束の間の
街に降りてからという者の、ヒショウの主な仕事は家の雑務であった。たまに心の傷を癒やしに行くことがあったが、それが終わるとすぐに家に帰ってきている。ゼン曰く、彼が待ちに降りて素早く対応出来るようになったお陰で裂け目を小さいうち閉じることが出来、心まで病む人があまりいないようだった。それはきっと、いいことだ。いいことのはずなのに、なぜか心が晴れない。
ヒショウの仕事が減れば減るほど、ゼンの仕事が増え家を空けることが多くなった。ヒショウがゼンを見るのはいつだって寝台の上だ。外から帰ってきたゼンはいつも、倒れ込むように寝台で眠ってしまうのだった。
ゼンが眠ることが出来るような安全な場所を提供できているのはうれしい。
だが。しかし。
ヒショウが漏したため息は、ゼンの寝息に紛れて消えていく。ヒショウの視線は常にゼンに向いている。ヒショウはもう一度深く、ため息をついた。
「どうした」
「え!?」
気がつくと、ゼンの片目がヒショウを見ていた。ヒショウは恥ずかしくなって思わず目をそらす。
「起こしてしまいましたか?」
「いや、元から目を閉じていただけだったんだ。最近目を酷使しているからか、目が疲れてしまってしょうがなくてな」
するとゼンはゆっくりと体を起こした。だるそうに寝台の端に座ると、自分の横をポンポンと軽くたたく。ここに座れと言うことらしい。ヒショウはおとなしくしたがって、ほんのわずかに寝台を沈ませる。
「すまないな。こんなにみっともない姿ばかりを見せて。これじゃあ、お前をがっかりさせちまう。お前の前では格好つけたいんだが、どうにも」
「そんな。がっかりなんてしません!むしろ、心配です。もっとおやすみしてほしいです。裂け目を塞ぐことが出来るのは確かに、ゼン様しかいらっしゃりません。それでも、僕だって裂け目を塞ぐお手伝いぐらいは出来るんです。だから僕をもっと頼ってくださってかまわないのですよ」
「頼みたい所なんだが、どうにもきな臭くてな。お前をあんまり他のやつに見つかってほしくないんだ」
「と、言いますと?」
「急すぎる気がするんだ」
「でもそれは、こちらを数で圧倒しようとしている殻なのではないんですか。だからこそ僕たち二人で撃退すべきでは」
「それこそ敵の思うつぼだろう。まあ、お前と二人でわざと敵をおびき出して一掃するって言うのもアリなんだけど、相手が得たいがしれないだけに気乗りしないなあ」
「僕なら大丈夫ですよ。常に糸の練習はしていますから」
ヒショウはしゃんと鈴の音を鳴らしながら糸を指先で動かして見せた。糸が以前よりもなめらかで細かく動いており、生き生きとしているのはたしかだ。
「確かに。うまくなったな」
ゼンは言うと同じように鈴の音をならしながら、己の糸をヒショウの指に器用に絡めていく。
「俺は確かにお前の力を信じている。今のお前なら、北都の練習なんてすぐに倒せるだろう。だが懸念はもう一つある」
「なんでしょう」
「ここ最近、花街ばかりが狙われている理由だ。確かにあそこはこの都の中で最も裂け目の原因となるような人間が多い。だが、俺たちを圧倒するなら都全体で裂け目を作る方がやはりいいように思えるんだ。あえて花街ばかりでしか最近作らないのは、俺たちを誘っているように思える」
「確かに」
ヒショウは少し考えて見る。裂け目が作りやすいからか。それとも自分たちを誘うためか。一人で留守番することも多かっために、ゼンに言われた通りに身を隠して外を出たことがあった。ゼンの仕事を邪魔しないように花街には極力近づかなかったが、確かに、花街の外で襲われることはほとんどなかった。本当に花街から出てくる気はないようだ。
「明日もう少しつついてみようかな」
「僕も……いえ、僕は留守番ですよね」
