離別
「ねえお母さんは、あの男、ホト、だっけ、あの人は敵だと思う?」
そう唐突に少女が話しかけてきたときには心臓が飛び出すかと思った。
「み、味方だよ。勿論」
ヒショウは慌てながらもそう答えた。
「こんなことお母さんに強いているのに?」
「うん……。僕はあの人のやり方には賛成できないけれど、でも、あの人が僕たちの為にいろいろやってくれているのは理解しているから」
「でもそれはあの女が言ったことだよ。信じていいの?」
「いいかわるいかじゃなくて、あの人は僕の仲間だから」
「話がめぐっちゃってない?」
「ううん。気味がいいたのは、あの人が敵か、でしょ。あの人は僕の仲間だから信じられる、敵じゃないってことだよ」
クロはほんの少し寂しそうな顔をした。
「ホト様は一応、僕の主の主だから」
「その考え方がおかしいよ」
クロは頬を膨らませて言った。
「人が人に使えるってどういうこと?あの男は神じゃないのに。どうしてつかえるの?つかえたら、仲間なの?」
「うーん。確かに、だからあの人を信じている訳じゃないかも。僕が個人的にあの人を少し信頼、っていうか、あの人に希望を持っていて、あの人に良くして貰った分、恩返しのために協力したい気持ちもあって」
「お母さんは何もわかってない」
クロはうめくような声を出していった。
「え?」
「私はお母さんの仲間?」
「……」
「お母さんは私の敵?」
「……」
「私はお母さんの味方だよ。お母さんは私の味方?」
「……。御免ね。その質問には答えられないんだ」
「じゃあ、私の言うことを、信じてくれる」
ヒショウは少し考えた。
信じたい。
味方でありたい。
そんな気持ちはヒショウにもある。
だがここでうなずいてしまえば、ヒショウは領主に敵と判断されかねない。ヒショウが領主の敵になれば、ホトも領主の敵にされる。ホトが領主の敵となれば、ゼンも領主の敵とされ処分対象になってしまうかもしれない。
少女はそんなヒショウの煩悶を感じ取ったのか、ヒショウの返事を待たずに話を始めた。
「あの男はね、私の敵なの」
「うん。そうだよね……」
この話を続ければ、きっと北都の話になる。そうすればこの役目をやめられる。そんな下心があって、少女の話に耳を傾けてしまったのが、間違いだったのかもしれない。
「あの男はね、奪ったの」
ホトはいつものように兵士を洗脳して、洞窟の奥へ侵入した。一つだけいつもと違うのは、これが初めてであるかのように振る舞っていること。ただそれだけだ。
「私の出る幕は……ないな」
命令されたとおりに入り口の方へ去って行く兵士達をみて、ツグミはため息をはいた。
「しかし、よくもこううまい作戦が思いつくな」
「褒めてくれるなんて光栄だね。それもこれも、私の美しい目に見とれてしまったからかな」
ツグミは前を歩くホトをにらみつけた。
「貴様のせいだ」
「でも君も案外すんなり受け入れてくれたじゃない」
「受け入れたつもりはない。抵抗はした。だが……」
「まあいいじゃない。別に、悪いことはさせないからさ」
「それが腑に落ちないのだ」
ホトはわざとらしく先の暗闇を指さした。
「この奥に、何かいるね」
本当はこの先に荷がいるかなんてとっくの昔に、ゼンと出会うその日から、知っていた。
「やあ、初めまして。いるんだろ、白虎」
ホトが言った。
少しのあいだ、沈黙が続いた。
返事はない。代わりに響いたのは、まぎれもない、獰猛な肉食獣の声だった。
「なにっ」
ツグミは思わず声を上げる。
「ん?どうしたんだい?」
「貴様には聞こえないのか?この獣の声が」
ホトはにやりと笑った。
「聞こえないねえ。獣の声は」
扉に近づくほど獣のうなり声は大きく鳴っていく。行き着いた先。厳重な扉の先にある気配に、ツグミは気がついた。
「やはり貴様の予想は的中したようだぞ」
「うん。そうだねえ」
ツグミはほっと肩をなで下ろすとホトを引き連れてきびすを返そうとした。だがホトに腕を掴まれる。また目を見させられるのかと身構えたがどうやら違うらしい。ただ単に引き留めただけのようだ。
「何をする」
「私たちには長い長い夜がまっているのだよ。急ぐ必要もない。せっかくだし、白虎に会ってみようじゃないか」
「だが、どうやって。鍵がかかっているうえに、入ったところで虎とどう会うんだ」
「相手は神だよ。出来ないことなんてない。とはいえ、この鍵は開けなきゃね。明かりがあれば、私が開けられそうだ。明かりをとってきてくれ給え」
「……わかった」
ツグミは走ってたいまつを取りに行く。当分はもどらないだろう。これでいい。
