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Prologue ~ふと履歴を覗いたら・・・~

「絶対に都心の方が便利だと思うんだけど、どうしてそんなに郊外にこだわるの?」


僕はチョリソーを口に入れて、何回も言った同じような質問をして、黒ビールに手を伸ばす。


このレストランのチョリソーは、そのまま食べたら、結構辛いのだが、この特製の黒ビールと一緒に飲むと、深い味わいが、口いっぱいに広がる。


『うん。まぁやっぱり、そうだよね。』


彼女は、少し困ったような顔をしながら、微笑む。


この表情を見せる時は、不満がある証拠だが、彼女が、不満を僕に、直接ぶつけることはない。


このレストランは、美味しい上に、価格はお手頃で、静かな雰囲気が良いから、僕のお気に入りで、よくお世話になっている。


今日みたいに、きちんと話し合いをする時には、もってこいの場所だと思うが、彼女は『新しいお店を開拓してみない?』との反応だった。


それでも、僕がここが良いと言うと、さっきと同じ少し困ったような顔をしながら、微笑んだ。


つまり、この表情は、不満があるので、強制はしないが、検討して欲しいという僕に対するサインみたいなものだ。


言いたいことがあるなら、ハッキリ言えばいいのにと、しょっちゅう思う。

いや、付き合ってから、いつも思っている。


でも、それを言わず、代わりに、微笑むだけの彼女が、まぁそれはそれで好きなのだが。


「やっぱり何か不満があるの?」とりあえず、彼女に探りを入れてみる。


『ううん。あなたの言う通りだと思う。でも都心にいると疲れない?』


あぁ。結局、再検討して欲しいという材料を引き出すだけになる。


「郊外に住む方が、逆に通勤時間が長くなって、疲れるよ。ましてや、君が住みたい所は、都心に通勤をする人たちが多いから、毎朝、満員電車に、揺られることになるよ。それは、つまり帰宅時間も、満員電車になるわけでしょ。一日の長い時間を、満員電車で、過ごす方が、よっぽど疲れると思うよ。それなら、すぐに家に着いて、休める都心の方が、良いと思うな。」


とりあえず、自分の考えをぶつけて、彼女の反応を伺う。


僕は、神楽坂にあるマンションが、良いと思っている。飯田橋と市ヶ谷が、最寄り駅の高層タワーが、シンボルの大学に通っていたこともあり、この辺りは、勝手知ったる場所だ。


