07 彼女と彼の、傷み 其の一
帰り支度の前にお手洗い。
とれかけていた紅を指し直して、呟いた。
「――― 明日は、お休みとらなきゃねえ」
彼女の両耳のピアスの色が、その日だけは赤く変わる。
紅玉のような、完熟した林檎のような、赤い赤い色へと。
ため息が漏れるそんな日が、今日という日。
今日の天気は、雨。
しとしとと雨は続く。
しとしとしとしと、けぶる雨。
こんな日は、とても静かだ。
魔王城の一室に出現した京香の前には、誰もいない。
もそもそと持ってきた毛布を身体にまいてくるませて、ぺたりと入口に座った。
石壁と石床は冷たいので、防寒用具は必需品なのだ。
もそもそもそもそ。
用意してきた水筒の中身は温かな紅茶。
奪われることが確定している私の身体の温度と体液を補充するには不可欠なのだよ。
だけど、まだ彼はこない。
ぺたんと座ったまま首を膝に埋まらせた。
石の壁は音を食う。
雨音は微かすぎて聞こえはしないけれど、寒さだけはしっかりと伝えてくる。
「カビが生えないのが不思議だよね、このお城」
以前からの疑問を一人で呟く。
その音さえも石の壁に吸収されて、京香はつまらないと思う。
「……」
心と体のどこかで違和感が生まれた。
痛みではない、苦しみではない、何か。
嗚咽を無理やり呑み込んだような、無視はできないソレだ。
「…ああ、終わったのか」
自分では見えない両耳のピアスが赤色から紫に変わり、ゆっくりと深い紺色に変化しつつあることを彼女は知識で理解する。
違和感だけは、この身に降りかかっている。
「はやく、かえっておいでよ。――― イスラン」
京香の大事な友人は、もうすぐ帰ってくる。
この世界に課せられた己の役割を終えて。
魔王という役割を果たして。
「やあ、イスラン」
重い身体を引きずるようにして現れた友人に、京香は声をかける。
――― こんなところで、何をしている。
昔はそんな言葉を聞いた気もするが、今ではその言葉も聞かれなくなった。
重い扉を京香は開けた。
魔王の私室への扉を、しっかりと。
「どうぞ、お入りくださいな」
浮かべた笑みがひきつってなかったかだけが心配だ。
早く、早く。
早く、通って。
「………」
開かれた扉を無言で通過するイスラン。
彼は、この世界の8代目魔王イスラン=アル=ジェイク。
そして。
あたし ――― 篠原 京香の友人。
魔王の彼のお話。