ヒショウは言うとうつむいた。沈黙が痛かった。
「不満か?」
ヒショウはピクリ、と肩をこわばらせた。ゼンの声が低く、温度がなかった。
不満がないと言えば嘘になる。
でも、不満と言えば全てを失う。
そんな気がしてたまらなかった。
ああ、やっぱり自分はどうしようもない人間だ。どんなにつらくても、どんなに不満でも、受け入れようとしてしまう。そういう防御反応が働いてしまうのだ。
「いえ……」
だからすぐにこうして嘘をついてしまう。
「ここに残ることであなたのお役に立てるのなら。もう、それ以上のことはいらないんです」
「そうか。お前は本当に利口だな」
「僕は、すべきことをするだけです」
「すべきこと、な」
ゼンはゆっくりとくり返した。
「俺も最近、ほんの少しだがやっとわかってきた気がするんだ」
「それって……もしかして何か思い出したんですか。僕もいろいろ調べてるんですけど、全く何も関係ありそうなことが見つけられなくて」
「思い出したには、思い出した」
「一体何を!」
「なんだと思う?」
意地悪にゼンが言うので、ヒショウはわざとむくれて見せた。
「教えてくれないんですか」
「疲れた。あんなくだらないことを話すのも億劫だな」
もう、と少し不満を漏したが、ヒショウはそれ以上の追求はしなかった。主のため。そんな大義名分がそこにはあった。
「ゼン様、もっとおやすみになってください。ゼン様は疲れ知らずで、いつでも臨戦態勢でいらっしゃるからせめてこの家の中では安心してください」
ヒショウは器用にゼンの外套を脱がせ、落ち着いて寝付けるように整えていく。
「昔は本当に疲れ知らずだったんだけどな。最近はどうも、そうはいかないみてえだ。俺も歳なのかな」
「いえ。単純に、最近酷使をしなさっているからですよ」
「だといいけどな」
ゼンが笑ったのを見て、ヒショウはやっと胸をなで下ろした。
「俺は何かと面倒ごとに首を突っ込んじまう質なんだよな。そういうやっかいごとと運命の糸でつながっちまっているらしい」
「それはたぶん、僕もです」
「そうだな。俺たち、似てるもんな」
ゼンはぐんっ、ヒショウの腕を引っ張るともう一度、自分のすぐ隣に座らせ、頭をぐしゃぐしゃになでた。気持ちよさそうに目を細め頭を押しつけるヒショウを見ると、ゼンの心も安まった。
「お前も、面倒ごとを背負い込みすぎだ。お前だって、いつでも臨戦態勢で、いつもかしこまっていて、よく平気でいられるもんだなって感心している。俺もあいつも根が風来坊だから、すぐいろいろなことになっては逃げ出しているが、お前は辛抱強くて尊敬するよ。朱雀の力のお陰もあるのかもしれないけど、それでもきっとこれはお前の努力のたまものだ」
「僕は人殺し時代にいろいろ体験したので、こういうのには小さいときから慣れているんです」
「あった頃の好戦的なお前も嫌いじゃなかったけどな」
「忘れてください、あんなの」
「いやだ」
珍しくゼンが子供のようなことを言うので、ヒショウは思わず笑ってしまった。
「僕もよく逃げ出しているじゃないですか。何回も、何回も、いきることからにげだして、本能に質が悪い。次生き返ったら、次生き返ることが出来たら、生き返ってしまったら、こうなりたいって。僕は楽観主義なので」
「はは、なるほどな。お互い様だ」
ヒショウがゼンの方を見上げると、ゼンもヒショウの方を向き、にかっと笑った。
なぜだろう。
嫌な予感が心を邪魔した。
素直に笑いたいのに、笑い返したいのに、笑えない。
こんな顔、初めて来た。
そしてもうみれない気がして、なんだか無性に寂しかった。
「次の人生はうまくやる。それでいいじゃねえか」
その言葉が誰に向けられたものなのか、ヒショウにはわからなかった。




