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矛盾

「ああー、疲れたー」

朱雀の執務室に戻ると、セツはだらしなく寝台に倒れ込む。出た頃はまだ昼間だったのに、気がつけば空が濃紺色に染まっていた。

「誰が休んで良いと言いました?」

朱雀に首の糸を引かれ、セツは首だけをあげて朱雀の方を見た。

「今日行った場所へのここからの行き方を説明してみてください。あと、各部署の責任者の名前も」

「わざわざ確認しなくても、俺は完璧に覚えてるぜ。書庫で見ただろ、俺の記憶力」

「口答えはしない。良いから。言ってみなさい」

セツは渋々口を開く。セツの言葉に嘘はない。彼は全ての場所とそこであった人間について、完璧に記憶をしていた。

「どうだ?」

話し終えると、セツは立ち上がって、得意げに朱雀を見る。

「たしかに、問題は無いようですね。ちっ」

「おい、今舌打ちしただろ」

「してませんよ」

「わかりやすい嘘つくなよ」

「だって」

ヒショウは昔から負けず嫌いなところがある。あの複雑な裏路地で育ったヒショウのことだから、入り組んだ構造を覚えるのに苦労したと言うことはないだろうが、路地裏暮らしを体感していないはずのセツが同等の力を持っていることには納得がいかなかったのかもしれない。セツはそんな仮説を立てて、一人笑った。

「わ、笑わないでください。良いでしょう。では、あなたがほしいご褒美という奴の話を聞いてあげます」

朱雀が開き直ったようにいうので、セツは驚きと喜びを同時に味わうことになった。

「いいのか?」

「ええ。何を言うかはわかっていますし、聞くだけなら許します。たしかに、あなたの才能には感心しましたし」

なるほど、断るつもりか。どうせ、何を言うかはお見通しなのだろう。

それでもセツは良かった。今のように、朱雀が急に考えを変える可能性だってあるのだから。

「ヒショウ、一緒に、ここから出よう」

「お断りします」

即答だった。セツは今更落ち込んだリなどはしない。

「だよな。わかってた。ならさ、自己紹介しようぜ。まだ、俺たちそういうの一回もやってねえだろ?」

「はい?」

朱雀は思考が追いついていないようだった。

「ほら、お前と同じだよ。お前だって、俺が拷問でお前のほしいこと吐かないってわかったら、別の手段にでただろ。あれと同じ。俺も、お前に幾ら一緒に逃げようって言ってもそうしてくれないし、お前の状況も、俺には分かっていない。もしも本当に、お前がもう俺に関する記憶をなくしていて、今のここの暮らしが本当に心から幸せで、帰ってきた方が良いって思っているのが俺だけなのだとすれば、俺は無理矢理お前をここからだす気もない。一緒にいて思えたんだ。そういうの、ちゃんと見極めたいって」

セツの言葉はまっすぐと朱雀に向けて発せられる。

「それに、お前が本当に俺の記憶が無いんなら、俺はまたお前の大切な存在になりたいんだ。傲慢かも知んねえけど、俺も、俺を助けてくれたお前に恩返しがしたい。お前に気にいられて、お前に信頼して貰って、頼って貰えるようになりたいんだ。そのためには、四六時中一緒にいんのに、俺が得体が知れない奴でいちゃあ気味が悪いだろ。だから、俺はお目に、俺という人間について、ちゃんと知ってもらいたいんだ」

セツの言葉を聞き終えると、朱雀はわずかにうつむいた。だが、明かりがまだついていないこの部屋では、暗くて朱雀の顔がよく見えない。返事を待つセツをよそに、朱雀はそっとセツの胸に手を置くと、わずかに力を込めて体を押した。セツの体を寝台付近にまで下げると、そのまま体重をかけ、押し倒す。仰向けになったセツの上に覆い被さるようにして腰を折ると、その耳元にそっと唇を寄せた。

「私の特別になりたいのなら、もっと別の方法があります」

その声の蠱惑的な響きに、セツは思わず生唾を飲む。朱雀の手が、セツの体をなぞるように触れていく、首元に息をかけられれば、多くの男はその誘惑に逆らえないのかもしれない。しかし、何もかもがセツにとっては意味をなさないに等しかった。

「よっこいせっと」

セツはそんな間抜けな声を上げると、そのまま、朱雀の視界を反転させる。セツを誘惑することに気を取られていた朱雀は、あっという間に文字通り足元をすくわれ、気がつけばセツに見下ろされていた。

