主と従者
それから数日がたった。
しゃん。
「良いですか?糸はこうやって、指にかけて操るんです。僕は始め全然だめでゼン様にすっごく厳しく指導されました。君はどうかな?うまく出来るのかな?でもね、下手ながらにも、これが僕の命を救ってくれたんです。なにより、糸が使えると、ゼン様みたいでかっこいいですしね」
「何がかっこいいって?」
ヒショウが振り向くと、扉の外にゼンがたっていた。
「お帰りなさい」
「ああ。ただいま」
是は早朝に出かけた。数日前までは早朝に出て行って夜中に帰って来ることが多かったが、最近は昼には戻ってきてくれる。いや、そうせざるを得ないのだろう。今日に至っては、まだ昼にすらなっていなかった。
ゼンは外套も脱がずに長椅子に腰掛け目をつぶる。すでにそこでは少女が昼寝をしていたが起きる様子もない。最近、少女もゼンもよく眠る。一日のうちで、起きている時間の方が短いような気もする。
最期の時はもうきっと近いのだ。
ヒショウは気がついていた。二人ともまるで急に歳をとったみたいだ。
だが、二人がヒショウとの約束を守って近くにいてくれていることにもヒショウは気がついている。それが少し悲しくて、寂しくて、そして、うれしい。そんな心が数日間続いている。
毎日力を使っているからか、心身が疲弊しているのは確かだ。それでも、毎日労をねぎらってくれる二人がいるからヒショウはなんとか勝機を保てている。
今度は自分の番なのだ。
夜半。ゼンが目を覚ましたのをみて、ヒショウは言った。
「お茶を入れましょう。それとも、お食事にいたしますか?」
「いや、いい。お前は、その子の治療を続けてくれ。今何か誰かと話してなかったか?他の奴の気配はしないんだが」
「この子に僕の、つたないですが、思い出を話していたんです。あなたとの幸せな思い出を、素敵で楽しい思い出を聞けば、この子もきっと行きたいと思ってくれると思って」
「ふっはは」
ゼンは眠たそうに、力なく笑った。
「傑作だな。言い考えだ」
「ですよね」
「ああ。もっと話してやってくれ」
少年はまだ触ると冷たくて、生きているとはお世辞でも言いがたい。それでも、生きているのだ。心音だって、少しずつ大きくなってきている。まるで胎児のようにに、子供は成長を始めたのだ。
「俺たちがいなくなっても、そんな話をきいてりゃあさびしくないな。……頼んだぞ」
「……はい」
ゼンはうれしそうに微笑んだ。
「そういえば、追手はどこまで来ているのでしょう。あの人達が来てしまったら、またどうやって逃げるか考えなくてはいけませんね」
「あー、その心配は必要ない。多分、追手は来ないだろう。あっちはあっちできっとうまくやっているだろうよ。こっちの動きなんてあいつには手に取るようにわかってて、仲間外れにするなってないてるかもな。どさくさに紛れてはらいせに王になったりして」
「あり得そうで怖いです」
「なあ」
ゼンが言った。
「俺がいろいろ隠していたこと、お前も攻めていいんだぞ」
「今更言いません。それに、ゼン様はいつでも、ゼン様だったじゃないですか。たとえあなたがただの旅人でも、刺客でも、従者でも、人殺しでも、それに、神獣様でも、僕はあなたが何者であってもかまわない。僕はあなたの従者です」
ゼンは思わず目を開けた。
そこには、ヒショウがいた。
まだまだ幼い。触れてしまえばすぐにでも壊れてしまいそうだ。すぐに人生を狂わせてしまいそうな。本当にもろい。
手に入れたいと思った。
手に入れられると思った。
すぐに利用できると思った。
わかっている。そこには、自分勝手な傲慢な欲しかなかったのだ。それだけのはずだった。本当に、そんな暗く、汚れた、どろっとした思いだけだったはずなのに。
