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慣れないこと

 一日中席に座って仕事をしたのは今日が初めてな気がする。

 ヒショウは目の前の書類の山と机に突っ伏して居眠りをしているホトを交互に見る。自分もそうしたいが、ここは冷静さがかった。

 疲れを紛らわすようにヒショウは立ち上がって背伸びをした。体中が重い。なんとなくだるかった。なるほど。ホトが書類の処理をここまで避ける理由がよくわかった気がした。同時に、普段から文字に苦戦しながらも黙々と仕事をこなしているゼンには尊敬の念が募るばかりだ。

 今日一日、ヒショウはホトの仕事を手伝っていた。本や書物を読むのは好きだが、事務作業というとかっては変わっているようだ。手が痛い。むさぼるように読んでいた本も今日はもう読みたくはなかった。というか、もう字を見たくなかった。

空気もよどんでいる気がする。ヒショウは倉の窓を開けた。黄昏時の涼しい風は目を覚ますには十分だ。いつもゼンがしているように、布をホトにかけて糸もほどいてやった。

「まったく危機感のないやつだ」

その言葉に、ヒショウは身構える。

「この人はそうしようもない人ですけど、何かする気なら僕が許しません」

ヒショウはツグミをにらんだ。

「何もしない。というか、私には何も出来ない。これ以上、そいつには近づけないからな」

「珍しく聞き分けがいいんだな」

ホトは眠っているというのに。少し意外だ。

「聞き分け?見分け、と言ってほしいな」

「は?」

「いや。わからないのなら、いい」

ツグミはふうっと軽くため息をつく。

「そいつは眠っている不利をしているだけかもしれない、それだけだ」

どこまでもこざかしい、とツグミはつぶやく。

「貴様の様に普通じゃない奴にはわからないだろうが、そいつには好んで近づこうとは思わない」

「……」

ヒショウはもう言い直させることを諦めた。これは疲れのせいではない。いい加減、億劫だった。

「目、か……」

「言うまでもない」

「……そんなにこの目は忌み嫌われるべき者なのか?」

「当たり前だ。服従の為にしか使えない力なんて、趣味が悪い」

「これは、この人が選んで手にした者ではない。それに、服従の為意外にもこの力は」

「力は何に使える?たとえ善行に使ったぉ頃で結局は洗脳するんだろ?そんなの誰もが恐れて当然だ」

「……」

裂け目を塞ぐための力、それがホトの目の役割だ。だが、その方法はヒショウとは異なり、相手を洗脳するようなものである、ということは事実だ。それが、その人の為になる、といっても、世界のためになる、といっても、その事実だけは揺るがないのもまた、認めなくてはいけないことだった。もどかしい。悲しい。それに、空虚な事実だ。

