08 彼女と彼の、傷み 其の二
物語りにおける魔王というものが、どんな定義を課せられているのかなど、京香は知らない。
魔族の王様?
魔界の王者?
邪悪な世界の敵?
勇者に倒される定めの悪役?
そのような全てを京香は否定する。
だって、京香は知っているのだ。
魔王であることが世界のための役割だと理解して、身を犠牲にする友人のことを。
ずるずるずる。
引きずるように、己の私室の長椅子に腰かけたイスラン=アル=ジェイク。
黒髪に金目の、たった一人の魔王さま。
人も住めない魔の漂う場所で生きることを義務付けられた存在。
―― 誰よりも、魔力を吸収するキミ。
―― 誰よりも、魔力を保持し続けるキミ。
「今日のお勧めは、オレンジティーですよー」
ことんと、京香が置いたのは持ってきた水筒から注いだ紅茶。
温かな湯気が出ている。
まあ、聖域の水で沸かしたそれには程遠いものの、無用な魔力という名の毒素が混じってないので善しとして頂こう。
向こうの世界から持ち込むには、もっとも難しい液体のものを持ってくるにはちょっとした注意が必要だ。
どんな作用か、世界の壁を超えるときにはいろいろと揺れというか衝動がもたらされるらしいのだ。
知らず持ち込んだコーラのボトルを開けた時の光景は衝撃だった。
自転車に乗って買い物に行った学生時代、あのころはよく経験した。ガタゴト振動を与えてくれる歩道のアップダウンには今でも一言を語れる。
自転車籠の中の荷物が飛ぶんだよ、ばかやろ―、と。
―― 当時イスランのお気に入りだった椅子にはいまだにそのとき零したコ―ラの染みが残っている。
「はいはい、ゆっくりとお飲みなさいねー。水分と糖分と体温の補給は大事ですよー」
笑顔で勧める、この心意気。
くどすぎず、うざすぎず、されど、よわすぎず。
この一芸は大事な社会人のスキルだと思う。
京香自身は、まだまだ先輩がたに比べると未熟であると理解しているが。
最初の一声で相手の注意をひきつける技は京香の憧れである。
「美味しいかい? 」
「 … 悪くない 」
席の傍らで声をかけた。
疲れた顔のイスランは軽く眼を眇めさせながらコップを空っぽにした。
ずるずるずるずる。
半眠りの魔王さまは半目状態。
そこを無理やり叩き起こして、寝室まで押しだす作業。
「はーい、足踏み足踏み。」
方向転換は、任せてくれ給え。
時折突っかかる足元にてこずりながら、背中と腰を後ろから支えて移動移動。
「はいはい、それではしっかりと倒れ込んでくださいな」
ダイヴ!
しっかりと掛け布団はめくっておいた寝台に飛び込むがいい、我が朋よ。
「 … 」
素直に倒れ込んだ友人のブーツをはぎとります。
…サンダルにしたら? こんな日は。
ちょっと思ったりするこのごろ。
ごろごろごろ。
もはや限界に近い友人に大きな布団の真ん中まで転がらせて、掛け布団を掛けてやった。
それから、レイちゃん特製の結界道具のスイッチを押して。
「 おやすみ、イスラン 」
夢の海へと沈没真近のイスランに声をかけた。
あとは、眠りが癒してくれるはずだから。
――― おやすみ。
布団の海にもぐりこんだ友人がそう呟いてただろうことは、とうに理解している。