現実
夜になる。
ヒショウは気がつけば意識を失っていたらしい。何か夢を見ていたような気もするが、記憶はおぼろげだ。力が自分から抜けていったのを感じた。
ゼン様は?
ヒショウはあたりを見回す。その時、扉が開いた。帰ってきたのか?
よろよろと立ち上がったが、ヒショウはそこに誰もいないことに気がつく。
帰ってきたんじゃない。
出て行ったのか?
探してみても少女の姿がない。ふらふらとヒショウはその場に座り込んだ。
「ごめんね。お母さん」
少女は夜の闇に紛れる。人を絶望させるのは自分の専売特許なのに、今はなぜか申し訳ない、そんな気持ちが邪魔をする。
「お母さん、一人で泣いてないかなあ」
「じゃあおまえもおとなしくあそこにいろよ」
この声に、少女は思わず身構える。声の主は隠れることもなくすぐに現れた。少女は足を止めため息を吐く。
「なんでわかったの?」
「わかるにきまってるだろ。大人をなめるな」
「大人、ねえ。私も十分、大人って言われるぐらい生きてはいるんだけど」
「そうか?あいつにはずいぶんと甘えているようだが」
「それは、あの子がお母さんだからだよ」
「お母さん、な」
「親父だって、大概じゃない」
ゼンは、否、ゼンという名の人間として生きていた神をため息をついた。
「あいつはお前のお母さんじゃない」
「なんで」
「あいつはあいつだ。現実をいい加減見ろ」
「どっちの台詞よ」
少女は目の前の男をにらみつけた。
「何が言いたい」
「……」
「だんまりか。まあいい。お前はここで何をしている。というか、なにをしに来た」
「敵を」
「敵?」
「お母さんの敵を、しがらみを殺しに来た。それがお母さんの心を捉えるなら、私がそれを取り払う。私はお母さんにずっと幸せでいてほしいの。そして、お兄ちゃんを癒してほしいの」
「……」
「でも、無駄だったみたいね」
男は答えない。
「あなたがここにいるってことは、この近くに敵がいるはず。昼間あなたはそう言っていたわ。でも今、そんな気配はない。ここにそんな奴らはいない。違う?あなたは嘘をついた。お母さんに、嘘をついたのね」
「……」
「現実を見ていないのはどっち。いつまであなたはお母さんを苦しませるの?お母さんのことが嫌いなの?愛してるってあれは、うそ?どうして現実に向き合えないの?このままあなたは最期までお母さんの敵でいるつもりなの?それなら、私はあなたを殺す。お母さんが悲しむから、私も死ぬよ」
「おいおいやめろよ。俺たちは殺しあわなくてももうすぐ消えるんだ」
男は少女に背を向け歩き出す。少女にはそれを無視して帰っても良かったけれど、ついて行かなければいけないと、そう漠然とそう思った。
「ついてこい」
男が言う。
「現実は見ているつもりだ。こい。見せてやる」
少女は男について歩き出した。
「たしかに俺は嘘をついた。あいつの仲間はもうここにはいないようだった。どこにいるのかもわからない」
男は一呼吸置いて続ける。
「あいつを苦しめていることはわかっている。でも、どうすることも出来ないんだ。というよりも、おかしくなってきている。気がつかないか。力が暴走していると。この俺が、気をぬけばあいつに裂け目を作らせようとしてしまうんだ。お前もまた人を殺そうとしたり手当たり次第に人を絶望させようとしてるんだろ?」
「それが、さっきあなたが言っていた、あなた自身の問題?」
「いや。俺たちの問題だ。それにあの裂け目は――」
「確かにおかしいのはたしか。どうしようもなくて、私も、お母さんの大切な人を殺しそうになった。でもそれは私たちが弱いからだよ」
「お前は、そうかもな」
少女は危うく手が出そうになったが、すんでのところで動きを止めた。ここで殺したら、きっとお母さんが悲しむ。やっとわかったのだ。
「だが、この現象が示すことがわからないわけじゃないだろ」
少女は考える。言われっぱなしでは口惜しい。
この現象?
つまり、情動が制御できないということか?自分たちが本能のままに裂け目を作らせようとしてしまう。
ん?
裂け目?
