41 彼女と彼の、マイナスイオン 其の三
「彼女と彼の、マイナスイオン 其の三」
昔、まだ学生のなかの学生。キングオブザ学生の義務教育時代の頃の話だ。
今でも心の隅に残っているお話がある。
感動したとか面白かったとか怖かったとか超絶笑わさせてもらったとか。
別に、そんなもんじゃなかったけどな。
ただ。
物語りのなかで、そのお爺さんはきっとすごく平凡ででも偉大な人生を歩んだ人で、その孫はきっと今からそんな平凡で何処にでもありそうででもどこにでもないそんな人生を迷いながらも焦がれながらそのお爺さんのような生き方をしていこうと思ったんだろうなとか思ったんだ。
もう、その本の名前も、書いた本の作者も忘れたそんな一冊の物語り。
昔むかしに読んだ、裏山にあったたった一つの木を「俺の木」と呼んで生涯の半身と決めた少年の人生の終わりに触れあった、そんな少年だったお爺さんの孫が語り手の物語り。
家族でもなく、同種でもなく、けれど一緒だった。
戦争を経験して、消失を経験して、家族を手に入れて。
苦も楽も量る意味さえ失うほどに生きた老人の生きざまの物語り。
「…うん。そうだね」って。
読んだ後に、ただ頷くことしかできなかったそんな物語。
―――――― そんな物語りが、今でも心の隅に残っている。
「―――― 主さまは人をどう思う?」
【…?】
「灯と熱を求めて木々を断ち、利と財を求めて山を掃う。――――ヒトをどう思う?」
京香が訊いた。
自身が主さまと呼ぶことに決めた、『禊の宿』の最大最古の神なる木。
【隠】とのみ呼称される、この地の木々のネットワーク化した意思の 統括株。
―――― 地に張り巡らされた木々の根によって、この大地の全てを見知っているとされるその存在に尋ねた。
けれど、その答えは…。
【 ナニモ 】
なんともそっけないものだった。
「何にも感じないの?」
【………我々は…我々で生きるだけ…だ。京香………。………人のこと…は……人がする…だろう…】
時折種を運んでくれる生き物でもあるから、それで十分。
「ふーん。そうか」
そんなもんかー。
ことんともはや強固な鉄板のごとく硬化したその幹の外皮に頭を寄せた。
地の上にまで盛り上がった根っこの近くに頭をよせると、幹の中をながれる水の音が聞こえた。
「…でも、私は主さまたちがいてくれるとほっとするよ」
その静かな脈動を聴きながら、そう呟いた。
「―――― 春が来て、冬の間は渇いていた幹や枝から新しい瑞々しい枝が芽生えて、ときには枝までが色づくように春を携えているの」
【………】
「色鮮やかな花の前の蕾だけじゃない。―――梅や桃、桜の枝枝がほのかに赤みを帯びだして、淡雪のような雪の中で春を待っている」
【………】
「―――白い雪のなかで、春を待っている」
【…………京香……】
「――――――――― 春を待って、いるの」
【………京香は、………ほんに…………愛しき……………よ……】
主様の放つ念話は、まるで水のよう。
この身を流れる、愛しく憎い、水のよう。
―――――――――― プラスとマイナスに分かれたならば。
いつかは巡り会い和合するのが、その定めですか。
…………姉上さま。