 だが、その目の力と、ホトは違う。

 目をおそれることと、ホトを嫌悪することはまったく別の話であるはずなのに、実際はそうではなくなっている。

「貴様は一体何者なのだ」

ツグミは唐突にそう言葉を放った。

「急になんですか?」

ヒショウは淡泊に言い返す。

「こいつの目を恐れない貴様もまた特殊な力をもっているのだろう?貴様は明らかに普通じゃない」

心外だ。目は恐れているし、持っているのは変な力ではない。

「さあな」

ヒショウはわざと濁して答えた。力があると言えば、何をされるかわからない。逆に、力がないと言えばなめられるような気がする。

「まあ、何でもいい。どうせ貴様はうそをつくだろ。元からあてにはしていない」

「心外だ。訂正しろ」

「だが事実だろ?お前らはこいつらに洗脳されて口止めされているかもしれないからな」

ヒショウは言い返さない。何を言っても無駄なときは、すぐに諦めて黙ることがくせになっていた。

「まあそんなことどうでもいい」

「お前が話を振ったんだろ」

「それは、これについて聞きたかったからだ」

ツグミは手に隠し持っていた何かを掲げた。それが何か、ヒショウには一瞬でわかった。

 蛇だ。

 それも白蛇である。

領主のものだろう。気がついてもヒショウは動揺を見せない。

「貴様はこいつが何かしっているよな」

「蛇だ。両府様が使っている」

「こいつがまるでお前質のことを伺うようかのように忍び込もうとしていた」

「気がつきませんでした。ホト様の身になにかあっては大丈夫です。退治してくれたのはありがたいが、しかし、それがなんだというのですか?」

「あの日も……その、私がここに来た日も貴様はこの蛇に襲われていただろ。あの頭は糸遣いに頼んでとってふさいで貰ったそうだが」

「……まあ」

ツグミはヒショウの傷を見ようとするが、ヒショウはそれとなくなんの傷跡も残っていない腕を隠した。

「なぜだ」

「は?」

「なぜ貴様ごときが領主様に襲われる?なぜ貴様ごときが」

ツグミが白蛇をつかむ手に力が入った。

「特別な力がないのならなぜ」

「それは領主様がホト様を恐れているから、側近たる僕を弱みだとでも思っているのでしょう。まあ、そんなのは勿論勘違いなんですけどね」

「そんな勘違いすら、私はされたこともない」

「え?」

ヒショウは思わず聞き返す。

「貴様は私とは大違いなんだな」

「どういうことです?」

「そのままの意味だ。貴様には、私は慣れない」

「そんなの当たり前でしょう。僕とお前は他人なんだから」

「そう思える貴様がうらやましい」

吐き捨てるようにそう言ってツグミは出て行ってしまった。後を追うのも気が抜けたのでそのまま放っておこうと背を向けると今度はホトと目が合った。

「なんだ。起きていたんですk」

「寝てはいたよ。決して、寝たふりをしていた訳ではない」

「こざかしいってまた言われますよ」

ヒショウはあきれた目でホトを見た。

「それにしても、君って結構冷淡だよね」

「なんですか、急に」

ホトは頬杖をついてにやにやとヒショウの方を見上げている。

「憂いを持った女性を放っておくだなんて」

「は?」

「彼女、君に助けを求めてる目をしていたよ」

「あなた、あの人の目を見てないでしょ。いい加減なことを言わないでください」

ヒショウはホトをにらむ。

「どちらかと言えば、僕を目の敵にしているようにおもえましたけど」

「君が今私にしているような?」

「はいそうです」

「かわいくないな、君は」

「別に、かわいくなくて格好ですが」

いらだちを丸出しにしてヒショウは言った。

「何が言いたいんですか?」

「そのままの意味だって。君は少しでも相手の気遣いを読み取れるようにしないとね。でないと、女性達は振り向いてくれないよ」

「別に、それでいいんですけど……」

「単刀直入に言うとね、早く彼女の方へ言った方がいいってことさ。いろいろと話を聞いておいで。それで慰めて上げるんだ」

「慰めるって……何で僕が?なんであいつに?」

「だって私じゃあ近づけないし、心の傷を治すのは君の専売特許だし。それに」

力ずくでホトはヒショウを引き寄せると

「弱みをにぎっておいで」

と、耳元でささやいた。

「はいはい、わかってますよ」

 気の進まない足取りでヒショウは倉を出る。少し探してツグミを見つけた。地面にうずくまっている。

「何してるんですか?」

ヒショウはわざと距離をとって尋ねた。言い方こそぶっきらぼうだが、これでも心配している感じを装おうとしている。

「別に」

ツグミはそう素っ気なく答える間も腕を動かしている。

 しょうがない、とヒショウはため息をついた。ツグミに近づき、のぞき込む。

「なんだ。見ていても面白いものは何もないぞ」

ツグミはそう言っている者の、ヒショウは目の前の光景に釘付けになっていた。

 ツグミの真似井あいた穴。

 底に埋められている蛇。

 彼女は自分が殺した蛇を埋めていた。

「どうして」

ヒショウは気がつけばそう口に題していた。

 自分が蛇を殺したときはどうだったのだろうか。

 言うまでもない。そのまま放っておいた。埋めるだなんて思いもしなかった。

「どうしても何も、私が殺したのだからちゃんと送り出してやらないといけないだろ」

「そういうもの、なんですかね」

「もちろんだ。貴様もそう思うだろ」

「同意を求められて、ヒショウは思わず目を空左図を得なかった。

「さあ僕は」

ヒショウは続きを口に出さない。

 いつの間にか、ヒショウの中では殺した相手への礼儀が薄れていたのかもしれない。人を殺せば、すぐに逃げた。汚いもの、触れてはいけないものそう思って見ない振りをしていた。いや、それ以上に、人を殺したという事実よりも、自分がとがめられることを恐れていたのかもしれない。そのうちにいつの間にか殺した相手のへの後ろめたい思いも、申し訳ない思いも消えていたのか。