「俺が神獣に手をだした。とかいって、俺を牢につないで、またお前の元から離させる気ってんなら、俺はその手には乗らねえぞ」

セツの声は、冷酷極まりないように聞こえた。朱雀は初めて恐怖を感じた。セツは自分と同じで糸を使うだけあって、朱雀の弱点をよく心得ていた。今は、上下が反転しただけではなく、両手をつないで塞がれ、糸を操れない不利な状況にある。脱しようにも、自分よりも体格の良いセツは、びくともしなかった。

「好きにしてください。私の負けです。糸を封じられた今の私では、あなたに対してなすすべがない。ただし、たとえ王を殺そうとしても、あなたはきっとあの方にはかなわないでしょうね」

「そんなに、己のことが話したくねえのか?」

朱雀の言葉を遮って、セツが言う。虚勢をはり、わざと意識をずらそうとした朱雀のことなどお構いなしに、セツの視線は朱雀だけに向いている。朱雀は答えない。うなずかない代わりに、否定もしなかった。

「わかった。なら、俺がお前の代わりに話してやる」

セツは言うと、朱雀の捕縛をとき、脇に腰を下ろした。

「お前は、神獣朱雀としてのお前じゃなくて、人間としてのお前、ヒショウは元々荒れ果てた王都で奴隷として売られていた。俺はそれ以前のことは知らねえけど、そこからで十分だろ。ある日お前は、ゼン様と出会う。初めこそ、ただ金を奪うための標的だったゼン様と旅をしているうちに、ゼン様にも、ヒバリにも諭されて、結局はゼン様の従者として生きていくことを決めるんだ」

「またその妄言ですか。ヒバリ?そんな人知りませんね。私は」

「ゼン様は?」

セツは朱雀の顔をのぞき込んだ。

「ゼン様は、素晴らしい方でした」

朱雀は即答すると、寝転んだまま顔を腕で隠した。まぶたを閉じれば、ゼンとの日々が走馬灯のように思い出される。

「ゼン様のことは、おぼえているのか」

セツは考える。ヒバリのことも、自分のことも覚えていない。それでも、ゼンのことや、ツグミのこと、ホトの事は覚えているのならば、きっとその記憶にはほころびが生じているはずだ。だって、ヒバリも、自分も、かつてのヒショウにとっては己の身に変えても守りたいものだったはずなのだから。

「お前をヒバリの村において先に逝ってしまったゼン様を追いかけて、お前はホトに出会う。玄武の……玄武の差し金だった北都の連中による襲撃もかいくぐり、お前はゼン様と再会。己の力のことも知った上で、ゼン様とホトと、三人で南都で働き始める。領主とのいざこざのなかで、ツグミもお前達の中に入るようになっていったんだろ」

「よく、そんなことまで知っていますね。さすが、私の誘拐を企むだけ合って、こちらのことは調べがついているのでしょうか。情報を漏した人間は、断罪しないといけませんね。特に私の過去は、誰にもお聞かせできない、汚れたものなので」

「俺にこの話をしたのは、お前だ。俺が眠っている間に、お前の声がしたんだ。俺が聞いたお前の過去の話はどれも輝いていて、汚れているようには見えなかった。まあ、お前はきっと、否定するだろうけど……。それに、汚れているのは、俺の方だ。俺は、玄武に加担して、犠牲者を大勢出しちまった」

自分が指揮をしていたわけでもないが、玄武に体を捧げ、好き勝手に朱雀国で暴れさせてしまった責任は感じている。死者も出ているのだ。自分は被害者だ、などと言ってのうのうと生きる気はセツにはそもそもない。

「そうでしたか。なら、そういう点では、僕たちは似ているのかもしれませんね」

朱雀は言うと、体を起こした。

「続きは、僕の口から話します」

セツは聞き入るように、朱雀の方に体を向けた。

「北都の襲撃を受け、僕たちはその鎮圧に乗り出した。首謀者たる玄武様と接触したのは良いものの、その最中、僕が殺人容疑をかけられて捕まっているすきに、ゼン様はホト様がお持ちだった玄武の目を潰し、最後の仕事をしに、王都へと姿を消してしまわれた。僕は領主に寝返った振りをして、玄武様と王都へとゼン様を追いかけた。そして、玄武様とゼン様は王都にある大きな裂け目を塞ぎ、力を養うためにその中にお入りになられたのです。一人になった僕はしばらく王都で医者として暮らしておりましたが、ホト様が登極後、僕の力を入り用としたために、僕はこうして、この王宮であの方に仕えると決めたのですよ」

「……おかしい」

一見すると良く出来た物語のように聞こえても、当事者であるセツに取っては違和感しかなかった。

「もしも、玄武様が器となる人間を得ていなかったとすれば、ホト様が持っていた玄武様の目ってなんだ。ゼン様も、依り代となる器を持っていなかった。なら、実体のあるその目は一体誰のものだったんだ」

