっきり日本語口調の英語を披露した。
「……なんのチャンピオンだよ」
獅子は苦笑する。
「そりゃ、頭が残念な奴らのチャンピオンだろ」
「なるほど。確かに」
獅子は、信二の言葉に頷いてしまう。
「失礼ね」
それを聞いた夏姫は不貞腐れたように言うので、ついつい笑ってしまった。
午後の授業は、一般教養を習っていた午前とは違い、封滅士としての授業が行われる。校庭に移動したエレノア達のクラスは、神気の訓練を始めている。
エレノアは戸惑いながらもその様子を見ていた。
神気に目覚めてからまだ間もないので、神気を上手く扱うことが出来ない。その為、最初の授業は、神気の扱いを見るように言われた。
「神気っていうのは、変化、強化させる力なんだ。だから、封滅士ってのは、自らの体を強化し、自らの持ち物を武器に変化させて戦うのさ」
獅子は、クラスメイトから離れて、エレノアの隣に座って説明してくれる。
「神気の最も基本は、自らの体の強化だね。その際に、自らの体を維持できない者が、妖怪となるんだ。エレノアは神気として認められたのなら、体を強化させる力を既に持っているんでしょ?」
問われたので、エレノアは頷く。
確かに自分には、身体能力を強化させる力がある。
エレノアは陸上をやっていた。どんどんと速くなる自分。最初は自らの努力が報われているのだと思っていた。けれど、次第に人の限界を超え始めた。
おかしいと思われたのは、練習中。男子の世界記録で走りきるエレノア。
大人でもできないと言うのに、高校生になったばかりの未熟な体で、そんなタイムを出せるわけがない。誰もがそう思い、神気を測る計測を行った結果、自分には神気の力があることを知る。
いや、以前から気付き始めていたのだ。神気を扱える者には、気の流れを目にすることが出来る。それが、次第に見えるようになっていたのだ。インターハイを目指していた夏姫は、そんな現実を直視したく無くて、気の性だと気付かないフリをしていた。
しかし、今では、しっかりと見えてしまっている。どうしようもなく、自分には神気があるのだと思い知らされる。
そして、送られた雨ノ守。
慣れ親しんだ地を離れるのは、悲しかった。そして、妖怪を殺すと言う封滅士が怖くもあった。
「難しいのは、物の変化だね。身体能力の強化は自分の体だから、無意識にでも出来るものなんだけれど、物の変化――まぁ、僕らは顕現って呼んでんだけれど――顕現は、神気を操れないと出来ないものだからね。このクラスで一番上手いのは夏姫だから、彼女を参考にすると良いよ」
獅子は呑気に語る。エレノアは言われた通り夏姫を見る。
「顕現しなさい。鬼切丸バージョン二・〇」
そう叫ぶと、夏姫の持っていた木の棒が、水色の刀へと変化する。
「ああやって神気を言霊という形で込めることによって、変化させるのさ」
「バージョン二・〇っていうのは?」
「それは知らないよ。夏姫に聞いてよ。まぁ、聞いた所で、ちゃんとした答えが返って来るかは、微妙だけれどね」
獅子は楽しそうな笑みを浮かべて夏姫を見ている。その様子にふと思う。
「獅子君は、夏姫さんが好きなのね」
「ん? そうだね。大好きだよ」
何の照れもなく、笑みを浮かべたまま、堂々と言い切る獅子。彼の呆気らかんとした態度に、自分も釣られて笑みを浮かべていることにエレノアは気付く。
少し笑ったら、少しだけ、気分がすっきりしている自分を自覚した。
「……私ね。本当は封滅士が怖かったんだ。妖怪を封滅する存在。戦うことしかしらない人達なんじゃないかって。……でも、違うんだね。獅子君達は、優しい人達だった」
「あはは、それはそうだね。まぁ、僕は封滅士じゃないけど」
「……え?」
獅子の言葉の意味が、最初は理解できなかった。
「僕は神気を扱えないのさ。だから、封滅士にもなれないよ」
肩を竦める獅子。しかし、その答えは信じられないものだった。
「じゃあ、何でこの学校に? この学校は、封滅士になる人が通うのでしょ?」
確かに、雨ノ守の地に住まう人全てが封滅士ではない。けれど、封滅士の通う雨ノ守学院と、一般人の通う学校は分けられている。少なくとも、エレノアはそう聞いていた。
