13 彼女と彼の、落書き事情 其の四
聖と魔のちがいって、なんですか?
京香がそう尋ねたとき、返事は沈黙だった。
拒絶のそれではなく、思案のそれ。
だから、そのときもらった返事を京香は間違いだとは思わないのだ。
―― 世界にとって、好ましいか否かじゃないかしら?
美しい紫がかった銀髪をくるくると指に巻きつけながら、魔女は言ったのだ。
―― 絶対的に存在し、無限に影響を与えるものということでは同一なのでしょうけれどね。
……頭のいい人の言葉って、よくわかんない。
そのときの京香は、困った顔でただ小首を傾げたのだった。
「久しぶりだわ、人に出会うのは…」
出逢った人魚族の老婆、ミサルガ=琉=ラドは穏やかに告げたのだ。
ちなみに、彼女は美人です。
老婆と言ってばかにしちゃいけません。
彼女は美老婆です。
皺の一つ一つが美しい。
これぞ、美しき老いの姿なり!
水に浸ったままのミサルガ婆ちゃんは、近寄った京香にそっと木の実を恵んでくれた。
え、これはあれですか。
おばあちゃんが孫にお菓子をくるんで渡してくれる的なそんな情景?
「…あの、ミサルガ婆ちゃん。あたし一応成人済…」
「―― 私、久しぶりに出逢った方がとても素直で可愛らしくてとても嬉しいのよ?」
にこにこにこ。
婆ちゃんは、笑顔を変えませんでした。
鉄壁の笑顔。
「………いただきます」
そんな純朴そうな婆ちゃんの笑顔を裏切れるはずがあろうか! 否あああああああああああああ!
お婆ちゃんっ子だった京香は、素直にその好意を受け入れた。
でも、あの笑顔の裏にはきっと何かある。絶対なんかある!
確信しつつも、踊らされる馬鹿がここに一人います、お婆さま。
大好きだ、こんちくしょー。
「ミサルガさま! いいんですよ、そんな怪しい奴相手しなくても! 」
「結界を乱しもせずに現れるなんて、十分不審者ですよ」
「たたきだしましょーよ!」
ちゃわちゃわと、親指サイズの小人たちが京香の周りでうるさかった。
こいつら、どうしてくれよう。
『ミサルガ婆ちゃん親衛隊』とのちに京香が命名した葉陰の一族の連中だった。
身丈は何度も言うが、親指サイズ。
ミニマム通り越して、あれだア●エッティだ。
ちょっと興奮したら鼻息で飛んでいきそうなサイズ。
……まだ、飛ばしてないよ?
うっかり動いたら潰しそうなので、動けません。
ガリバー先生のように磔になっても、動けなさそうな自分がそこにいました。
(関係ないけど、あの状態で一番ひどいのは髪の毛を引っぱりつけられてる状態にあるとあたしは思う。――禿げるし頭皮痛いじゃんか)
「京香には、魔王の守護があると私は言ったはずだよ、おまえたち」
―― その意味がわからないわけではあるまい?
ミサルガ婆ちゃんは、もう一度そうおっしゃいました。
ぐっと言葉を止めたアリアリ(造語)たちが可愛かったです。
しかし、はて?
「…… 魔王の守護ってなに? 」
思い当たる節があるような、ないような。
とりあえず、「(馬鹿は)わからないことは聞いておけ」という、兄の心優しい躾に乗っ取って尋ねた京香だった。
「「………」」
そしたら。
―― もう慣れたけど、またかよこの視線。
『馬鹿じゃね? 』
視線は正直に思いを告げてくれちゃうんだぞ、おまえら。
そう突っ込んだ、篠原 京香(異界渡り・性別女性)の心の内。
「…… そうそう、今日の仕事は今からだろう。準備はできているかい?」
ミサルガ婆ちゃん、いきなり会話変えないで。
「…翼布は準備してありますー」
「…種も用意しましたー」
「…お弁当も用意しました―」
葉陰の一族たちも、素直に話題変換に応じていました。
―― 兄ちゃん、異世界の人たちは冷たいよ?
素直に聞いたのに、教えてもらえないことにしくしく異界の兄に泣きついた京香だった。