けれど。この子は誰だ。
男はこの子供とそっくりの人物を知っている。それはかつて、彼が愛した女性だった。少し強がりだが、いつでも無条件に彼を信じてくれた慈悲深い女。彼女には隠し事なんて出来なくて、いつでも彼をなぐさめ、いやしてくれたのだ。
なつかしい。
そう思うことなんてなかったのに。
こんなに感傷的になるのは裂け目のせいだろうか。
「どうか、しましたか?ご気分が優れないのですか?」
「いや、ちがう。違うんだ……」
ゼンは軽く深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
「お前も少し休んだ方が良い。長丁場になるんだ。ほら、一緒に寝よう」
ゼンはヒショウめがけて大きく腕を伸ばす。ヒショウは躊躇することもなくその腕の中に飛び込んだ。虚勢も意地も、もう何もかもが無意味だとそう思ったから。ゼンは静かにヒショウを抱きしめた。
「ゼン……さま……?」
「すまない。このままもう少しいさせてくれ」
ゼンの大きな手がヒショウの後頭部を包めば、ヒショウはゼンの服に顔を埋めた。心地の良いゼンの香り。いつまでも包まれていたかった。
「ああ、そうだ。ゼン様、報告も兼ねてホト様に手紙を書きましょう!」
ヒショウはとびきりの笑顔を浮かべていった。子供のようにはしゃいで、ゼンにただすがりついた。
「最初はお前宛に書くんじゃなかったのか?」
「そ、そうでしたね!じゃ、じゃあ、じゃあ、僕の両親に会いに言ってみませんか?実は、僕一人では行く勇気がなくて、是非一緒に」
「……ああ」
「一緒に雪を見に行くのもいいですね!世界の全てをみにいきましょ!ゼン様、楽しみですね!」
「ああ……そうだな」
ゼンの答えは弱々しい。まるで眠気にあらがっているようにも、最後の力を振り絞っているようにも聞こえた。
「ゼン様……ゼン様……」
「ああ、聞こえてる。わかってる。そうだな。世界の……全てを……いつかお前と……それに……あいつも……」
あいつ。その言葉をゼンは口の中で大切に転がす。
「……すまない」
その声に、温度に、ヒショウははたとゼンの顔を見上げた。ヒショウはゼンの顔をみて大きく息を吸うと、ゼンに視線をあわせるように額をゼンにあわせた。
「ゼン様……だめです」
ゼンは驚いたようにヒショウを見る。
「僕はゼン様に謝ってほしくなんかない。ゼン様は、僕のたった一人の主様なんです。あなたは、いつでも、いつまでも、僕の大切な、大好きな、主様なんです。だから」
「そう、だな」
ヒショウに全てを言わせる必要はなかった。
「ありがとう」
ゼンがヒショウに笑い帰れば、ヒショウも小さく笑った。
「お前も、ホトも、ありがとう。こんな繕いだらけの俺に、居場所を、幸せを、喜びを、希望を、俺にくれて、ありがとう」
「ええ」
「ヒショウ。お前は、俺の、俺の自慢の」
ゼンは強くヒショウを抱きしめた。
「俺の、自慢の、従者だ」
「はい」
二人の体はもつれ合うように横に倒れた。
「ゼン様は、僕の自慢の主様です。僕の憧れであり、僕の大切な人です。ゼン様は僕の、かけがえのないたった一人の大切な、大切な……人です」
ゼンは何も言わない。静かに目をつぶって、微笑むだけだった。
だが、声は届いている。
きっと思いは、届いている。
「ゼン様」
ヒショウは静かにそう呼びかけた。ゼンからの答えない。それで良かった。
「愛しています」
額に落としたその思いが届いたことを信じて、ヒショウも瞳を閉じた。
次に目が覚めたとき、そこにはゼンの姿も、少女の姿もなくなっていた。
ヒショウが泣いたのは、これが最後だった。




