頼み
「……ヒショウ?」
目が覚めて見ると、しっかりとヒショウとつないでいたはずの手が冷たくなっている。周りを見渡して見ても、寝台はすでにもぬけの殻になってしまっており、部屋に自分以外の人の気配もない。
「ヒショウ?」
もう一度呼びかけても、応答がない。
外に出たのか?
セツが慌てて部屋から飛び出そうとすると、同時に扉を開けようとしていたらしいミズキが驚いた様な顔をして立っていた。
「セツさん?」
「ちょ、ちょうど良いところに!ヒ、朱雀様を見ませんでしたか!?」
セツは食いつくようにして叫ぶ。
「朱雀様ならさっき、あっちの方に行ったよ。いつになく焦っているようだし、方向から言ってこっちにはホト様の部屋しかないから多分そこに向かったんだと思うけど……。焦っているようだったし心配で来てみたんだけど、何かあったのかい?君も焦っているし」
セツは目を見開くと、ミズキを押しのけるようにしてヒショウが向かったらしい方向へ走っていった。ミズキもしばらくは心配そうに見ていたが、すぐにいつもの顔に戻ると機嫌良く帰って行く。
ミズキが言っていた通り、ヒショウが言ったという方向には長い廊下が続いているだけだった。ヒショウがここを案内することがなかったところを見えると、どうやらこの先にあるのは本当にホトの部屋のようだった。
「ここ、か……」
廊下の突き当たりには、豪華ではないものの立派な扉があった。間違いない。ここがホトの部屋だろう。
セツは気配を消し、そっと扉の外から気配をうかがう。
「全く……よい……」
はっきりとは聞こえないが、中でホトが話している声が聞こえた。次の瞬間、ボンっ、という何かを寝台の上に置いたような音が聞こえ
「おやすみ」
という声がはっきりとセツに届いた。嫌な予感を感じたセツは、姿を隠すことも忘れ、勢いよく部屋の中に飛び込む。
「ヒショウ!」
「ん?」
案の上、部屋の中にいたのはホトと、ヒショウだった。しかし、二人がいたのはセツが飛び込んだ部屋の奥にある部屋で、ヒショウは寝台に力なく横たわり、その脇にホトが立っている。部屋の中にある暖炉の小さな明かりが、怪しく二人を照らしていた。
「おやおや、セツ君じゃないか。ようこそ」
ホトは動揺することもなく、笑顔でセツを出迎えるとゆっくりと歩いてくる。何気なく奥の部屋への扉を閉じようとしたホトを押しのけると、セツは奥の部屋に飛び込んだ。
「ヒショウ!」
声をかけて揺さぶってみたが、ヒショウが起きる様子はいっこうにない。なぜだ。さっきはあんなに、大丈夫だと言ってくれたのに。
「ヒショウ!」
「大丈夫。少し寝ているだけだ。いつも通りだよ」
「いつも通り、だと」
セツが振り向いてにらみつけると、ホトは涼しい顔をして入り口の扉にもたれかかっていた。
「何度言っても聞かなくてね。この子はいつも死ぬまで無理をして、最後にはここで死んで生き返る。どうやら、ここでなら安心して眠れるそうだからね。まあ、君と一緒では心配ばかりがつきなくておいそれと眠れないだろうし」
「死ぬまで働かせているのはどこのどいつだ。安心して眠れる?馬鹿にするなよ」
「すごい自信だね。でも、朱雀君はそう思っていないからこそ、わざわざ私の所まで逃げるようにしてきて、寝ているんじゃないのかい」
「それは……」
なぜヒショウがいなくなっていたのか。なぜわざわざこの場所まで来たのか。それはセツにだってまだわかっていない。それでもかたくなに、ホトの言うことに耳を貸す気はなかった。そうして流されてしまえば奴の思うつぼだ。今度は良い様にはさせない。
もう二度と、ヒショウを渡してなるものか。
セツは、ヒショウをかばうようにして立ち、ホトと対峙した。
「もういい。ヒショウを連れて、俺は帰る」
