16 彼女と彼の、お伽噺 其の一
この世界は、もう終わっているらしい。
そう京香が聞いたのは、魔王その人からだった。
ぱちり、と暖炉に火縁石が火花を灯した寒い冬の季節のこと。
京香が持ってきた漫画本(全12巻~続刊あり)を、毛布にくるんで読んでいたときのことだった。
「そういえば、このまえ虹の泉に行ったんだよね」
「ん?」
虹の泉?
傍らのテーブルであたしの読んでる本の続きを読んでるイスランが返事した。
ちょーっと待て。
その進み具合だとあたしのが先に終わるじゃんか早く読めよイスラン。
相手が本を読み終わるまで、焦ぇらしー確実フラグかよ、と密かに憂いた京香、23歳。
「そう、虹の泉」
思い出したのは、魔の域である魔王城とは真逆の場所。
聖の域である虹の樂の中心地。――虹の泉。
世界を渡る異界渡りの能力を持つ京香は、たまにあちらへと出現する。
…迷子じゃないもん、ちょっとベクトル間違えただけだもん。
まあ、理由はそれだけではないようなのだが、何回か間違えて出現したことがあるのは事実である。
幸い見知った知人も出来、それはそれで楽しいのだがちょっと苦手なことがある。
――― 視線が重いのだ。
いやんなるくらい。
「人魚族の妊婦さんがいてさ、えらいピリピリしてるのね」
で、どうしたのか聞いたらさあ。
京香の目線は遠い。
―― マタニティーブルーですか?
と聞こうと思ったんだ最初は。
でも、そんな言葉この世界で通用しそうにないしねえ。
仕方ないので、言葉を変えた。
あのう、御主人さがしてきましょうか?
という風に。
いや、嫁の機嫌取りは旦那の仕事かなとそう思ったので、言ってみただけなんですけども。
返ってきた答えは奮っていた。
――― 巣作りもまだ出来てないなら、呼ばなくてもいいわよ!
…… 怖いよ嫁さん……美人なのに。
ガクぶるした京香だった。
見かねた知人が手招きをしてくれたのを幸いと逃げたのだが。
「人魚の巣って、たしか旦那が一人でつくるんだよね? だったら、多少時間がかかっても仕方ないと思うんだけどさあ」
なにも、あそこまでピリピリしなくてもいいじゃないかと思うんですけど。
思い出せば思い出すほど、理不尽な気がする京香だった。
だが、イスランは別の感想を持ったらしい。
「ああ。――巣が心配なのは仕方ない」
それは、興味で近づいたお前が悪いな。
ほえ? なんでさー?
喋りながら視線はお互いに、手元の漫画本に言ってたわけなのだが。
そこで、お互いが顔を上げた。
「あたしが悪いの?」
「そうだ」
きっぱり訊いたら、きっぱり肯定してくださった君に天誅!
―――と言って蹴りを入れようとしたのだが、毛布が邪魔して出来ませんでした。
ううう、あたしの毛布くんが裏切った。
でも決して毛布を手放す気はない京香だった。―――女の子は身体を冷やしちゃダメってお母さんがいってたんだよう。
「しっかりとした巣がなければ、人魚は自己崩壊をおこして、母子ともに滅するのだから」
イスランはそう答えた。
あたしは言葉をなくしたけど、イスランにとってはもはやそれが当然のことのようで。
ぱらり、とめくられたページの音がどこか別の世界の音のように感じた。
めくられたページのなかで、少女が叫んでいる。
私の居る場所なんてないの、と。
その少女の言葉は悲鳴であったのだろうか。
私たちには。
――――― 生きる赦しは、与えられていないの。
聖域たる中心の泉で。
京香に聞こえないように呟いたのは、美しく若い人魚姫。