救い
執務室の扉を開ければ、案の上、部屋の中に明かりは灯っていなかった。
「朱雀……?」
部屋に一歩足をふみ入れた瞬間、セツは息をのんだ。
「朱雀!」
朱雀は、机に突っ伏すようにして、倒れていた。セツが駆け寄ってみると、息が浅い。
まずい。
朱雀は今明らかに、死にかけている。過労死は、朱雀の、いや、ヒショウの十八番なのだ。
「一か八か!」
セツは朱雀の頭にそっと触れ、優しくなでる。すると、わずかだが橙色の光が手のひらに灯った。
いける!
セツは急いで、しかし、傷つけないように慎重に朱雀を抱き上げるとそのまま寝台に運んで横に寝かせる。遠慮がちにその手を握ると、集中するために目を閉じた、
「頼む」
額に汗がにじむ。朱雀の力が手に宿っているのがわかる。そして同時に、何かが飲み込むように入り込んでくるのがわかった。意識が遠のくのを感じながら、セツはわずかにまぶたを開け、そっと朱雀を見た。
「頼む……」
セツの意識は、完全にのまれた。
ここは、一体……?
セツの意識が次に目覚めたとき、彼は暗闇の中にいた。おかしい。自分は確実に朱雀の執務室にいたはずだ。手当たり次第に手を動かしていると、そっと手が冷たい金属のようなものに触れたのがわかった。軽く金属音を出したそれを持ち上げようとして、手首を掴まれる。
「だれっ」
叫ぼうとして、口を塞がれる。抵抗しようとしたセツだが、すぐに気がついた。この手のぬくもりは、知っている。
「セツ。落ち着いて。僕だから」
短くつげられたその声は、朱雀の、いや、ヒショウのものだった。
「ここは僕の夢の中だ。君が、僕を助けてくれたんだね」
そっとヒショウの手がセツから離れた。セツはばっと振り向いて、確かめるようにヒショウの頬に手を添える。
「もう大丈夫なのか?」
「大丈夫。少し、死にかけていただけ。よくあることなんだ。大分良くなったから、もう大丈夫だよ」
「よくある?お前やっぱり、ホトになにか」
「違うよ。疲れただけ。ほら、このところ君のせいで立て込んでいただろ。君がいるのに僕がおいそれと眠っていては怪しまれてしまうし、火消しに追われていたからね」
「……俺のせいか」
「まあ、そうだね」
ヒショウはそう言ったが、その口調は攻めるような者ではなかった。
「どうして来てしまったの。僕はあそこで幸せに生きるように言ったのに」
「ヒショウ、お前やっぱり、忘れてなかったのか……!」
セツが言うと、ヒショウは何も答えない。それは言うまでも無く、無言の肯定だった。
「だったら、だったら何でここに縛られるんだ。一緒に帰ろう。何度も言っただろ。お前がいなきゃ、俺は幸せになんて生きられない。お前の幸せが、俺にとっての幸せなんだよ」
「そうか。そうなんだね、やっぱり。僕は、君に干渉しすぎてしまったんだね」
ヒショウは一人納得したように言った。
「セツ、ごめん。僕はやっぱり帰れない。僕にはやらないといけないことがあるんだ」
「やらないといけないことって……玄武様の復活か?」
「うん」
暗闇の中でもわかる。ヒショウの目は、かつてゼンに向けられていたものだった。
「お前は……お前はこの前俺に、玄武国の復興のためならこの国を犠牲にしたってかまわない。そう言ったよな」
「言った。本心だよ。嘘は、ついていない」
「俺は、やっぱりそれはおかしいと思う。お前が神獣だからとか、なんとか、関係なく、誰かを犠牲にして物事を考えるのはよくねえ。俺、青龍様のところで学んできたんだ。それで、思いついた。どうすれば、療養の民を救えるのか」
「本当ですか?」
ヒショウの目がすっと開いたのがわかった。
「ああ。だから明日、一緒にもう一度あのキャンプに行こう。そこで話すから」
セツはまっすぐヒショウを見た。ヒショウが目をそらそうとしても、その視線をおう。そうしているうちにセツの真剣さが伝わってきたようで、ヒショウも安堵したかのように方をすくめ、
