呪術師
村長の家の中では、先刻から一組の夫婦が村長と話し込んでいた。両者のあいだには、先ほどの少女が眠っている。ゼンの判断は正しく、村長は彼女を癒やす方法を知っていたようで、速やかに処置が行われ少女は一命を取り留めた。山を越えたところで少女の親が呼ばれ、ゼン達と入れ替わるように狭い家の中へ入っていった。話し合いが終わるまではゼン達は外で待機ということになっている。ゼンは静かに壁に寄りかかって中の様子をうかがい、少年もうつむいたまま黙って控えていた。
「ありがとうございました」
女の声が聞こえると、夫婦が家の中から出てきた。この夫婦には、ゼンは見覚えがあった。二人が止まっている宿屋の女将さんとそのご主人である。子供がいるようには見えなかったが、心配そうに少女を抱えて出てきた姿をみると自然と納得をすることが出来た。
「このたびは、ヒバリが大変ご迷惑をおかけしました」
女が言った。ヒバリというのはおそらく少女の名だろう。
「当たり前のことをしたまでだ。それよりも、その子が大事なさそうで良かったな」
「ええ」
「それでは」
三人はそそくさと宿の方へ帰って行った。
「まあ、ひとまずは良かったって感じか」
独り言のように言ってから視線を落とすと、ヒショウが家族の方を険しい顔で見ていた。
「どうかしたのか?」
家族がうらやましいのかもしれない。余計なことを聞いたか、と言っておきながら後悔をしたゼンであったが、どうやら違うようだ。
「いえ」
そう短く答えたヒショウは怒っているようにも見えた。その理由は、ゼンにもわからなかったが、本人がこれ以上の感傷を拒んでいるように思えたので、気づいていないふりをして、
「そうか」
とだけ答え、村長の家の中に入った。
「おお、ゼン様。大変お待たせしてしまい申し訳ありません」
「気にするな。こちらこそ、突然きて面倒ごとを押しつけてしまってすまなかったな」
「いえいえ。ヒバリはもともとここに来る予定だったので、用意はしてありました。それに、私があの子にしているのはただの気休めに過ぎないことぐらいあなたはご存じなはずだ」
「……それもそうだな」
ゼンはすすめられた席につこうとしたが、戸惑っている様子のヒショウを発見し、自分の元へ引き寄せた。
「そうそう。改めて紹介するが、こいつは俺の従者で、名はヒショウという」
ヒショウはピクリ、と緊張を見せたが少し視線を泳がせながらお辞儀をした。
「は、初めまして。あ、あの先日はご無礼なまねをしてしまい申し訳」
「おお、なるほどなるほど」
村長は喜びをむき出しにして、ヒショウの言葉を遮った。
「やはり思った通りだ。これは珍しい」
村長の手がヒショウに伸びる。ヒショウは一瞬、避けるような動きをしたが、何か覚悟を決めたようにおとなしく村長に頬の刺繍を触らせた。
「あ、あの……」
「もういいだろ。好奇心もこれで満たされたはずだ。ヒショウももう下がっていい」
ゼンはぶっきらぼうにそう言うと、ヒショウをまたぐいと引き寄せ、自分の方へ引き寄せた。
「ああ、これはこれは申し訳ない」
「嫌ならそうやって態度で示せ。無理する必要はない」
ゼンはそう小声でヒショウに言うと、背後に控えさせる。
「それじゃあ、本題に入ろうか」
「はい、そうですね」
村長はゆっくりとうなずいて見せた。
「あの娘は、名をヒバリと言います。ゼン様はもうおわかりかと思いますが、彼女は病気にかかっている訳でもないのに、みるまに衰弱していく、謎の症状に苦しんでいます」
「あいつらは本当に家族か?」
「いえ。ヒバリは元々、隣の村の者なのです。となり、といっても山を一つ越えた先なので、かなり離れていて特に関わりもなかったのですが。その村では病気が広がっていたそうで、大勢がなくなったと聞いています。ヒバリの両親もまた、その中にいました。そんななか、彼女は病気のはやっていないこの村へ逃げてきたのです、たった一人で」
ゼンはなんとなくヒショウに目をやった。彼にはつらい話かもしれないと思ったが、ゼンの予測は見事に外れていたようで、ヒショウは村長の家に積まれた本に興味があるようだった。そちらの方に釘付けになっており、話半分、という感じだ。あの劣悪な王都という環境で育ったが故の適応なのかもしれないが、これこそが王都を没らくたらしめたもののように感じられた。
「幸い、彼女はこの村に病気を蔓延させる心配はないと判断され、あの夫婦がヒバリを養子として迎えることになったのです。この村に来たときには衰弱しきっておりましたので、今では少しは健康的になったものですが、それでも近頃はまた衰弱してきてしまっており、私の所へ通ってきて貰っています。私は、直接的にあの子を治療することはでいませんが、気休めのまじないを使えば少しは気を紛らわしてやることが出来るのです」
ゼンは話を聞き終わると大きくため息をついた。
「……なるほどな。話を聞けて良かった。これで、仕事を終わらせられる」
「やはり、あの子が」
「ああ、まちがいないだろうな」
言うとゼンは立ち上がり、扉の方へ体を向ける。
「もう、いいのですか?」
ヒショウは少し戸惑うようにして言った。
「おや?もしかして、ここに興味のあるものでもおありなのですか?」
「あ、えっと……」
「言いたいことがあるなら言え」
「こ、ここにある本とかが気になって……あの、もし良ければ見てみたいのですが」
ヒショウは声をふり絞るようにしてそう言った。
「いいですよ。いつでも、いらしてください」
村長はにこやかに笑った。
「ここにあるのは、大体が呪術の本ですが、他にも医学や歴史に関する本がございます」
「い、がく。村長様は、お医者様なのですか?」
「いいえ。違いますよ。だが、この村には医者がいない。それで、私が医者のまねごとをしているのです」
「そう、なんですね」
「医学に興味がおありで?」
「い、いえ、別に、そういうわけじゃないんですけど……」
ヒショウはもじもじと恥ずかしがっているように見えた。目の輝きを抑え切れていない。見ていてもらちがあかないと一冊ぐらい読ませようと本の山に手をのばして、ゼンは動きを止めた。
「ヒショウ」
「はい」
ヒショウはぱっと本の山から目を離し、ゼンの方を振り向いた。
「そろそろ日も暮れる。一度宿に戻ろう。またここに来ればいい」
ヒショウが小さく息を吸ったのがわかった。
「はい!」
うれしそうなヒショウの顔から、ゼンは思わず視線をそらす。逃げるように、村長の家を出た。
「あの」
「なんだ?」
ゼンは振り向かずに答える。
「今夜もあの酒場に行くのでしょうか?」
「ああ、そうだな。あそこでしか飯食えねえし」
「あの方々は今日もいらっしゃるのでしょうか?」
あの方々というのはセッカとフブキのことだろう。
「いる、かもな。まあ、心配するな。あいつらが近づいてきたら、俺が代わりに相手をしよう」
「ありがとうございます」
ヒショウはゼンに隠れ強く拳を握りしめた。
結局、この日の晩、あの二人組が酒場に現れることはなかった。すでに南都へ旅立ってしまったのか、それとも気まぐれに来なかったのか、何にしてもゼンが気にするほどのことでもなかった。