「それは……」

「それに、もしも玄武様が人間の器を持っていなかったら、どうして南都に乗り込めるほどの力を持っていたんだ。お前の記憶の中でも、ゼン様はどんどん力を失っていっていたはずだ。同じ神、同じ境遇でも、そんなに差が生じることはあるのか」

「……」

朱雀はそれ以上、口を開かなかった。初めて会ったときにセツに記憶の欠如を言われて、この記憶にはまるでつぎはぎをされたようにつじつまが合わない部分があることには気がついていた。気がついていても、それを認める訳にはいかなかった。認めてしまえば、記憶を改変した意味は無くなる。記憶を改変してまで守りたかったものを失うのも、失った者に気がつく者、今の朱雀に取っては避けたいことだった。

「俺は、その、玄武様の依り代だった。俺が自ら志願してそうなったんだ。全然ふさわしくもないくせに玄武様に体を差し出した罰が当たって、俺の体は神獣の力に耐えきれず、衰弱していった。ゼン様は、俺の力の源である目をかつて奪い、仮初めとしてホト様に与えたんだ。そして、ゼン様はその目を再び俺に戻して遅れた。玄武様達に頼まれて、衰弱仕切った俺を治療してくれたのはお前だ。玄武様達がお隠れになった後も、お前は俺を解放してくれた。話を聞かせて、糸の使い方も教えてくれた。目覚めた俺は、お前が裂け目に落ちそうにしているのを助けた。でも、その時すでにホトに目をつけられていたお前は、なぜか、俺をヒバリの元に預けて、単身、ホトの従者となる道を選んだんだ。だから俺は、お前を取り返したかった。ヒバリと俺に別れを告げたお前は、とてもつらそうに見えたんだ。お前にはもう、絶望してほしくない。俺に幸せをくれ多分、俺もお前に幸せを返したくて、ここまで来た。俺の目的は、初めからそれしかないんだ」

「それは、なかなかに悲劇な話ですね。舞台にでもすれば、良い収益が望めるかもしれません。もしくは、ありきたりすぎて、誰の心にも響かないかも」

朱雀は他人事であるかのように言った。

「お前が、この話をどうせ認めてくれないのはわかっている。でも、たとえこの話は信じられなくても、俺のことは信じてほしいんだ。俺が、嘘をついているように見えるか?」

セツはまっすぐな目で朱雀を見た。朱雀は目をそらしたが、逡巡するように視線を巡らすと、答えるようにセツの方を再び見る。

「わかりました。確かに、今のあなたが嘘をついているようには見えない。勿論僕は僕が、あなたのことを信頼して油断し隙を見せるようなことは決してしません。しかし、これはなしにします。ちょっとしたご褒美です」

朱雀はセツの首に巻き付けていた糸を己の袖の中へ回収した。セツにはわかる。今確かに、セツの体には一本も糸が絡みついていなかった。

「これを用いての監視は不要だと思いました。本当に僕のことをあなたが思っているのなら、僕に隠れて何かをしようともしないと信じていますし、僕の元をむやみに離れることもないでしょうから」

「ああ!ああ、そうだ!」

セツは、喜びをむき出しにしてうなずく。

「ヒショウ、信じてくれて、ありがとな!」

「だから、私は、ヒショウではなく、朱雀です」

そういう朱雀の口調は、心なしか先ほどまでよりも穏やかなように聞こえた。

「さあ、明日は朝から朝議があります。もう今夜は仕事はありませんので、明日に備えて早めに寝てください」

「お前は寝ないのか?」

「私はあと少しやることが有るので。少ししたら私も寝ます。寝台はこれしかありませんし、どうせ大きすぎるので、これを使って貰ってかまいませんよ」

朱雀が言って促せば、セツはおとなしく寝間着に着替え寝台に潜った。程なくすると、すやすやと安らかな寝息が聞こえる。

 朱雀は執務机で頬杖をつき、そんなセツの様子を眺めた。

「よほど、疲れていたのですね」

無防備極まりない。一度拷問を受けた相手にこうも気を許すとは。相手は嘘をついていて、本当の姿を隠しているだけなのかもしれないのに。

「いや。僕も人のことは言えないか」

セツがこの王宮の中にいる限り、朱雀が夜に眠ることはない。

寝台の左側を控えめにあけ、規則的に上下している胸をみて、そっと微笑む。束の間であっても、この平和な時を目に焼き付けたいと、そんなことを願ってしまったのはきっと、慣れないことをして疲れてしまっていたからなのだ。


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