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帰郷

 王都に入ったのはそれから二週間後のことだった。

「かわらない、なあ」

久々に故郷を訪れたヒショウの感想はこの一言に尽きる。

 王都の様子は何もかも変わらなかった。自分がいてもいなくても変わらない。それほどまでに自分は矮小な存在で、この都は尊大なのだ。

 かつて国の中心であったこの都は、ちょっとやそっとのことでは倒れない。だからこそ、ヒショウはこの街で育つことが出来た。狡猾でずる賢く生きることが出来たのだ。

 たくましいと思う。

 すごいと思う。

 ヒショウは気を引き締めた。なるべく自分の知っている道を避けながら入り組んだ路地の中に入っていく。

 暴力。窃盗。殺人。疫病。飢餓。

 道に転がる死体。腹を空かせる人。捨てられた人。そして、うつろな目をした子供。

 救いたい。

「助けちゃだめだよ」

少女がささやいた。

「うん。わかってる」

 救いが存在しないこの都で、一時の救済を与えてしまえば彼ら彼女らはさらに苦しい思いをすることになる。ヒショウの小さな力だけではこの都を救いきれないことはわかっている。根本的な問題はなにも解決しない。

 今ならわかる。

 この都に必要なのは、自己による救済だ。自分がこの生活から抜け出して、よりよく生きたいと思わなければ、きっと何もかわらない。ゼンが言っていたことの意味は、いまなら痛いほどわかった。

 ここは変わらなければいけない。平穏がいつの日か当たり前のものとなるように。

 ヒショウは早足で道をすすんだ。ゼンの気配を探ることに全神経を遣う。

「これは……」

少女が残念そうな声を上げた。

「むごいでしょ。怖かったら、目を閉じていた方が良いよ」

「ううん。大丈夫。玄武国はもっとひどいから」

ヒショウは思わず息をのむ。

「だけど、不思議だね。ここには裂け目がみあたらない。そこまでは堕落していないってことなのかな?それとも――」

「ねえ!」

そんな声と同時に、突然外套が引っ張られた。ヒショウは思わず振り向いて声の主を探す。

 子供だ。男の子。布一枚をまとった枯れ枝のような子供だった。

「お兄さん、旅人?」

「え、あ、えっと」

「妹が病気なんだ。お願い。何かを恵んで」

「病気?それなら」

殺気。

 ヒショウは反射的に身を避けた。たっていた場所には子供がるったナイフの切っ先があった。

 子供はこちらをにらむと、さらにナイフを振るってきた。ヒショウは糸を遣ってそれをはじくと、なるべく怪我をさせないように動きを封じる。その刹那、少女の腕が子供の方に伸ばされた。子供が突然苦しみ始める。

「何が起こっている?」

子供の顔が見る間に赤くなっていく。呼吸もあえぎあえぎになっている。

「あっ」

首元に赤い線が一本走る。首がしまっているのだ。

「だめ!やめて!」

ヒショウが少女に叫ぶと、糸が緩んだようだった。子供は咳き込み、走って逃げて行く。

「なんで」

「だってあの子が死んじゃう」

「殺しちゃだめなの?お母さんを殺そうとしてたのに?」

「だめ、だよ」

ヒショウは言った。この都に来て、やっとそう断言できた。

「なんで」

「人間は生きないといけないからだよ」

 あそこにたっていたのは、嘘をつきナイフを振るっていたのは僕だったのだ。いや、きっと、自分はもっと質が悪かっただろうな。ゼンの優しさと信念を利用し倒したのだから。

 生きようと必死だった。人をだまし、殺してでも行きたかった。死ではなく、生を選んだら道はもうこれしかなかった。

 でも、人は自分で助かることしか出来ない。

 そうゼンに教えて貰ったから、もう誰も、殺さない。人を殺してしまえば、人はもう助からないから。

「ゼン様……」

あの日のことを思い出す。露店で初めてゼンの姿は、お世辞でも何でもなく本当に、神様みたいだったんだ。

「どうしたの?お母さん?」

思わず頬を赤らめてしまった。慌ててヒショウは顔を伏せるとごまかすように笑う。

「え?あはは。なんでもな」

しゃんっ。

 あれ?

 おかしい。言葉の続きがでない。

 それだけじゃない。体が動かなかった。

 ずるっと、こぶっていた少女が地面に滑り落ちる。大丈夫だと言って振り返ってあげたいけれど、それさえも許されなかった。

 体が浮いた。抵抗することも出来ないまま、ヒショウ一人が中に浮かぶ。建物よりも高い位置に来た。胸の鼓動が収まらない。胸が苦しい。この気持ちをヒショウはおう、知っている。

「なんで来た」

冷たい声。しかし、どこか暖かい。

 ヒショウはその声も、知っている。

 足が優しく建物の屋上に着く。体は動かず、振り向くことはゆるされない。それでも、すぐ背後に人の気配がする。

 温かい手がヒショウの頭に触れた。暖かい者が頬を流れ落ちる。

「あなたに、会いたかったんです」

「そうか」

男はそう、つぶやいた。

「ありがとな」

小刻みに震える糸から、小さな鈴の音がシャリシャリと鳴り続けていた。


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