紙と糸
それは、ホトが本当に居眠りを始めた頃のことだった。
「おい、貴様、何をしに来た。まさか領主様の刺――」
「だまってください。いちいち遣いの人に絡まないでくださいよ」
仁王立ちしているツグミを押しのけ、ヒショウは見るからに震えている兵士をみあげた。
「つっかかってなどいない。貴様達は注意力が足りないのだ。それとも、もしこいつが今すぐ襲ってきても倒せるとでも思っているのか?そういう自信はより多くの犠牲を出すことに」
「そういうわけじゃないんですけどね!」
ヒショウはツグミの言葉を遮っていうと、無意識のうちに糸を指に絡めて周囲を探った。だが、今回は何も引っかかってこないようだった。
「ただいまホト様は――」
眠っているが。
「――留守にしているのですが、用件はこちらで伺いますよ」
「あの、先ほどこれが門の所に」
兵士が持っていた紙をヒショウは受け取る。
「あのこれ」
紙にはホトの名以外何も書かれていない紙、といっても、まるでそこら辺におちていた紙くずのようだ。ただ塵が門の所に来ただけではないのか」
「ただこれだけが飛ばされてきて」
「そうですか……」
飛ばされてきたのであればなおさら、これはただの塵なのではないのか。
そう考えて適当に捨てようとしたところで、ヒショウは紙が小刻みに震えていることに気がついた。目をこらして見ると何かが光っている。そのきらめきにはヒショウには見覚えがあった。
「とりあえず、ありがとうございます」
ヒショウが頭を下げると、兵士は速やかに戻っていった。しっかりと姿を見えなくなったのを確認して、ヒショウはもう一度、紙を凝視する。
「何か紙についているな」
のぞき込むようにしてツグミが言った。
「ゼン様の糸がついています」
絡め取って指に結ぶ。指に直接震動が伝わってきた。だが、これは一体何を意味しているんだ。
「糸をたどってこい、ということでしょうか」
「だが、今の貴様がここを離れられないことをあいつは知っているはずだ。それに、手紙、というか、この紙はホト様あてに届いているんだろ。なら、あいつのための仕掛けだと考えるのが妥当ではないのか」
「ホト様ならどうしますかね」
「私にはわからん。かんがえたくもあに」
そう言いながらも、ヒバリは糸を触りながら何かを考えてくれているようだ。
糸の感覚は限りなく弱い。なにかにつながっているのだろうか。
「なんだこの震動」
「僕もそれ、気になってるんです」
ゼンのことだ。風の影響すら、この糸は操られているようだったが、その割には不定期で震動が来てるのだ。
「ゼン様から何かの震動が伝わってきているのでしょうか」
「伝わる?」
ツグミは言葉を反芻した。
「ええ。伝わる?わかりますか?伝わる」
「私を馬鹿にするな。わたしはそういうことを言っているんじゃなくて……なにか連想する者はないか」
「連想?」
ヒショウは考える。幾ら考えても何も思い浮かばない。これでは裸地があかないと言わんばかりに、ツグミはヒショウの手から紙を奪い取って糸が先になるように丸めた。
「昔よくこうやって遊んだ者だが、わからないのか?」
「はい?」
「こうやってこの筒を耳に当てると声が聞こえる。逆に口に当てて話せば、声が伝わる」
「そうなんですか。すごいですね」
「やったことないのか?」
「はい。王都にはそんなものなかったので」
そんな余裕はなかった。生きるのに必死だったのだから。
遠い目をしているヒショウをよそに、ツグミは得意になって紙をヒショウの耳に押しつけた。されるがままに、ヒショウは耳をすます。
『……か』
『……えるか』
『きこえるか』
「あ、はい!」
ヒショウは思わず叫んだ。
「何か聞こえたのか?なら筒の中に向けてはなせ。そんなこともわからないのか?」
ヒショウはツグミをにらむ。
「はい、聞こえました」
ヒショウはおちついて、筒の中に向けて答えた。再び紙を耳に当てる。
『あれ?ヒショウか。よくわかったな』
「はい」
「私のお陰だ。感謝しろ」
『ちょっと今立て込んでて、だから、手短に言う』
確かに、ゼンの息づかいは少し荒い。
『思っていたよりも仕事が立て込んでいて、なんか面倒なことになっちまって名。多分今日中には帰れねえから、後のことは頼んだぞ。宴とか、夜にあったら、よろしくな』
「承知しました。あの、大丈夫ですか」
今の自分では手助け出来ないことはわかっているが、糸がつながる先がゼンでも苦戦するほどに尋常ではない状態になっていることは容易にわかった。
『ああ。まあ、少しやばい、が、大丈夫だ。多分、明日には帰れる』
帰れる、という表現が妙に生々しく感じた。