「そうか。貴様はわからないはずだ。人を殺すだなんて、普通は日常ではないものな」

「……」

「私も日常だとは思いたくない。シュヨク様の為だとまんまと言い聞かせても、人を殺すのはやはり気が引ける。足がすくむ。手が震える。死にたくなる」

「あの、大丈夫ですか?」

震える彼女の方にヒショウは手を置いた。

「ああ、大丈夫だ。すまないな、心配させてしまって」

ツグミの浮かべる笑顔はどこかぎこちない。

「私はいつでも人を殺すのは怖い。何かを殺すことも、怖くなった。だから私はその自分の恐怖心を隠すためにもあやめた相手は丁重に送り出すんだ」

「あの」

「人をあやめることを躊躇する私兵なんて役に立たないよな。だから、私は捨てられて。主に寵愛を受けている貴様とはちがう。そして貴様は、私のようにはなってはいけない」

ツグミはヒショウの方を見る。

「なんてな。えらそうに。私の親切心からの忠告だ。守るも守らないも、貴様の勝手だけどな」

「あの」

「ん?なんだ?」

何もなかった、何も言わなかったように振る舞う彼女は、また痛々しかった。目をそらしたくなる。だからヒショウは口を開いた。

「あの。ツグミさんて、案外いい人なんですね」

なるべく笑顔で、なるべく楽観的な声で。

「なんだ、急に。気持ちが悪い。という案外、とはなんだ」

「そのままの意味ですけど?」

「貴様……まさか私を慰めているつもりでいるのか?」

「いや、別にそうではないですけれど」

ヒショウがとっくの昔に失ってしまった、いや、得る機会それ自体を失ってしまった者を、ツグミは持っている。偉そうにしていても、彼女は所詮普通の人間だ。奴隷でも、人殺しでもない。だからこそ、思ったことを口に出してやった。それだけだった。

「それにしても、捨てられている?あなたは、あの人に信頼されているからこそこの仕事を任せられているのでしょう」

「はは、信頼?貴様は何にもわかっていないのだな」

ツグミは静かに笑った。

「私はすてられたのだ。ここに来たというのは、そういうことだ」

「どうしてですか?」

「まだわからないのか?あの男と同じ空間で過ごすんだぞ?あいつにいつ洗脳されるかわからない環境に身を置くと言うことだ。いつあいつに取り込まれるかもわからない。私が知らないうちに無理矢理、ということもあるかもしれない」

「あの人は多分、そんなことはしないと思いますよ。まして、僕がそんなことはさせない」

これ以上、ホトの敵を増やしたくはない。

「正直に言って、事実洗脳されていてもいなくても、私の利用価値はなくなってしまったんだ。私がされていないと言ったところで、貴様らがそう証言したところで、閉鎖空間であるここで何が起こっているかなんて誰もしらないからな」

「あなたは自分の主を信じていないんですか?」

「信じている」

「なら」

「あの方はきっと信じてくれているだろう。だが他の奴はわからない。おそらくは信じず、私を目の敵にするだろう。私は別にそれでもいい。しかし、それがシュヨク様の迷惑になるのは目に見えていることなのだ」

「あなたの主は、あなたがそんな状況に置かれてもなおきちんと仕事をしてくれる、後の苦難も予知していて、それでも平気だと思ってあなたを送り出したはずです」

「それはそうだ。そうだと私も思っている。仕事だってやってるでも、平気って……。平気とはなんだ。何が平気なんだ・私はどうすればいいんだ。この監視はいつまで続く。私はいつまでもここにいなければいけないと言うことか。それが平気と言うことか」

「それは僕にもわかりません。だけど」

ヒショウは一度倉の方を見た。ホトの姿は見えない。狸寝入りでもしているのだろう。

「だけど、ここにいることをあまり嫌がる必要はないと思いますよ。僕はここ、とっても楽しいですし」

「は?」

「だってもう、しょうがないじゃないですか。ぼくじゃあどうやら、どうにも出来ないようですし、今を楽しむべきですよ」

「はあ?」

ツグミは訳がわからない、という顔をしている。

「僕も良くあります。自分のせいで主様に、ゼン様に、迷惑が花果手しまうのではないか、とか。そりゃあ勿論、ゼン様と離ればなれになったら寂しいですし、早くゼン様の元へ行きたい、隣に立ちたい、って思いますし、必死に追いかけると思います」

