88 彼女と彼の、中間存在 其の五
中間存在。
どちらにも成れず、どちらでもあるもの。
それは盾であり、刃である。
それは離断の別であり、迎合の壊である。
彼は己であり。
己は彼であり。
なれど、彼と己は同だけではあらぬ。
両者が異でもあるがゆえに、中間たる狭間の存在は既存し稼働し機能するのだ。
彼女と彼が近似してなお相違の存在であればこそ、かの竜王はいま尚その両者の狭間にある。
甲乙の意味など在りて無きと、いつか知るのだとしても。
黒い黒い、全き色の第8代めの魔王陛下は実に困った奴だった。
その性質上、竜王であるヴィラード=オークスは初代からの魔王全てに相対したことがある。
ときに敵対し。
ときに決別し。
ときに嘆きを共有した。
魔王の居在する場所は常に魔王城と相場が決まっている。それは魔王と呼ばれるその存在意義の一つに、【城守】というものがあるからに違いないのだが。
「…先の剥落した欠片はどうなった」
「ああ。竜王の新しい欠片はまだ完成していない。レイクシエルの部屋でいじられている途中だ」
「――あれは、今度はどんな難儀な条件付けをしたのやら」
主の生誕に間に合わぬなど、どのような複雑な命題を与えたのか。
竜王の付属種族である龍人族。
それらの全ては、魔呪たる女の呪によって作られた。
神が去ったあとに作られた一族。
原料は、竜王が遺す卵の欠片。
作り手は始原の魔女。
竜卵が孵るには、およそ二桁の時が要される。
いままでのサーバントたちは十分に育ちきるだけの時間があったというのに。
「彼奴め。遊びすぎではないのか」
呆れた口調で、酷く己に類似した女のことを揶揄してみせた。
「まあ、そういうな。レイクシエルだけの問題だけでもない」
「どういうことだ?」
始原の魔女も、竜王も、魔王という存在に比して古い存在。
力はと問えば、優劣つかぬほどにすぎぬというのに、目の前の若い魔王には緊張の様子はない。
いままでの魔王は、慇懃無礼な態度のなかに礼を失わぬ程度の緊張を有していたものだが。
「…気付かないか? 竜王」
黒い少年姿の魔王が、孵ったばかりの竜王へと問いかけた。
「この世界は壊れつつある」
聖気が減弱し、魔気が増悪している。
「…それは以前からのことじゃろう」
渋るように声を上げるそれに少年は畳みかけるように補足した。
「竜王たるそなたが、今度蘇るに要した期間は ―― およそ67イアであるといっても?」
一度目の驚愕は、言葉にはならなんだ。
「私が8代目の魔王となって、いまだ37イア。その短い期間の間に行われた返還の儀はすでに50を超えている。――― それでも?」
「馬鹿な…」
二度目の驚愕は、かすれた声で形となった。
「四大精霊たちは、すでに弱体化。従属する聖獣王たちも、次代を諦めつつある現状。――― 如何か、竜王。これでも尚、いまは以前のままであろうか」
告げる。
告げる、黒の王よ。
「有り得ぬ」
何を呑み込んだ。
何を喪うた。
そなたの黒の眼と、黒の衣は。
幾度、己の血に染まった。
世界の平衡の偏りは加速している。
すなわち。
「 御世は、滅ぶのか 」
愛おしくも残酷な彼の神が創りし世は、壊れ 。
本日の覚書
古の存在
※とくと限定されたものとは限らぬことを前提の覚書である。
一部の有識者に限定されて、主に神在り世における最後の創世勿を指す言葉とされることがある。
創世神が魔の存在を把握し、それらを除去あるいは抹消しようと試みた際に創出された幾つかの種族・存在を指して、【古の存在】と称される。
これらは、樹木の王たるトリィドル=穏=スフガンや真祖たる大神ブラフィ=ルビナなどの古族の隠喩として用いられることもあるがそれは誤用である。しかし、その意味での使用の方が多いのもまた事実である。
剥落した欠片
孵化卵の卵殻の欠片を指す。詳しくは、【竜卵】を参照。
竜卵
竜王の転生に伴い、形成される卵形の繭。
竜王が転生するたびにその竜卵の姿・性質は異なることが判明している。いまだその全ては明らかにはされていないが、研究者にして共同開発者である始原の魔女によれば、その一世の間に生じた縁起や感情、性質など、竜王の基核たるものが過剰と認識した部類のものによって形成されているといわれている。
竜王誕生後、遺される竜卵の性質に目を付けた始原の魔女が竜王の認可を得たのちに、これらの〈剥落した欠片〉を基に創りだした種族が【龍人族】である。
竜卵形成後の竜王の再生誕はその折の竜卵の質にもよるが、おおむね25イアから30イアかかると言われている。
四大精霊 (絶滅)
聖なるものの頂点。
火精霊王・水精霊王・土精霊王・風精霊王の支配下に分かたれる。
聖なる一族たちの友であった。
聖獣王(ほぼ絶滅)
四大精霊王に従属する聖獣を指す。
現在は玄武のみが、姿だけ遺している。