「帰る?どこにだい?その子が志半ばでおとなしくここから離れるとでもおもっているのかい?それをその子が望んでいるとでも」
「執務室に、一度帰るんだ」
「死にかけているその子を連れてかい?この部屋には火がある。火は、この子が生き返るのに必要なものだ。ここじゃないとその子が生き返るのは難しいと思うけど、君にはなにか秘策でもあるのかい?もしかして、君も治癒能力があるとか?」
その言い方は妙にいやらしく、セツは本能的にホトには全てお見通しなのだと悟った。それならば、隠す必要もない。
「そうだ」
と認めると、ヒショウを抱え上げようとする。
「待った」
しかし、ホトの言葉で、セツは反射的に動きを止めた。
「ごめんね。それは了解できない。なんてったって、朱雀君にそう頼まれているんだよ。君が来ても、朱雀君がここにいることをばらすなって。まして、触れさせるだなんて言語道断だって」
「は?」
「まあ、いろいろばれちゃったし、多分あとで怒られるけど、これ以上はさすがに看過できないな。朱雀君の願いだ。君もむげには出来ないはずだよ」
「こいつが本当にそういったのか?」
「言ったよ。どうして私を疑うんだい?その子がどうしてここに逃げ込んできたのかを考えれば当たり前のことじゃないか」
セツは警戒するようにホトをにらみつけたが、体が動かない。本当にヒショウがそう言ったのであれば、セツも暴挙に出るのには躊躇があった。
「力の流出、その言葉に、君も身に覚えがないわけじゃないだろ」
ホトに言われ、セツはピクリと肩を動かした。
背筋が凍った。
力の流出。
なぜそれをこいつが知っているんだ。それに、今回の朱雀の行動と力の流出が何か関係あるのか?どうやって?どうして?
「図星かな?」
「お前は何を知っている」
「全部。私は、何でも知っているよ。ああ、そうだ。ちょうど良い。せっかく朱雀君にも邪魔されないし、私とお話しようよ」
ホトははしゃいだように言った。
「なんだと」
「ちょうど良いじゃないか。君は、力の流出について、今調べているんだろ。青龍から聞いたよ。私はそれについても、さらに今日の朱雀の行動についても説明できる。ちょうど良い機会だし、朱雀君が起きるまで、私と話して待っていよう。そうすれば、私が朱雀君になにもしないってことの証明にもなるしね」
「……」
青龍。
なるほど。筒抜けだったのか。
セツはもう一度恨めしそうにホトをにらむと、そのまま部屋の中を確認した。人が潜んでいるような気配もない。あるのは寝台と小さな暖炉のみで、本当に朱雀が回復のために使っている部屋のように思える朱雀の回復には火が必要であることはセツとて重々承知している。この部屋で寝ていれば、じきに朱雀は回復することだろう。それを加味しても、ホトのいうことはむかつくほどに筋が通っていた。
「わかった」
セツとて、ただわがままを言っているばかりの子供ではない。ヒショウを見つめると、静かに部屋を出て、ホトを追い出した上で、自らの手で扉を閉じた。
「わかった。話をしよう」
「良い子だね」
ホトはまるでからかうようにそういうと、わざとらしく椅子を引いた。その椅子はやけに豪華で、ホトの執務机の向かい合わせに置いてある。明らかに怪しいが、セツはそこに座るほか無く、仕方なく腰を下ろす。柔らかい感触の椅子で、非常に座り心地が良かった。それがまた心地悪い。
「さて、じゃあ、まずは何から話そうか」
ホトは優雅な仕草で席に座ると、肘をついて楽しそうにセツに言う。
「アイツは、ヒショウは、どうして俺じゃなくお前を選んだ」
セツはぽつりとそう言った。
「なるほどね。それが君の、知りたいことか。君らしい」
ホトは興味深そうに言うがセツからすれば挑発にしか聞こえない。声を荒らげることなどしないが、静かに怒りを込めた目でホトをにらんだ。
