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花街の少女

 ヒショウはパンを焼いていた。

「あの村のパンは美味しかったなあ」

初めて食べたというのもあって、ヒバリの村で食べたパンの味は今も忘れていない。今まで食べた食事の中で最も美味しかったのだから。

 釜の中で焼けてくるパンをみて、ヒショウは肩を落としていた。どうすればあの時のようにふっくらと焼けたパンが出来るのだろう。所詮は見よう見まねなのでうまくいかなくて当然なのだが、逆にそれがヒショウの負けず嫌いな心を沸き立たせていた。ゼンの喜ぶ顔を思い浮かべると、気合いも入るものだ。

 だが、鼻につくのは焦げ臭い匂いだった。

「やっちゃった……」

急いで取り出したところでもう遅い。すでに真っ黒に焦げてしまっている。火加減には気をつけたはずなのだが。

ヒショウは目の前の黒くて焦げ臭い塊をひとまずは並べていく。どうせ今日もゼンは遅い。自分の夜食はこれでいいだろう。けだものを食べることには慣れていた。

 とはいえ、家の中が煙たいのはどうかとも思うので、ヒショウは窓を開け換気をすることにした。念のため敵の気配を探してみるが、やはりいない。強いて言うなら、少し街がうるさかった。どうせ何かのけんかだろう。旅人が多いせいか、この町では日常茶飯である。静かよりも、虚無よりも、騒げる人がいる方がずっといいのだ。ヒショウはすでに死んでしまっている己の故郷の街を思い出すと、唇をかんだ。

 だが、窓を開けて、ヒショウは異変に気がついた。

 家の中がいっこうに換気されない。むしろ、より焦げ臭くなったように感じる。ヒショウは慌てて釜の火を確認した。だが火はちゃんと消えているし、釜からそこまで焦げ臭い匂いがしている訳でもない。

 となると、匂いの出所は外か?

 背筋に悪寒が走る。ヒショウは慌てて外套をかぶり外へ出た。大通りまで行ってみると、人が一気に橋の方から戻ってきているのがわかる。橋の方で一体何があったんだ。

「す、すみません!」

ヒショウは走ってくる人に声をかけるが誰もがパニック状態にあり、誰も相手をしてくれない。

仕方がない。

 ヒショウは人をかき分け橋へと向う。近づくほどに焦げ臭い匂いが強くなっていった。嫌な予感ばかりが頭をよぎる。火がかかわるとろくなことがない。

 目の前は、火の海だった。

 海が火で満たされていた。

「ひどい……」

ヒショウはそのあまりの光景に思わず後ずさりした。

 橋も、船も、全てが燃やされている。

 消火できるようなレベルの話ではなかった。その日の前ではヒショウも含め、誰もが無力に等しい。野次馬の中には泣き叫んでいる者もいた。おそらくは船の所有者だろう。よくない兆しだ。もしも、これで世界を絶望してしまったらどうなる。いや、どうすればいいんだ。

 どうしてこんなことに。

 なにが、あるいは、誰が原因でこんなことに。

 ヒショウはあたりを見回す。

「なんだ?」

兵士が整列している。号令に合わせて、海に火矢を射っていた。

 何をしているんだ。

 火に火を放ったところで火は消えない。むしろ勢いを増すばかりである。ヒショウは頭よりも先に体が動いていた。

「やめてください!」

身分は明かせないから糸は使えない。代わりに兵士から弓を奪って、号令を出してる兵士の方に弓を構えた。弓の引き方なんて知らない。こんなのはどうせ、みかけだおしでしかない。

「あぶない!やめなさい!」

兵士達から見ると、ただ子供が勢い余って変な行動をしているようにしか見えない。

「ここは危険だ。速く逃げなさい」

「なぜ!」

「だからここは危険で」

「なぜ、こんなことするんですか!」

ヒショウは兵士をにらみつけて叫んだ。

「橋だってこの間なおしたばかりだったのに。大切な商売道具をなくしてしまった人もいるのに、この先苦しむのは南都の人なのに。どうしてこんなひどいことを。今すぐに火を消さないと!」

「我々は命令に従って燃やしているんだ。やめることは出来ない」

「命令?」

「領主様と、軍師様のご命令だ」

 ヒショウは絶句した。 軍師様、だと。

 感がえっラ得ない。ホトがこんなことを命じる訳がない。彼ならコット思慮深く行動を起こすはずである。

「お前みたいな子供は知らないと思うが、最近この街に侵入者が入り込んできたみたいでな。領主様はそいつらの壊滅と殲滅を望んでいらっしゃる。だからこうして今退路を断つことで確実に捉えてしまおうと」

「損あの、逆に南都の皆さんが危険にさらされるだけではないですか。逃げ場を失ったら、相手は必ず自暴自棄になって過激な行動に出る。その恐ろしさがわかんないのか!」

「今後侵入者が永遠に増えるよりいい、領主様はそう言っていた」

「そのためにはこの都の人間が何人死んでもいいのか」

「ああ。そうおっしゃっていた」

「正気か?」

「領主様はそうおっしゃっていた。それに、軍師様だってきっとそう思っていらっしゃる」

「は?」

あり得ない。だってそもそも、前提が間違っている。北都の連中がここへ来た目的は僕だ。僕がほしいから、僕の力を手にしたいから、裂け目をつくっておびき出そうとしているだけなのに。ホトはそんなこと知っている。なのに、なぜ、こんなことを。