そうだ。裂け目。あれは心を闇の方へと導く。
「私たちの裂け目が出来たというの?」
「ああ」
男は足を止める。少女も足をとめ、そして目を見張った。一見するとその広場には大きな噴水しか似ように見える。だが、彼女の目には、写る。大きく闇が口を開いていた。夜の闇の中でもはっきりとわかる。いや、そうやってこの暗闇は闇の中で光を放ち人を寄せ付けるのかも知れない。
「これ、が」
信じられない大きさだった。だが、この目には見えてしまっている。信じるしかない。
「もう少し大きくなれば、普通の人間にも見えるかもしれないな。万が一そうなっても危険が及ばねえよう、裂け目への認識を広めて貰わねえと。まあ、あいつなら言わなくてもやってくれるだろうけど」
「でも、なんで。どうして、ここに、こんな所に!いままでこんなもの作ったことなんてなかったのに」
「それは多分、俺の――いや、ゼンのせいだ」
少女はようやく父親の方を見上げた。少しうるんだ緑色の瞳は、暗闇を食い入るように捉えていた。
「ゼンは、ここでヒショウを拾ったんだ。ここで、あいつを利用することを決めた。そして、おれじしんはまあ、忘れていたんだが、あいつに朱雀としての業を背負わせることも、深層心理のうちに決めたんだ。あいつに苦労をかけることの絶望が、ヒショウという一人の子供の人生をまた奪ってしまうことが、俺にとっては絶望でしかなかった。こんな世界なんて。そう、絶望しちまったんだ」
ゼンは瞳を覆うように手で顔を隠した。
「全く、情けねえよ。ここが、裂け目のたまり場になリそうなことは、あの時もきがついていたんだ。でも、あの時はなかったから、油断していた。自分が裂け目を作ったのもなんとなくわかっていたが、俺自身がどうにかなるぐらいの小さなものだし俺が心を強く手折っていればそれで平気だって、そうおもったんだ。ある程度大きくなったら塞ぎに来ようって。それでいいって。でも、運悪く、俺は神だった。だから、他の奴とは勝手が違ったんだな。お前の絶望ともあいまって裂け目をいっぱい寄せ付けて、こんな風にしちまうだなんて」
「だけど、全てあの国の為に」
「とはいえ、お前だってあの子のことをさすがにしょうがなかったじゃもう片付ける元気も残っていないだろ」
「……」
「こんなの、あいつには見せつけられないし、幾らあいつに朱雀がついているからと言って、さすがに近づけられないだろ」
「うん」
少女はあらためて納得をした。ヒショウのあのゆらゆらと揺れるろうそくの火のような心では、簡単に闇に飲まれてしまうだろう。
「大きすぎるね。これは確かに」
「力の弱っている俺じゃあ繕いきれない」
「神獣なのに、情けないね」
「ああ。だから国も滅んじまうし、質との約束をいつまでたっても畑せられないんだろうな」
ゼンは自嘲するように笑った。
「でも、どうする?この裂け目は、私たちが消えたら消える、みたいなものじゃないなお?」
「しないだろうな。俺がいなくなれば、これはむしろ広がる一方だろう。何より、裂け目を塞ぐのが俺の使命だ」
「あっそ」
「塞ぐ方法は、ないわけでもないんだ」
男は言った。
「あの男がもう一度起き上がって元気になれば、少しはこちらの負い目が減るだろう。そうなれば、少しはましになるかもしれない」
「でも、それまでまつってこと?無理だよ。どこにいるの。こんなに不安定な状態で」
「そうとも限らない。待つんだよ、この中で」
男は裂け目を指さした。
「この闇は俺たちの、特にお前の力の源とも言えるだろう。実体は保てなくとも、力は残っていられる。俺もこの中で息を潜めていれば、二人でなんとかこの裂け目を塞げるかもしれないと思わないか?」
確かに一理ある。賭けてみてもいいかもしれない。このままこの裂け目がひろがり、この都を飲み込んでしまえば、この国はきっと滅んでしまう。朱雀には自分のようなつらい経験はしてほしくないし、何より、この国まで倒れてしまえば玄武国の復興は夢のまた夢になるだろう。
「なんだ。やっぱりお母さんのこと、信じてるんだね」
この計画が成功するためには、ヒショウが、朱雀があの少年を癒やす必要がある。危険や絶望から避けようとする一方で、この男は彼の彼女の確かな強さを信じている。
「全く、矛盾だらけだね」
「それでもやっていけるのが、主従であり、夫婦ってものだ」
「よく言うよ」
男は笑った。少女もあきれたように笑う。
それでも。
少女も母親を信じている。母のことを、誰よりも愛しているから。
お母さんがいれば、希望はあるのだ。




