勇者が動かない理由、待ち続ける理由
勇者が城に来た。
それだけで、物語が動くはずだった。
少なくとも、そう信じて疑わなかった。
だがその日、
魔王城では何も起きなかった。
静けさは、平和の証か。
それとも、決断が先送りにされた結果なのか。
勇者は退屈しているわけではない。
ただ、
正しさを振るう場所が、見当たらないだけだ。
剣はある。
覚悟もある。
だが、向かう先だけが、曖昧だった。
これは、
「何をすればいいのか分からない」という状態に、
勇者が初めて足を止めた日の記録である。
魔王城の受付前で、俺は深刻な顔をしていた。
――いや、深刻であろうとしていた。
勇者というものは、常に深刻であるべきだ。
世界の命運を背負い、剣を握り、覚悟を決めて城に乗り込む。
本来なら、ここで受付と世間話をしている時点でおかしい。
「魔王様、どうしたらいいのでしょうか」
出てきた言葉が、まずおかしかった。
(いや、誰に相談してるんだ俺は)
だがもう遅い。
受付係は、何事もなかったかのようにペンを走らせている。
「ご質問でしょうか」
「はい、人生相談です」
「業務外ですが」
淡々と返された。
だが、勇者は引かない。引けない。
「私は、正義を執行しに来ました」
言った。
言い切った。
勇者として、完璧な第一声だ。
「ですが」
だが。
「誰も、邪魔してきません」
沈黙。
受付係は一度だけ顔を上げた。
「それは、良いことでは?」
「違います!」
思わず声が大きくなる。
「勇者は、邪魔されてなんぼなんです!
罠とか! 魔物とか! 威圧とか!
そういうのを乗り越えてこその――」
「今は特に用意しておりません」
「即答!?」
早い。
あまりにも早い否定だった。
「何も起きないんですか?」
「はい」
「本当に?」
「今のところ」
「世界は?」
「平常運転です」
「危機は?」
「保留中です」
「保留って何!?」
勇者人生で、最も聞きたくなかった単語が飛び出した。
俺は剣を見た。
抜かれていない。
活躍の場を完全に失っている。
「……私は、正義を執行したいだけなんです」
本音だった。
使命感だった。
このために、ここまで来た。
受付係は、少し考える素振りを見せた。
「その正義とは?」
「魔王討伐です!」
「魔王様は、現在何もしておりませんが」
「……はい」
「では、討伐の必要性は?」
「……ありません」
自分で言って、胸がチクリと痛んだ。
「じゃあ、なぜ来たのですか?」
「魔王を倒すためです!」
「理由が循環していますね」
「してますね!?」
勇者は頭を抱えた。
(おかしい……
論理的に詰められているのは、なぜ俺なんだ)
「魔王様は会議中です」
「会議、長くないですか?」
「継続中です」
「どれくらい?」
「未定です」
「未定って便利すぎません?」
「よく言われます」
受付係は、完全に慣れていた。
「その間、私は何をすれば?」
「待機してください」
「待機……」
勇者は、椅子を見た。
座れる。
普通に座れる。
勇者用の玉座ではなく、普通の椅子だ。
「……ずっと?」
「必要であれば」
「それって、勇者としてどうなんですか」
「判断しかねます」
「ですよね!?」
叫びたくなるのを必死で抑えた。
「何か、動いている感じが欲しいんです」
「今は、特にありません」
「この城、静かすぎません?」
「会議中ですので」
「会議、万能すぎません?」
「議題が尽きないそうです」
俺は、奥の扉を見た。
確かに、かすかに声はする。
だが、結論だけが聞こえてこない。
「……じゃあ、正義って何なんでしょう」
ぽつりと、こぼれた。
「それは、あなたが決めることです」
受付係の声は、変わらなかった。
その一言が、なぜか重かった。
俺は、ゆっくり椅子に腰を下ろした。
剣は抜いていない。
だが、置き場に困っている。
魔王城は、今日も静かだ。
何も起きていない。
それなのに、俺の中だけが騒がしい。
「……勇者って、待つ職業でしたっけ」
呟いたが、返事はない。
ペンの音だけが、淡々と響いていた。