「ばかにしないで。鍵なんてついているだけ。開けてでないのは、開けたところで実体のない私はここから出られないから」
「わかってる。だから後で私に力を貸してね」
白虎の声はヒショウにとってはいつでも亡き母のものだ。自分が会いたい相手になる幻を見せることが出来る。それも白虎の力だ。その力のお陰でこの神獣は、今はもう実体が朽ちてなくなってもこの都の愚かな王を誘惑し、この隠れ家を手に入れているのだ。
「あなた、倉には戻らない方がいい」
「そう言われてもねえ。私も彼に最後に会いたいんだ」
白虎は何も言わなかった。だからホトも、何も言わなかった。
「あの小娘は?」
「君への贈り物だよ」
「なんのつもり?」
「今まで私の話し相手になってくれた感謝の気持ちと、これからも君に手伝ってほしいっていう申し出」
「わかった」
白虎がだまったところでちょうどツグミが帰ってきた。ホトは何事もなかったかのように鍵を開けるふりをして分厚い扉が開く。同時になぜか、中から強い風が吹いた。風hあツグミが持っていた灯火を消し去る。
ツグミはヒショウをかばうように一歩前に出た。
「不思議だ。生き物の気配がしない」
うなり声はおろか、奥にあるのはただの空間膿瘍に思えた。
「なあ、これは一体どういう……」
いない。
ツグミははたと気がついた。
そこにはもう、白虎の姿も、ホトの姿もなかった。
「奪った?なにを?」
ヒショウが聞いた。
「目」
クロは短くそう答えた。
「奪ったのは、お兄ちゃんの目だよ」
「お兄ちゃん?」
「うん。私の」
クロは言うとうつむいた。
「私が油断したのが悪かったの……。まさか、まさか、あんなことをするとは思わなかったから」
「お兄さんは……今、北都にいるの?」
「ううん。ここにいいる」
ツグミは己の胸に手を当てた。心の中にいると言うことなのか?それとも、もう、亡くなっている?それにちかい状態なのか?
「お兄ちゃんはね、特別な力を持っていたの。それでね……それで、お兄ちゃんはいい国を作ろうとした。私たちはそれをかなえてあげたかったから、お手伝いすることにしたのに」
「お兄さんはもしかして……玄武の化身?」
「そうだった。でも、目をとられて、それから、それから……」
ポタポタと少女の目から涙がこぼれ落ちる。見るに堪えない状況だが、意mが北都の連中の頭について知る好機であることも確かだった。
「あの人が、ホト様が目をとったの?」
「そう。あの男も、とったの」
「いつの話?」
「わからない。十年ぐらい?まえ?」
ヒショウはそう、と短く斬って少しうつむきクロに同情して見せた。
だが、何かがおかしい。
クロはあ明らかに自分よりも幼い。なのに、十年前に手を貸したなんてありえない。それに、目をとる?そんな高度なことがホトにできるだろうか。
何かがおかしい。
この子は多分、まだ何か隠している。
「君はその時に集まった人たちと一緒に来たんだね。君たちを率いているのは誰?その人はどこにいるの?」
するとクロは不思議そうに首をかしげた。子供だから知らなくて当然か、とヒショウがあきらめようとした、その時だった。
「私だよ」
クロは、当然のようにそう言った。
「お兄ちゃんをお母さんなら、朱雀なら、助けられるってあいつが言うから」
「あいつって」
はた、とヒショウは人の気配に気がついた。
「ひさしぶりだな」
ヒショウは、全身が喜びで満たされるのを感じた。
その声は。
その姿は。
「ゼン様!……じゃない……?」
ただの、直感だ。声も、姿も、ゼンだ。だが、何かが違う。ゼンなのに、ゼンではない何者か。ヒショウの前に立っているその存在は、まるで幻のように不安定だった。
「失礼を承知でお聞きします。あなたは、あなたは本当にゼン様ですか?」
沈黙。
ヒショウはじっと、答えを待った。全身が汗を拭く。
「すまない」
次の瞬間、意識が途切れた。
ツグミは走っていた。
「あの馬鹿!」
ホトにだまされた。
敵がいるというのに。
いや、敵がいるからか。
「 だね」
倉に着くと、かすかにホトの声が漏れていた。
大丈夫。まだ生きている。
ツグミは兼を手にかけ、気配を殺して中に入った。
寝台の上にいるホトと目が合った。一歩踏み出そうとして、ツグミは足を止める。
話し相手は、敵はどこにいる?かくれているのか?
ホトはもうこちらではなく、部屋の刺客の方を見ていた。そこには誰がいるのだろう。
「あはは。やめてよ。彼女にはもう朱雀の力は幡羅かな。傷つけちゃだめ。君は、私のお願いなら、聞いてくれるよね」
「貴様は何を……」
言い終わる前に、ツグミの剣が床に落ち大きな音を立てた。




