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訪問者

「リリアンナ。ダフネから離れず一緒にいるのよ? 物好きな殿方から声を掛けられたらちゃんと踊りも踊るの。服がみっともないからって黙って隅に立ってるなんて許されないからね?」


 エダに耳元でそう囁かれたものの、実際リリアンナには誰一人として声をかけてくる男性などいなかった。社交界用のダンスなんて幼い頃、両親が健在なころにかじったことがある程度だ。


 壁際、カーテンに隠れるように立ち尽くしてキラキラ輝くシャンデリアの下、楽し気にダンスをする男女の姿を見つめながら、リリアンナは声を掛けられないことに心底ホッとしていた。

 帰宅後ダフネから告げ口をされて、エダから言いつけをまもらなかったことを責められてしまうだろうけれど、これ以上恥の上塗りをするのだけは避けたかった。

 そんな、壁の花にもなり切れていないみすぼらしいリリアンナへ、他の貴族たちが笑いを含んだ冷たい視線を向けているのが、(うつむ)いていてもイヤというほど分かってしまう。

 それもそのはず。薄汚れたドレスだけならまだしも、リリアンナの足元は、ドレスだけ与えられて用意されないままに履き古された使用人用の汚い靴のままなのだ。

(早くこの場を立ち去りたい!)

 その願いすらダフネが帰ると言い出すまで叶わないのだと分かっているから、リリアンナは誰にも気づかれないよう手のひらをぎゅっと握って屈辱に耐えていた。



 若き貴族たちが煌びやかな装いで集い、年に一度の華やかな夜を謳歌している会場の片隅。

 その熱気からわずかに外れた壁際で、黒髪の青年が控えめに佇んでいた。

 彼の名はウィリアム・リー・ペイン。

 貴族の家に生まれ、王都で男爵位を継いだばかりの若き統治者である。

 この夜は出席者ではなく、王命により会場内の警備と監察の任に就いていた。


 その視線の先には、周囲から疎外されている一人の少女がいた。

 色褪せたドレス、手入れされていない髪、怯えたような眼差し――。

(……嘘だろう?)

 彼は目を細めた。

(……あれは……まさかリリアンナか……?)

 何年も前の、まだほんの幼い少女の面影が、ふと目の前の華やかな舞踏会の中に重なった。

 くすんだ暗めの赤毛は、ここ――イスグラン帝国では珍しい髪色。そうそう見かける毛色ではないはずだ。そう考えると、信じたくないけれど……あの少女は間違いなくウールウォード家の令嬢、リリアンナ・オブ・ウールウォードだろう。


(けど……あのリリアンナが、何故あんな姿で社交界に……?)

 どういうことだ。あれほど気品のあった少女が、まるで召使いのような扱いを受けている。そんな馬鹿な話があるだろうか。

 誰がこんなことを許しているのだろう? ウールウォード家はまだ伯爵家のはずだ。

 ならば後見人の誰かが、彼女をこんな目に遭わせているということだろうか?

 まだ年端も行かぬ子ども。しかも女の子だ。きっと自分ではどうしようもないんだと思うと、ふつふつと胸の内に怒りが湧き上がる。

 だが、だからといって……自分に出来ることはないように思えた。

 せめて参加者の一人だったなら、彼女の手を取ってこの場から連れ出すことも出来ただろうが、警備の身ではそれもままならない。

 ウィリアムは、己の無力さと居た堪れなさに打ちひしがれて、思わず視線を逸らした。

 まるで見てはいけないものを見てしまったかのように苦いものが込み上げてくる。


 そしてその夜、ウィリアムは邸宅へ戻るとすぐ、一本の手紙をしたためたのだ。

 ――宛先はかつての親友であり、いまやニンルシーラ辺境伯として侯爵の地位を確立している男、ランディリック・グラハム・ライオールだった。


 書き終えるなり、彼は手紙に封をしてすぐさま使いの者を走らせた。


 幼い頃のリリアンナからもらった林檎(ミチュポム)の木を大事に育てているランディリックならば、きっと彼女を見捨てない――。

 そう確信していた。



***



 揺れる馬車の中で、ランディリック・グラハム・ライオールは膝上へ広げた手紙に、もう何度目かも分からない視線を落としていた。

 友・ウィリアムの筆跡は相変わらず整然としていて無駄がない。だが、その文面の中には、どこか冷静な怒りすら滲んでいるように思えた。

 初めてこの手紙を読んだ時にも感じたが、こうして何度も読み返すたび、胸の奥にひたりと沈むような焦燥が広がっていくのをランディリックは抑えられない。


 ――あの、人懐っこくおしゃまで可憐だった女の子が、後見人になっている叔父一家から虐待を受けているかも知れない。


 ほんの幼子だった少女の、柔らかな赤髪と無垢な笑顔が思い出されて、ランディリックの胸の奥に優しい記憶が去来した。あの時、旅先の船上で彼女と交わしたささやかなやり取りが、今でもつい先日のことのように思い出される。