 何かがおかしい。

 上で何か起こっているのか。

――状況が変わった。

ヒショウは数日前に言われたその言葉を思い出していた。

 ゼンの所へ行くべきだ。

 ヒショウは直感でそう確信した。

 燃えさかる現実に何もしてやれない無力感を感じつつ、ヒショウは花街の方へ走っていた。


 花街の入り口にはすでに、兵士が集まりはじめていた。見たこともない顔ぶれの兵士もいたから、領主の護衛もかり出されているのかもしれない。

「あやしい奴がいたら、とりあえず縛れ。奴らの特徴は毛皮を身につけていることだ。ここはあいつらの巣窟だから、念入りに探せ!」

ヒショウはため息をついた。

 何でホトはこんなことをさせているんだ。どうせホトのことだから何か目的があるのかもしれないが、希望をどうしても想像できなかった。

 人目につかない裏路地をヒショウは進んでいく。大きな通りは人もいるし、兵士の目も光っている。ここに北都の連中が出てくるとも思えない。ヒショウはどんどん、奥まった場所へと入っていく。いつか役に立ちたいと、ヒショウは花街の地理についても勉強していた。元々道が入り組んだ王都に暮らしていたせいで、花街の入り組みなどは手に取るようにわかった。

 緊張の糸は常に張り詰めている。人目につかなくなればなるほど、襲われる可能性も高い。いつでも敵と戦えるように、糸を絡ませながら進んでいく。

 しかし、ヒショウは思わず足を止め、立ち尽くした。

 それは、敵が現れたからではない。

 視線の先には、ただずんでいる少女がいた。こちらには気がついていないらしい。いかにも非力で痩せた少女だった。来ている服は体に似合わず露出の多い遊女のそれだったが、立っているのもやっとなほどにふらふらとしている。まるで、裂け目にむしばまれていたときのヒバリのようなその見た目に、ヒショウは思わず手を差し伸べたくなった。今すぐ駆け寄りたいが、しかし、いての素性が不明な以上、むやみに近づくことも出来ない。悶々とした思いがヒショウの中で大きくなっていく。

 次の瞬間、少女が倒れた。

 ヒショウは驚き身をこわばらせたが、すぐに状況を理解した。さびた鉄のような匂いがしたからだ。

 ヒショウは必死の思いで駆け寄った。迷いなんてなかった。だって、目の前の少女が、自殺しようとしているのだから。

「何やっているんだ!」

ヒショウは急いで少女の薄い胸を貫いているナイフを引き抜き、手を当てた。だが、焦っているせいか、うまく力が使えない。時間がもったいないとヒショウは少女の服を破いて傷口を止血し、青のまま抱き上げた。落ち着いて治療できるように、場所を変えたい。

「君、どこの店でお世話されているの!?」

少女はわずかに口を動かし、店名を答えた。確かこの近くにある小さな女郎宿だ。ヒショウは走って店へと連れて行く。

「すみません!」

店ののれんをくぐると、急に強い匂いが鼻を覆った。花街特有の、客の思考を鈍らせる甘ったるい匂いだ。暖炉を炊いた部屋の真ん中にある椅子に腰掛けた女が、悠長にキセルを吸っていた。

「ようこそ」

女はねっとりとそう言った。

「この子は怪我をしています。僕は医者です。手当をさせてください!」

「まあ、なんて可哀想に」

「とにかく早く。場所を!」

奥に見える階段はおそらく客間へとつながっているはずだ。その人部屋だけでもかしてほしかった。

「まずは案内して差し上げなきゃねえ」

女はヒショウにすりつくように肉付きのいい体を近づけてくる。

「そんなことしている場合じゃない!」

ヒショウは除けようとするが、あいにく両手が塞がっているせいでうまくいかない。

「どいてください!」

こうなったら力尽くだ、とヒショウは指先でわずかに糸を操る。

「おそいがいのあるかわいい子だわ。ねえ、今からアタシと」

「すみません。ことは一国を争いますので」

ヒショウが女を気絶させようとしたその時、腹部に鈍い痛みが走った。

「え……」

少女がヒショウの腕の中でじっとヒショウの方を見つめていた。

 その目には温度がなかった。

 その目には、見覚えがあった。

「なん、で……」

「死んで」

ヒショウの全身から力が抜ける。少女は軽い身のこなしで床に着地した。

「君は北都の――」

視界がぐるりと回った。この感じは知っている。きっと、毒が塗ってあったんだ。

 少女は、自殺しようとしたのではなかったのか。

 僕が治そうとすることを見込んでわざと。

 そうか。

 馬鹿みたいだ。

 ごろりと横になると、重さを感じた。女はヒショウの体に馬乗りになって執拗に刺しているらしい。北都へ連れていく間に生き返らないようにする為だろうか。なかなか死ねないというのもつらいものだ。全身が痛い。

 しばらくすると、女が去って行った。僕が死んだと思っているのかも知れない。どこかに隠してあったらしい毛皮を羽織りだしたのを見ると、どうやら他の仲間を呼びに行く気なのかもしれなかった。今更仲間を呼んだところで、僕を運び出すのも大変だろうに。こんな危険をおかしてまで、僕を保護する必要なんてないのに。

 あの少女は大丈夫だろうか。監視役として、この部屋のどこかにいるのだろうか。

 体が、動かなかった。思考も働かない。なんとなく視線を動かした先に、暖炉があった。その前では、小さな毛皮が干してあった。

 何で気がつけなかったんだろう。

 パチパチと音を立てて暖炉の火が燃えている。

 けれどなぜだろう。

 寒いなあ。


 数時間後、花街の小さな女郎宿で十人以上の死傷者が発見された。

 多くはその店の者だったが、うち三人は部外者。

 北都出身とみられる二人のうち一人は死亡。もう一人は重傷。

 唯一無傷で倒れていた少年は、主犯格の重要参考人として連行された。


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