「まぁ、あれだね。僕の名字は雨ノ守。この村を治め、封滅士と言う集団を作り出した家の子息。神気は比較的に遺伝し易いものだからね。僕の血統には生まれやすいのさ。だから、僕自身に神気はなくとも、封滅士を理解する必要がある。雨ノ守家の人間としてね」
獅子の言葉はどこか自嘲的に、エレノアには聞こえた。
「……獅子は封滅士が嫌いなの?」
「ん? そんなことはないよ。何でだい?」
「んっと、雨ノ守の名前で呼ばれたくないって言ってたから、封滅士と関わる生活が嫌いなのかもしれないと思って」
獅子は納得したように頷く。
「ああ。違うよ。僕が今まで好きになった人のほとんどは封滅士だったよ。まぁ、なんで雨ノ守が嫌かって言うと、雨ノ守の名前を聞いていると、嫌でも自分という存在を自覚されるからさ。……僕は、雨ノ守の地から、出ることを許されないんだよ」
「許されない?」
「まぁ、色々あるのさ」
獅子は笑みを浮かべて、答えを曖昧にさせた。
授業が終わり、獅子は帰りの準備をしていると、夏姫が声をかけて来る。
「さぁ、行くわよ」
問答無用の誘いに、獅子は首を傾げる。
少し考えてみるが、心当たりがない。
「行くってどこに行くのさ」
素直に聞き返すことにする。
「チリトリを見に行くのよ?」
「チリトリ? ロッカーにあるでしょ」
「違う。ち、ちと、とち?」
どうやら、何かの名称を忘れてしまったようだ。夏姫は単語を覚えるのが苦手なのか、勝手に名称を変えることがあるのだ。
獅子は、このやり取りをしている間に、約束を思いだした。
「……もしかして、土地神のこと?」
「そうそれ」
夏姫は正解と言わんばかりに指差してくる。
「そう言えば、土地神を見に行くとか言ってたな」
「そうよ。行くのよ」
夏姫はやる気に満ち満ちている。まぁ、無表情なので、雰囲気だけだが。
「テスト勉強は?」
「このままでは、とっちゃんが気になって、勉強に集中できないわ」
「とっちゃんって、いつ友達になったんだよ。というか、集中できないって、土地神なんて見たことあるだろ?」
「ないわね」
「マジかよ。君、それでも名家の出身だろ? いずれはこの地を治める一人だろ? 土地神ぐらい知り合っときなよ」
この雨ノ守の地には、封滅士を管理する元老院と呼ばれる六つの名家がある。獅子の雨ノ守家と夏姫の日野家も、その名家だ。他に雨ノ守家の次期当主候補がいる獅子ならまだしも、日野家の一人っ子である夏姫は間違いなく、当主になることだろう。そんな人物が土地神にすら会ったことがないというのも、問題ではないかと思えてしまう。
「……わかったよ。土地神に会いに行こう」
しぶしぶと了承することにする。
「やったぁ」
夏姫は嬉しそうに高々と両手を上げる。某アメリカドラマのようだ。
「で、何がそんなに嬉しいんだ?」
信二が興味深そうに聞いて来た。
「ん。土地神を見に行くのよ」
「ほう。土地神か。俺も見たことないな。俺も一緒に行くよ」
信二も興味を惹かれたようで、そう提案する。
「野球部の練習は良いのか?」
「今日、朝連してたら怒られたよ。テスト前なんだからってな。赤点取ったら、グラウンドは使わせないって、脅されて、皆、一生懸命勉強している」
信二は苦笑する。
「そっか。信二はテスト、大丈夫なのかよ」
「大丈夫なわけないじゃん。どうせ、土地神見た後、獅子は夏姫に勉強を教えてやるんだろ? なら、俺にも教えろよ。頼むよ」
頼み込む信二に、獅子は呆れたような視線を向けてやる。
「……まぁ、良いよ。一人に教えるのも、二人に教えるのも変わんないしね」
獅子は肩を竦め、帰ろうとしているエレノアを目にする。
「エレノア。良かったら、君も行かないか?」
「ん?」
「土地神を見に行くんだ。君は妖怪を見たことないんだろ? 妖怪がどう言うものかを知るのは、良いことだと思うんだけど」
「……うん。行く」
エレノアは少し考えながらも頷いた。
「そっか。良かった」
獅子は笑み浮かべて立ち上がり、鞄を肩にかける。