「わかった」
とうなずいて見せた。
「よっしゃ、決まりだな。俺たちなら出来る、絶対に。さっさと終わらせて、帰ろうぜ!」
「……」
ヒショウは何も答えなかった。セツはそれをいつもの無言の肯定だと受け取って、喜びをかみしめるようにヒショウに抱きつく。しかし、セツに見えないところでヒショウが浮かべていた表情は苦々しいものだった。
セツの人生を狂わせてしまったかもしれない。
セツに干渉しすぎてしまったのかもしれない。
セツをここに置いて深入りさせるわけにはいかない。どこに連れて行けば。あの人の手が届かない場所は。
「そういえば」
セツがとぼけた声をだしたので、ヒショウは慌ててセツから離れる。
「お前の夢って、どんなのなんだ?」
「え?」
「ほら、お前が話してくれた話の中だと、ほら、見知らぬ部屋で、知らない女とか、王都か出てきて……。いや、待てよ。もしかして」
何かを思い出したようにセツは振り向いて先ほどの金属に手を伸ばそうとした。
「待って」
ヒショウは慌ててその腕をつかむ。
「なんだよ」
「見てはだめ」
「何言ってんだ。もしかするとこのどこかに、朱雀様が!」
そう言いかけて、セツはヒショウの手が震えているのがわかった。
「ヒショウ……?」
恐怖に震え、固く口を閉ざしたヒショウの制止をやさしく振り切り、セツは立ち上がって金属に近づいた。金属をなぞっていくと、なにか豪華な刺繍がついた絹の着物のようなものに触れる。それを軽くつかむと、枯れ枝のようなものをつかんだ。セツは、反射的に手を放す。全てが一瞬で理解できた。
「これが、朱雀様なのか……」
「セツ?」
ヒショウが心配そうな声を上げるので、セツは落ち着いてその前に腰を下ろす。
「セツは、これが何か知っている?」
「……知っている」
「そうなの?」
暗闇で見えないが、おそらく、ここは牢獄だろう。そして、血を抜かれてすでに死んでいる朱雀が金属でつながれ壁に磔にされているのだ。
「死んで目が覚めるとき、いつもこの夢を見るんだ。何回も見ているから、そのうち理解した、これはきっと、いつかの朱雀の記憶だって。このときの朱雀は、王に仕え、彼の命令には逆らえなくてその血を捧げさせられていた。それでさっき」
「血をぬかれて、殺された」
「……そう。その通りだ。死んでやっと僕は、この人格から剥離された。思い出すだけでも、おぞましい」
朱雀は身を抱くようにしてガタガタと震え出す。
「大丈夫。全部夢だ。現実のお前にはそんなことは起こらない。俺がいる限りな」
「ははっ。セツは立派になったね」
ヒショウは震える声でそう答えた。
「そして、その愚王様はもうすぐ死ぬって訳か。もう死んでいるかもな。いい気味だぜ」
「え?」
その事実を知らなかったヒショウは思わず声を上げる。それも無理はない。この歴史について書物を読んで一部始終をしったセツとはことなり、ヒショウはかつての朱雀の目を通してしか知ることが出来ていないのだから。
「この愚王様は、朱雀の力を完全に自分のものにしようとした。それで、血を取り込んだはずが、器でもないその体が抱えきれる訳でもなく、そいつは死ぬんだ。まあ、俺もやってるし、あたりまえっちゃあたりまえか」
そう、言い終える前に、激しくヒショウが動揺しだした。
「ヒショウ?」
「そ、そんな。僕は、なんてことを」
その瞬間、セツの前からヒショウの姿が消えた。
「ヒショウ?!」
一瞬焦ったが、すぐにヒショウは目が避けたとのだと気がついた。すときまれば、自分も目を覚ますだけだ。
「……。生まれ変わったらきっと、幸せになれますよ」
セツは静かに、死体にそう語りかける。物言わぬ死体の答えを十分にまってから、セツもやっと、目を覚ましたのだった。




