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忘れ形見

「こちらが、療養所です」

 朱雀が次にセツを案内したのは、朱雀が心の傷を癒やした人間が暮らす場所だった。

「先生!」

「ようこそいらっしゃいました!」

患者とおぼしき人々は、朱雀の姿を見つけるとにこやかに挨拶をする。

「久しぶりになってしまい申し訳ありません。みなさん、調子はいかがですか?」

「いいよ、とっても」

「先生のおかげだ」

「悪いけど、また少し治療してくれないか?」

「はい。勿論」

「こっちもお願い」

「はい!」

医者としての朱雀の治療を待つ者は多くいる。説明をする暇も無く早速治療に走って行った朱雀の姿を眺め、セツはそっと静かに壁にもたれた。邪魔をしてはいけない。静かに朱雀が治療する様を見守りながら、セツはかつての日々を思い出し、目を細めていた。

「お前さんは、新しい患者かい?」

突然、近くにいた老婆に話しかけられた。

「いや。俺はあの方の―あの方の弟子ですよ。最近、弟子入りしたんです。先生の、力になりたくて」

「先生は、素晴らしいお医者さんだねえ。私には到底理解できないが、特別な方法で私たちの不調をすぐに治しちまう」

「ええ。俺も、あの人に、助けられたんです。ガキの頃の話なんですけどね」

セツは、そっと自分の胸を触った。

「衰弱しきっていて、ほとんど死んでいた俺を、あの人はつきっきりで看病してくれた。あの人がいなければ、俺はきっと死んでいたでしょうね」

「ここにいる連中は、私を含めみんなそうさ。先生に、すくわれたんだ」

「先生は、本当に、すごい方ですね」

また少し、胸が痛む。誰にでも優しい朱雀の姿に、こんな独占的な感情を持つのは良くないことだとはわかっている。わかっていても、まるでそそのかされるようにこんな思いが湧いてくるのはきっと、この場所にいる人々の裂け目に引っ張られているからだろう。

 半刻ほどたったころ、診療所の入り口が少し騒がしくなった。どうやら、新しい移民の中から患者達が連れてこられたようだ。セツの横を通過して、患者達が朱雀の元へ運ばれていく。

その時だった。

「あれ?」

患者から、黒い影のような門が伸びている。ぼんやりとしていて形をなさないそれはしかし、帯のようになって、患者が入ってきた入り口の外へ伸びていた。

「ばあさん、これは何ですか」

セツは黒い影を指さして老婆に聞く。

「これ?一体何のことだい?」

しかし、何度聞いても老婆にはこの黒い帯が見えていないようだった。今までこんな者は見たことがない。触れようとしても、空をつかんでしまう。どうしたものかと首を捻っていると、ふとある考えが頭を巡った。

 黒い影?

 まさか。

 体が勝手に、走り出していた。

「セツ!どこへ行くのですか!」

切羽詰まったような叫び声とともに、ぐん、と首の糸を引かれる。セツは咳き込みながら、足を止めた。

「まさか、今更逃げようなんて」

「違え!……違います!裂け目が!その人の裂け目が、俺、見えてるかもしれないんです!」

セツは叫ぶと扉の外を指さした。

「またそんなでたらめを」

「嘘じゃねえ!俺にもわかんねえんだけど、黒い影が見えるんだ!ゼンが見てたのと、同じかもしれねえ!」

「……ゼン様が?」

かかった。ゼンの名前を出したことで、朱雀の疑いの目がわずかに薄れた。

「そこを閉じちまえば、その人の負傷は完全に治るだろ?だから俺が」

走り出そうとしてもう一度糸を引かれた。セツの体はそのまま、元いた壁に縫い付けられた。焦っているようにも、混乱しているようにも、動揺しているようにも、怒っているようにも思えた。ゼンの名前を使ったことが不味かったのかもしれないが、朱雀がその気になってくれただけでも儲けものだ。

「わかりました。でも、まずはこの人の治療をします。そのあとで、向かってみましょう」

「ああ!じゃなくて、はい!」

セツは朱雀の役に立てるかもしれないのがうれしくて、大きくうなずいた。

「お弟子さん、張り切り過ぎちゃったね」

老婆は笑いながら言ったが、セツは怒りもせず、

「役に立てるかもしれねえんだ。張り切って当然だろ!」

といってにっこりと笑った。


「先生!こっちです!」

朱雀が遅れずについてきていることを確認して、セツはさらに駆け足で黒い影を追いかける。セツの目にしか映らないその影が何であるのか、言わずもがな二人には予測がついていた。それは、おそらく、ゼンがかつて見ていた裂け目の原因の記憶の残滓。そしてこの影がつながる先に、裂け目があると言うことも。