四人は土地神の下へと向かう。
土地神は、山の中腹にある雨ノ守学院から更に、山奥へと向かった所にある。
学校の横から伸びていた、森に囲まれた道を歩いていると、開けた場所へと出る。
切り立った崖。その上から流れ落ちる滝。その滝壺の裏に洞窟が隠れるようにあった。
「な、なんて冒険心をくすぐるんだろう。ここは秘密基地にしよう」
夏姫が楽しげに、洞窟を見やる。
「いやいや。ここは土地神の住処だからね。雨ノ守の大人のほとんどは知っているからね。全然秘密にならないからね」
獅子が夏姫を抑えるように言う。エレノアはそんな二人のやり取りを傍目で見ていて、微笑ましく思う。
「あいつら、仲良いよな」
信二も同じ様な笑みを浮かべながら、声をかけて来る。
「そうだね。ああいう風に、遠慮のない関係って、少し羨ましい」
エレノアは雨ノ守に来る前の事を思う。
前の学校には、気心の知れた友人達がいる。彼女らに会いたいとも思う。けれど、雨ノ守に来てからというもの、連絡は何一つ無い。おそらく、封滅士となった自分に、どう接したら良いのか、わからないのかもしれない。そして、それはエレノア自身も同じだった。もし連絡をして、無視されたらどうしよう。そう思うと、自分からも連絡が出来ないでいる。もう、遠慮のない関係では無くなってしまっている。
「俺も遠慮はないつもりなんだけど、どうも二人のやりとりを見ていると、このまま見ていたいって気持ちになるんだよな。まぁ、実際関わると、面倒だってのもあるんだけどな」
ぼやくように言う信二。でも、その気持ちも、何となく理解できるとエレノアは思って、同意するように頷いた。
「おい。喋ってないで、土地神見に行こうぜ」
信二は喋り続ける二人に声をかける。
「ん。とっちんが、私を待つ」
「愛称が変わったな。まぁ、いいや。……僕はここで待ってるよ」
獅子は一歩下がって、手近な大きな石に腰かける。
「ん? 何でだ?」
信二が意外そうに尋ねる。
「いや。案内はしたけどさ。僕は土地神に嫌われているんだよね。だから、外で待っているよ」
「そうなのか? 土地神に嫌われるって、どんな悪さしたんだよ」
「罪と罰」
夏姫が獅子を指差して、そんなことを言う。
「罪の意識に狂って、自首でもしろっての? まぁ、自首出来るならするけど、そういった具体的な理由があるわけでもないからね。とりあえず、三人で行ってきなよ」
「むう。わかったわ」
夏姫は残念そうな顔をする。夏姫の獅子への懐きっぷりは、信二の比ではなく、彼女も獅子の事が好きなんだろうなと、エレノアは思った。
「ていうか、俺に夏姫の面倒を見ろってのか」
嘆くように信二が言うので、彼の肩を、エレノアは軽く叩く。
「頑張ってね」
無意味な励まし。自分は何もできないと言う、意思の表れでもあった。それがわかったのか、信二が恨めし気に見て来るが、エレノアは笑みを浮かべて受け流しておく。
洞窟の中はひんやりとしていた。
地面は滝の水の性か、常に湿っている。さながら鍾乳洞と言ったところだろうかと、エレノアは思う。人三人が横並びに歩いても、余裕な程の道幅が、ずっと奥まで続いている。少々暗くはあるものの、村人達が入るからだろう。所々に電灯が置かれ、歩くには全く支障はなかった。
道のりは、それほど遠くはなかった。十分程歩いた所で、広々とした空間に出る。そして、その空間の奥に、蠢く巨大な存在に、エレノアは思わず悲鳴を上げそうになった。
そこに居たのは、巨大な芋虫の後ろ姿。白くぶよぶよとした巨大な体に、背には透明な羽虫が生えている。
こちらの気配に気付いたのか、疣足をもぞもぞと蠢かして、振り向いて来る。
芋虫の頭の部分。そこには、ツルツルとガラス細工のような甲殻ではあったけれど、人間の女性の上半身が生えていた。その姿は美しくもおぞましいと思える。正に、妖しい魅力を放っている。
女性部分の目には白目が無く、蒼い瞳で覆われている。
「何をしに来た? 人間の子供達よ」
