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猫かぶり

 目が覚めた。

 今日は珍しく悪夢を見なかった。よく眠れてしまったようで、まだ頭が寝ぼけてしまっている。ぼんやりとしたままの体で、なんとなく背伸びをしようとすれば、体は鈍くしか動かず、ちくりと傷口がひらくような鋭い痛みが全身に走る。衝撃で意識を覚醒させてみると、視界に入ってきたのは見覚えのない豪華な天蓋。

「俺は……」

「目が覚めましたか?」

ヒショウの声がして反射的に胸が躍ってしまった。急いで声がした方を見ると、執務机から立ち上がり、こちらへ近づいてくる青年の姿があった。

 しかし、その姿を見て、セツは現実に引き戻された。

 赤色の生地に、金で朱雀の装飾が施された官服。それは紛れもなく、神獣朱雀としての出で立ちだった。

「呆けている暇はありません。あなたは本日より、私の直属の部下となりました。今から指示を出すので、従ってください。まずは、そのだらしない身なりを整えていただかないと」

「ちょっと待て」

セツの混乱などお構いなしに用意を進めようとする朱雀に、セツは待ったをかけた。

「今何つった?俺がお前の、部下?拷問はどうした。それに傷もこの服も寝台も……お前がやってくれたのか?どんな風の吹き回しだよ。もしかしてお前、やっぱり記憶が」

「いえ。私は今でも、あなたが真実を吐くまで拷問したいと思っておりますよ。しかし、昨日、我らが王があなたの忍耐力を気にいりなさり、是非そばに置きたいと言い出したのです。妥協してあなたは私の部下になることが決まりましたが、あなた、命拾いをしましたね。あなたの見た目を整えたのは、王の官として王の威厳を穢さないようにするためです。なにもかも、我らが王が慈悲深く、お優しい方であるからこそなされたこと。あなたがまだ若く、更生の可能性を十分に持っていると見越しての慈悲でしょう。王に、感謝してください。それに、王からいただいたこのご恩を仇で返すようなことは決してなされないように」

「アイツに、感謝だと?するわけねえだろ」

セツは吐き捨てるようにしていった。感謝など、出来るわけがない。気にいっただなんて、嘘をはくのもいい加減にしてほしいところだ。こちらをからかっているのか、見せつけなのか、嫌がらせか。何にせよ、まったくもって了承しかねる事態だった。

「つーか、今、ホトはいねえんだろ。なら、逃げようぜ。チャンスじゃねえか」

セツは朱雀を強く見つめた。それでも、朱雀が返すのは氷のように冷たい視線ばかりである。

「あなた、ご自分の立場をわかっておられるのですか」

「は?」

「あなたはいま、れっきとした罪人です。凱旋の時のことだけならともかく、王宮への侵入も行った。本来であれば、終身刑にもあたいするようなことをした。今こちらの要求を断れば、あなたは死罪になる可能性もある。あなたに拒否権はないのですよ」

「じゃあ、言わせて貰うけど、お前の方はどうなんだ。今自分が置かれてる状況わかってんのかよ」

セツは、強く朱雀をにらんだ。

「わかっていますとも。私は今、敬愛するホト様の元で神獣としての職務を全うしています」

「は……」

セツはぽかんと口を開けたまま、固まった。

「やっぱり、お前はもうここにいちゃだめだ。お前には、帰る場所があるんだ。待っている奴もいる。だから、逃げるしかないんだ、この生き地獄から」

「またそんな妄言を。いい加減にしてください」

セツは歯ぎしりをし、悔しさにじませた。やはり、何度聞いても、変わらないのか、ヒショウの心は。この現実は。

 しかし、それは、朱雀も同じだった。この押し問答をしているままでは昨晩同様らちがあかない。大きく舌打ちをし、いらだちが隠せない朱雀は、投げやりにもある作戦に出た。それは昨晩、最後の切り札として次の拷問の際に出そうと考えていたものだ。

「あなたのお仲間がどうなっても良いのですか?」

帰ろうと叫んでいたセツは、その言葉を聞くと、ぴたりと動きをやめた。おびえたように目を見開くと、震えた唇を開く。

「仲間……。あいつらに、なにかする気か?」

明らかな動揺。朱雀はこのゆすり方ならば勝機があると確信し、密かに口元を緩ませた。

「あなたのお仲間は、すでに昨晩のうちに捕縛しています。せっかくあなたが逃がしてくれたのに、あの愚か者達はあなたの身を案じて王都に来てしまった。なので、約束通り、身柄を拘束させていただきました。少々手荒な方法をとってはしまいましたが、あなたの故郷についての話も聞かせて貰いましたよ。あなたがここでこちらの提案をのまなければ、あなただけではなく、大切なお仲間も、ご家族も、ただではおかれないでしょうね」