 影の先には、先ほどまで移民達が乗ってきた船があった。荷物を積み直し、再び玄武国へ向かう準備をしている船の船内へ影は続いている。

「あの中だ」

「船の中ですか」

朱雀はセツを押しのけるようにして前にでると、すばやく先にどんどん船の中へ入っていった。

「ミズキ!」

見知った人影を見つけ、朱雀が叫ぶ。

「朱雀様?どうかいたしましたか?ここにお姿を表すだなんて珍しいですね」

船の搬入口で指揮を取っていたミズキは朱雀の姿に驚いたように言う。

「セツに、ここでの仕事も見せておこうと思いまして。少し、中に入って案内しても良いですか?」

朱雀は遅れてやってきたセツを視線で示す。

「ああ、そうでしたか。勿論。是非、ご覧になっていってください」

ミズキは言うと、セツににこやかにわらいかけた。

「ありがとう。セツ、行きますよ」

朱雀はセツを連れると、どんどん進んでいく。

「こちらですよね」

朱雀はそっとセツに耳打ちをした。

「ああ。こっちに、影が伸びてる。お前にも、見えるのか?」

「いえ。しかし、この先に乗客が過ごす部屋があるのです。おそらく、裂け目が生まれるとすればそこかと」

玄武国から朱雀国にくるまでの船旅はどうしても閉鎖された空間で過ごさなければならない。新たな土地へ行くことの不安や恐怖も醸成されるだろう。そんなことはわかっていた。緩和させるために、少しでも希望を持てるような対策は行い、心理的な配慮は行ってきたつもりだが、それでも、まだ抜けがあった可能性は十分にあった。

「ここだ」

案の定、影が続いている部屋は、その客室の一つだった。作業をしている文官はいなかったが、裂け目に他の人を近づけないためにも朱雀は部屋に入ると同時に扉を糸で封鎖する。部屋の中は、朱雀の目からすればいたって普通の者だった。二段になった寝台と、作業机に収納。何の変哲のない部屋だったが、セツの苦悶の表情を見れば、この部屋が以上なのだと言うことが伝わってきた。

「セツ。あなたには一体何が見えているのですか」

朱雀は、心配をするように、しかし、好奇心を欠く仕切れていないような目でセツをのぞき込む。

「さ、裂け目だ。小せえけど、ぱっくり割れてやがる」

「あなたは、裂け目を見ることが出来るのですか?」

「もしかすると、朱雀様がこの体に宿った後遺症みてえなもんなのかもな。今までは、気にしたこともなかった。他の奴にも見えるような大きな奴以外、裂け目には無縁な生活をしてこられたからな」

セツはそっと朱雀の方を見た。いつものように妄言だと言ってこなかったせいで希望を持ってしまったが、朱雀の表情は変わらない。ここまで言っても思い出してはくれないのか、とセツは少しため息をついて、もう一度裂け目を捉えた。

「閉じよう」

そうはいったものの、セツは今、糸を持っていない。思わず朱雀の糸を見たが、この糸ではだめだろう。ゼンが使っていたのは彼が力で生み出した特別な糸だった。なんとなく手に力を込めてみるが、糸が現れる訳もない。

「糸……糸……」

セツは考えながら頭をかく。ふと、手に絡まった己の髪の毛に目が行った。銀糸のように細い髪は、見る間に伸び、糸になっていく。

「セツ、髪が」

今度は朱雀にも見えているようだ。

「これだ!」

原理はわからない。それでも、これはきっと玄武様の力の名残だろう。セツは髪の毛の糸を器用に指に絡め、裂け目に対峙する。

「よしっ」

糸は器用に動き、裂け目を繕っていく。そしてみるまに、裂け目は塞がった。

「ふ、塞がった」

やった、と朱雀の方を見ても、彼は不思議そうに首をかしげていた。当然だ。彼には裂け目事態が見えていないのだから、目の前で行われていること理解できないのは当たり前のことだろう。当時のゼンの仕事が、親しい人間以外の誰からも馬鹿にされていた理由がよくわかる。

「裂け目は塞がった。診療所にもう一度行ってみようぜ。きっとあの患者は、元気にピンピンしてるぜ」

セツは朱雀の手を引くと、朱雀が絞めた扉を難なく開け、外に出た。

「ほら、早く!」

「あ、セツ。まって」

セツが走っていた廊下の先から現れたのはミズキだった。

「セツ君?それに、朱雀様も。こちらにいらしていたのですか」

「ミズキ様!?」

「セツ、どいてください」

朱雀は、セツの前に出ると、こほん、と咳払いをした。

「ミズキ?どうかしましたか?」

「セツ君を案内するなら、私も是非同行したいと思って追いかけたのですが、少し追うのが遅れてしまったら見失ってしまい、この有様です。お二人の居場所を聞いたら、客室の方へ向かったと聞きましたので、ここに。セツ君に、客室を案内していたのですか?」

「ああ。まあ。でも、急用を思い出して、今から療養所へ帰るから、案内するのはまた今度にする」

「そうでしたか。それはそれは」

ミズキはそっと道を空けた。朱雀はセツを連れて、早足で通過していく。

「セツ君またね!」

「あ、はい!」

ミズキは急ぎ足で去って行く二人を静かに見送り手を振る。二人の姿が見えなくなると、ゆっくりと客室の方へ向かった。急いで飛び出してきたからか、半開きになっている扉の前に立つと、その部屋番号を控え、懐に紙をしまい込んだ。

「これでよし、と」

ミズキは笑顔を崩さないまま、再び持ち場に戻った。

 診療所に戻ってみると、確かに、先ほど担ぎ込まれた患者は、すっかり元気そうに起き上がっていた。朱雀とセツは思わず顔を見合わせる。

「先生、ありがとうございます!おかげさまで、治りました!」

「あ、ああ。それは、よかったよかった」

朱雀は引きつった笑いを浮かべながらセツの方を見る。セツは満足そうに鼻を鳴らし、うれしそうに微笑んだ。

 セツには、裂け目を見るだけではなく、裂け目を塞ぐ力がある。

 その事実は、セツにとっては誇らしいことであり、そして、朱雀にとっては、動揺を呼ぶものであった。


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