故郷
「セツ、良いですか。外では絶対にこの外套を外さないでください。この布で、なるべく顔を隠すように。良いですね?」
朱雀は王宮をいざ出ようという瞬間にセツを呼び止めると、何度もそう言い聞かせた。朝からこれでもう何度目だろうか。耳にたこができているセツは適当にうなずいてその場をしのごうとするが、朱雀はそれを許さなかった。
朱雀がここまで慎重になるのには理由がある。第一に、万が一にセツの仲間がまた王都に来ており目撃されて気がつかれないようにしなくてはいけない。仲間の件については嘘をついたままなので、そこで面倒なことになるのは避けたかった。第二に、セツの容姿は目を引く。今からする仕事をする上で目立たれては困る。それに、セツを長く王宮に置くつもりはないため、民達に顔を覚えられる必要も無い。そして第三に、セツは玄武国出身なのだ。玄武国の民の中で顔見知りがおり、セツの存在に気がつかれなにか騒ぎを起こされるのは避けたい。万が一それらが競合して、王に反旗でも翻されればせっかく進んでいたこの移住計画が水の泡になってしまう可能性も、領国の平和も脅かされてしまう可能性もあるのだ。それだけは、避けたかった。
「わあ!すげえ!」
城下に下るやいなや、目を輝かせてセツが叫ぶ。お昼時なのもあって、大通りには食べ物の出店が多く出ていた。人通りも多く賑やかで、町中が良い匂いに包まれている。
「ヒ……じゃねえ、先生!何食べる?!」
セツははしゃいで大通りに飛び込んでいく。朱雀は都に下るときには、医者のまねごとをしていることが多い。だからセツには、先生と呼ぶように約束した。
「食べません。今は仕事中です。そういうのは、おつとめが終わった後にしてください」
「仕事が終わったらいいのか!?」
セツは朱雀にそう聞いたが、答えを帰庫暇も無くはしゃぎ回って行ってしまう。朱雀はやれやれと肩をすくめると、早足でセツを追いかけた。
「まってください。それに、落ち着いて」
声は届いているだろうに、セツは聞いていない振りをして楽しそうに屋台を見て回っている。
「第一、そんなに珍しい物でもないでしょう。ここが賑わっているのは日常茶飯なことです。王の凱旋の時にはもっと賑わっていましたし、それにあなたのことだから、暴動を起す前にここには何度も下見に来ているのでしょう。ならば、こんな光景、何度も間のあたりにしているのではないのですか」
「まあ、な」
セツはぽつりと言うと足をとめた。気を悪くしたのか、と朱雀が眉をひそめた瞬間、セツは満面の笑みを浮かべる。
「たしかに、王都には何回も来た。でも、そんときはお前を取り戻すための下見で忙しく、街の様子なんて見ようとも思えなかったし、いいもんにもあんまり思えなかったからな。今日は、お前といるし、楽しいよ」
セツのまぶしい笑顔から、朱雀は眼をそらした。
「そうですか。それは良かったですね。しかし、私のことは先生と呼ぶように」
「そうだった!了解したぜ、先生!」
呼び方だけ変えられてもなあ、と朱雀は独り言を漏したが、何か?と心配そうに首を傾けるセツを見ると、なんでもないと首を横に振った。
玄武国のキャンプは、専属で作られた船着き場の周りに広がっている。念のため、仕切りとなるような形式だけの門が置かれ、王都の朱雀国民との居住区とはわけられていた。門の内側は、もはや、異国。一歩足を踏み入れればそこは、玄武国という別世界であった。朱雀とて、玄武国その国には足を踏み入れたことはない。それでもこのキャンプに足を運ぶだけでまるで訪れたような気持ちになれる。出ている出店も、商品も、その多くは玄武国で実際に使われてきたものや、玄武国原産のものだ。玄武国はもともと国風として職人肌のため、とくに、細やかな細工が施された装飾品などの工芸品には、目をつい奪われる。足りないのは、雪だけだろう。
「……ああ」
門の前。その先の景色を見て、セツが小さく息を吐いたのがわかった。
「すげえ」