「わかりました。くれぐれもお気をつけて」
『ああ、もちろんだ』
声が途切れる。ヒショウはため息をついた。
ゼンの身に一体何があったのだろうか。
裂け目の修復が難航しているのか。それとも北都の連中だろうか。北都の連中に襲われているのなら、どうしよう。だとすれば、僕のせいだ。
一気に、血の気が引いた。彼らが狙っているのは、自分のはずだ。なのに、自分にかかわったせいでゼンが追われているのなら、関人は自分にある。ゼンのことだ。敵が何人いようと問題はないだろうが、同じことがホトの身や、そのほか今まで僕とかかわった人達、あの村の人々、ヒバリ、それに王都の人たちが狙われていると思うと……。
「あれ?糸がなくなった」
ヒバリはとぼけた声で言った。
「糸はなくなってはいませんよ」
透明な糸とはいえ、見慣れているヒショウの目にはきちんと糸が見えていた。
「ほらあそこ」
まるで生きているかのように、意思をもって糸は宙を舞う。手には切れた糸と、紙だけが残った。あの糸が遠く戻ってく所に、ゼンがいると思うと、胸が締め付けられる思いがした。
ゼンの元へ行きたい。
そのどうしようもない思いが、信頼とは裏腹の不安になってヒショウの心に押し寄せてくる。
でもだめだ。
自分のなすべきことを、主の為に行おう。そうでないと、ツグミのようにうじうじすることになる。それは、なんとなく、嫌だ。
ヒショウは何も聞かなかったかのように落ち着いた態度で再び書類整理の仕事に戻ることにした。夜になったら、ホトを宴につれて行かなくてはならない。頭を仕事でいっぱいにして、不安を追い出したかった。
「大丈夫か、貴様」
「別に。大丈夫ですけど。ああ、夜になったらホト様が宴に行くのに付き添いますのでそのおつもりで」
「あ、ああ、わかった」
「あと僕を、貴様、と呼ぶのはやめてください」
「なぜだ。というか、なんと呼べばいい」
「別に、呼ばなくていいですけれど。あまりいい気がしないので」
「貴様のいうことはわからないな」
ツグミはあきれた、と言わんばかりに笑う。
「僕もです」
「では、私のことは名で呼ぶな」
「え?」
そもそも呼んだことがないのだが。
「なぜですか?」
「なれなれしくて気味が悪い」
光を反射する糸は美しい。
追手をまきながら、ゼンは尊貴にそんなことを考えていた。状況はいいか、と聞かれれば、いいとはいえない。むしろかなり悪いと言っていいだろう。とはいえ、危機的とは言えない。だって今は、まったく本気を出していないからだ。
追手の正体は言わずもがな北都の連中のようなのだが、一体なぜここまでの攻撃に自分が会っているのかが不思議だった
かつてヒショウに向けられた刺客は二人だったと記憶している。だが、今自分を追ってきている刺客は明らかにこれ以上いる。藪をつついて蛇を出してしまったようだ。狙われているのは、ヒショウの主だからか?なら人質にする為?そう考えるのが妥当だが、自分を捕まえるぐらいなら、ヒショウを捕まえる方が圧倒的にたやすいはずだ。たしかにあの宮に入り込むのは難しいだろうし、外に出るときは必ず自分がついていたので今までに襲う機会がなくしびれを切らして今襲ってきているのかもしれないが、だとすれば詰めが甘すぎる。一度だけあった北都の刺客は完全に殺意を隠しており、そこまでの素人だとは思えなかった。
目の前に剣が突き立てられる。
ゼンはそれを軽く避けて、さらに追ってくる追手から逃げて行く。
この執着さ。かなり追手に強い思いがなければ出来ないだろう。経験から言って、これほどの強い思いを抱くのは復讐ぐらいである。以前北都の奴をヒショウが倒したことを根にもっているのか。でも、それならやはり、らしくない。
では、なんだ?
なぜ、襲われる?
考えてもきりがない。ゼンはあとで捕虜でも捕まえて話を聞こうと決意する。どうせ南都の街には放置できないのだ。ヒショウにはあまり知られたくはないが。
ヒショウ。
まさか糸電話に出るとは思わなかった。彼があの遊びを知っているとも思えないし、ホトが出名あったところを見ると、他者に教えて貰ったと考えるのが妥当だ。ツグミだろうか。二人とも頑固なせいで仲が悪そうだったが、協力が出来るほどに打ち解けたのだろうか。
成長したな、と思う。
出会った頃の彼とはもはや比べものにならない。まるで他人のようだ。
なら大丈夫か。
ゼンは足を止めた。
裂け目を塞ぐ以外の理由で糸を使うのは気乗りしない。相手の自由を奪うことのおそろしさを、ゼンは知っている。ホトも、ヒショウも――。
二人のことを考えていると、自然に口元が緩むのだ。
勿論、気持ちとは裏腹に。