(あんなにいいにおいのする子は滅多にいない)

 直感的に分かる、【合う】【合わない】の基準みたいなものが、ランディリックには生まれつき備わっていた。

 恐らくそれは、ランディリックが持って生まれたライオール家の人間特有の〝持病〟のせいだろう。どうしようもなくその子の血を飲んでみたいと思わされる相手が、ごく稀に現れると言われているのだが、それはライオール家に残された記録を見る限り、異性に限られているようだった。その相手とは魂の部分で引き合うのだと、そこには記されていて……恐らくはランディリックにとってリリアンナが正にそれなんだろう。

(年が離れすぎているがな……)

 年齢が近ければ伴侶にするのに最適だと綴られていた記録を思い出して自然吐息が漏れる。

 だが、夫婦(めおと)になれないからといって、今現在虐待を受けているかもと知ったリリアンナのことを放置することは、ランディリックには出来そうにない。


 馬車の窓の外では雪がちらついていた。冷気がガラスを白く曇らせ、久々に目にする王都エスパハレまでの道のりを(おぼろ)に映している。


(王都に着いたらまずは……)


 すぐさまリリアンナが囚われているウールウォード家へ出向きたいところだが、踏まねばならない手順がある。

 そのことに思いを馳せたランディリックは、小さく吐息を落とした。


 馬車がゆっくりと速度を落とす。

 外を見やれば、見慣れた王都エスパハレの街灯が、ぼんやりと白い息の中へ滲んでいた。



***



 結局舞踏会から解放されたのは、日が沈んでからだった。

 ダフネはどこで何をしていたのか知らないけれど、少しだけ髪を乱していて……まるで召使に申し付けるようにリリアンナへそれを整えるように命令した。

 ここ数年でそういう下女のような仕事にも慣れていたリリアンナは、ダフネに請われるまま、彼女の身なりを整えてやる。

「お義姉(ねえ)さま、結局一度も真ん中へ出ていらっしゃらなかったでしょう?」

 リリアンナにすっかり身支度を整えさせ、体裁を取り繕ったダフネが、馬車の中でフンッと鼻を鳴らす。

 馬車の外を流れていく街並みは宵闇にどっぷりと沈んでいて、ダフネから視線を逸らして窓の方を眺めていても、まるで鏡面のように従妹の姿を映していた。

「それは……」

(誰にも声を掛けられなかったんだもん。仕方がないじゃない!)

 そう思ったものの、今のリリアンナに口ごたえなど出来るはずがない。

「お母様に報告しなくちゃ」

 意地悪く微笑むダフネの顔をガラス越しに見つめながら、リリアンナは小さく吐息を落とした。


 ダフネとともに夜になって屋敷へ戻ったリリアンナは、すぐさま身ぐるみを剥がされて、いつも通りのお仕着せに着替えさせられていた。

 夕飯は当然のように抜かれてしまい、お腹がペコペコだ。

(お母様、お父様……)

 こういう時、リリアンナはそっと屋敷を抜け出して、庭の片隅へ足を運ぶ。

 そこには、六歳の頃に母と一緒に植えた林檎(ミチュポム)の木がある。今はまだ若木のため細くて華奢な幹だが、風に揺れる枝を見上げるだけで、なぜか両親のぬくもりを感じられる気がした。

 リリアンナは空腹を抱えたまま、ミチュポムの木をそっと撫でて、「私もお母様とお父様の元へ行けたらいいのに……」とつぶやいてポロリと涙をこぼした。


 翌朝も食事抜きを言い渡されたリリアンナは、極限状態のまま朝の仕事をこなして、すき間を縫うように裏庭へ足をむけた。ミチュポムの木へ話しかけに行くためだ。

「……えっ、うそ……何で?」

 だが、そこにあったはずの若木は、根元からバッサリ伐られていて、まるでそのことを知らしめたいみたいに、無残に切り刻まれた幹と枝葉が地面へ打ち捨てられていた。細い幹には、無作為に振り下ろされたと(おぼ)しき斧の跡がそこかしこに生々しく残っている。