感動のあまり足が固まってしまった。
「懐かしいのですか?」
「……ああ、まあな」
セツは言うと、昔を思い出すかのように眼を細めた。
「これが、あの国が滅んじまう前の姿なんだな」
セツが物心ついた時にはすでに、玄武国は雪に埋もれるだけの国になっていた。少なくともセツが住んでいた場所では、生き残りはセツのみ。玄武国の過去の威光は、あの廟でわずかに感じる事しかできなかった。あそこが物作りの国だったことを知ったのは、字が読めるようになったつい最近のことなのである。
「行きますよ」
朱雀は、動けなくなっているセツの背中をそっと押した。今は仕事中で時間も無い。彼の感傷にかまっている暇はない。
「ああ」
それでも、そっと触れている背中の震えでどうしても考えてしまう。この場所で、己では見ることがかなわなかった国の姿を見るのはどんな気持ちなのだろう。ここで復興する国を見るのは、そんな気持ちなのだろうか、と。喜びか、悲しみか。感謝か、悔しさか。それとも――。
「玄武国出身なのですよね。このキャンプについてどう思いますか?率直な意見聞かせてください。今後の政策に反映させます」
朱雀は聞いた。あくまでも仕事として、だ。ここに個人的な思惑はない。
「そう、だな」
セツは言葉を選んでいるように思えた。屋台をなでるように眺め、十分に言葉を練った上で言葉を口に出す。
「なんか、変な感じだ。夢を見ているみたいだな」
「夢?」
「俺にとって、玄武国はあってないような国だった。小さいときに放れてそれ以降行っていないし。これが本当の姿なのだと競れば、綺麗で、愛おしいと思う。玄武様が、この国を取り戻したい、力をほしがった理由もわかるし、俺でもそうするかもしれねえておもった。まあ、あれはやり方が良くなかったけど」
「セツ」
「おいお前、今、玄武様といったか?」
朱雀の呼びかけに割り込むようにして声をかけてきたのは出店の主人の男だった。ふと見ると、薄い毛皮をまとった、初老の男だ。売っているのは黄金色の小さな置物。セツはその中に見覚えがあるものを見つけた。
「あ、これ」
セツがさしたのは、二匹の蛇が絡まったような像だった。
「君は、玄武国出身なのかい?」
「ああ」
セツは顔を近づけてよく像をみる。
「俺がガキのころ通っていた廟にもこの像があったんだ」
「この二匹の蛇の姿は、玄武様の姿として象徴的だからな」
「そうなのか!懐かしいなあ」
「お前はどこ出身なんだ?」
「俺か?俺は北都だ」
「あそこは雪が深いだろ。俺は南都のほうだったからまだ良かったが」
「北都は人の背よりも高く雪が降るから、大変だったよ」
「なつかしいな。早く、玄武様が我々の元に現れてきてくだされば良いのに。玄武国はこんなに再建してきた。そろそろ、吉祥の兆しが現れてもいいころな気がするがな」
こほん、と、ここで朱雀が咳払いをした。セツは朱雀の方を見る。
ほんの一瞬。
見間違えかと疑いたくなるほどにわずかな瞬間。それでも確かに、セツは朱雀のうれしそうな顔を見た。それはかつて、ヒショウがゼンだけに向けていたような、笑顔。一度見ればその顔は、まぶたの裏に焼き付いて離れなかった。
なぜそんな顔を。
セツとて、馬鹿ではない。どころか、利口だと言われるぐらい頭は回る。
わかってしまった。
わかってしまった。朱雀が今、この国で、この都で、この場所で、成し遂げようとシ散ることが。
セツは、声を出せなかった。感情の整理が、追いつかなかった。
「おや。先生だったのか!」
男は、朱雀に今気がついたようだった。
「なかなか姿見せねえから、気づかなかったぜ」
「すみません。少々遠出をしておりまして」
「それで、この子は?」
「私の弟子です。幼いときにこの国へ避難してきたそうですが、志願してきましたので弟子にしました」
「そうなのか」
「ところで、体調の方はいかがですか?」
「このまえ治療して貰った奴らならもんだいねえよ。先生のおかげで、今は体調も安定している」