「は……」

声にならない絶望。セツが口にしたのは、まさにそれだった。

「あいつらが……。あいつらに、何かしたのか!?それに、ヒバリにも!?おい!?」

セツは力ずくで朱雀が巻き付けていた糸に反抗して体を起こし、朱雀の胸ぐらをつかむ。

「いえ。まだ、たいしたことはしていませんよ、まだ。あなたがおとなしくこちらに従えば、彼ら彼女らには手を出したりはしません。即時解放します」

朱雀は挑発するような笑みを浮かべた。

 こんなのは、真っ赤な嘘だった。

 セツのことを信じている仲間達は、きちんと言いつけを守って村に帰っている。セツの出身の村を特定するようなことは、朱雀はしていない。嘘も方便。鎌をかけたつもりだったが、どうやらまんまとうまくつれたようだ。

「わかった……」

セツは考え込むように一度下を向くと、静かに朱雀の服を手放し、まるで平伏するかのように頭を下げた。

「わかった。お前の言うことに従う。お前の従者になることを誓ってやる。でも、これはあくまでお前を連れ戻すための手段だ、ヒショウ。俺は必ず、お前を助けるから」

「そうですか」

朱雀は淡泊な声で言った。自分でも、こんなにも冷酷な声が出せるものかと、セツの絶望を覗いて感じた。ひどく、胸が痛んで仕方が無かった。力なく己の胸から離れていった熱が、寂しかった。

「それでは、まず――」

己の気持ちに蓋をして、セツに命令を下す。

 もう後戻りは出来ない。

 そう覚悟をしたのは、セツだけではなかった。



「これでいいのか?」

部屋の隅に急遽こしらえた衝立の端から、はしゃいだようにひょっこりと現れたセツは、机で作業をしていた朱雀にそう問いかけた。本当はいない人質を解放したと伝えたら、この調子だ。先ほどまでの好戦的な感じは消えてなくなり、まるで従順な犬のように朱雀の言葉におとなしくしたがっている。着せたのは、朱雀が前に来ていた官服だ。赤い地に金の刺繍。セツは朱雀よりもわずかに身長が高いので丈が心配だったが、元から糸を隠すために朱雀が少し大きめの寸法で作ったものだったので、むしろちょうど良い。糸で締め上げられた後も見事に消えていた。装飾は今朱雀が着ているものよりもずっと地味で簡素だが、それでもこれならセツが朱雀の部下であることは一目でわかるだろう。

「え、ええ。そうですね」

朱雀は軽くセツの全身を確認すると、すぐに視線を書類の方に戻した。なんとなく、そうせざるを得なかった。はしゃいでいるセツをこれ以上は直視できなかった。

「なあ、これ、お前の服なんだろ。なら、お前が俺にこれをくれたってことは、主従の誓いをしたってことだな!」

セツはうれしそうに飛び跳ねて、朱雀の元に駆け寄る。

「本当はお前とは主従とかそう言うのじゃなくて、家族としてありたいけど……。でも、これはこれで、いいな!お前がゼンから服買って貰って喜んでた気持ちがよくわかるぜ!」

「は……?」

朱雀は思わず声を出してしまった口を慌てて塞ぐ。どうやら興奮しているセツには聞こえていなかったようなので、朱雀はほっと胸をなで下ろした。

「はあ。訳がわからないことを言ってはしゃぐのもいい加減にしてください。神獣の従者がこんなガキではしょうがありませんので」

「お!やっと素が出てきたじゃねえか!」

「はい?」

「他人行儀でいるお前見るのも、そろそろうんざりしてたんだ。私、とか言っちゃってよ」

心からうれしそうに笑顔を浮かべるセツをよそに、朱雀はもう一度大きくため息をついた。

「では、ようやく汚らわしい見た目も良くなったことですし、私、の方から、再度、あなたが置かれている状況と、今後の予定について説明をさせていただきます」

「あれ?また戻っちまうのか。面白くねーの」

セツは口を尖らせるが、大して残念がっているようには見えない。それもそのはず。今のセツは、ヒショウと話し、ともに同じ空間で同じ時間を暮らせることそれ自体の喜びで、頭がいっぱいになってしまっているのだから。