その口からは流暢な日本語が紡がれる。その口調は幼子に語りかけるような、優しいものだった。土地神の言葉に、エレノアはなんとか、心の平静を取り戻すことができた。
「あ、はい。俺達は、この地に長く住んでいるけれど、土地神を見たことないって話になって」
信二が緊張しながらも説明する。
「そう。我の姿を見にきっと言うことね。では、我を見て、どう思ったのかしら?」
「芋虫ね」
「芋虫だな」
「芋虫に見える」
夏姫を皮切りに、三人は思わず本音を語る。
「……失礼な子供達ね。まぁ、確かに芋虫に見えるのかもしれないわね」
そう言って、土地神が体をくねらせる。
「ふむ。子供達から、獅子の臭いがするわね」
「ライオン?」
夏姫が首を傾げる。
「いや。普通に獅子の事だろ」
「ライオン?」
「だから、雨ノ守獅子の事だ、つってんだ、ムカつくな」
信二がうんざりしたように怒鳴る。夏姫自身はたいして気にしていないが、エレノアは険悪な雰囲気になってしまうんじゃないかと、思わず二人を見比べてしまう。けれど、こんなやりとりは普通なのだろう。信二はすぐに気を取り直したように、土地神に視線を戻す。
「獅子は、土地神が自分の事を嫌っているとか言ってたけど、本当なんですか?」
「ええ。獅子は災厄。獅子はこの土地を滅ぼす者。獅子は全てを不幸にする」
土地神は憎しみや悲しみを籠めるでもなく、ただ、事実を語るように淡々と告げる。
「ふぅむ。一理ある」
夏姫は考えるように顎に手を添えて、そんなことを言う。
「一理あるじゃねぇよ。友達なんだから否定しろ」
「む。そうか。獅子はそんな奴じゃない。……どんな奴だ」
夏姫がエレノアに視線を向ける。獅子がどんな人かだなんて、一日も交流していない人に尋ねるものでもないだろうと、エレノアは苦笑してしまうが、それでも、自分にも言えることがあると、頷く。
「私も、獅子君とは付き合いは短いけれど、土地神様の言うような、災厄だとか、全てを不幸にする者だとかは思えないよ。少なくとも、私はこうやって、今、この雨ノ守を少しでも楽しいと思えるのは、獅子君が気にかけてくれたおかげだから」
「そう言うことだ」
「人の意見を取るな。……とはいえ、俺も獅子が土地神の言うような奴だとは思えないな。あいつは、俺らなんかより、よっぽど大人っぽくて、馬鹿みたいに優しいからな」
それぞれの、意見を言う。しかし、土地神はゆっくりと首を横に振る。
「彼の人となりは関係ないわ。彼が災厄であることに変わりはない」
「どうしてですか」
「それを私は語る気はないわ、子供達よ。どうしても知りたいのなら、元老院にでも聞きなさい。その事実を隠しているのは彼らなのでな。村の方針を。私が破る気はないわ。ただ、忠告はしておく。雨ノ守獅子。彼に関わるのはおやめなさい」
土地神は脅すでもなく、本当にこちらを心配したように言ってくる。嫌悪や悪意から来る言葉であれば、反発する気持ちが生まれたかもしれない。けれど、心配されたことにより、ついつい考えてしまう。
「ふむ。例えそうであろうと、獅子が私の幼馴染で、大切な下僕だということに変わりはない。もし、獅子が災厄で滅ぼす者なら、私が止める。……どうせ、獅子だし簡単。それに、獅子が周りを不幸にすると言うのなら、私だけはそれ以上に幸せになって見せる。……周りはどうでもいい」
夏姫は本当にどうでもいいと言った様子だった。
「なんか。獅子が聞いた、涙流しそうな言葉が混ざってたな」
「感動にね」
「自分の卑下っぷりにだよ」
信二はぼやきながらも笑みを浮かべる。
「まぁそれでも、夏姫の言いたいことはわかるさ。俺だって、わけわかんなく災厄だ何だと言われたところで、獅子と縁切るつもりはないさ。……俺にとって獅子は、親友だからな」
「くさいわね」
「くさいね」
夏姫が同意を求めるように言って来たので、思わずエレノアは答えていた。
「うっせ」
信二は恥ずかしそうに顔を赤くして、そっぽを向く。
けれど、二人は既に答えが出ているのだなと、エレノアは思う。二人は自分なんかとは比べ物にならない程、獅子と一緒に居る。しかし、自分はどうなんだろうとも思う。自分には、獅子との関わりはまだない。それこそ、知り合いとしか言えない程に。