「そうですか。それは良かった」
「感謝すんのはこっちの方だ。先生、いつもありがとな」
「いえ。これが私の勤めなので。本日もお世話になるかと思いますが、よろしくお願いします」
「おう。任せてくれ」
その時、ほんのわずかに周囲が騒がしくなった。どうやら、遠くに船の影が見え始めてきたようだ。
「それでは。私たちはこれで」
他人行儀に笑うと、その場をさる。少し行くと、朱雀はそっと、セツの方を向いた。
「あの方は、このキャンプでとりまとめ役をしてくださいっている自治会長さんです。ここに来る前に話したとおり、私はここで医者をしています。患者達を休ませる場所を彼から借りているのです」
移民の中には慣れない暮らしや、移動の中で心身を痛めてしまう人もいる。そんな人々を直しつつ、移民政策の内情を調査、改善していくのも、朱雀の仕事なのだと、確かに説明を受けた。ヒショウを知っているセツにとっては、説明されずとも容易に想像できる話である。
「じゃあ、あとで、そこに行くんだな」
「はい」
裂け目を塞ぐ力は今の朱雀にはない。だから治療とはいえ今の朱雀に出来るのは体調の悪化を食い止めることだけであり、災厄の根源は消せないため、定期的な治療が必要だった。
移民が到着する時間が近づくと、船着き場の周りには迎えのための人が集まり、賑わう。朱雀はそこの済にセツを連れていくと、そっと首元に糸を結びつけた。
「では、あなたはここでしばらく待機をしていてください。私が迎えに来るまで、余計なことはしないように。これは、念のためです」
移民到着の際には、責任者として式典に顔を出さなくてはいけなかった。移民に挨拶をしつつ、健康状態を確認する。朱雀にしか出来ない、大切な仕事だ。目立ってもいけないから、その時はどうしてもセツを同行させられない。それでも、監視の目を外す訳にはいかないため、この手段をとった。幸い、セツは嫌がる様子もなく、快く引き受けた。セツとしても、念のためだと言ってくれたからにはことわる理由もなかった。
「ようこそ、朱雀国へ!」
大きな歓声が船の方に放たれる。
「それではまた」
「ああ」
セツは、すでに集まっていた文官達の中に消えていく朱雀を見守る。そっと、首元に巻き付いた糸に触れた。
「任せておけ」
セツは、自分がこの場所に連れ来られた意味をわかっている。朱雀が消えていった方をもう一度一瞥すると、あえて人混みの中に溶けていった。
「ようこそ!」
「よくここまで頑張ったな!」
「もう大丈夫だ!」
あたりは一面歓迎の空気に満たされている。セツは喜んでその中に身を投じていた。朱雀が肩入れをしてこの移民事業を行っているお陰で、こんなにも玄武国の民が救われる。かつては世界に絶望するしかなかったであろう彼らが、こうも幸せそうに暮らしているのは、胸が痛い反面、誇らしいような気分にもなる。朱雀は、ヒショウは、誇るべき素晴らしい恩人なのだ。そして、その素晴らしさを一番よく知っているのは自分なのだと、つい天狗になりたくもなってしまう。
「朱雀様、ありがとうございす!」
そんな声を聞けば、セツは栄唱こそしないとはいえ、喜ばしい気分になった。
船着き場には、移民達を出迎えるための大量の物資がすでに用意されていた。生活するのに必要な物は、全てこの場所で手に入る。多くが朱雀国からの支援によって用意されていた物だ。船から下りてきた移民達にはその物資が次々に文官の手で渡されていった。降りてきた移民達は、元から住んでいる移民達とともに広場に集められる。移民達の中には安堵のお陰か、泣いている者もあった。喜ぶ顔を見れば、自然にセツの頬も緩む。
「皆さん。ようこそ、朱雀国へ。ここに来たからには、もう大丈夫です」
そんな柔らかな声とともに、広場の中央に設置された台の上に現れたのは、見慣れた赤い官服に身を包んだ朱雀だった。セツはその姿に思わず釘付けになる。
「まるで、天女のようだ」
