不穏
「セツ?セツ!」
声が、頭に響く。
セツはゆっくりと目を覚ました。まず映り込んできたのは、涙を浮かべたヒショウの顔。
「ヒ……先生」
かすれた声でセツが答えると、ヒショウがこわばっていた体を弛緩させたのがわかった。
「良かった。目が覚めたんだな」
「死んじまったのかと思ったぜ」
「本当に怪我をして貧血になっていただけなのね」
「なんでこんなところで倒れていたのかしら」
「一人でここにいたんだろ」
「祭りで浮かれてここに迷い込んで怪我しちまったのか?」
「だとすれば、とんだ不運だな」
いろいろな声がする。どうやら、見物客でも集まってきていたのだろうか。
「皆さんが見つけてくれたんです。あなたがここで倒れているところを」
ヒショウに説明をされ、セツは四方に視線を動かした。かなり大勢の人間が集まっており、その中には先ほどの親子の姿もあった。彼らはどうやら事情を話してもいないらしい。だが、見たところどうやら元気そうだ。声をかけようとすると、気まずそうにおびえて、そのまま目をそらすと逃げて行ってしまった。
「あ、待て」
セツは手を伸ばそうとするが体が動かない。しょうがなくヒショウに視線を送ると、ヒショウも消えた家族を視線で追いかけた。しかし、見当たらなかったのか小さくため息をつくと、セツの耳元で小さく、
「事情はあとでききます」
とつぶやく。まさかここでしたことをおおっぴらに話すわけにもいかないし、すでに解決した事件で祭りを台無しにしたくはないため、セツもおとなしくうなずく。
「立てますか?」
「はい」
ヒショウの糸に支えられ、彼の体に支えられて立ち上がる。
「皆さん、教えていただいてありがとうございました。治療は私に任せてください」
セツは優しくそう言ったが、目が笑っていない。普段の『先生』がみせない鋭く冷たい態度を感じると、勘の良いものはその場をそそくさと去って行く。
怒っているのか?
セツはそっと、ヒショウを盗み見た。彼はその視線に気がつくとすぐに柔和な顔に戻る。それで確信した。確実に怒っている。それも、無意識に。
あれ?
だが、手首の痛みが治まっていない。あまりに深く切ったせいで、自分の治癒も追いついていないらしい。見ると、手首の傷は治療されていなかった。おかしい。ヒショウならすぐに治してくれそうなのに。ゼンから託されたこの体を傷つけた相手をすぐにでも見つけて懲らしめそうなのに。
そこではたと気がついた。
ああ、そうか。
――恨んでいるのかもしれないね。
セツが怒っているのは、きっと俺にだ。セツはもう、俺をゼンの代わりとも見てくれていないのかもしれない。怪我を治すはずだなんてとんだ思い上がりだ。ホトの言った通りだと、わずかにでも思ってしまった。
「その傷、痛みますか?」
キャンプを出ると、ヒショウは小さな声でそう聞いた。セツがうなずくと
「応急処置をします」
と言って、そのまま路地裏に入っていく。ヒショウが向かった先は、あの噴水広場だった。丁寧に噴水の縁に座らせると、ヒショウはセツの前にかがむ。
「手を出して」
セツはしずかに腕をさしだした。ヒショウは糸で軽く縛り止血をすると、血を軽く拭って、手を放す。
「はい、終わり」
「力は使ってくれないのか?」
気がつけば、そんな言葉が出ていた。
「朱雀の力で治してくれれば良いのに」
「ごめんね。それはもう出来ないんだ」
ヒショウのその言葉はまるで、死刑宣告のようだった。
――恨んでいるのかもしれないね。
一度思ってしまえばその言葉は呪いのように頭につきまとって離れない。
「なんでだよ」
「え?」
「なんで出来ないんだよ!なんでもう俺に力を使ってくれないんだ!俺をみすてんのかよ!俺はお前にとっての特別じゃなくなったのか?!今の俺は、今の俺はお前にとって何なんだよ!」
叫んでから、セツはやっと我に返った。
「ご、ごめん。何言ってんだ、俺。俺は」
「……」
ヒショウは動揺したような目でセツを見ていた。
「セツ、それは違う。僕が君に力をいま与えてしまったら、僕から力が流出して君はもっと朱雀の力を得てしまう。僕はそれが許せないんだ」
許せない。
許せない。そうか、そうだよな。
「そうだよな。許せないよな、そりゃあ」
「セツ何か勘違いしていない?」
「勘違いしていない。お前は俺のためを思ってくれている。いつだって。きっと、これからも。でも、もう良いよ。俺のことは、もう良いから」
「セツ」
「俺はもうこれ以上お前に負担はかけないから。俺のこと見捨てていいよ。俺が自分で、どうにかする」
ちょうど良い機会だと思った。昨晩ホトに伝えられた計画を実行に移すならきっと早いほうが良い。
「セツ、どうしたんだ。何か言われたのか?」
「大丈夫。問題ない。俺の問題だから」
セツはふらふらと立ち上がるとなれた足取りで裏路地を進んでいく。
「セツ、待って!」
ヒショウは、セツの腕をつかんだ。しかし、簡単にセツがそれを振りほどくので糸で体の自由を奪うと、肩をつかんで振り向かせる。
「セツ!急にどうしたんだ!」
「俺は、ゼンじゃないから」
セツはぽつりとそう言った。
「俺は、ゼンじゃないから。お前はもう、俺に縛られなくて良いから」
「何を、言って……。本当に、さっき何があったの?」
「関係ない。もう良いから」
セツは器用に糸をほどくと逃げるようにして大通りに出て行った。ヒショウは何が起こっているのかがわからず、ただ呆然と彼を見つめることしか出来なかった。