「私といる方が安心するから、じゃあ、納得できないよねえ」
「……」
「わかった。わかったよ。そう怒らないでくれ給え。はあ。朱雀君はね、君に力を使ってほしくないんだ」
「力?」
「朱雀の力さ。君が彼から奪った、神聖な力だよ」
「……」
何も答えないセツをよそに、ホトの口元はゆるりと弧を描く。
「なんだ。俺が治癒の力を使えるから、俺に立場を追われるとひがんでいるとでも言うのかよ」
「そんなことは言わない。第一、君はよく知っているでしょ。朱雀君は、いや、もう良いか。ヒショウ君は、そんなことは絶対にしないって」
「ああ、そうだ。ヒショウは優しい。己が死のうが苦しもうが、他人のことを一番に考えるようなやつだ。今だってきっと、アイツのことだから俺を守ろうとして自ら犠牲になってここに来たんだろ!」
「そうそう。そういうと思った」
ホトはこらえきれないというように笑い出した。
「何がおかしい!」
「いや、ね。君があまりにも想像通りのことを考えていたから、つい、我慢できなくて」
ホトは笑いながら目尻からたれる涙を拭う。
「は?」
「昔、ヒショウ君もゼンのことをよくそう言っていた。まるでのぼせたような目で、うっとりと語るんだ。見ているこっちが恥ずかしくなるよ。まあ、私も彼の気持ちはわかるし、ゼンに対してなら私だってそうしたいけどね」
「何が言いたいんだ」
「つまり、君がそこまでヒショウ君に心酔しているのは、朱雀の力の賜ってことさ」
「は……」
セツは眉を潜める。理解できていないセツを見て、ホトはさらにおかしそうに笑った。
「朱雀の力の代償。心の傷を癒やすための記憶改変。それは君の身にも起こっている。ヒショウ君は君に少なからずひどい行いをしたはずだ。でも君はそれを責めるどころか」
「あれは、お前が」
「私のせいにして、彼を哀れむ。実際の所、私は君の扱いに対して何の指示も出していないのに」
「そんな証拠がどこにある」
「その言葉、そっくりそのまま返すよ。まあ、君がこの話にかみついてくることはわかっている。私が言いたいのは、君のその狂信さは明らかにヒショウ君譲りのものだってことさ」
「そんな訳あるか。これは」
「瀕死だった、いや、ほとんど死んでいたと言っても過言ではない君に、ヒショウ君は力を与え続けていた。そうして君は、命とともに朱雀の力を手にしたんだ。治癒の力が君にも宿っていることは、君も気がついているんだろ?ヒショウ君が昔のように無理できないのも力が半減しているせいだ。君から話を聞いて、ヒショウ君はやっと自分の力の減少の理由と、それによる君への弊害に気がついた。これ以上君が力を得れば、君が死ぬ可能性もあるってことを知って、怖くなったんだ。負い目を感じたんだよ、君という存在に」
「負い、目」
いけない。この男の言葉に乗せられては。
わかっていても、言葉が激しく頭の中を回って仕方が無い。
「君を見ていられなくて、それでここに来た。今の彼にとって君という存在は、贖罪でしかないんだ。あるいは、恨みの対象なのかもしれないね。君のせいで、ゼンにまた会うために必要な力を半分失った。そのことにやっと気がついた。あるいはもっと、深いかも。君たち玄武国のせいで、ゼンは消えたって、改めて思い出したのかもしれないね」
「そんなはず」
「もしかするとまた彼は、君の事を忘れてしまうかもしれないね」
「……」
「ヒショウ君は、今度こそ本当に君を敵と認識してしまうかもしれないね。そして、君の忠告も聞かずに、玄武国にばかり肩入れをした行動をするかもしれない」
「お前、それに気がついて」
「もちろんさ。ヒショウ君はゼンに会いたいばかりにこの国をないがしろにしすぎている。私もその件については気にかかっていたんだ。そこでだ、セツ君。私と協力をしないかい?」