「本来は罪人であるはずのあなたは、王の温情で私の側近として働くことになりました。あなたはまず、我らが王の寛大さに感謝をしなくてはならない」

「もうそれ聞き飽きたぜ」

セツはうんざりしたように不満そうな顔を見せる。

「王からはいつまでと言うことは言われておりませんので、死ぬまで、という認識でお願いします」

「まあ、俺がお前を助け出すまでの間違いだぜ、それ」

「そんな日は一生来ませんよ」

朱雀は作り笑顔を浮かべていったが、目の奥が笑っていない。余計なことを言うなという朱雀からの無言の圧で、セツはしぶしぶ口を噤んだ。

「あなたが私の側近になったと言うことは、決して罪が許されたという訳ではありません。あなたは二十四時間四六時中、私の監視下に置かれることになったのだと言うことをゆめゆめお忘れにならないように」

「忘れるもんか。お前がずっと俺を見ててくれるってことだろ。いつぶりだろうな、そんなの」

「話を進めますよ」

朱雀はセツの言葉にはいちいちかまわないことにした。代わりに面倒くさそうな目でセツをにらむ。セツはいたずらっぽく笑っている。懲りる気はないようだ。

「神獣の側近ともなれば、あなたに求められることは膨大です。その全てをこなせなければ、処分という形で、私が断罪します」

「へいへい」

「一つ、振る舞いを直します。まずその話し方をどうにかしてください。それが神獣に対する言葉遣いですか?」

朱雀はいらだった声で言った。セツは少し驚くような顔をしたが、すぐににやりと口元をゆがませた。

「これはこれは。大変申し訳ありませんでした」

セツは大げさな身振りをつけて言うと、朱雀の足下にひざまずく。

「どうか、お許しを。慈悲深い、朱雀様」

意地悪にわらうと、セツは軽く顔を傾けた。朱雀はセツの豹変ぶりに驚きを隠せず、思わず顔を背ける。

「や、やれば出来るじゃないですか」

「お褒めいただき光栄です」

セツは軽やかに立ち上がって、元の体制に戻る。

「これでいいんだろ。まかせとけ。ガキの頃の経験のせいで、猫かぶるのは得意なんだ」

あの時実際に猫をかぶっていたのはセツ自身ではなく、セツの体を使っていた玄武だったが。

「口調が戻ってますよ」

「おっと、いけねえ。じゃなくて、申し訳ありませんでした」

にやりと笑うセツの姿はすでに、先ほどまでとは大違いに気品に満ちたものだった。

「では次に、私の許可無く、勝手な行動をしないこと。他人と接触をするのも、私の許可を得てからにしてください」

「了解です」

セツはそうあっさりと答えた。

「なんだ。急に物わかりが良いですね」

少なくとも口答えはしてくるだろうと思っていた朱雀は拍子抜けを食らったような顔をする。

「ええ。俺はあなた以外の人間は全て敵だと思っているので、そもそもあなた以外の人間となれ合うつもりはありませんよ」

セツは満面の笑みで返す。

「あなたのことを少しでも見直した私が馬鹿だったようですね……。まあいい。それでは、今後あなたにやっていただく業務についてお話ししましょう」

朱雀は言うと、先ほどまで机の上に広げていた書類をセツに手渡した。セツに身だしなみを整えさせている間に、朱雀が簡単に仕事内容をまとめたものだ。セツは静かにそれに目を通した。

「ご存じかと思いますが、朱雀国は現在、各都に一人領主を据え、ここ王都で王が全ての政を統一するという体制を取っています」

 それは、ホトが国王になってから、新たに始まった試みだった。セツはすでにこの経緯をかつてのヒショウから聞いている。

 ゼンやヒショウが南都から王都へ去って行ったあと、ホトはあの宮から追放された。しかし、意識を取り戻したホトは早速、行動を起こした。ただ一人の護衛としてヒバリを連れ都中を練り歩き、優秀な息子を妬んだ領主に目をえぐられたとデマを流して回った。もちろん、事実無根なものではあったが、ホトの巧みな話術のお陰か、それとも、連日の北都の民による混乱も相まって、噂は瞬く間に南都に広がり、領主への不信感が高まり、領主はあっけなく辞任を余儀なくされた。代わりにホトが領主に推薦され、その能力を存分に発揮し不足していた土地を埋め立てによって増やす計画を進めたものの、その計画が軌道に乗ると、今度はツグミとともにシュヨクを立てるような感動的な演説を行い、民意を操作してシュヨクに位を譲った。しかし、南都での優秀な行いや、その精神力の高潔さは国中に広がり、他の都からの推薦もあって、ホトは王に推薦されたのだ。彼は王になると、以前の記録も参考に、法や行政の仕組みを整え直した。瞬く間に国が再生していく様を見た民達は、今ではすっかり王の信奉者となっていったのである。