もし、土地神の言う通り、獅子が災厄であり、周りを不幸にすると思うと、獅子の事を怖いと思う。しかし、彼は慣れない地で、脅える自分に、色々と心を砕いてくれている。少なくともエレノアは、獅子がそうしてくれていると思えた。
「土地神様は獅子君の人となりは関係ないと言ったけれど、……でも、私達に大切なのはそれなのです。私は、獅子君を信じる」
三人の答えを聞いた土地神は、笑みを浮かべる。しかし、その笑みはどこか悲しそうでもあった。
「……獅子は愛されているのね。ならば、後悔しないように生きなさい。獅子を失わずに済むように」
「失う? 失うとは、どう言うこと?」
夏姫は尋ねる。
「それは避けられるものかもしれないし、避けられぬものかもしれない。いずれにしろ、選ぶのはあなた方人間よ」
土地神はそれだけ告げると、これ以上話すことはないと言わんばかりに、疣足を蠢かせて背中を向けて、洞窟の奥へと姿を消していく。
「土地神は不確かな未来を見るって、今日の授業で言ってたよな」
信二が確認するように、尋ねて来る。
「浅賀先生はそう言っていたね。今のは、予言だったのかな?」
「ふむ。予言であろうとなんだろうと、私は構わない。とっちんは人間が選ぶって言ってたわ。なら、私は獅子を失うことを選ぶわけがない」
「まぁ、そうだな」
「うん。選ばない」
二人は、自分の心に疑いを持たず、夏姫がそう言うので、同意して頷いた。
「消えるな」
洞窟から出て来た夏姫が、いきなり叫んできたので、獅子は首を傾げる。
「何が?」
「お前の事だよ。土地神が言っていたのさ。お前を失うことになるかもしれないってな」
「へぇ。予言かね」
獅子は冗談めかして答えながらも考える。
土地神は、支配する土地の中の情報を無意識的に引き出し、それらの情報から推測できるものを、一つの未来として見る。つまり、土地神が自分の消失を予言したと言うことは、この土地の中で、自分の消失を画策する者が居ると言うことだ。
「はてさて、どうしたものか」
「消えるな」
両掌を向けて、再度言って来る夏姫。獅子は思わず、優しく頭を撫でる。
「大丈夫さ。僕は消えたりしない。君らがそう思ってくれるのならね。……さぁ、土地神も見たことだし、帰って勉強しようか?」
優しく語りかけると、夏姫はこちらを見上げて言う。
「消えなさい」
「えぇ~。僕を失ってでも、勉強はしたくないのかよ」
「やりたくない」
即答する夏姫に、獅子は困ったように笑うしかない。
獅子の講習会にあやかろうとしていた信二が、文句を言う。
「そういうこと言うな、この、馬鹿夏姫。俺がどれだけ、お前らの勉強会に、テストの望みを託しているかわかってないのか」
「知らないわ」
「……なぁ、夏姫。今度赤点取ったら、お前の父さんが、物凄い怒るぞ。と言うか、付きっきりで教えなくちゃ駄目かなぁとか、ぼやいているのを聞いたぞ」
「……さぁ、行こう。勉強が私達を待っている」
先程までの不満な様子はどこへやら。夏姫は率先して歩きだした。
夏姫の父は、元老院の中心人物の一人だ。普段はとても優しい人なのだけれど、将来、雨ノ守を背負って立つ夏姫には、立派になって欲しいと言う思いからか厳しく接している。その為、夏姫は父の事をとても怖がっているのだ。夏姫の唯一の苦手な人と言って良いのかもしれない。
脅える夏姫を、獅子は微笑ましく思う。
「エレノアも一緒に勉強しないか? 学校に来たばっかで、テスト範囲なんてわかんないだろ? もしかしたら、転入したばっかだから、受けるだけ受けて、点数とかは免除なのかもしれないけど」
エレノアも勉強に誘ってみると、彼女は嬉しそうに頷いた。
「そうなんだけど、お願いしようかな。早く、皆との違いは無くしたいし」
エレノアは、朝見た時のような脅えた様子も無くなり、前向きにこの地の生活を受け入れ始めているようだ。それが、獅子は嬉しく思った。自分はここから出られない。なので、雨ノ守が嫌われるのを見るのは、やはり寂しいと思うのだ。