「私はそれが出来ないから今こうなっているんだろうが」

「そう、なのかもしれませんね。僕だったら、たとえ主の役に立てるとわかっていても、離ればなれになるのは苦しくて、ついついあがいてしまうので、ここでくすぶって諦めるだなんてまったく理解できないんですけど――まあ、それはいいとして。とにかく、今考えてみても、あの時、僕がかつてあの方に置き去りにされたとき、考えて思い詰めていても仕方がなかったなって思って。でも、いろんな人に背中を押してもらえたのもあって、傲慢だとわかっていてもあの方を追いかけたら、また会えた。僕はあの時の選択は間違っていなかったと思っています」

ヒショウはほんの少し前に自分の身に起こったことを思い出していた。ゼンと離れ場慣れになっていた時期にはつらいことも多かったし、決して楽しいとは思えていなかった。でも、今思い返してみるとあの間の思い出は、楽しかったようにも思えるのだ。

「主の元へ戻れるようにあがく、そして、自分の意思で現実に流される、それしか今できることはないのではないでしょうか」

ゼンの迷惑を考えたら、あの時について言ったのは思慮に欠けた行動だったのかもしれない。それでも、あの時の自分は、自分の意思で、ゼンを追いかけたのだ。

「今を生きろ、か。まるで悠久の時を生きる奴がいいそうなことだ」

「あはは」

ヒショウは苦笑いをした。

「でも、ほんの少しは貴様の言うとおりだった。私のように不器用な人間は今底にある『今』しかいきられないのも事実、片に未来を見据えたところで貴様の様な奴に慰められることになってしまうのだからな」

「慰めてなんかいないですって、別に」

まあ、なんでもいいよ、とツグミは笑った。

「だが、貴様のその自信はすごいな。今を幸せだと貴様があまりにも自信ありげに言うから、私もだまされたように、もう少しここで辛抱してやろうと思ってしまった」

「自信って……。自信がないままに幸せだって人に言える人はいなにと思いますよ」

「よくもそんなに現実に満足出来るな」

「僕だっていろいろ考えることはありますし、完全に満足しているという訳でもないです。でも僕は根が楽観的なようで、簡単に、今が一番幸せだと甘んじてすぐに受け入れてしまうんです。まあ、あの環境で生きていくのに必要な能力だったのかもしれませんね」

「今の自分は、未来の自分からすると不幸かもしれない」

「それでも、僕たちが今を生きていれば、僕らはずっと幸せでいられます」

「楽観的だな」

「はい。楽観的です」

「ははっ。うらやましい」

うらやましがられても……。ヒショウは胸の中で落胆する。

 こんな減る靴のような考え方をするようになったのはいつからだろう。少なくとも、王都にいた自分なら、ゼン様に出会ってすぐの自分なら、ヒバリに出会った頃の自分なら、ホトに出会った頃の自分なら、こんなことを勘ゲルことさえなかったはずだ。前向きな考えはおろか、後ろ向きな最悪の事態ばかりを考えて、片に必死になっていた。こんなにも楽観的に成り下がってしまったのは、ただの平和ボケのせいだろうか。あるいは、楽観的な性格の持ち主に、いつからか生まれかわったのだろうか。

「そうか」

ツグミは言うと立ち上がる。気がつけばすでに、蛇の死体は埋め終わっていた。

「貴様のことはよくわかった」

「少しは参考になりましたか?」

「いや、まったく」

即答だった。

「引き留めてしまって済まなかった。貴様は、あの男の元へ行こうとしていたのだろ」

ヒショウが置かれている状況を知っているにもかかわらず、ツグミは言った。当然、ヒショウは彼女をにらむ。

「お互い、同じ状況という訳ですね」

「そういえば、貴様の仕事がなんちゃら、とか言っていたな」

「聞いていたんですか」

「聞こえてしまったんだ。あの男の仕事に関係があるってことは、貴様も何かしら特別な力を――」

「さあ知りません」

ヒショウは全力でしらばっくれる。

 これで、ホトに言われたことはこなせたのだろうか。

 いつものように手を当てて行う治療ではないが為に、なんとなく違和感が残る。気持ちが悪く感じるのはきっと、慣れないことをしたせいだろう。仕事の為とは言え、不本意ながら、敵陣の刺客たるツグミと妙になれなれしく話してしまった。

「慣れないことをする者ではないな」

「人を慰めるのは苦手です」


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