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朱雀の飛跡~ある鳥の死から孵化まで~  作者: 文張
小麦の村と夕焼け
5/28

手紙の宛先

 翌朝。

 ゼンが目覚めたときにはすでに、陽が出ていた。気がつかぬうちにきちんと寝台で寝むれていた所を見ると、ヒショウが毛布や何やらをかけてくれたのだろう。ありがたいが、彼がきちんと眠れたのかが心配だ。寝台の上を見てもヒショウが見つからず少し焦ったが、すぐに見つけた。ヒショウは机にむかって何かしているようだった。こちらには背を向けていて、何をしているのかはわからない。

 しかし、筆を走らせる音と楽しそうな息遣いが聞こえた。赤髪が窓から入り込んでくる光を反射していきいきと輝いている。明るい赤色の輝きは、かつての朱雀国を思い出させた。活気があった頃の朱雀国も、このくらい輝いて見えた。当時の朱雀国のことを思うと懐かしくもあるが、同時に怨めしくも思ってしまう。栄華をほこり永遠に続くと思われた繁栄は、ほんの一瞬にして幻のように見えていった。ヒショウは本当に、あの頃の朱雀国の残像のようだった。

 感慨にふけっていたが、ゼンはふと我に帰る。ヒショウは何をしているのだろうか。邪魔をしないように覗こうと立ち上がったが、安宿故に床がきしみ、すぐにヒショウは筆の動きを止めた。焦ったように筆をおくと、そのまま転げるようにゼンの前に平伏する。

「おはようございます」

「ほら、立て。それやめろって」

ゼンは困ったように首に手を当てて言った。ヒショウは慌てて立ち上がると頭を下げる。

「申し訳ございません」

「いいぜ、もっと楽にして。俺は確かにお前の主だが、俺はただお前の身元を証明するだけの存在に過ぎない。お前のことは優秀な従者として認めているが、同時に、一人の人間として気に入っている。たのむから、俺とはなるべく対等でいてほしい。わがままでいいんだ。俺はあんまり、気を遣われるのにはなれてないから落ち着かねえし」

言ってゼンはにんまりと笑った。

「こんな奴に選ばれちまったお前の責任だ」

「……わかりました。以後、気をつけさせていただきます」

「そう堅くなるなって」

ゼンはヒショウの両頬を手で挟んだ。少し混乱したようにヒショウに見上げられ、ゼンはつい吹き出す。

「お前に出会えて良かったよ、ほんと。言い遅れちまっていたが、おはよう」

「お、おはよう、ご、ざいます」

「さっきまで何かここでやっていたのか?」

ゼンはヒショウ越しに机の上をのぞき見る。ヒショウは焦ったように自分の体で机の上を隠した。

「な、何でもないです」

必死に隠そうとしているヒショウの姿が面白くて、ゼンはさらに身を乗り出してのぞきこむ。

「字、か?」

ゼンは顔をしかめて言う。机の上に広がった紙の上には米粒のような字でびっしりと埋め尽くされていた。

「読んでくれないか?」

「え?」

驚くヒショウを横目に、ゼンは頭をかきながら言う。

「俺、字が読めないんだ」

ヒショウは信じられないと言わんばかりの目でゼンを見た。

 無理はない。当然の反応だと、ゼンも思っている。ほとんど教育を受けていないであろうヒショウでも、簡単な字ぐらいは書くことが出来る。それであっても、ゼンは字を書くことはおろか読むことも出来なかった。覚えて、いなかった。

「と、とにかく、こんなもの気にしないでください。こんなの、塵ですから!」

ヒショウは雑に紙を懐にしまった。

「手紙か何かか?」

「ま、まあ……」

「だれ宛だ?」

「た、大切な人にです」

「俺以上に?」

「い、いえ……」

ヒショウは隠れるようにうなずく。

「なるほどな。お前にそういう人がいて良かったよ」

ゼンは少年に向けて笑う。

「大切、なんです、とても」

「へえ」

「あなたと同じくらい、いえ、もしかするとそれ以上に」

「へえ」

ヒショウは、ほんの少しだが笑った。何かを思い出しているように思えた。

「初めて見た」

「え?」

「お前が心から笑っているとこ」

少年の顔が一気に赤くなる。ゼンは少年の様子を見ながら話しかけた。

「会ってみたいなあ、その人に」

ゼンの声は少し寂しげであった。

「いつか紹介してくれよ」

主のまぶしい視線に耐えられなくて、ヒショウはそっと顔を背けた。


 気持ちの良い風が草木をそよがせる。ただ睡眠をとるためだけにこの村によった旅人達は去って行ってしまったようで、村は昨夜の喧噪を忘れるほどに穏やかになっていた。気持ちの良い朝だ。

 振り向けば、ヒショウが宿の女将と話をしていた。手に持っているのは先ほどの手紙のようだ。便せんとともに髪や筆は宿から借りたそうだが、今回の彼の頼みも快く引き受けてくれたようだ。ヒショウはぺこりと頭を下げると、くるりと向きをかえるとこちらに走ってきた。