「……誰がこんな……」

 それ以上は言葉にならず、膝から崩れ落ちたリリアンナの背後から足音が近付いてくる。

「社交界で私の言いつけを守らなかった罰よ。元々目障りだった木だもの。伐られて当然でしょう?」

 冷笑とともにリリアンナの耳に届いたのは、エダの(さげす)むような声だった。


 そのあと、当然のように仕事を言い付けられたリリアンナだったのだけれど、ミチュポムの木があった辺りを見渡せる物干し場へ洗濯物を干すように言いつけられたのは、エダからのこれでもかという悪意に感じられた。


 それからというもの、リリアンナにとって味覚を失った状態での食事作り同様、ミチュポムの木が伐り倒された場所へ新たに設置された物干し場へ洗濯物を干す作業は、とても苦しいものになった――。



***



 寒い冬がきた。

 初夏からずっと……。日に三度の食事のたび、エダから折檻を受け続けてきたリリアンナの小さな手は、(そで)をまくると幾筋もの(あざ)に覆われていた。

 服で隠れて見えないところを狙うのは、エダの狡猾(こうかつ)さの表れだ。


 井戸水で水仕事を繰り返していたため、荒れてところどころ切れて血のにじんだ手指に眉根を寄せながら、リリアンナは今日も懸命に洗濯物を屋外の物干し場へ干している。無残に伐り倒されたミチュポムの木の根があった場所は、今や切り株も完全に腐って、穴だけが残されていた。

 それを見ると悲しい気持ちになる。

 ここ最近は息をするのも億劫なくらい疲れ果てていて……いつ両親の元へ召されてもいいとすら考えるようになっていた。


 と、不意に屋敷の入り口の辺りが騒がしくなって、リリアンナは物干しへ伸ばした手を止める。静かな昼下がりの庭まで、よく通る男性の声が聴こえてきた。


「こちらに、前ウールウォード伯爵のご息女、リリアンナ嬢がいらっしゃいますね?」


 どうやら誰かが自分を訪ねてきたらしい。

 どこか(うやま)うような口調で自分のことを話されたのは何年振りだろう?

 そう思うと、リリアンナは氷り掛けていた心の片隅に、ほんの少しだけれど木漏れ日が挿し込んできたような錯覚を覚えた。


 その暖かさに引き寄せられるように、リリアンナは無意識に玄関(おもて)の方へ向かって歩き出していた。


 自分の名を呼ばわる男性のバリトンボイスに、どこか懐かしさを感じてしまうのは気のせいだろうか?

 洗濯物を手にしたままフラフラと歩いていたリリアンナは、いきなり背後からグイッと手を引かれれ手にしていた洗濯物を落としてしまった。

「キャ……」

 突然のことに悲鳴を上げそうになった口を、よく肥えた分厚い手が塞いでくる。強く抱きすくめられた首筋を生暖かい呼気が撫でて、リリアンナは気持ち悪さにゾクリと肩を震わせた。

「リリアンナ、そんなに怯えなくても大丈夫だ。おじさんだよ」

 リリアンナの口を封じたまま、華奢な姪の身体をギュッと抱え込むように抱き締めているのは、叔父のダーレンだった。

 ダーレンに口を封じられたままのリリアンナの耳に、意地の悪い声が聴こえてくる。


「ああ。リリアンナ。確かにおりましたが、先月流行り病であっけなく……」

 グスグスとわざとらしく鼻をすする音とともにそんな嘘の説明をしているのは、叔母のエダに違いない。その声に被せるように、従妹のダフネが「とても優しいお姉さまでしたのにっ」と、うわぁっと泣く声がする。

 猿芝居にもほどがあるでしょう? ……とダーレンに口を塞がれたまま、リリアンナは呆れてしまったのだけれど。


「んんーっ……」

 ダーレンの手がリリアンナのブラウスのボタンを数個外して襟口(えりぐち)から挿し込まれるように胸へと伸びてきて、会話を聞くどころの騒ぎではなくなっていた。ゾワリと走った嫌悪感を伴う身の危険に、半ば無意識、思いっきり叔父を振り解いて突き飛ばしていた。

「あ、こらっ。待つんだ!」

 無様に地べたへ尻餅をついた状態でダーレンが喚き散らすけれど、待てるはずがない。

 リリアンナは訪問者がどんな人物かも分からないまま、それでもここにいる人間たちよりははるかにマトモに違いないと信じて、玄関へと向けて駆けだしていた。

『ヤン辺』は毎週土曜日の午前0時に更新予定です。

感想など頂けるととっても嬉しいです。

よろしくお願いしますm(_ _)m

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