「私、神獣朱雀は、王に代わりこの王都の領主の業務を行っております」

 朱雀の今の主な仕事は、王都の責任者として民の生活を守りつつ、王都の発展の為の仕事を行う事だ。かつて南都では主要な業務を領主含め五人で分担していたが、朱雀はその全てを一人で担っている状態にあった。

「さらに、最近王は北都や玄武国の難民の受け入れもはじめました。その管理も、我々の業務の一つです」

「は?そんなこともやってんのか?」

セツは驚いた様子で叫んだ。

「ええ。ご存じありませんでしたか?北都に面した中海沿いに難民キャンプがありますよ」

「そう、なのか。知らなかった」

そんな話はかつてのヒショウはしていなかった。それに、セツが今まで王都に来ていたのはヒショウ奪還の計画を組むためばかりだったため、王都の様子になど目もくれたことがなかった。

「俺、それやりたい!」

セツは興奮のあまり、朱雀に乗り出すようにしていった。

「お前は……忘れちまったのかもしれねえけど、俺、玄武国出身なんだ!だから、あの国の為に出来る事なら、何でもする!俺にその仕事やらせてくれ」

その言葉に嘘はない。もはや、罪滅ぼしのようだった。玄武国を救えず、北都の民をおとしめることになった責任の一端は自分にあるとセツは思っている。だからこそ、見て見ぬ振りをしている訳にはいかなかった。

 しかし、朱雀は冷静な顔で首を横に振った。

「あなたに仕事内容の決定権はありません。あなたは、私に指示された仕事のみを忠実に果たしていただけたら結構です。まして、難民の案件は複雑で、部外者でありかつ初心者のあなたには任せられない。詰めが甘いあなたには、到底出来ない仕事です、あれは。言葉遣いも戻ってしまっていますよ」

「……申し訳ありません」

セツはそうはいったものの、せがむような目で朱雀を見つめる。朱雀はそんなセツに一瞥はくれても、慈悲を与えることはなかった。

「当分、あなたの業務は私の護衛となります。……まあ、私には護衛なんていらないんですけどね。正直、今は私一人で十分手が回っていますし、ここでの官としての暮らしに慣れるためにも初めには最適だと考えます。これから、この王宮内を案内します。ここの地理を、生確認頭に入れるようにしてください。同時に、主要な方々のことも記憶するように。もし出来なければ」

「わかりました。覚えれば良いのですよね、朱雀様」

セツは不機嫌そうに、朱雀の言葉を遮って言った。失礼な態度だが、これ以上自分の仕事の時間を無駄にセツに割きたくない朱雀はにらみのみをきかせて、無言の行程をした。

「なら、さっさと行きましょう。俺が全部見事に覚えたら、俺の言うことも聞いてください」

「どうせ、一緒に逃げようとでも言うのでしょう?でも、そんなことするわけがないでしょうが。ご褒美がなければなにも出来ない子供でもないでしょうに。立場をわきまえなさい」

「あなたに成長を認めてもらえるのは光栄ですが、ご褒美はほしいなあ。でも、まあ、いいや。あなたはなんだかんだ言ってお優しい方だから、きっと俺にご褒美をくれますよ」「主をからかうとは良い度胸をお持ちですね」

朱雀はセツにもわかるように服の下から糸を這わせ、ほんのわずかに拘束を強めた。

「お褒めにあずかり光栄です」

セツは痛みにたえつつ、笑顔を崩さない。

「そうですか」

やはり拷問は聞かないとたかを括った朱雀はあっさりと糸をほどきリード代わりに首にだけ巻き付け、セツの前に出る。

「時間の無駄なので早速いきますよ。ついてきなさい」

「はい、喜んで」

セツは足を浮き足立たせたまま、執務室を出る。朱雀のため息はやめる機会を完全に失っていた。


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