 その姿に、ヒショウと初めて出会ったときの姿が重なった。

「ゼン様?」

ヒショウは首をかしげてこちらを見上げている。

「大丈夫ですか?」

「あ、ああ、問題ない。用は済んだか?」

「はい!待たせてしまって申し訳ありません」

「気にするな」

ゼンは歩き出す。ヒショウは半歩後ろからゼンの後ろについてきた。

「今日はどこへ行かれるので?僕もついていってもいいのでしょうか?」

「少し、村の様子を見てみようと思ってな。お前がみたことないような景色を見せてやろうと思って」

「はい、是非!」

ゼンにとっては見慣れた光景だが、ヒショウにとっては何もかもが初めての景色であるはずだ。

「とはいえ、別にどこに行こうとか具体的には決まっていないんだよなあ。お前、なんか見たいものあるか?」

「そう、ですね……。ああ、昨日村長様達に失礼な行動をとってしまったので、皆様に謝りたいです。ゼン様は昨日行かれたのですよね。だからその、気が引けるのですが……」

「じゃあ、村長のところ行くか。そっか。お前は昨日あれ以来会っていないんだもんな」

ゼンがふと思い出したのは、昨日の村長の様子だ。過剰にヒショウのことを気にしていたような村長には、正直ヒショウをあまり会わせたくない。かといってそんな理由で行くことを拒否することも出来ないので、なるべく早く終わらせてしまおう。

「ゼン様は昨日なぜ村長様のところに呼ばれたんですか?」

「仕事の話だ。あと――」

「あと?」

「いや、それだけだ。あとはくだらねえ雑談」

「そうですか」

ヒショウはゼンがさらに教えてくれることを望んでいたようだが、ゼンはこの件に関してこれ以上口を開くことはなかった。

「村長様はどんな方なんですか?」

空気を読んでか少年が言った。

「どんな、か……。ちゃんとした奴だぞ。仕事の説明もわかりやすかったし、頭は良さそうなじいさんになってた」

「なるほど。安心しました」

ヒショウはほっとため息をついた。

「昨日、ゼン様が村長様の元からお戻りになられたとき、あまりお機嫌が優れていらっしゃらないようでしたので」

「いや、あれはお前が」

「あ、いえ、その、実は、そのようなゼン様の姿を窓からみて、ついあのような行動をとってしまったのです。少しでもお機嫌が優れればと思ったのですが、逆にお機嫌を損ねてしまったようで、申し訳ありません」

そんなヒショウの言葉を聞いてゼンは笑った。正直、村長に会って機嫌があまり良くなかったのは確かだ。そしてさらに、ヒショウにそんな態度をとらせてしまったことが不愉快で、へそを曲げたのも事実だ。ここまでゼンの本心を見事に身すき、うまく立ち回ろうとしたヒショウは、自分が思っているよりもずっとしたたかな人間なのだろう。

 その時、道をすれ違おうとした少女がゼンにぶつかった。いや、正確にはぶつかるようにして、倒れたのである。ゼンは反射的に少女を支えたが、ヒショウは驚いて距離をとるように後ずさりをした。ゼンはそんなヒショウの様子をチラリと見てから少女に声をかけた。

「おい、大丈夫か」

ゼンの方を見上げた少女は青白い顔をしていた。ヒショウと同じか、少し年上のように見える。

「だ、大丈夫です。ありがとう、ござい、ました」

か細い声でそう言うと、少女はゼンを振りほどいて再び歩き出そうとした。しかし、すぐに倒れてしまった少女を、ゼンがすかさず支える。

「おい」

「離してください……」

「だめだ。お前、家はどこなんだ。なんなら俺が」

「離してください。行かなきゃ。用が、あるんです」

「用?どこだ?何しに行きたい?」

「村長様のところへ」

「よし、わかった」

ゼンは少女の抵抗などお構いなしに少女を抱き上げる。ゼンは医者ではないが、少女が危険な状態にあることはわかる。とにかく、この少女を放っておくことは出来なかった。少女もはじめこそ拒否するように暴れていたが、すでに腕の中でぐったりとしていた。事は一刻を争っている。

「ヒショウ!」

「は、はい」

ヒショウは恐る恐る返事をした。

「俺は今からこの娘を村長の下へ連れて行く。俺じゃあ不調を直してやることは出来ないがあのじいさんなら何か知っているかもしれない」

「……はい」

「ついてきてくれるな」

「勿論です」

ヒショウは大きくうなずいて見せる。それでも、胸の中の一抹の不安は拭えずにいた。少女が倒れたとき、すぐに駆けつけたのはゼンだけだった。道を歩いていた他の人間は、心配そうに見つめてはいたが、ヒショウ以上に前に出ようとはしなかった。嫌な予感がしてならなかった。

「そ、その方は……」

「気絶、というか気を失っているだけだ。病気では、ないんだが、おそらく。でも、軽い。相当痩せているみてえだし、休養が必要だな」

「ゼン様」

ヒショウは少しいいにくそうに言った。

「あ、あの、その方はもしかして奴隷でしょうか」

「どうしてそう思うんだ?」

「いえ、特に根拠はないのですが……もし僕と同じなら助けるべきではないと思います」

「なぜだ?」

「奴隷とはいわば使い捨てるもの。助けたところで、とても生きてはいけないと思います。それに、もしまだその娘に主がいた場合、こちらが変に接してしまえばその方の主に怨まれてしまうかもしれません」

「よく、知っているな」

ゼンはあきれたように感心してみせる。ヒショウも少し悲しげにうつむいた。

「たしかに、お前の言うとおりだ。だが、それはこの娘が奴隷だった場合の話だろ。でもこの娘は少し違う」

「違う?」

「この娘は確かに痩せているし。でも、見てみろ。服はお前より遙かに上等なものを着ているだろ?それに、お前の痩せ方の方が尋常ではない。心配している場合かっての」

決して健康とは言えない少女でも、着ているものはあくまでも庶民が着る、普通のものである。みすぼらしい奴隷と、それを連れ回す主のほうがよほど近づきがたいはずだ。

「今時、奴隷が当たり前にいるのなんて王都だけなんだ」

ゼンは視線の行き場に困り、少女を抱く己の手をぼんやりと眺めた。


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