絶望と希望
月が天の真上に浮かぶ頃、少女はむっくりと布団から這い出した。
部屋にあの女はいない、と。
キョロキョロとあたりを見回してみると、彼女の『母親』が机に伏して眠っていた。寝台を譲ってくれたようだ。少女は優しいこの母親のことがだし好きである。
「あ、起きた?」
ヒショウはわずかに目をあけ、少女の方を見た。
「お母さん、寝てないの?」
「うん。目はつぶってたんだけど、ちょっとね、いろいろと」
考えることがあってね、とヒショウは消え入るような小さな声でそう言うと力なく笑った。
「君は?君は眠れたかい?」
「うん」
「すごいな。よくこんな状況で。まるで、ゼン様みたいだ」
また、あの男のことを考えていたの?
「どういうこと?」
「今思うとさ、ゼン様はいつでも眠っていらっしゃったんだ。会ってすぐの時はその好きを見て殺してしまおうなんて思っていたけれど、まるで隙がなかった。君も、あの方と同じだ。本当は追われていて怖いだろうし、自分の立場が苦しいだろうに……本当に、すごいね。僕は、だめだ。考えちゃって眠れない」
「まただ。またお母さんは、私じゃなくあの男のことばっかり見てる!私のことも見てよ!」
「え、いや、えっと……」
混乱している様子の母親をみて、少女ははたと我に返る。こんなこと、言っても仕方がないのだ。この目の前の少年があの男にひかれるのは、当たり前のことなのだから。つけいる隙が、入り込む隙間が望む形のものではないことなど、自分が一番良くわかっているのだから。
それでも。
それでも、今だけは、あの男がいない今ぐらいは、母親に自分を見てほしかった。あの男とセットではなく、一人の娘としての自分を愛してほしかった。なにせ、もう時間がないのだ。せめて、そのくらいは。そのくらいは、させてほしい。私に、希望を――いや、そんなのかなうわけもない。傲慢にもほどがある。目の前の現実に絶望するぐらいが自分の身の丈には一番あっているんだ。
少女は大きくため息をついた。
「お母さん、もう行こう」
「え?」
「もうこの村を出よう。そうしないと――」
私はきっと、この村を飲み込んでしまう。
少女はその言葉を飲み込んだ。
ヒショウはそんな深刻な少女の様子を感じ取ったからか、言葉の続きを問い詰めることもなく決意したように椅子から立ち上がった。
「わかった。行こう」
そうして浮かべたヒショウの笑顔は、少女を安心させる為の作り物のように見えた。
あの男への者とは違う――。
少女はまたどうしようもない絶望を胸に抱きしめた。
翌朝、陽が昇らないうちにヒショウ達は村を出た。ヒバリたちを起こさないようにという気遣いだったのだが、こういうことになれているのかあらかじめ待ち構えられ、大量のパンを渡された。
「また会いましょう」
ヒバリは小指をヒショウの前にかざした。ヒショウは思わず身を固める。指を出すことが意味してることがわからなかったからだ。そんな様子にくすりとわらを漏すと、ヒバリはヒショウの小指に己のそれを絡めた。
「約束、ですよ」
一瞬、ヒバリが大人の女のように見え、胸の鼓動が早くなったような気がした。
だが、そんな気持ちを打ち消すように、少女の舌打ちが耳元で響き、ヒショウははたと我に返った。
「あ、あの、すみません。この子、あの、まだ」
「いいんです。ほら、あなたも」
ヒバリは少女に向けても指を出す。
「また来てくださいね」
醜女は差し出されたその手を払った。
「あ、こら」
「お母さんを、誘惑しないで!私から盗らないで!この泥棒猫!」
「え、ちょ、ちょっと」
「うふふ」
ヒバリは少女に似亜見つけられても笑顔を崩さない。いや、むしろ、意地でも崩す気はなかった。崩せばきっと自分は、ヒショウのことを引き留めてしまうから。
「お母さん、もう行こ」
少女がつぶやくと、ヒショウも、
「うん」
とうなずいて行く先を眺めた。
ヒバリに軽く頭をさげ走り出したヒショウは、一度だけ名残惜しく振り向いた。
ヒバリは優しく笑ってこちらに手を振っている。
ヒショウはその手を振り返した。
いつか再びその指を絡められることが出来る日を楽しみにして。