いけない。
この男の口車に乗せられては。
「協力?何を言っているんだ。そもそも、ヒショウが俺のことを怨んでいる?馬鹿にするな。そんなわけない」
「でも、ヒショウ君の極端な考え方は改めたい。そう君も願っているんだろ?」
図星だった。セツは言い返せずに唇をかむ。
「ねえ、セツ君。私と協力しようよ」
「見返りは?俺に何を求めている?」
「むやみに取引にのるのではなく私の利益を探ろうとするのはヒショウ君の昔話から学んだんだね。素晴らしい。見上げた心意気だ」
ホトは喜ぶように言う。
「君に、私の駒になってほしい。私は目の力を失ってしまったからね。今は一人でも多くの後ろ盾がほしい」
「俺がお前の役に立つ存在だと?」
「そうだよ。君にはゼンの面影を感じる。それに、世にも珍しい、二つの神獣の力を持つ存在だ。面白そうだし興味がある。手元に置きたくないだなんて思う方がおかしい。それに、役に立つ方法は君が知っている筈だ」
「……お前、まさか」
「そう。私は、君の血がほしいんだ。ヒショウ君からこれ以上血を分けて貰うわけにはいかないからね。力を失っている今のヒショウ君には、これを頼むことは出来ない。今の君ではまだ心許ないが、私がこれから手を回して、君をさらに朱雀に近づける。そうして私に血を分けくれれば、君は力に耐えきれず死ぬことはないし、君だって、ずっと、志を成し遂げようと奮闘するヒショウ君のそばにいてやれる。私も長生きできる。両方にとっていい話じゃないか」
「そんなに、ゼンに会いたいのか?」
セツはあえて、説明を求めなかった。彼はきっと意図的に自分に過去の朱雀国の王の話をしたのだ。あの血の話を印象づけるために。かれは、朱雀の力が宿った血をのみ、延命をしようとしている。玄武国の復興を成し遂げたいから?朱雀国の行く末を見送りたいから?きっとそう言うだろうが、本心はきっとこの人も、ゼンのためなのだ。
「うん。会いたいよ。私だって、ヒショウ君に負けないぐらい、彼のことが大切だから」
でも――。
ホトの気持ちはわからない訳ではない。
それでも、この人に同じ過ちをくりかえさせはしない。初めはすこし血を貰うだけであっても、いずれはきっと欲が出る。ホトは、認めたくはないが確かに賢君だ。彼は血に踊らされ狂わされ、呪われる存在であってはいけない。
血を上げることを了承する気は端からない。それでも、こいつにはやらなければいけないことがあるはずだ。
「お前はかつて、この世界を平等にすることが夢だと言ったな。それは今でも変わらないか」
「かわらない。代るわけがない。でも、その前に私は、ゼンが生き返ることが出来るような指揮をしなといけない。それを成し遂げて、ゼンと一緒に平等になった世界を見ないと意味が無いんだ。ゼンがいない平等な世界に意味は無い」
ホトは静かに、しかし、力強くそう語った。
「そうか」
するべきことは決まった。
「わかった。俺からはじゃあ、二つ。お前に頼みたいことがある」
「なんだい?言ってご覧?」
「俺が今から言うことをしてほしいんだ。一つは、俺やお前がいつか死んだ後のことを今からちゃんと用意をしておくことだ」
「わかった。進展は逐一君に伝えよう」
その言葉に嘘はないように聞こえた。セツは大きくうなずく。
「もう一つは――」
ヒショウが帰ってきたのは明け方近くになってからだった。狸寝入りをしていたセツは、気がついていない体を装ったままそっとヒショウの様子をうかがう。疲労の色もなく、再開したときのように生気に溢れた気高き神獣の姿がそこにあった。
これでいい。
これでいいんだ。
セツはそっと目を閉じる。ヒショウが出すわずかな筆の音にそっと耳を澄ました。