そんな声が聞こえた。セツも思わず息をのむ。いつも自分に向けてくる仏頂面でも、冷たい視線でも、はたまた、優しく見守るような顔でも、赤面でもない。まるで作り物のように整った、尊いその姿は、彼が人ではないことを確かに物語っていた。
「……ヒショウ」
ヒショウではない、別の誰か。遠い、神の存在。自国の民だけではなく、人々の平穏を願う尊い存在。いまの朱雀は、セツの眼にはそう見えて、なぜか胸の奥がチクリと痛んだ。
孤独。
今の朱雀に会う前、ヒショウを求めていたあの頃よりも、ヒショウが遠くに行ってしまったような気がした。あるいは、足を止めたままの自分を置いて、ヒショウが先へ進んで言ってしまうような、置いて行かれるような、気分だ。手を伸ばせば届くはずだった物は、いつのまにはか、走ってもおいつけないものになってしまった。
「もう、玄武国はだめかもな」
「俺たちはもう、朱雀国民になっちまうしかないんだろうな」
ふと、そんな声が耳に入った。セツははっと声がした方を振り返ったが、人が多く、誰が言ったのかわからない。
「これじゃあまるで」
「朱雀様がいなければ、私たちは生きられなくなってしまったのね」
歓声の中でわずかに聞こえる声。おそらく朱雀まで聞こえることはないだろう。セツは声が聞こえた方を追いかけるように顔を動かすが、きりが無い。話しているのは、一人や二人ではない。喜びの中に隠れた、憎悪や絶望、悲しみが頭を見せては消えていった。
「何だ」
セツは彼ら、彼女らの言葉の真意を聞こうとしたが、それはかなわない。視線を動かしていると、ぱっと、朱雀と目が合った。
言葉が、かわされることはない。
それでも、完璧な朱雀の顔が一瞬だけ崩れ、わずかに垣間見えたのはヒショウの微笑だった。かつて、自分に見せてくれていた笑顔。ゼンの話をするときに見せた、セツが目を覚ましたときに見せた、本当にヒショウが喜んだときに見せる微笑み。
ああ、そうか。ヒショウは、うれしいのか。
玄武国の民がこの場所で幸せに生きていくことが。再生を遂げられることが。
セツは、今度は明確に胸が痛むのを感じた。
時は、流れるように過ぎ去っていく。固まっていたままのセツの肩にそっと手が置かれたときにはすでに、移民達の移動が始まり、人も散らばりはじめていた。
「セツ?」
朱雀の声がして、セツは慌てて作り笑いを浮かべる。立っていたのは、すっかり姿を変え、元通りの医者の格好をした朱雀だった。
「何をボーッとしているのですか」
「ごめんごめん。つい、お前に見とれちまって」
「は、はあ?」
朱雀は嫌そうな顔をするが、耳が赤くなっているのをセツはからかうように笑った。
「さあ、し、仕事に戻りましょう。幸い、あなたが不審なことをしている様子もありませんでしたし、面倒なことになっていなくてよかったです」
「俺は別に、面倒ごとなんて起したことねえけど」
「ご自分の行いを省みて見ることですね」
まあいいです、と朱雀はあきれたように言うと、糸を回収しセツに背を向けて歩き出した。ついてこいと言うことのようだ。
「なあ」
セツはわずかに言って、口を噤んだ。さっき聞いたことを、思ったことを、朱雀に伝えるべきなのか。セツには、わからなかった。
「あとで、聞きます」
だが朱雀は、全てを見透かしたようにそういった。
「私がいない間の調査報告は執務室で聞きます。このあとのことも含めて、本日の調査報告を後でまとめて聞いた方が効率が良いので」
「あ、ああ。そうだな」
セツは引きつった笑いを浮かべたまま足下に視線を落とす。
効率が良い。
調査報告。
今の朱雀に、セツの記憶は無い。セツは、罪人であり、仮初めの従者。ここに来たのは、あくまで仕事。わかっていたはずなのに、なぜか、胸が苦しくてしょうが無い。自分に向けられるヒショウのあの笑顔は、ずっと待ち焦がれていた物だった。そのはずなのになぜか、見たくはなかったと思ってしまう自分が嫌だった。