大学生の時、神楽坂は、大学から、少し遠くなってしまうだけでなく、そもそも、家賃が高くて、住むことができなかったので、憧れもある。


神楽坂であれば、レストランもコンビニもあるし、都心に居ながら、昔ながらの風情が感じられる。

治安だって良いし、季節によっては、休日に、神田川沿いを散歩すると、とても心地良い。


しかも見つけたマンションは、神楽坂駅までも、飯田橋駅までも、徒歩15分以内だ。

築年数は、長いが、リフォーム済みで、新築と遜色ない。家賃の割には、かなりの優良物件だと思う。


まぁ、彼女が希望する郊外の場所だと、同じ家賃で、一軒家を借りても、お釣りが返ってくるが。


『やっぱりあなたの言うとおりなのかな。説得力があるね。』


彼女と議論をすると、いつもこうなる。何だか、年の離れたワガママな弟を可愛がるように見えて、うまく振り払うお姉さんのようだ。


まぁ、実際に、彼女が、8歳上なので、歳の離れたお姉さんなのだが。


付き合って一年。僕は28歳になり、彼女は再来月36歳になる。


僕は、結婚を前提に、付き合っている。この同棲も、結婚のリハーサルみたいなものと位置づけている。

だからこそ、家を含めて色々なことを、きちんとお互いが納得をした上で、同棲を始めたいと思っている。


しかし、いつも彼女は本音を言ってくれない、そんな気分になる。


僕のことを責めるわけではないし、褒めてもくれるのだから、悪い気はしないのだが、酔っ払っているのか、少し癇に障った。


「ねぇ!本当に真剣に考えてる?」


少し、語尾が強くなってしまった。


その瞬間、彼女のスマホが、鳴った。


『ごめん、仕事だから、ちょっと外で話すね。』


彼女は、スマホを持って、レストランの外に出た。


タイミングが、良いのか悪いのか。しかし、話の腰を折られた気分だ。


いずれにせよ、このままの状態で、同棲どころか、結婚生活が、上手くいくのだろうか。


まぁ、客観的に見たら、彼女がいつも、僕を優先してくれるわけだから、こんな心配をするのは、ゼイタクの極みというか、ワガママの極みなのだろう。


10分ほどして、彼女が、戻ってきた。


『ごめんね。残業している子たちが、分からない事があって、電話をしてきたみたい。』

「へぇ。大変だね。」


彼女は、会社では、肩書きは総務調整支援室長で、総務部全体の後方支援をするチームのトップで、部下を10人見ていると聞いたことがある。

昨今の、女性の管理職比率を上げる社会の空気もあり、若くして、管理職のポストを与えられたが、責任だけが増える一方だと、言っていた。


それなら、ますます都心に住んだ方が、良いような気もするんだけど。


それも言おうとした所で、


『ごめんね。ちょっとお手洗い、行ってくるね。』


彼女は、そのまま、お手洗いに、向かってしまった。


僕は、ゼイタクというか、ワガママの極みの不満を感じながら、彼女のスマホにふと目を落とした。

ロックを忘れたのか、通話履歴が、そのまま覗けてしまった。


あれ?知らないフルネームの男性と、電話番号が載っている。


仕事関係の人かな?


でも、さっき話していた職場の履歴を見ると、彼女の会社と室の名前と電話番号が、載っていた。


仕事関係だったら、大抵は、会社名も入れるよな。


しかも、気になるのが、この男性には、彼女からしか、発信をしていない。


夜遅くにだけ、かけている上に、今どき珍しい、固定電話の番号だ。


これは、彼女が、浮気をしているのか?


突然、心臓の鼓動が大きくなる。


僕に、優しくしているフリをして、その溜まったストレスを、この浮気相手で、解消しているのかもしれない。


固定電話なのも、相手の男性が、一人暮らしで、家にいるかどうかを、確認しているのであれば、納得できる。


8歳も離れていると、どうしても、僕が甘えるような関係になってしまう。

まぁ、客観的に見ても、僕は間違いなく、甘ったれの男に、分類されると思うけど。


僕は、不安に掻き立てられ、ソワソワし始めた。すると、また彼女の会社の室から、電話がかかってきた。


『勝手に何見てるの?』


お手洗いから戻り、彼女には珍しく、少し責めるような口調に、聞こえた。


「いや。会社から、また電話かかってきてるよ。ほら。」

僕は、自分の心を見透かされないように、スマホを、彼女に手渡した。


『本当だ。何回も、ごめんね。』

いつも通りの優しい口調に戻り、スマホを持って、またレストランの外に出て、会話を始めた。


このレストランの入り口は、ガラス張りになっており、外で電話をしている彼女の横顔が、見える。


「綺麗だなぁ。」

誰に聞かせるでもなく、勝手に口からこぼれた。


優しくて、甘やかしてくれて、頭が良くて、出世もしていて、それに美人。完璧な女性だ。


いや。ちょっと待てよ。


考えてみたら、こんな完璧な女性が、僕みたいな男で、満足をするわけがないだろう。

どんな男だって、彼女をものにしたいと、思うはずだ。


急に、僕は、自己否定が始まり、更に、不安が募っていく。


彼女が、ガラス張りのレストランの外から、ちらっと僕の方を見た。目が合うと、いつもの微笑みを見せて、小さく手を振ってくれた。


それに応えるように、僕も手を振るが、心と体が、一致していない。


一体、あの男は誰なんだ。


不安を飲み込むように、僕は、ぬるくなった黒ビールを飲みほした。

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